煙十朗奇譚

三文士

文字の大きさ
23 / 23
怪奇短編

活動寫眞

しおりを挟む
浅草六区――賑やかな通りを一本それただけで、空気の密度が変わる。
僕が足を踏み入れたその一角は、人通りの絶えた裏路地のように静まり返っていた。

そこに建っていたのは、古びた活動写真館。
レンガの外壁は煤け、掲げられたポスターは湿気で剥がれかけている。

「……ここかな」

つぶやくと、冷たい風が頬を撫でた。
一瞬、誰かに頬を撫でられたような錯覚すら覚えて、僕は慌てて周囲を見渡した。

でも、誰もいなかった。ただ、建物の奥から――目を凝らさなければ見えないほどの暗がりから、何かがこちらをじっと見つめているような、そんな圧を感じていた。

「遅かったな、お天」

「先生……」

煙の匂いとともに、怪奇専門私立探偵、霧ヶ峰煙十郎きりがみねえんじゅうろうが活動写真館の入口の影から姿を現した。

「お待たせました」

「師匠を待たせる弟子とはな。煙草を楽しむには丁度良い頃合いだったぞ」

皮肉を吐いた口に咥えた敷島から、紫煙がゆらりと揺れた。けれど、煙の流れがまるで風とは逆に、館の中へ吸い込まれていくのが見えた気がして、僕は思わず喉を鳴らした。



話を持ち込んできたのは館の支配人で、すっかり顔色を失っていた。
映写室の奥、机にしがみつくようにして彼は呟く。

「……あの女が、映るんです……観た客が皆、妙になる。笑って帰ったかと思えば、夜中に壁に頭打ちつけて死んでるんです。もう、何人目か……」

「ふむ」

煙十郎は短く頷くと、映写機のフィルムケースを指先で撫でた。
そこには、かすかに冷気が漂っていた。

「映ってはならぬものが、記録に残る。どうやらただの浮遊霊ではないな。この霧ヶ峰煙十郎の目で確かめてやろう」



映写室に入ると、妙なことに気づいた。
中の時計が、止まっている。分針がぴくりとも動かない。けれど、映写機は整然と回る音を立てている。
……時間が、ここだけ別のところを流れているような感覚。

僕は煙十郎の隣に座った。
灯りが落ち、銀幕が白く輝いた。

最初は、古い恋愛劇だった。
着物姿の男女が、茶屋で甘い言葉を交わしていた。
でも、やがて背景の片隅に、違和感が現れた。

あの女――いや、“何か”が、そこにいた。

長い黒髪。口元だけが笑っていて、目は暗い影の中に沈んでいる。
和服の袖が異様に長くて、風もないのにふわふわと揺れていた。

「先生……今の……」
「見えたな。あれが、記録に憑いたものだろう」

映像はそのまま進むが、彼女はまた次の場面にも映っている。
客の背後、川辺の柵の向こう、映写機の影の中――
どこにでもいて、どこにもいない。
そして、こちらを、見ていた。

一瞬、彼女の目が画面の中から“僕”と合った気がした。
そのとき、左肩がずしりと重くなった。

「……!」

僕は思わず振り返った。
けれど、誰もいない。ただ、空気が歪んでいた。



「お天」

煙十郎の声が低く響いた。
その指先は、映像の中の女を指している。

「彼女は、ここに留まりたいのではない。記録そのものになりたいのだ。……死してなお、誰かの記憶に“写り込み”続ける。それがこの女の願いよ」

「……もう幽霊じゃない、ってことですか?」

「いや。幽霊ですらない。“情報”になり果てた亡霊。忘れられたがゆえに、永遠に残ろうとしている」

そのとき、映写機が異音を立てた。
画面が乱れ、雑音が走る。

女が、スクリーンの中心に立っていた。
顔のない、のっぺらぼうのように見えた……いや、違う。
顔が、“画面のこちら”を模して変わっていた。――僕の顔に。

「……先生っ……!」

「目を逸らすな、お天。今こそ、彼岸の理に引き戻す刻よ」

僕は歯を食いしばった。
スクリーンの中の“僕の顔をした女”が、白く裂けるように笑った瞬間、映写機が爆音とともに止まった。

全てが、闇に沈んだ。



目を開けたとき、銀幕の中にはもう何もいなかった。

ただ、黒いフィルムの残骸が、細く長く垂れていた。
まるで、女の髪のように。

「……終わった、んですか?」

「うむ。あの女、最後にはお前の姿を借りて、ようやく“誰か”として幕を下ろせたのだろう」

煙十郎は敷島に火をつけながら、穏やかにそう言った。



館を出たあと、僕はふと硝子に映った自分を見た。
その瞬間、ぞっとした。自分の後ろに、もうひとつの“影”が映っていたように見えたからだ。

けれど、振り返っても誰もいない。

「……まだ、いるのかな」
「人の記憶に触れた亡霊は、完全には消えぬ。だが、もう誰も死にはせぬ。彼女も、ようやく“存在”できたのだ」

煙十郎の声が、夜気に溶けていく。

その背中を追いながら、僕は思った。

――あの女はもう、活動写真の中ではなく、僕の記憶の中に住んでいる。
きっとこれからも、夜が深まるたび、僕の夢に現れるのだろう。

しかし不思議と、もう怖いとは思わなかった。


しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

Aokarasu
2022.01.04 Aokarasu

昭和初期?大正?なかなか読み応えがあります。登場人物も個性的で良いですね。めちゃくちゃ続きが気になっています。

2022.01.05 三文士

ありがとうございます!
読んでいただいている方がいる以上は書き続けますのでご安心ください。近々続きを投稿予定です

解除

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。