落語怪談

三文士

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乾物屋團十郎 上

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「乾き物、避けて通るは出会茶屋であいちゃや

 なんてぇ古い川柳がございます。出合茶屋というには今で言うところの休憩が出来るホテルのことでございます。乾き物は湿り気を嫌いますので、湿気の多い場所は避けて通るという洒落でございますな。

 やあ、今日は男女の湿り気が遠い昔の話になったお客様ばかりみたいで笑いが起きない。よく見ると乾き物みたいなお客様ばかりですな。


 乾き物、すなわち乾物でございます。この乾物というのは世界各地にあるんですが、日本の乾物というのは中でも群を抜いて美味いものが多いそうなんですなあ。まあもっとも、それも日本人が言ってることですから当てになりません。中国で聞いたら中国が一番、韓国で聞いたら韓国が一番、南アフリカで聞いたら南アフリカがってそんなもんはあるんだかどうだか分かんない。

 どちらにせよ、乾物ってのは昔から日本人に欠かせない大切なものだったそうです。

 
 江戸の時分、日本橋にたいそう繁盛している乾物屋がございました。日本橋の#
上総屋__かずさや__#といえばその当時は知らない者はおりませんでした。乾物屋で繁盛してるったって、そんな大したことは無いだろうと思われるかもしれませんが、この上総屋に関しては桁違いでして。それこそ店から橋を渡ったところまで行列ができたとかできないとか。

 まあ繁盛の理由は様々でしたが何しろ品物が良いのと値段が手頃なこと。そして一番の理由は代々ここの店主が随分な男前だったことが有名でございました。

 どういった訳か産まれる後継ぎは必ず美男子で、客からは代々の店主が乾物屋團十郎かんぶつやだんじゅうろうとまで言われておりました。

 そんな、日本橋上総屋で起こったお話しでございます。


 こんこん


「誰だい?」

「お父っつあん。あたくしです。菊七郎きくしちろうです」

「お前か。入りなさい」

「はい」

 上総屋の奥座敷。部屋に真ん中には主人である上総屋政五郎かずさやまさごろうが座っております。部屋に入って来たのは息子の菊七郎。政五郎はまさに乾物屋團十郎の名に相応しい、当代きっての苦味走った良い男。歳は四十を後半に差し掛かったところですが三十代に見えなくもない。しかしながら重厚感のある雰囲気で主人らしくどーんと構えております。

 対して息子の菊七郎ですが、今年で十八歳。端正な顔立ちはしているもののどこか頼りないというか芯の細いところがあり、どうも男ぶりでは今ひとつ父親には敵わないと言ったところ。

「菊七郎。お前を呼んだのは他でもない。今日は大事な話があってな」

「ああ、遂にこの日がやってきましたか」

「なんだい?」

「分かってますよ。あたくしは、お父っあんの本当の子じゃ無いってんでしょ」

「さて、また可笑しなこと言い出したよ」

「いや良いんです。万事承知してるんですから。この家に産まれた男子は代々男ぶりが良いので有名で乾物屋團十郎だなんて言われているって。だけど息子の菊七郎は、團十郎どころか菊之助だって怪しい。いいとこ乾物屋大部屋住みとか乾物屋ドサ周りだとか……」

「おいおいおい随分だねえ。誰がそんなこと言ってんだ」

「いえ、巷の噂でございますよ。それでも火のないところに煙はというじゃありませんか。それで考えたんですよ。代々男ぶりの良い子が産まれてくる家で何故あたくしだけこんな具合なのか。きっともらい子なんだと。お父っつあんが若い頃、日本橋の下で拾ってきた子だって。牡丹が刺繍された絹の布に包まれて『名は菊七郎といいます、可愛がってやってください』という細くも可憐な文字で書かれた手紙だけが一緒に包まれて。それを書いたのがあたくしの本当のおっかさん」

「お前のおっかさんならさっき朝飯一緒に食ったろ。味噌汁の飲み方なんざぁそっくりじゃねえか。だいたい何だその、絹と手紙てえのは」

「そういうのがあるんじゃないかな、と」

「そら見ろ。お前ね、そういうところが駄目なんだ。姉さんや乳母と一緒になって女が読むような貸本ばかり読んでるからそうなるんだ。絵空事ばかり言って、そいう事だから巷で大部屋だとかドサ周りだなんだと言われるんだ。これじゃあ店の連中にもしめしがつかんだろ」

