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(128)SIDE:奏太
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廊下に出たところで、二葉先生が鍵を渡すようにと言ってきた。不動産関係の最終手続きは、先生がやってくれるとのこと。
自分の引っ越しだから、やってもらうのは申し訳ないと言ったけれど、先生はニコッと笑って右手をヒラヒラと振る。
「いいから、いいから。奏太君にサインしてもらった書類があるし、あとは簡単だよ」
「ですが、電気とか水道とか、そういったことも二葉先生がやってくれたじゃないですか。お任せしてばかりでは……」
すると、先生が僕の頭をポンポンと優しく叩く。
「美味しい味噌汁のお礼ということで。奏太君が作る味噌は、本当に美味しいからねぇ」
そこまで気に入ってもらえるのは、僕としても嬉しい。
「今度の味噌作りには、いつもより多く仕込むことにします。よかったら、差し上げますよ」
僕が作ったものでいいのなら、お安い御用だ。
先生に告げると、後ろに立っていた斗輝が僕のお腹に腕を回してきてグイッと引き寄せた。
長い腕の中に僕を閉じ込めた斗輝が、僕の髪に頬をソッと押し当ててくる。
「その味噌作り、俺も手伝う」
「え? 手伝ってもらうほど、大変な作業ではありませんよ」
大量の大豆を使うので重たいとは思うけれど、工程自体はとても簡単なのだ。
そう答えると、お腹に回っている腕にキュッと力がこもった。
「二葉に奏太が手作りした味噌を食べさせるのは、なんとなく悔しいからだ。俺も作ったとなれば、多少は納得がいく」
――相変わらず、アルファの愛情表現は、ちょっとややこしいなぁ。
ここで僕が首を縦に振らない限り、斗輝はきっと諦めないだろう。
それに、いつまでも抱き締められているのは、やっぱり恥ずかしいから。
「分かりました。味噌作りの時期になったら、一緒に僕の地元へ行きましょう」
苦笑しながら答えると、斗輝がパッと顔を上げた。
「本当か?」
グッと首を伸ばしてこちらを覗き込んでくる彼に、僕は改めてコクンと頷く。
「本当ですよ。なので、放してください」
彼の腕を軽く叩いたら、ゆっくりと抱擁が解かれる。
そのことにホッと息を吐いた僕は、持っていた鍵を二葉先生に差し出した。
「では、お願いします」
「あとのことはこっちに任せて、二人のマンションに早く行ったほうがいいよ」
鍵を受け取った先生が、僕たちにニコッと笑いかける。
「頼んだぞ」
「失礼します」
斗輝と僕は先生に頭を下げ、エントランスに向かった。
エントランスを出ると、黒塗りの乗用車が停まっている。その脇に、清水先輩が立っていた。
「斗輝様、奏太様、こちらへどうぞ」
清水先輩に促され、斗輝と僕は車の後部座席へと乗り込む。
扉を閉めた先輩は、助手席へと乗り込んだ。
「先に役所へ向かいましょう。奏太様のお住まいになる住所が変わりますので、早いうちに諸々の手続きをいたしませんと」
それを聞いて、僕は清水先輩に声を掛ける。
「でも、引っ越し業者さんたちを待たせることになりませんか?」
急な引っ越しというだけでも申し訳ないのに、僕の用事を優先させるのは、さらに申し訳ないではないか。
それに、住所変更は荷物を運び入れたあとでもいいと思う。
もともと斗輝のマンションで十分生活できているから、荷解きは明日でも問題ない。
ところが、振り返った清水先輩が苦笑を零す。
「引っ越しを終えてからでは、奏太様の体力が持たないかと」
「……え?」
どういう意味なのか分からなくて、思い切り首を傾げる。
「まぁ、無事に済むということも考えられますが……。確率としては半々と言ったところ、いえ、七割方は私の予想通りになるでしょう」
そう言って、先輩がチラッと斗輝を見た。
すると、斗輝がニヤリと口角を上げる。
「なるほど、それはお前の経験談か」
「ええ、そうです。自分の城に番が正式に住むとなったら、その喜びは夜まで抑え込めませんから」
「確かにな」
「え? え?」
二人には通じる話でも、僕にはさっぱり分からない。
斗輝と清水先輩の顔を交互に見ていたら、斗輝がフワリと目を細めた。
「引っ越し業者について、奏太が心配する必要はない」
