煙十朗奇譚

三文士

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烏の濡れ羽編 その4

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「やはり内に妖怪を飼っていたか。見たところ烏天狗からすてんぐだな」

「ひいいいいい」

 腰を抜かす主人を尻目に煙十朗は至って冷静である。それはもう、恐ろしいほどに。

「ケェアー!このクチバシでお前の目をついばんでやる!死ね!クエァー!」

 美少年の面影は消え失せ、姿形だけでなく声までもが恐ろしい化けガラスのそれとなっていた。

 烏天狗となった天音が尋常を超える力で煙十朗に迫ったが、どうしたことか、彼の身は最初の体勢から微動だにしない。

「やれやれ。説明が過ぎるなお天ちゃん。こんなもの、目の肥えた連中から三流だの駄文だのと言われてしまうぞ」

「貴様は何を言ってる」

「いいさ。もう戯れはお終いにしよう」

 突然、煙十朗は天音の身体を引き寄せたかと思うと、鋭利なそのクチバシにそっと接吻せっぷんをした。烏のクチバシに接吻というのも妙な絵面なのだが、そのうちにもっと不可思議なことがおきた。

 身体をよじっていた烏天狗の天音だったが、醜く恐ろしかったその顔が、再び先までの美しい顔に戻っていくではないか。徐々に徐々に変化してゆく。雪解けして地面が見えるかのように、羽毛が剥がれ落ち艶やかな白い肌が見え始めた。

 そして遂に、美しい顔の天音少年が頬をいっそう紅くして、煙十朗に唇を奪われているという状態になった。

 長いこと、彼らの唇同士は触れ合っていたと思う。

 きゅぽん、と音がしたとかしないとか。煙十朗が唇を離した時には天音からは甘いため息が漏れていた。

「お前の中にあった烏天狗は全部抜き取らせてもらった。誰にどう仕込まれたか知らんがこれでしばらくは変化はできまい」

 ここでようやく煙十朗が天音の両腕を解放した。しかし解放されたにも関わらず天音はすっかり腰砕けになってしまい、よたよたとその場に崩れ落ちた。

「ご主人、これで心配は当面なくなった。しかしコイツは下っ端もいいとこだからなあ。また誰ぞ送り込まれてくるやもしれん。まだ不安なら警護を何人かつけるといい」

「ありがとうございます先生!。して、つかぬことを伺いますが……天音は……もう危険はないのですか?」

「というと?」

「いえ、どうということはないのですが。コイツも身寄りのない者だし……危険が無ければこのまま屋敷に置いてやろうと。このことは私たちしか知らんですから」

 その瞬間、主人の肥えた嫌らしい顔を射抜くように霧ケ峰煙十朗は鋭い視線放った。

「ご主人、貴方も懲りない方だ。もしも長生きしたければ、もう少し賢くなるべきだ。いかに紹介と言えど、貴方の下賤な肉欲を満たす為にいちいち駆り出されてはこちらもいい顔ばかりできないぜ」

「ああ……いや」

「奥方もいるでだろう。あまり欲望に忠実過ぎると、それだけで身を滅ぼす。貴方はいつ命を狙われてもおかしくない立場にいるのだから」

「肝に銘じます」

 主人は情けないような申し訳ないような、なんとも複雑な表情で頭を下げた。

「さて、君の処分だが。どうしたもんかね」

 腰砕けになった天音を見下しながら、煙十朗はようやく敷島に火を点けた。

「命を狙われたご主人が見逃してやれと言っている。警官連中を呼ばれないうちに、とっとと故郷にでも帰るんだな」

 そう煙十朗に言われて、少年は頬を赤らめながらひと筋の涙を流した。

「故郷には帰れません。僕はもう、何処へも行けないんです」

「家出でもしたのかい?」

「いえ、僕は売られたんです。親に。五十圓でしたよ、僕の値段は。そして人買いの小父さんと山道を歩いていた時に、大天狗さまに拾われたんです」

「なるほど」

 江戸が終わりをむかえて久しいこの頃でも、天狗に拐かされることは珍しいことではない。まして天音のごとく美しい少年ともなれば、天狗でなくとも目をつけるはずだ。

「天狗にさま付けとはね。キミはずいぶん妖怪と仲がよかったんだな」

「あのまま街に行ったところで陰間かげまに売り飛ばされて、年老いたら物乞いになるのが関の山でした。でも天狗たちは違った。大天狗さまは僕に武芸や知識を授けてくれた。愛情を注いでくださった。人間の大人が誰もしてくれなかったことを、天狗が与えてくれた。僕にとって、本当の親は天狗たちです」

 天音の目には大粒の涙が滲んでいる。

「なるほど。天狗の稚児をやっていたわけか。芸は身を助けるではないが、その美貌は並ではないな。じゃあその天狗のところに帰ればいいじゃないか。そうしろ」

 煙十朗が冷たく言い放つ言葉に、天音は力なく答えた。

「大天狗さまは亡くなりました。どこぞの陰陽師とやらに調伏ちょうぶくされて。烏天狗たちも散り散りになった。山には帰れません。僕はもう、天涯孤独なんです」

 天音は芸術的に美しい顔に悲哀を滲ませながらさめざめと泣いた。

「陰陽師は私も嫌いだよ」

 煙十朗は静かに立ち上がり天音の身体をそっと抱き上げた。

 続く
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