煙十朗奇譚

三文士

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視線編

視線編 その1

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 誰かに見られていると感じたら、それは必ずしも気のせいとは限らない。


「やあ来たね。待ってたよキミ」

 うす汚れた扉の向こうには、六畳一間のかび臭い部屋が広がっていた。乱雑に散らばった無数の本と、シミだらけで湿っぽい万年床などがすぐさま僕の視界に飛び込んできた。

「やあ。久しぶりだな。息災げんきかい?」

「ご覧の通りさ。病気なんぞとは無縁の人生を送っている」

 僕の連れ(いやこの場合、僕の方が連れというべきか)とこの部屋の主人あるじは旧知の仲であるらしく、出会い頭に気の置けない会話をはじめるほどであった。

 主人は骨と皮ばかりに痩せた男で、何か患っているように見える。

「なんだか何十年も会っていなかったような気分だよ。忙しいのにすまなかったね。わざわざこんな田舎まで」

「なに。数少ない親友の頼みだ。この霧ヶ峰煙十朗きりがみねえんじゅうろう、地の果てだって馳せ参じるさ」

「数少ない?見栄を張るなよ。キミの親友は僕一人さ」

 霧ヶ峰煙十朗。それが僕をここに連れてきた男の名前だ。僕は彼を先生と呼んでいる。

 先生の正確な歳は分からない。恐らく三十歳を少しでたところだろうか。先生はいつも黒紋付を着流していて、その裏地には美しい女の鬼が描かれている。昨今では西洋仕立ての服が目立つようになりましたが、先生は変わり者なのでいついかなる場合でもこの黒紋付を着流している。いつも懐手に、口にくわえた途切れず敷島しきしまの紫煙を吐き出しながら本人も煙のようで掴み所がない。

 かつての学友を訪ねる時でさえ、先生はいつもと寸分違わぬ格好のままだ。

 飄々ひょうひょうとしてる人で掴みどころが全くない。肩まである黒髪で雪の様に肌が白く、冷たいくらいの切れ長の目に高い鼻、口もとにはいつも笑みを携えている。

「しかしな、キミ。帝都からここまで、この名探偵を引っ張り出したんだ。よほど面白いことがあったんだろう?」

 先生は床に散らばる本を足で捌き、自分の場所だけを確保すると家主に断りなくくつろぎはじめた。僕はと言えばどうしていいか分からず、入り口でただ立ち尽くしていた。

「すまないね狭いところで。何しろここは仮住まいだからなあ。お嬢さんにはすまないが我慢しておくれ」

「構わんよ。なあ、おてん

「はい。僕のことはお構いなく」

 僕は先生からお天と呼ばれている。それと、僕はお嬢さんではない。

 先生の少しばかり変わった趣味のせいで、僕は最近流行りのの女給さんと同じ格好をさせられている。重ねていうが、僕はお嬢さんではない。

 先生は探偵を生業なりわいとしている。帝都でも名高い人物だ。名探偵というのは、あながち嘘じゃない。

 ただひとつ、他の探偵とは違う点がある。

「面白いことかどうかは分からないが、絶対にキミを退屈はさせないよ。僕らの愛する母校に誓ってもいい」

「それは心強い。で?何があった?」

「視線をね。感じるんだよ」



 先生は妖しげなこと専門の探偵なのだ。

「視線……ねえ」

 先生は六畳ひと間で揺れ動く裸電球に敷島の紫煙を吹きかけながら微笑んだ。どうやら、相手の思惑通り先生の興味をひいたらしい。

「そうさ。視線さ。ずっと感じるんだよ。四六時中、休まるところを知らない」

 今回の依頼主は名を、小林というらしい。先だってこの下宿へ来たときに、ここの管理をしてる小母さんが「ああ小林さんね。二階の奥の部屋ですよ」と言ったので名前が分かった。先生のかつての学友だというが、先生は何も語らない。

「いつからだい?その視線を感じるのは」

「もう一年になるよ。なあキミ、酒は、持ってきてくれたかい?」

「ああ。持ってきたよ。お天」

「はい」

 僕は今回、唯一先生から仰せつかった酒瓶を紙袋から取り出した。舶来ものの、高級な蒸留酒だった。

「ありがたい。ウヰスキーか。久しぶりだな」

「昔はよくキミの父上の秘蔵の酒を拝借していたよな」

 二人は大声ではははと笑っていたが、僕はすっかり蚊帳の外にいる気分だった。しかしそれからこの小林某が話をはじめると、その身の毛もよだつ内容に、僕はすっかり恐ろしくなり、寂しさを忘れてしまうほどだった。

 小林某の話は以下の通りである。

 続
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