「そういう訳には……」
言い淀む僕に、彼がさらに優しく微笑みかけてくる。
「一つの引っ越しが終わるまで、本来なら休憩は取らないものだが。彼らには、先に昼食を取ってもらうことにしよう。その間に、俺たちが役所へ行けばいい」
「……そんなこと、いいんですか?」
オズオズと尋ねたら、斗輝が右手で僕の左頬をソッと包み込む。
「今日の彼らは、奏太の引っ越ししか請け負っていない。だから、終わりの時間がずれ込んだところで、まったく問題はないんだ。それに、休憩が取れることに対して、普通なら文句を言わないだろう」
誰かに迷惑が掛からないなら、それでいい。僕は「分かりました」と答える。
「それでは、先に休憩を取るようにと、あちらへ伝えておきます」
清水先輩は助手席を降り、引っ越し用トラックへと歩いていった。
「奏太、なにか用事はあるか? 役所の帰りに、少しの時間なら寄れるはずだ」
そう言われて、僕は考える。
――行きたいところは、特にないんだけどなぁ。……あ、そうだ。
僕はある場所を思いついた。
「スーパーに行きたいです。今夜の夕食の材料を買いたいので」
すると、斗輝が少しだけ目を細める。
「今夜は引っ越し祝いということで、澤泉から料理を持って来てもらおうと思っている。奏太がお祝いをするといった話は覚えているが、意外と疲れただろう?」
澤泉家専属のコックさんたちが作った料理なら、僕の料理より何倍も美味しいはず。
でも、二人のお祝いだから、僕が準備をしたいのだ。
「わがままだと思いますが、僕に作らせてもらえませんか?」
それを聞いて、彼がひときわ嬉しそうな笑みを浮かべる。
「どこが、わがままなものか」
「じゃあ、夕食は僕に任せてもらえますか。とはいっても、豪華なごちそうなんて作れないですけど」
「なにを言うんだ。奏太が作ってくれるというだけで、特別なものだぞ。ああ、楽しみだ」
本気で喜んでくれている斗輝を見て、僕も嬉しくなった。
戻ってきた清水先輩に夕食の材料を買いに行きたいと伝えたら、優しい微笑みが返ってくる。
「奏太様自ら引っ越し祝いの料理を準備するとは。澤泉の金を使って豪遊することばかり考える蟻どもには、けしてできない心遣いでしょう」
――だから、蟻ってなに?
蟻がなにを指しているのか分からないうちに車は動き出し、役所へ向かった。
自分の引っ越しだから、やってもらうのは申し訳ないと言ったけれど、先生はニコッと笑って右手をヒラヒラと振る。
「いいから、いいから。奏太君にサインしてもらった書類があるし、あとは簡単だよ」
「ですが、電気とか水道とか、そういったことも二葉先生がやってくれたじゃないですか。お任せしてばかりでは……」
すると、先生が僕の頭をポンポンと優しく叩く。
「美味しい味噌汁のお礼ということで。奏太君が作る味噌は、本当に美味しいからねぇ」
そこまで気に入ってもらえるのは、僕としても嬉しい。
「今度の味噌作りには、いつもより多く仕込むことにします。よかったら、差し上げますよ」
僕が作ったものでいいのなら、お安い御用だ。
先生に告げると、後ろに立っていた斗輝が僕のお腹に腕を回してきてグイッと引き寄せた。
長い腕の中に僕を閉じ込めた斗輝が、僕の髪に頬をソッと押し当ててくる。
「その味噌作り、俺も手伝う」
「え? 手伝ってもらうほど、大変な作業ではありませんよ」
大量の大豆を使うので重たいとは思うけれど、工程自体はとても簡単なのだ。
そう答えると、お腹に回っている腕にキュッと力がこもった。
「二葉に奏太が手作りした味噌を食べさせるのは、なんとなく悔しいからだ。俺も作ったとなれば、多少は納得がいく」
――相変わらず、アルファの愛情表現は、ちょっとややこしいなぁ。
ここで僕が首を縦に振らない限り、斗輝はきっと諦めないだろう。
それに、いつまでも抱き締められているのは、やっぱり恥ずかしいから。
「分かりました。味噌作りの時期になったら、一緒に僕の地元へ行きましょう」
苦笑しながら答えると、斗輝がパッと顔を上げた。
「本当か?」
グッと首を伸ばしてこちらを覗き込んでくる彼に、僕は改めてコクンと頷く。
「本当ですよ。なので、放してください」
彼の腕を軽く叩いたら、ゆっくりと抱擁が解かれる。
そのことにホッと息を吐いた僕は、持っていた鍵を二葉先生に差し出した。