「いつものお小言ですね。でも良いんです。それもあたくしを思ってのこと。もらい子拾い子にまあよくぞここまで熱のこもったお小言をくださるもので」

「妙な捉え方をするな。言っとくがお前は正真正銘わたしの子だ。拾ってないし、もらってもいない」

「本当ですかお父つっあん」

「本当だとも。なんだよ気味が悪いねえ、目を潤ませるな。シャンとしなさいシャンと」

「ううぅ」

「泣くんじゃないよ。まったくお前はね。しかしなんだ。かく言うわたしもね。お前くらいの頃は頼りないと先代によく叱られたもんだ」

「ええ?お父っつあんが?またまたご冗談を」

「なんだい。すぐ乾く涙だね。いや、嘘じゃないよ。本当さ。それもあってお前を呼んだんだよ」

「と言いますと?」

「上総屋の男は顔だけじゃない。中身にも一本筋が通ってるから店を立派に繁盛させられるんだ。しかしね。誰もが産まれながらにそんなビシッとした男じゃないんだよ。これにはワケがあるのさ」

「なんです、いやに勿体ぶって」

「ふむ。上総屋の男はな。十八歳になるとみなある試練を受けるんだ」

「ええ!?なんですそれ、初めて聞きました」

「当たり前だよ。今日初めて言ったんだから」

「どんな試練なんですか?」

「そりゃあお前、厳しい試練だよ」

「お父っつあん。そのぉ、厳しいってえとどんな感じなんですかい?」

「なんだいその顔は。そりゃあお前厳しいものは厳しいよ。生半可では乗り越える事はできないね」

「じゃあ、あれですか。二、三人芸者衆かなんか呼んで。『あらこちら随分と男ぶりが良いんですねえん。くらっときちゃう』『あら千歳さん、独り占めはダメですよぉ』『やだお姉さん、この人はわっちが』なんてことは」

「馬鹿野郎!父親の前でしな作ってんじゃないよ気味が悪い。それのどこが厳しいってんだ」

「いやあ、モテ過ぎてキビシイ」

「馬鹿だねこの子は。そんな試練があるもんか。とにかく厳しいんだ。だけどね、それを見事乗り越えたらその先にはお前はきっと一人前の上総屋の跡取りになってるんだよ」

「へえ、そんなもんですか」

「そうだよ」

 とかなんとか。菊七郎すっかり父親に言いくるめられて試練とやらに挑むことになりました。

 さて、試練に挑むのは良いのですが肝心の中身について親父殿は全然教えてくれません。とにかく家の敷地内にある大きな蔵の扉を開けて午の刻からひと晩、一番鶏が鳴くまで夜明かしをしろという事だけを言われました。困ったのは菊七郎。何しろ持って行っていいと言われた物は提灯ひとつと古い湯呑みに入った水だけ。

 政五郎曰く、「この水はよっぽど困った時に使うんだぞ、それまでは片時も手放すな。一滴も蔵にこぼしてはいけない」と言われましていよいよ混乱してしまいます。

 さあいよいよ試練の日当日。菊七郎は心底怯えながら土蔵の扉を開け、用意してあった古い木の椅子に腰掛け宵闇を眺めおります。

「まったく。オヤジさんも人が悪いよ。そんな方法があるなら初めから言ってくれりゃあ良いんですよ。おかげでこっちは寺子屋の時代からずいぶん女の子にフラれてきたんですから。やれ『どうせならアンタよりお父っつあんのが良い』とか何とか言われてね。親父のせいでフラれる息子なんざ聞いたことありませんよ」

 菊七郎、ぶつぶつ文句を言いながら言われた通り湯呑みを抱えて朝を待っております。

 そうして少しずつ夜から深夜へと時間が移り変わり、先ほどまで鳴いていた虫や鳥なんかの声も一切しなくなりました。

 ぼーん、という丑三つを知らせる鐘。いよいよ真夜中という頃です。夜明かしということで昼間たっぷり寝ておいた菊七郎ですが流石に少しだけ眠くなってきました。まあ、あともう少しすれば夜も白んでくるだろう、そしたらさっさと布団に潜って寝ちまおうと。そんなことを考えていた時でした。

 続く
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