R愛の詩

成田じゅん一

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Ⅰ黎明編

20年目の再会

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 20年が過ぎたのだった。2人の、あの雨のテニスコートの日から20年が経っていたのだった。
 岡島ユキコが帰ってきた故郷はすっかりうらびれていた。
 駅前の商店街はどこもシャッターがしまり、人影がまばらだった。
 昔は城下町として栄えたが、多分その頃がピークだったのだろう、発展においてかれた地方の小さな町、そこに岡島ユキコは帰ってきた。
 大学進学で東京へ出て、2度の結婚と2度の離婚と、結局出て行った頃と同じカバン一つで戻ってきたのだ。ただ歳だけとってしまった。18歳で街を出た岡島ユキコは35歳になって戻ってきた。
 この季節は朝からどんよりした雲ばかりの空に、ついに小雨まで降ってきた。岡島ユキコは涙が止まらなかった。
 くやしさに打ちひしがれながら声を絞った。
 「そこにいるのは分かっているのよ」
 岡島ユキコはずっと気が付いていた。東京から新幹線をつかわずに宇都宮線の普通列車で真紺土(*)まで北上してきた。
 *架空の町マコンドと読みます ガルシアマルケス 百年の孤独に出てくるマコンドからつけてみました
 その間、ずっと見張られていた。大宮で高崎線から宇都宮線へ乗り換えるさいも合わせて乗り換える赤いコートを着た大柄の女を2つ先の車両で感じた。利根川を渡るさいもその香水の匂いを感じていた。
 鬼怒川にかかる寒々として橋の上で岡島ユキコは雨に打たれていた。傘もなかった。
 岡島由紀子は言った。
 「私には何もないの。今夜泊まる宿もないの。お願い。私を拾って。」
 そう、そこに西園寺マリアはいた。青いBMWの中、ずっと声を潜め、橋の欄干に仕掛けた盗聴器で声を拾いながら、200m先の表情も読み取れる米軍仕様の赤外線スコープでその表情と唇を読み取っていた。
 あまりの喜びと興奮のあまり、下着がすっかり濡れてしまった。
 車を橋の手前に停めると、西園寺マリアは岡島ユキコの元に走り、言った。
 「おかえりなさい。またあなたに会えるのをずっと待っていたのよ。」
 嘘である。西園寺アカネはずっと岡島ユキコを追っていたのだ。高校を卒業して、東京へ進学したさいもずっと岡島ユキコのマンションから1ブロック離れたところに下宿し、就職も、その後の結婚生活もずっと隠れておっていたのだ。その「待っていたのよ」という言葉が正しいのならば、西園寺アカネが待っていたのは岡島ユキコではなく、そう、この時であった。
 西園寺アカネは岡島ユキコに近寄ると慰めるようにそっと肩を抱いた。
 そして(いったいどのくらい許されるものかしら?)と思った。(抱きしめの延長でキスをするのはどうかしら?そのさいに舌を絡めるのはまだ早いのかしら?)
 西園寺マリアは生粋のレズビアンであった。そこに何の迷いもなく、ジェンダーとか言葉の選択もなかった。西園寺マリアは女として女である岡島ユキコを愛していたのだ。真紺土第一高校のころからずっと、20年間も、その思いを処女の中で腐らせていたのだ。
 (ようやく手に入った)、西園寺マリアはキスどころか食べてしまいたくなる衝動にかられた。そして言った。
 「愛が大きければ心配も大きく、いささかなことも気にかかり、少しの心配が大きくなるところ、大きな愛もそこに生ずるというものだ。」
 それは高校生のころ、学園祭で行ったシェイクスピア劇中のセリフだった。
 *シェイクスピア 「ハムレット-三幕二場」
 それは愛する人を大切に思う気持ちが大きければ大きいほど心配も大きくなることを示している。なぜなら、人は愛する人を失うことの怖さを知っているからである。
 真紺土第一高校の思い出は西園寺アカネにとって人生最良の日々であり、今取り戻そうとしている時間でもあった。
 西園寺マリアと岡島ユキコは真子登第一高校2年生の頃だった。
