その香り。その瞳。

京 みやこ

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(37)SIDE:奏太

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 斗輝はマットの上で胡坐をかくと、自分の膝上に僕を抱き上げた。
 僕を後ろから抱き込んだ彼はシャンプーを手に取ると、長い指を巧みに動かして髪を洗い始める。
 指先が適度な力加減で頭皮を揉み解し、なにかのツボなのか、たまにギュウッと押される。
 それがとにかく気持ちよくて、ニコニコと笑顔になっていた。
「お客様、かゆいところはございませんか?」
 斗輝が美容室スタッフの口真似をしてきたので、プッと噴き出してしまう。
 まさか彼がそんな冗談じみたことを言うなんて、思ってもいなかった。
 でも、ちょっとだけ気に入らないところがある。
「僕は斗輝にとって、お客様なの?」
 わざとらしくプウッと膨らませた顔で振り返ったら、尖らせた唇にチュッとキスをされた。
「さっきのは、単に真似ただけだ。奏太は俺にとって大事な恋人で、大切な番だよ」
 もう一度僕にキスをした彼は、柔らかい微笑みを浮かべる。
「俺の恋人で番の奏太様、かゆいところはございません?」 
 わざわざ言い直してくれた彼の唇に、今度は僕から吸い付いた。
「ありません、すごく気持ちいいです」
「それならよかったです。なにかありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」
 こんな風に店員とお客さんごっこしながら、キスを繰り返していた。

 トリートメントを丁寧な仕草で流してもらった後は、体を洗ってもらうことになる。
 正気の時なら斗輝に世話を焼いてもらうことに申し訳なさを感じるのだろうが、発情症状が強くなりつつある今は、彼に触れてもらうことが嬉しくて仕方がない。
 体を半分捻って、右腕を斗輝の首裏に回した僕は、その腕でやんわりと彼の頭を引き寄せた。
 ジッと黒曜石の瞳を見つめると、心得たとばかりに唇が塞がれる。
 同時に舌が入ってきて、クチュリという水音をたてて口内が掻き混ぜられた。
 斗輝の舌はそれほど長く留まることなく、一度だけきつく舌を絡ませて出て行ってしまう。
 物足りなさを感じた僕は、伸びあがって彼の唇を追いかけた。
 そんな僕に苦笑を向けた彼は、からかうように僕の唇に噛みつく。もちろん、優しく甘噛みといった感じで。
「こら、奏太。大人しくしてくれないと、体を洗ってやれないだろ」
 困ったように、だけど甘い微笑みを浮かべながら、斗輝は僕を窘める。
「でも、キス、したい……」
 思わずおねだりしてしまうと、彼は微笑みを深めた。
「恥ずかしがり屋の奏太も可愛いが、甘えん坊の奏太も可愛いな」
 そう言うと、斗輝は僕の体を抱き締め、グリンと位置を入れ替える。
 胡坐をかいた彼を跨ぐような体勢になり、僕たちは向かい合った。
 斗輝はボディソープを手に取ると、スポンジがあるにもかかわらず、手で僕の体を洗い始める。
 はじめは首から肩にかけて揉み解し、そこが終わると彼の手は腕へと移動した。
 上腕を丁寧に揉み、肘から手首にかけて優しく手を滑らせる。いや、洗うというよりも、マッサージをしている感じだ。
 そして、同時にキスを仕掛けてきた。
 これなら僕は体も洗ってもらえるし、キスもできる。一石二鳥だ。
 斗輝は本当に優しい。僕のつまらないおねだりでも、ちゃんと応えてくれる。
 でも、我がままばかり言っていたら、優しい斗輝でもいつかは呆れるかもしれない。僕のことを、面倒だって思うかもしれない。
 今は番になりたてだからお互いの気持ちが盛り上がっていて、どんな我がままでも聞いてくれる広い心を持ち合わせているのだろう。
 それが何回も、何年も続いたら、どんなに優しい彼でも、僕に愛想を尽かせてしまうのではないだろうか。
 そう考えると、幸せに溢れていた胸がシュルリと萎んでいった。
 完全に発情していたらこんなことを考える余裕はないのだろうが、今はまだ不完全な状態だから、どっぷり斗輝に溺れることができない。
 自分からキスがしたいと言っておきながら、僕は唇を離した。
「奏太?」
 指の間を洗っていた斗輝は動きを止め、僕の顔を覗き込む。
「体がつらくなってきたのか?」
 問われて、フルリと首を横に振った。
「……ごめんなさい」
 小さな声で謝罪を口にすると、彼は不思議そうに首を傾げる。
「謝ってもらうようなことは、なにもないと思うが」
「あるよ。僕、わがままだから……」
 すると、斗輝はますます不思議そうに首を傾げた。
「奏太のどこが我がままなのか、さっぱり分からない」
「どこって、全部だよ。甘ったれだし、自分勝手だし……」
 ここで自分が斗輝に捨てられるかもしれないという不安がこみ上げ、鼻の奥がツンと痛くなる。
「斗輝、好き。大好き……。だから、僕を、捨てないで……」
 ヒクッとしゃくりあげたら、彼は泡だらけの僕の体を泡だらけの手で抱き締めた。
「どうして、俺が奏太を捨てることになるんだ?」
「だ、だから、僕は、我がままだし……」
「すまない、それがまず分からない。これまで、我がままを言われた覚えがないんだが」
「あるよ、いっぱい言った……」
 グスングスンと鼻を鳴らしたら、斗輝は僕の瞼に唇を寄せる。涙が溢れるたびに、やんわりと。
「涙を拭いてやりたくても、手が泡だらけだからな」
 そう言って、彼は僕が泣き止むまで唇で涙を拭ってくれていた。

