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烏の濡れ羽編 その5
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「お天や。よく聞け。どうやらお前は人の理から少しだけ道を外れてしまったらしい。だがそれは、天狗たちやましてやお前を売った親のせいではない」
「ではなんです?どうして僕がこんな目にばかり会うのです。地獄のようなとこからようやく抜け出せたと思ったら、次は不条理にそれを奪われる。憎い。この世が、人が憎い。ニクイ」
憎しみを口にしたとたん再び天音の顔が歪み、化けガラスになろうとしていた。
「それがお前の道だ。お前だけの、歩むべきお前の道だ。辛かろうな。憎かろうな。苦しかろうな。だがそれがなんだ?その呪詛になんの意味がある?」
「なんだ……って。そんな簡単に言わないでくださいよ。人の心はそんな簡単に割り切れない!軽々しくそれが、なんて口にしないで!アナタには分からない」
「自惚れるなよ化けガラス風情が。何故この霧ヶ峰煙十朗がそんなものを推し量る必要がある?他人に、自分の人生を理解してもらう必要なぞない」
汗ばんだ肌を蒸気させ言い争うを二人を、すっかり蚊帳の外になってしまった屋敷の主人は指をくわえ恨めしそうに眺めている。
「なら、もう放っておいてください。警官なりなんなり呼んでください。牢屋に入って野垂れ死にますから」
「それだ。いいかお天。お前が足りないのはそれだ」
「え?」
盛り上がる煙十朗の気迫に巻き込まれた天音は、すっかり彼の劇場の観客となりはじめていた。
「お前は神仏が作りたもうた最高傑作と言っていい。美しく、嫋やかで、妖艶で、愛くるしい」
のけ反るほどの称賛に天音はまた頬を赤らめる。その顔はすっかりまた美少年に戻っている。
「しかし足りない。お前という存在は臥竜点睛を欠いている。お前には志がない。気高さがない。ただの弱い、愛玩動物だ。愛でるだけならそれでいい。しかし、存在としてはそれでは不完全だ」
「僕は強い!腕に自信だってある!」
立ち上がろうとした天音の顎を片手でとらえ、霧ヶ峰煙十朗は触れるまであと二寸足らずというところまで顔を近付けた。
「武芸のことを言ってるにではない。お前は知らぬ。世のあらゆる汚さを。恐ろしさを。醜さを。愛らしさを。悦びを。幸せを」
天音の硝子細工のように透き通る瞳には煙十朗の優しさに満ちた目が映し出されている。
「この霧ヶ峰煙十朗は知っている。世の汚さを。世の恐ろしさを。世の醜さを。世の愛らしさを。世の悦びを。そして」
言いかけた煙十朗は天音の顔に手をそえたまま立ち上がり、もう片方の手で少年の手をにぎった。
「乞え。お天。この霧ヶ峰煙十朗に。一緒に連れて行ってくださいと。頭を垂れるんだ。そうすれば救ってやる」
「え?」
「ただのひと言さ。それでいい。そうすればお前を救ってやれる。さあ、お天、どうする」
「そんな……急に言われても……」
天音は突然のことで困ってしまい、思わず辺りを見回したのだが、炎のような瞳で見つめる煙十朗の他に、その部屋には不様な太っちょの元主人以外にはいなかった。
「天音や!行くな!戻ってきておくれ!また私と一緒にいよう!この通りだ!」
主人は涙と鼻水にまみれながら頭を床に擦り付けている。
「命を天秤かけても、その美貌を手中にできるとあらば惜しくない。まさしく傾国の美女……いや傾国の美少年だよ。お前は」
「ご主人……」
「天音!」
鼻息を荒げる主人を尻目に、天音にはもうここに戻る気などさらさらなかった。彼が悩むのはただ、この男について行くべきかどうか。霧ヶ峰煙十朗という男を信じていいのか。
到底信じられるような男には思えなかった。しかしながらそれを思っても余るほどにこの霧ヶ峰煙十朗という人物は魅力的だった。溢れ出る誘惑に、打ち勝てない自分がまた、怖くもあったのだ。
「さあ、頭を垂れろ。乞え」
「……」
「大丈夫さ。今お前は人生の岐路に立ってはいる。だがな、この選択でお前が後悔したりすることはない」
「なぜ言い切れるのです?」
天音の質問に、煙十朗は心底愉快そうに笑みをこぼし、答えた。
「この霧ヶ峰煙十朗と共に来ると選んだ者に、後悔や退屈をする暇などない。この霧ヶ峰煙十朗と歩む者は前のみを見る、決して後ろを見ることはない。振り返る暇などない。だが心せよ。お前は今から世界と、宇宙と運命を共にする。発見と驚き、革命と生誕が常に起こり続ける。お前の心の臓が動きを止めるまで、愉悦と快楽に溺れ続けるのさ」
その言葉を聞いた時、天音は無意識に頭を垂れ、口を動かしていた。
「連れて行ってください」
霧ヶ峰煙十朗は大きく笑い、そして彼を抱き上げた。
「ようこそ我が世界へ。宇宙の気紛れで産まれた美の破片。幽玄の魂はお前を歓迎するぞ」
煙十朗の敷島の煙は、いつの間に消えていた。
◆◆◆
以上が僕と先生の馴れ初めです。ちょっと変わってるでしょう。
まあ僕も元々妙な世界に足を踏み込んではいましたけどね。先生と付き合い始めてからは余計ですよ。妙な連中も見え始めました。
こんな女給さんみたいな格好をしてるのも魔除けとか言ってるけど、先生の趣味なんですよきっと。
おや、まだ先生は帰ってきませんね。雨も降ってるじゃないですか。
どうです?珈琲のおかわりをしながら、もうひとつ、奇怪な話をお聞きになりますか?