 今日みたいに雨の降るテニスコートのわきの日よけの下で、急な夕立に2人は雨宿りをしていたのだけど、西園寺アカネは急に「愛してる」と言い、岡島ユキコにキスをしたのだった。岡島ユキコはとまどったようで震えていた。でも西園寺マリアには岡島ユキコが拒んでいないように思えた。西園寺アカネはさらに手を伸ばすと岡島ユキコの胸をまさぐり、さらにスカートの下に手を入れた。
 そこでまだ幼かった岡島ユキコは愛よりも怖さを感じ、雨の中、西園寺アカネを残し、去って行ったのだった。
 それから20年が経った。
 西園寺マリアは傘を手放すとどうしても抑えきれず、岡島ユキコにキスをした。
 興奮して胃酸がこみあげて来ていたので、岡島ユキコはひどい臭いを味わい、さらに口内炎をわずらうこととなった。
 岡島ユキコは凡庸に生まれ、その凡庸な自分を知っていた。だから高望みすることなく、ずっと慎ましやかに生きて来た。才に恵まれない者がもつ、嫉妬に苦しんだ頃もあったが、年を重ね、自分を知り、ただ平凡な女として生きたいと思ったのだけど、そのささやかな願いもかなわず、離婚の果てに、父親の残した財産もすべて失い、病で子宮すら切除していた。
 岡島ユキコは西園寺アカネの胸に身を寄せると、失敗してどうしようもなくなった人生の残り香みたいな我が身を思った。すべての試みは失敗し最後の望みも絶たれたのだ。(*)
 *The end by doors 
 岡島ユキコは一人では生活することもできなかった。この北関東というよりも南東北の土地に戻り、この一回りも大きい女に養ってもらうほかはないのだ。
 「好きにしてください。」
 岡島ユキコはそう言うともう逃げることはなかった。
 西園寺マリアはもう自分を抑えられなった。岡ユキコの胸に手を伸ばすとさらに下へと向かった。
 「分かっています」と岡島ユキコは言った。
 「でもここでは止めてください。」
 西園寺マリアはようやくそこがこの界隈では一番人通りの多い真子登大橋の上だというのを思い出した。
 「ごめんなさい。すごく懐かしくて、つい慌てちゃったわ」
 と西園寺マリアは言うのだけど、その口からは大量の唾液があふれていて、西園寺マリアのドレスはもちろん、岡島ユキコの口元から胸元まで、まるで水ガラスのような粘性と苛性をもった液体で濡れていた。それは胃酸を含んでおり、岡島ユキコの首筋は赤く腫れ、岡島ユキコはかゆみというよりもかすかな痛みを感じた。
 西園寺マリアは母方がロシア人のハーフで欧風かかった美しい顔をあいていた。目はかすかに青く、髪はブロンドだった。鼻はつんと通っており、唇は薄いピンクだけど、その端からは狂犬のようによだれが漏れていた。
 20年前、西園寺マリアに憧れていたのはむしろ岡島ユキコであった。
 西園寺マリアは真紺土第一高校皆のあこがれの的であった。端正な顔つきとすらっとした出で立ち、頭もよく、運動神経は抜群であった。実際東京大学を卒業して外務省に入っていたし、オリンピックにも2度出場した。岡島ユキコは大勢いる西園寺マリアの追っかけの1人で陰から見守っているだけだった。
 だからあの雨の日、テニスコートわきの日よけの下で2人きりになれたのとき岡島ユキコは本当はうれしかったのだ。正直、キスもうれしかった。ただあの白魚のような指が陰毛をかき分けて岡島ユキコの中にはいってきたのが怖かったのだ。
 その日、岡島ユキコは西園寺マリアのどうしようもない性向を理解した。しかし自分自身のことは、学園の女王の異常な趣味の気まぐれの対象となったおそらくは大勢の内の1人であろうと思ったのだった。
 そうではなかった。西園寺マリアにとって岡島ユキコは唯一の半身であった。これから一緒に暮らす中で岡島ユキコは西園寺マリアのすべてを知ることになるのだけど、なぜ自分が選ばれたのか?それだけはとうとう分からなかった。
 あの雨の日以来、岡島ユキコは西園寺マリアと疎遠になったが、真子登第一高校在学中も、卒業して三流大学に入って、自宅からどうしても通えない距離ではなかったが、親の反対を押し切って東京で下宿したときも、毎日西園寺マリアの影を感じていた。実際、超望遠レンズと町中に張り巡らされた集音機で西園寺マリアにいつも観察されていたのだ。そしてそれが西園寺マリアの生きる糧であった。
