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Ⅲ復活編
R愛の詩
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Ⅲ 復活編
西園寺マリアの拷問ともいえる拘束具をともなう岡島ユキコ♀への仕打ちはぴったり56日間続いた。
西園寺マリアは自身がもっとも恐怖を感じた目隠しを最初から行った。目隠しをされたまま注挿された経験はその後も西園寺マリアのトラウマとして記憶され、その後灯りのない部屋では眠ることが出来なくなった。
しかし岡島ユキコ♀は暗闇に何も感じなかった。見えなくても西園寺マリアがどこにいるのか?怒っているのか?笑っているのか?何を考えているのか?すべて分かるのだった。
この5年間、西園寺マリアは部屋では下着を身に着けることはなかった。そのわずかな匂いで岡島ユキコ♀のすべてを知ることが出来たのだった。
岡島ユキコ♀が目隠し越しにまっすぐな目で西園寺マリアのその部分を見つめ、
「まだメンスはないの?」と聞いた時には、西園寺マリアは本当に驚いたのだった。
西園寺マリアは今まで正確に28日間でその日を迎えていた。
急に不安になり近づいた西園寺マリアのその部分に岡島ユキコ♀は鼻を近づけるのだけど、もっさりとした陰毛越しにツンとした匂いを嗅いださいには何かした違和感を覚えた。
岡島ユキコ♀は西園寺マリアに食器棚の珪藻土のコースターの裏に隠してある妊娠検査薬を取ってくるよう頼んだ。そして西園寺マリアの尿意が高まるのを待ち、検査をさせた。西園寺マリアは岡島ユキコ♀の目隠しをずらすとビショビショに濡れた検査キットを見せた。
Positive、すなわち陽性を示していた。
岡島ユキコ♀はその僥倖に飛び上がって喜んだ。弟の死という破滅的な結末で終了したプロジェクトであったが、目的は達成していたのだ。しかしあまりに不幸な人生を歩んできた岡島ユキコ♀はその成功を簡単には信じることができなかった。箱に残っていた5つの検査薬をすべて西園寺マリアに試させ陽性を確認した後、自分自身も試して、それが陰性であるのを知り、ようやくこの奇跡を受け止めることができたのだった。
岡島ユキコ♀はその後、53日間に上る拘束具に捕らわれた生活を送るのだけど、気が気でなかった。
朝のガラス器具による拷問を除けばその生活はそれほど堪えられないものではなかった。マウスピースを経ずに口移しで咀嚼されたので、胃酸を含む西園寺マリアの唾液で口の周りは赤くただれたけど、それも大した話ではなかった。
むしろ西園寺マリアが性的満足を得た後に裸で寝たり、うつぶせて腹部に負担をかけている姿をみて、たまらない気持ちになった。その方がはるかに拷問と言えた。
岡島ユキコ♀は拘束生活に差しさわりにない範囲で都度一時的に自分の拘束を解く許可を得た。その間、岡島ユキコ♀は西園寺マリアに毛布をかけたり、寝る姿勢を正したりした。そして西園寺マリアの毎朝のガラス器には体温まで温められられた薬液を使用するようにした。最後の何日かは西園寺マリア自身、ひどいつわりに苦しんでいたので、苦痛を強いられていたのは西園寺マリアの方であった。咀嚼して食べさせるという拷問も、ほとんど嘔吐物をそのまま岡島ユキコ♀の胃に移送するという内容に変わっていた。もともと胃酸を含んでいた西園寺マリアの唾液は今や胃酸そのものとなり、岡島ユキコ♀の差し歯のクロムの部分もすべて溶けてしまった。
また西園寺マリアの豊満な乳房は蓄えられた母乳でさらに膨れ上がった。岡島ユキコ♀は乳腺の腫れを抑えるため、ビー玉の大きさの漆黒の乳首を口で吸うのだけど、口内炎だらけの口に沁みた上に栄養満点のため、西園寺マリアの出産までの間に岡島ユキコ♀は10kgも太ってしまった。
約束の56日が経ち、岡島ユキコ♀はようやく拘束を解かれ、西園寺マリアを産婦人科へ連れて行った。そこで妊娠証明を得て、この消えゆく真紺土の町で唯一高層化が進んでいる役場に行き、母子手帳をもらった。