「では、お願いします」
「あとのことはこっちに任せて、二人のマンションに早く行ったほうがいいよ」
鍵を受け取った先生が、僕たちにニコッと笑いかける。
「頼んだぞ」
「失礼します」
斗輝と僕は先生に頭を下げ、エントランスに向かった。
エントランスを出ると、黒塗りの乗用車が停まっている。その脇に、清水先輩が立っていた。
「斗輝様、奏太様、こちらへどうぞ」
清水先輩に促され、斗輝と僕は車の後部座席へと乗り込む。
扉を閉めた先輩は、助手席へと乗り込んだ。
「先に役所へ向かいましょう。奏太様のお住まいになる住所が変わりますので、早いうちに諸々の手続きをいたしませんと」
それを聞いて、僕は清水先輩に声を掛ける。
「でも、引っ越し業者さんたちを待たせることになりませんか?」
急な引っ越しというだけでも申し訳ないのに、僕の用事を優先させるのは、さらに申し訳ないではないか。
それに、住所変更は荷物を運び入れたあとでもいいと思う。
もともと斗輝のマンションで十分生活できているから、荷解きは明日でも問題ない。
ところが、振り返った清水先輩が苦笑を零す。
「引っ越しを終えてからでは、奏太様の体力が持たないかと」
「……え?」
どういう意味なのか分からなくて、思い切り首を傾げる。
「まぁ、無事に済むということも考えられますが……。確率としては半々と言ったところ、いえ、七割方は私の予想通りになるでしょう」
そう言って、先輩がチラッと斗輝を見た。
すると、斗輝がニヤリと口角を上げる。
「なるほど、それはお前の経験談か」
「ええ、そうです。自分の城に番が正式に住むとなったら、その喜びは夜まで抑え込めませんから」
「確かにな」
「え? え?」
二人には通じる話でも、僕にはさっぱり分からない。
斗輝と清水先輩の顔を交互に見ていたら、斗輝がフワリと目を細めた。
「引っ越し業者について、奏太が心配する必要はない」
「そういう訳には……」
言い淀む僕に、彼がさらに優しく微笑みかけてくる。
「一つの引っ越しが終わるまで、本来なら休憩は取らないものだが。彼らには、先に昼食を取ってもらうことにしよう。その間に、俺たちが役所へ行けばいい」
「……そんなこと、いいんですか?」
オズオズと尋ねたら、斗輝が右手で僕の左頬をソッと包み込む。
「今日の彼らは、奏太の引っ越ししか請け負っていない。だから、終わりの時間がずれ込んだところで、まったく問題はないんだ。それに、休憩が取れることに対して、普通なら文句を言わないだろう」
誰かに迷惑が掛からないなら、それでいい。僕は「分かりました」と答える。
「それでは、先に休憩を取るようにと、あちらへ伝えておきます」
清水先輩は助手席を降り、引っ越し用トラックへと歩いていった。
「奏太、なにか用事はあるか? 役所の帰りに、少しの時間なら寄れるはずだ」
そう言われて、僕は考える。
――行きたいところは、特にないんだけどなぁ。……あ、そうだ。
僕はある場所を思いついた。
「スーパーに行きたいです。今夜の夕食の材料を買いたいので」
すると、斗輝が少しだけ目を細める。
「今夜は引っ越し祝いということで、澤泉から料理を持って来てもらおうと思っている。奏太がお祝いをするといった話は覚えているが、意外と疲れただろう?」
澤泉家専属のコックさんたちが作った料理なら、僕の料理より何倍も美味しいはず。
でも、二人のお祝いだから、僕が準備をしたいのだ。
「わがままだと思いますが、僕に作らせてもらえませんか?」
それを聞いて、彼がひときわ嬉しそうな笑みを浮かべる。
「どこが、わがままなものか」
「じゃあ、夕食は僕に任せてもらえますか。とはいっても、豪華なごちそうなんて作れないですけど」
「なにを言うんだ。奏太が作ってくれるというだけで、特別なものだぞ。ああ、楽しみだ」
本気で喜んでくれている斗輝を見て、僕も嬉しくなった。
戻ってきた清水先輩に夕食の材料を買いに行きたいと伝えたら、優しい微笑みが返ってくる。
「奏太様自ら引っ越し祝いの料理を準備するとは。澤泉の金を使って豪遊することばかり考える蟻どもには、けしてできない心遣いでしょう」
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