  岡島ユキコは三流大学を卒業しても就職先はなく、それでも東京に残りたくてコンビニでバイトしていた。そこへ何度か偶然をよそおい西園寺マリアは来て、「あら、奇遇ね」と簡単な挨拶をしに来ていた。
 結婚式には呼ばなかったが、電報と志が届けられた。言葉は短く、「どうか幸せになってね」とあったが、心にもないことを言っていると岡島ユキコにも分かった。
 そして離婚、ぼろぼろになった岡島ユキコを慰めに西園寺マリアはどこからともなく現れ、元夫にギャンブルで使い果たされた親の資産を取り戻すための書類一式が手渡された。またその訴状には必要な内容は既にすべて記入されていた。元夫が破産したので、その役目ははたせなかったが、受理した警察署がうなるくらいきちんと書かれていた。
 2度目の結婚と離婚、それはすでに傷ついていた岡島ユキコのとどめを刺すようなものであったが、危機があるたびに西園寺マリアはどこからものなく現れ、喫茶店でちょっとした同窓会をして、テーブルに差し支えない程度の額の入ったバッグを忘れて帰ったりした。そして本当の危機のときには、いつでも通報を受けた警察がパトカーで乗りつけたのだ。
 実際いつも西園寺マリアは岡島由紀子の近くにいた。
 岡島由紀子の結婚中も嫉妬に狂いながらも、西園寺マリアは岡島由紀子を見守っていた。外務省に勤めながら、西園寺マリアはずっと岡島由紀子を観察し続けた。4社の探偵事務所を24時間で使い、西園寺マリア自身も集音と望遠レンズによる観察に勤めた。それは言い換えると盗聴と盗撮なのだけど、当時微妙になりかけた日米関係を損なうきっかけとならないように、くだらない国会であるが、与党が野党にする質問の内容とならないように、西園寺マリアは言葉の使い方にはいつも気を付けていた。
 そして西園寺マリアは岡島ユキコがついに諦めて故郷に帰るのを知ると外務省を辞め、真子登で床用ワックス製造販売会社をおこした。事務次官として国会で答弁をする当日に辞めたので、国会はおおもめとなり、その年の在日米軍費用負担渉は滞り、あわゆく日米安保条約(*)は1960年並のデモがおきるところであった。
 *アメリカ合衆国との間の安全保障条約(にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのあんぜんほしょうじょうやく、英語:Security Treaty Between the United States and Japan)は、日本における安全保障の為にアメリカ合衆国が関与し、アメリカ軍を日本国内に駐留させること(在日アメリカ軍)などを定めた2国間条約。いわゆる旧日米安保条約(きゅうにちべいあんぽじょうやく)と呼ばれるものであり、1951年(昭和26年)9月8日の日本国との平和条約の同日に署名された。1960年(昭和35年)6月に日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)が発効したことに伴って失効した。(Wikipedia)
 岡島ユキコの幸せを祈りながらも、ケダモノの獲物を狙う容赦ない恋心に苦しめられながら西園寺マリアは20年を過ごしたのだけど、20年が経ち、ようやく西園寺マリアは岡島ユキコを手に入れたのだった。
 人生最大の目標を手に入れた西園寺マリアはよだれを垂らしながら岡島由紀子をBMWに案内した。胃酸を含んだ唾液はかつて真子登の名産であった大谷石でできた橋の欄干を焦がした。
 そして岡島ユキコは、西園寺マリアはスラックスを履いているのだけど、雨に濡れていないその部分がしっとりと濡れているのが気になった。その部分はかすかに湯気も立っていた。近くにいる犬猫たちは急に発情期を迎え、そのとき真子登橋にいた純真さゆえに戸惑いがちだった3つのカップルは、その夜結ばれることとなった。
 西園寺マリアのマンションはJRではなくて、東武線の真子登駅近くにあった。かつての城下町はシャッター街と化しており、2人が高校生活を送った頃よりもずっと寂れていた。
 かつて毎年開かれていた夏祭りも今はなく、駅前のおおきな商店街は駐車場になっており、2人が通った真紺土第一高校も今は老人用の介護施設になっていた。
 なつかしさの中に寂しさが漂う街をぼんやりと岡島ユキコは見ていた。