 やがて僕が落ち着くと、斗輝は安心したように息を吐く。
「奏太の場合は、完全に発情状態になるまで少し時間がかかるのか。それに、情緒不安定気味だな。よく覚えておこう」
 独り言を漏らした彼は、黒曜石の瞳で僕を見つめた。
「俺が奏太を捨てるなんて、絶対にありえないんだ。むしろ束縛がきつすぎる俺のほうが、奏太に捨てられないかと不安になるよ」
「斗輝、僕を、縛りたいの?」
 ボンヤリと尋ねたら、斗輝は軽く噴き出した。
「精神的な意味で、だ。縄で縛る趣味は、いっさいないから安心しろ」
 コクリと頷き返すと、いい子だという感じで斗輝は目を細める。
「泣いている奏太は、なにを投げうっても守ってやりたり可愛さがあるな」
「でも……、泣く僕は、面倒くさくない?」
「まったく」
 きっぱりと言い切る彼の表情には嘘が感じられず、僕も安心したように息を吐いた。
 緊張が解けると、体の奥からジュワリと分泌液が溢れる。発情症状が強まったからだろう。
 段々となにかを考えることができなくなり、口調もさらにたどたどしいものに変わっていく。
「奏太、痛くないか?」
「ん、へいき。ときの手、きもちいい……」
 背中の筋肉を揉み解しながら洗う動きはお辞抜きに気持ちよくて、僕はうっとりした顔で熱のこもった呼気を吐いた。
 その返事を耳にした彼は新たにボディソープを手に取ると、今度は僕の足を洗い始める。
 太腿の外側と内側は、手の平を押し当てながら移動させていた。
 腿が終わると、膝頭と膝裏に移る。中途半端な力で洗われるとくすぐったいだけなので、強めに洗ってほしいとお願いした。
 斗輝は「了解」と言って、強めに手の平で擦る。その様子はとても楽しそうで、本当に僕のことを面倒に思っていないことが伝わってくる。
「ここは、こんなものかな。奏太、足の力を抜いてくれ」
「うん」
 彼のウエストを挟み込むようにしていた足を移動させ、僕は大きく開脚してみせた。
 僕の背中に腕を回した斗輝は、そのまま体を前に倒してくる。慎重に僕をマットに横たえさせると、足元へと移動した。
「ふくらはぎと足の先を洗うぞ」
「はぁい!」
 無邪気な子供のように元気よく返事をしたら、斗輝が一瞬だけ渋い顔になる。
「……今のは、可愛すぎるだろ。うっかりイキそうになった」
 低い声でなにかを呟いた彼の名前を呼ぶと、すぐに笑顔になってくれた。
「なんでもない。さ、続けるぞ」
 自分のなにが可愛かったのか理解できない僕は、パチクリと瞬きを繰り返した。

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