続
「ではなんです?どうして僕がこんな目にばかり会うのです。地獄のようなとこからようやく抜け出せたと思ったら、次は不条理にそれを奪われる。憎い。この世が、人が憎い。ニクイ」
憎しみを口にしたとたん再び天音の顔が歪み、化けガラスになろうとしていた。
「それがお前の道だ。お前だけの、歩むべきお前の道だ。辛かろうな。憎かろうな。苦しかろうな。だがそれがなんだ?その呪詛になんの意味がある?」
「なんだ……って。そんな簡単に言わないでくださいよ。人の心はそんな簡単に割り切れない!軽々しくそれが、なんて口にしないで!アナタには分からない」
「自惚れるなよ化けガラス風情が。何故この霧ヶ峰煙十朗がそんなものを推し量る必要がある?他人に、自分の人生を理解してもらう必要なぞない」
汗ばんだ肌を蒸気させ言い争うを二人を、すっかり蚊帳の外になってしまった屋敷の主人は指をくわえ恨めしそうに眺めている。
「なら、もう放っておいてください。警官なりなんなり呼んでください。牢屋に入って野垂れ死にますから」
「それだ。いいかお天。お前が足りないのはそれだ」
「え?」
盛り上がる煙十朗の気迫に巻き込まれた天音は、すっかり彼の劇場の観客となりはじめていた。
「お前は神仏が作りたもうた最高傑作と言っていい。美しく、嫋やかで、妖艶で、愛くるしい」
のけ反るほどの称賛に天音はまた頬を赤らめる。その顔はすっかりまた美少年に戻っている。
「しかし足りない。お前という存在は臥竜点睛を欠いている。お前には志がない。気高さがない。ただの弱い、愛玩動物だ。愛でるだけならそれでいい。しかし、存在としてはそれでは不完全だ」
「僕は強い!腕に自信だってある!」
立ち上がろうとした天音の顎を片手でとらえ、霧ヶ峰煙十朗は触れるまであと二寸足らずというところまで顔を近付けた。
「武芸のことを言ってるにではない。お前は知らぬ。世のあらゆる汚さを。恐ろしさを。醜さを。愛らしさを。悦びを。幸せを」
天音の硝子細工のように透き通る瞳には煙十朗の優しさに満ちた目が映し出されている。
「この霧ヶ峰煙十朗は知っている。世の汚さを。世の恐ろしさを。世の醜さを。世の愛らしさを。世の悦びを。そして」
言いかけた煙十朗は天音の顔に手をそえたまま立ち上がり、もう片方の手で少年の手をにぎった。
「乞え。お天。この霧ヶ峰煙十朗に。一緒に連れて行ってくださいと。頭を垂れるんだ。そうすれば救ってやる」
「え?」
「ただのひと言さ。それでいい。そうすればお前を救ってやれる。さあ、お天、どうする」
「そんな……急に言われても……」
天音は突然のことで困ってしまい、思わず辺りを見回したのだが、炎のような瞳で見つめる煙十朗の他に、その部屋には不様な太っちょの元主人以外にはいなかった。
「天音や!行くな!戻ってきておくれ!また私と一緒にいよう!この通りだ!」
主人は涙と鼻水にまみれながら頭を床に擦り付けている。
「命を天秤かけても、その美貌を手中にできるとあらば惜しくない。まさしく傾国の美女……いや傾国の美少年だよ。お前は」
「ご主人……」
「天音!」
鼻息を荒げる主人を尻目に、天音にはもうここに戻る気などさらさらなかった。彼が悩むのはただ、この男について行くべきかどうか。霧ヶ峰煙十朗という男を信じていいのか。
到底信じられるような男には思えなかった。しかしながらそれを思っても余るほどにこの霧ヶ峰煙十朗という人物は魅力的だった。溢れ出る誘惑に、打ち勝てない自分がまた、怖くもあったのだ。
「さあ、頭を垂れろ。乞え」
「……」
「大丈夫さ。今お前は人生の岐路に立ってはいる。だがな、この選択でお前が後悔したりすることはない」
「なぜ言い切れるのです?」
天音の質問に、煙十朗は心底愉快そうに笑みをこぼし、答えた。
「この霧ヶ峰煙十朗と共に来ると選んだ者に、後悔や退屈をする暇などない。この霧ヶ峰煙十朗と歩む者は前のみを見る、決して後ろを見ることはない。振り返る暇などない。だが心せよ。お前は今から世界と、宇宙と運命を共にする。発見と驚き、革命と生誕が常に起こり続ける。お前の心の臓が動きを止めるまで、愉悦と快楽に溺れ続けるのさ」
その言葉を聞いた時、天音は無意識に頭を垂れ、口を動かしていた。
「連れて行ってください」
霧ヶ峰煙十朗は大きく笑い、そして彼を抱き上げた。
「ようこそ我が世界へ。宇宙の気紛れで産まれた美の破片。幽玄の魂はお前を歓迎するぞ」
煙十朗の敷島の煙は、いつの間に消えていた。
◆◆◆
以上が僕と先生の馴れ初めです。ちょっと変わってるでしょう。
まあ僕も元々妙な世界に足を踏み込んではいましたけどね。先生と付き合い始めてからは余計ですよ。妙な連中も見え始めました。
こんな女給さんみたいな格好をしてるのも魔除けとか言ってるけど、先生の趣味なんですよきっと。
おや、まだ先生は帰ってきませんね。雨も降ってるじゃないですか。
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