 今日の日のために西園寺マリアはマンションを買ったのだった。すでに35歳になっていたのだけど、西園寺マリアにとってそれは新婚生活を迎える新居のようなものだった。
 10階建ての、真子登にしては大きなマンションで、その10階に西園寺マリアの部屋はあった。日が当たる開けたテラスがあり、明るいオレンジ色のカーテンがかかっていた。
 岡島ユキコの服は既に用意され、パジャマも、下着まであった。
 サイズはぴったりで、すべては西園寺マリアとおそろいであった。
 岡島ユキコは空腹であった。実際、この2日間ほとんど何も食べていなかった。おとといの夜にネットカフェで食べたカップヌードルが最後の食事だった。
 空腹は岡島ユキコの人生をますます惨めに思わせた。2日間下着も代えてないし、シャワーも浴びていなかった。髪はぼさぼさで明るい居間に通されると自分に野良犬のような臭いがしていることに気づかされた。
 岡島ユキコは出されたビーフシチューに両手を合わせるとゆっくりと食べ始めた。施しを受けなくてならない惨めさもあったが、空腹が何よりもおおきかった。はげかけたマニキュアを隠してスプーンでゆっくりとシチューを食べ始めた。パンも出来立てだった。全粒粉のみから出来たパンは、惨めな気持ちになっていた岡島ユキコに自分も生きていて良いのだと思わせることができた。
 西園寺マリアも実際は2日前から新宿、上野、御徒町と、岡島ユキコを追って来たのでやはり何も食べてはいなかった。しかし目の前にいるようやく手に入れた宝石に見とれていて、とても食べる気など起きなかったのだ。
 たまらず西園寺マリアは岡島ユキコの胸に手を伸ばした。岡島由紀子はちょっとびくっとしたが、空腹にたまらずシチューをすすっていた。牛肉は柔らかく煮込まれていたのだけど、岡島由紀子は元夫に殴られたさいに歯を3つも失っており、それを気づかれるのが嫌で口元を閉じてゆっくり咀嚼して飲み込んだので、20年も待ったのだけど、この一瞬を待つことが西園寺マリアには出来なかった。西園寺マリアの指は岡島ユキコの胸元に忍び込み、その乳頭をつまんだ。
 岡島ユキコは「もう少し待って」と言いたかっただけど、これから仕える相手の気分を害することにならないか心配になり、それが出来なかった。
 その代わり、お腹が大きな音を立てたので岡島ユキコの気持ちは伝えることができた。久しぶりにありついた人並みな食事をやせた体が手放したくないと欲したのだった。
 だが20年という圧倒的が飢餓の時間を過ごした西園寺マリアはその欲望を抑えることはできなかった。
 西園寺マリアの顔は涙と鼻水とおびただしい涎に覆われていた。狂喜というよりも狂気。純粋で迷うことのない、裸の、飾り気もなければ、一糸まとわない、やがてそれは悲劇的な終末を迎えるのだけれども、そのとき、その瞬間は、太古から引き継がれたヒト科ヒトの純粋な感情、すなわち「愛」がそこにはあったのだ。
 西園寺マリアの足跡は乾いた粘膜でカタツムリの通った後のようにカピカピになっていた。
 西園寺アカネは有無を言わさず岡島ユキコの衣類をすべて脱がすと、岡島ユキコを抱えベッドの上へ放り投げた。そして自身の服を脱いだのだけど、あまりに気が急いていたのでびりびりに破いてしまった。
 それからほぼ三日三晩にわたる岡島ユキコの3度の目のハネムーン、またそれは西園寺アカネにとっては初めてのことであったのだけど、ほぼ一睡もすることなく続けられた。
 2人の永遠の愛の証として西園寺マリアは岡島ユキコに指輪を贈りたいと申し出たが、岡島ユキコは人前でものが食べれるように差し歯が欲しいと言った。
 その2、3日後、岡島ユキコは念願の差し歯を入れることが出来、あまりに食事に時間がかかるので愛の時間が足りなくなると感じていた西園寺マリアの心にも安らぎをもたらした。
 2人は幸せであった。岡島ユキコは自分の痩せた体、それでいて下腹部はたっぷりと膨らんでおり、子宮を切除したさいの14針の後、そうしたものが果たして受け入れられるかと心配した。
 しかしそれは杞憂であった。20年を経て手に入れた宝物を、西園寺マリアは文字通り舐めるようにかわいがった、すなわち岡島ユキコの全身を。岡島ユキコは結婚だけでなく、3度全身脱毛にも失敗していたが、西園寺アカネの胃酸を含んだ唾液は岡島ユキコの体毛を、頭髪と眉毛と陰毛を覗いてすべて奪うこととなった。
