その香り。その瞳。

京 みやこ

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(57)SIDE:奏太

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 それから少しだけ話をして、ようやく着替えをさせてもらえた。
 とはいえ、Tシャツはそのまま。下は斗輝とお揃いの黒いスウェットパンツで、上はダボダボのTシャツ姿である。
 ものすごくアンバランスで不格好なのに、僕を膝の上にのせて抱き締めている彼は満足そうだ。
 着替える時、『この部屋で過ごす間は、Tシャツは俺のものを着てほしい』と頼まれた。
 ズボンはさすがにウエストや丈が合わないので無理だけど、Tシャツなら構わないので素直に頷いた。
 ここにいるのは斗輝だけで、この変な格好を誰かに見られる心配はない。
 もしかしたら、清水先輩が来る可能性がないとは言えないものの、先輩だって小柄な番さんに自分の服を着せているらしいから、僕の姿を見て笑ったりしないだろう。
 それに、外に出ることも今日のところはないので、だらしないかっこうでも問題ない。
「奏太、可愛い」
 惚れた欲目というのは、なんとも奇妙だ。こんな変な格好でも、彼の目には可愛いと映るらしい。
 変だと言われるよりはいいけれど、可愛いと言われ続けるのも落ち着かない。
 僕は自分の体に回されている腕の中でモゾモゾと動きながら、そろそろ親に電話をかけてみると提案した。
 時間は十三時を少し回ったところで、専業主婦の母はのんびり一息入れている頃だ。
 斗輝はいったん僕を膝から降ろしてソファへ座らせると、リビングの隅に置かれているチェストへ歩み寄った。
 そこで、僕のスマートフォンを充電してくれていたようだ。
 彼は充電器から外したスマートフォンを手に、こちらへ戻ってきた。 
「ありがとうございます」
 ペコリと頭を下げて受け取る。
 地元にいた時は、ガラケーと呼ばれる二つ折りタイプの携帯電話を持っていた。周りの人も、ほとんどこのタイプ。中には、携帯電話と呼ばれるものすら持っていない人もいた。
 スマートフォンの存在は知っていても実物を見たことがなかったので、一葉先生に見せてもらった時は感動した。
 そして、僕が持っているこのスマートフォンは一葉先生から入学祝いにプレゼントされたものである。
 親戚でもない先生にこんな高価な物をプレゼントしてもらうなんて恐れ多くて、何度もお断りした。
 だけど、先生が言うにはただのプレゼントではないとのこと。
『朝一番で測った体温を毎日入力すると、正確な発情周期が分かるアプリがあるんだ。最近、そのアプリでは目の画像を取り込むことで発情状態をさらに細かく分析する機能を試験的に付け加えたから、モニターになってくれないか』
 アプリを開発したのは、篠岡製薬の研究開発チームだそうだ。
 そういうことならと、僕はスマートフォンを受け取ることにしたのである。
 オメガの発情周期は三ヶ月に一度で、始まりはだいたい分かる。
 だけど、その時の体調だったり精神状態だったり、その他色々な状況で発情期が早まったり遅くなったりするそうだ。
 抑制剤を服用するタイミングを誤らないために、このアプリが開発されたという。
 ちなみに、研究開発チームのスタッフは、ほとんどが結婚しているか、恋人がいるアルファとのこと。 
 番のオメガの健康と安全を守るためなら、彼らは必死になって研究を進めるのだとか。
 斗輝は『オメガの社会的地位はまだ弱く、そんな彼らを見下すアルファもベータも少なくないんだ』と言うけれど、僕が今まで出会ったアルファもベータも皆いい人たちだから、どうも信じられない。
 それはさておき、親に電話をかけなくては。
 画面をタップしようとしたら隣に斗輝が腰を下ろし、ふたたび僕を膝の上に抱き上げる。
 さっきと少し違うのは、向かい合わせではないということ。
 僕は彼に背中を預ける形で座っていて、斗輝の腕が僕のお腹に回っている。
「あの、どうしてこの体勢に?」
 電話をかけるだけなので、わざわざ僕を抱き上げる必要はないはずだ。隣に座って、ある程度僕が話をしたら、僕の親と話せばいい。
 クリンと後ろを向いて尋ねると、頬にチュッと音を立ててキスをされた。
「正面で向き合うと、奏太の唇にキスをしたくなるからな。電話の邪魔になるだろ?」