それは岡島ユキコ♀にとってずっと以前にあきらめた思いを取り戻るような、かけがえのないものであった。喜びで胸が詰まるのを感じた。弟の死とう重罪を背負って手に入れた喜びであるが、その弟の死は自分に帰するのものであり、もしこの生命の誕生に後ろ暗い影を残すならば、その対策のためにならば喜んで罰としての死を受け入れようと思った。
岡島ユキコ♀は男の子が欲しいと思った。2人も元夫たち、2人目の夫にあてがわれた2人目の夫の友人たち、そして血を分けた唯一の弟、彼らに足りなかったもの、つまり優しさ、思いやり、自己犠牲の心、そして岡島ユキコ♀への愛情をもった男を育てたいと思った。そしてそのような男を育てることがこの消えゆく町、錆びて忘れられゆく街の復興も、結局はそのような男たちの出現を待つしかないのでないかと考えた。
この滅び行く世界の、破滅へと向かう列車を止めることができるのは優しさと明るさ、そして正直さしかなかった。岡島ユキコ♀の知るかぎり男たちの本質的に抱える欲と嘘に満ちた傲慢さ、見栄っ張り、意気地のなさ、不正直さ、薄情さ、言い訳のうまさ、詰まるところ人間の弱さを克服した、西園寺マリアのような男を育てたいと思った。
しかし早い段階でエコーの影から子供は女の子と分かった。
それでも岡島ユキコ♀はうれしかった。こっそりと買った男の子用の衣類をすべて捨てると女の子用のものに買い替えた。
岡島ユキコ♀がかつて与えられたピアノ、それを生まれてくる子供に与えたいと思った。そして今までの分は弟のすべて渡してしまった小遣いを今日からはその時のために貯めるのだった。5年前、真紺土の町へ帰って、西園寺マリアと一緒に暮らした時から岡島ユキコ♀は自分のためには下着一枚買ったことはなかった。そのため最近ではサイズが2回り大きい西園寺マリアのお古を履いていた。履いていてずり落ちることもあったし、洗っても落ちないシミのために湿疹が起きることもあったが、耐えることが最も自分の優れた特性だと気づいた岡島ユキコ♀は、夢見ながらその生活を続けたのだった。
臨月を迎え、西園寺マリアはようやく重荷を下ろすことが出来ると喜んだ。そして分娩台に載せられると、
「ああ、これなら家にもあるわ」と言った。
陣痛は夕方に始まったが、子供が生まれたのはその6時間後の夜半であった。
一仕事終えた思いでそのまま寝付いた西園寺マリアに代わって岡島ユキコ♀が赤ん坊の世話をした。世話と言っても、それは抱きかかえて、あやしたり、その柔らかな頬に唇を寄せて、涙で濡らすだけであったけれども。
子供が生まれると厄介ごとだらけで、大人たちはあっという間に時間が過ぎていくようになる。
名前を決めなくてはいけなかった。岡島ユキコ♀は東京の著名な占い師をはじめ多くの意見を聞いていた。幸福と不幸、幸運と不運、それをたかが名前が左右することはないのだけど、それでも岡島ユキコ♀はそれがこの子の将来に少しでも助けになるならと集めた。その候補は100にも上り、最後まで絞り切れていなかった。
そんな日のことである。ようやく荷が下りて、楽になった体を横ら耐えながら、西園寺マリアは何となく、
「アテネ」と言った。
アテネとは古代ギリシャでアクアポリスと言われる神殿を築いた都市の名である。
紀元前500年頃のペルシア戦争後の数十年は、民主政アテネの黄金時代(en)として知られる。前5世紀のこの時代、アテネは古代ギリシア世界の先頭を走り、さまざまな文化的達成は以後の西洋文明の礎となった。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスといった劇作家、歴史家のヘロドトスとトゥキディデス、医師ヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時期のアテネで活躍している。