 岡島ユキコは年をとりますます貧相になった自分の体が嫌になったが、一方西園寺マリアも年をとっていた。
 裸になった西園寺マリアを見たとき、岡島ユキコは西園寺マリアが高校生の頃に比べてずい分太ったことが分かった。丸々として女の体つきになっていた。
 薄かった唇は厚みを持っていた。はじけるような豊かな乳房、、乳首はビー玉のように大きくなり、その白い肌に不似合いなほど漆黒であった。そして大きな臀部は熟れて落ちる寸前の果実のようになっていた。それは出産の準備が整ったことを示していた。
 もし西園寺マリアがこのような致命的な性癖に見舞われていなかったら、男たちを喜ばせた上に多くの子宝に恵まれたのにと思った。
 岡島ユキコはその言葉とおり西園寺マリアのいうことは何でも聞いた。朝から晩まで、そして晩から朝まで続く、愛の儀式にもずっと付き合った。
 岡島ユキコは西園寺マリアに生殺与奪、全ての権利をゆだねていたのだ。
 しかし1つだけ受け入れられないことがあった。
 西園寺マリアは直腸に大きな腫瘍があり、それ自体は有害なものではないが、排便を妨げるので医者から毎朝2本ガラス器具で薬液を直腸へ注入するように言われていた。その行為は一人で行うには難しく、そして惨めな気持ちになるのでパートナーである岡島ユキコに頼みたいと言った。
 岡島ユキコはそれだけは断った。医者の話を疑ったのではないが、変態の上での更なる変態、変態の変態の変態になることが、全てを失っても、まだこの真紺土の城下町でかつて城主も務めた一族の末裔の、心が、意地が、良心が受け入れられなかったのだ。
 そのため西園寺マリアはその苦行にも似た行為を毎朝一人でこなさなければならなかった。でもそれ以外はすべての幸福を手に入れたと西園寺マリアは満足していた。ガラス器具の冷たさを浴室で一人で感じながらも、西園寺マリアは幸福だった。
 岡島ユキコは元々南東北生まれの色黒の女であったが、1年も経つと白人のような色白になった。また子供の頃から悩まされていた酷いアトピーも治癒された。また本人すら気が付いていないが2人目の夫からうつされた白癬病、すなわち水虫も完治した。すべては万病にきく西園寺マリアの胃酸をふくんだ唾液のためである。
 実は岡島ユキコはクラジミアにも感染していたのだけど、それは2人目の夫が岡島ユキコに友人の相手をさせたからなのだが、菌はその部分の奥深くにあったので西園寺マリアの胃液を含んだ唾液で治癒されるにも1年を要した。
 男性の突起を持たない西園寺マリアにとっては舌がすなわちその役割を果たした。愛するということは全身を舐めまわすということであり、同じ行為を岡島ユキコにするのだけど、当然ながら西園寺マリアの処女は守られたままであった。ただ純潔はというと、十分すぎるほど蹂躙されたと言えるのである。
 岡島ユキコは今までの人生でこれほど愛されたことはなかったと思った。曲がってゆがんだ上に腐ってはいるが、まさにこれが岡島ユキコは2度の結婚で求めた愛であった。
 それはすぐ手に届くところにあったのだ。20年前に既に手に入れていたものだった。
 2人の生活は男女の新婚生活のそれと変わらなかった。
 カーテンを明るくし花瓶に花を生けた。安いが気持ちが明るくなるような絵を部屋に置いた。
 ステンレス製のナイフ、フォーク、スプーンを買いそろえたのだけど、胃酸を含む西園寺マリアの唾液でさびてしまい、すべて銀製に買い替えることとなった。
 しかしそれ以外の二人の買い物は概ねうまくいった。
 岡島ユキコはテラスで夢のガーデニングを行うことができた。手作りの菜園でサニーレタス、ミニトマト、カブ、パプリカを作っていた。朝早く収穫して朝食の足しにしていた。ドレッシングは酢と卵黄で自分でマヨネーズを作って楽しんだ。
 この生活は5年も続き、岡島ユキコのそれまでのつらい人生を差し引きしても、良い人生と言えるほどであった。
 
 












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