――なに、その理由。

 カァッと頬を火照らせていると、「ほら、電話しないのか?」と促される。
「い、今、かけます」
 改めてスマートフォンを握り締めたら、背後からクスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。
 どうせ、恥ずかしがっている僕が可愛いとか思っているのだろう。まったくもって、斗輝の美意識は謎である。
 気にしているとますます顔が熱くなるので、コホンと咳払いをしてからスマートフォンの画面をタップした。
 使い始めて一ヶ月ほど経ったものの、手つきはまだまだ覚束ない。
 ゲームにはそれほど興味がなく、アプリは一葉先生に教えてもらった健康管理アプリぐらいしかほとんど使わないので、いまだに基本的な機能を使うのですら危うい。
「えっと、電話をかける時は……」
 かかってきた電話に出るのは簡単だけど、こちらからかけるとなると、たまに分からなくなる。
 まごまごしていたら、後ろから右手が伸びてきた。
「ほら、ここをタップして。次はこうして……」
 スラリと長い指が画面の上で動き、実家の電話番号を表示させる。その間、三秒もかかっていなかった。
「ありがごうございます」
 ペコリと頭を下げたら、うなじにキスをされる。
「どういたしまして」
 唇を触れさせたまま斗輝がしゃべるので、なんとも言えないゾクゾクとした感覚が生まれる。
「んっ……」
 思わず喘いでしまうと、彼の唇がスッと離れた。
「奏太、悪かった。うなじがあまりにも色っぽくて、つい」
 唇は離れたけれど、ギュッと強く抱き締められる。
 子供の頃は落ち着きのなさから野ザルと言われ、今も風貌は大して変わっていない僕に色っぽいとか、斗輝の美的感覚はやはり謎だ。
 とにかく、今は親に電話をしなくては。
 通話のアイコンをタップし、スマートフォンを耳に当てる。
 数回の呼び出し音の後、『もしもし?』という声が聞えた。
「あ、お母さん」
 呼びかけると、少し驚いた声が返ってくる。
『奏太? 平日のこの時間に電話をかけてくるなんて、大学はどうしたのよ。もしかして、具合が悪くて休んだの?』
 心配そうな母の声に、大きな声が割り込んできた。
『なに!? 奏太の具合が悪いだと!? こうしちゃいられん、東京に行くぞ!』
 あまりの声の大きさに、僕はとっさにスマートフォンを耳から遠ざける。
 左耳の奥が、ジンジンと鈍い痛みを訴えていた。鼓膜が破れた訳ではないけれど、父の大声のせいで、一瞬頭がクラクラした。
 そんな僕の頭に、斗輝がソッと頬ずりしてくる。
「大丈夫か?」
 気遣う声にコクコクと頷き返し、ふたたびスマートフォンを左耳に当てた。
「お父さん、落ち着いて。僕は元気だよ」
 母はどうやら電話をスピーカーモードに切り替えたらしく、答えた僕の声も少し聞こえる。
『それなら、どうして電話をかけてきたの? なにか、困ったことでもあった?』
 こういう時は女性のほうが落ち着いていられるようで、母は心配そうにしながらも割合冷静だ。父は相変わらず『なんだ? どうした?』と騒いでいる。
 僕はチラッと背後の様子を窺ってから、口を開く。
「……あのね、僕、番のアルファに出逢ったんだ」
 その言葉と同時に、斗輝が僕のつむじにキスを落とす。
 電話の向こうでは母が『あら、まぁ』と僅かに驚いた声を上げ、父は言葉にするには難しい奇声を発していた。
 
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