優れた指導者であったペリクレスは諸芸の振興と民主主義の庇護をこととしたが、この指導者のもとでアテネは野心的計画に乗り出し、パルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの壮観と、デロス同盟を通じた帝国の樹立を見ることとなった。デロス同盟はもともとはペルシアへの抵抗を継続するギリシアの諸都市が相互に結んだ同盟関係というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国的野望のための手段となった。このアテネの傲岸がもたらした緊張はペロポネソス戦争(前431年 - 前404年)の開戦を招き、宿敵スパルタに敗北したアテネはギリシアにおける覇権を失った。(*)
*Wikipedia
「アテネって何?」と岡島ユキコ♀は言ったが、西園寺マリアは、
「何それ?」と言った。そしてそんな言葉言った覚えはないとつづけた。
実際のところ岡島ユキコ♀はそれが空耳であったと思ったのであるが、最後にはアテネと命名した。かつて栄華を誇り滅びた町の名前は、最後の希望であり、抗いがたい宿命とも言えた。
アテネの出産届を出す際に不思議なのことに西園寺マリアの籍がどこにもないことが分かった。早くから亡くなったという両親のこともほとんど分からなかった。父親がいたという真紺土の住所はでたらめで、母親がいたロシア小国は1856年のクリミア戦争でなくなったものであった。
「あなたはどこから来たの?」と岡島ユキコは聞くが、西園寺マリアはただ微笑むだけであった。
生まれたばかりのアテネはひどいアレルギーであった。
医者は、この自家中毒でこの生まれたばかりの赤ん坊は早死にする可能性もあると言った。
岡島ユキコ♀は東京の著名な医者の診断を含め、あらゆる方法を試したのだけど、一向に良くならなかった。
薄い皮膚がかろうじて汚れた外界から体を守っているのだけど、今にも破れて崩れ落ちそうであった。
途方に暮れた岡島ユキコ♀は西園寺マリアの胃酸を含む唾液を100倍に希釈してガーゼに濡らし、アテネに塗ってみた。それは何の医学に基づくものではなかったが岡島ユキコ♀は直観的に毒と薬は実は同じものでその濃さだけが違うのだと知っていたのだ。
アトピー性皮膚炎(アトピーせいひふえん、英語: atopic dermatitis)とは、アレルギー反応と関連があるもののうち皮膚の炎症を伴う[1]もの。アトピー性湿疹(英語: atopic eczema)と呼ぶ方が適切である。アトピーという医学用語は、主にタンパク質のアレルゲンに強く反応する傾向のことであり、気管支喘息、鼻炎などの他のアトピー性のアレルギー疾患にも冠されることがある。アトピーである場合、典型的には皮膚炎、鼻炎、喘息の症状を示すことがあり、その内の皮膚炎(湿疹)のことである。
過半数は乳児期に、そして90%までが5歳までに発症する[3]。(*)
*Wikipedia
それは正しい方法であったかは分からないがアトピーを引き起こすタンパク質よりもはるかに強い毒を施すことで、結果としてアレルゲンがおさまったのだった。
アテネのただれた皮膚の下からは美しい桜色の皮膚が現れた。その後、高熱を出したり、コレラ並みの下痢をしたりすることはあったが、アテナはすくすくと成長したのだった。
岡島ユキコ♀にとってそれは楽しみで、まさに生きる希望とも言えた。
アテネはまたひどく便秘がちで岡島ユキコ♀は希釈した浣腸液を口に含んでアテネの肛門へ吹き入れた。またしょっちゅう熱を出し、看病に追われる岡島ユキコ♀は眠れない夜を何度も過ごした。
出産を経た西園寺マリアの乳頭はピンポン玉のように大きくなり、色はますます漆黒になった。赤ん坊のアテネはそれを口に口を含むことが出来ず、吸い付くことで母乳にありついた。西園寺マリアは寝たまま授乳させていたので、西園寺マリアの寝返りでつぶれそうになることもしばしばであった。
そのため岡島ユキコ♀は西園寺マリアの授乳の間中見張っていなければならなかった。西園寺マリアが授乳するタイミングはいつも激しい愛の営みの後だったので、岡島ユキコ♀はへとへとになりがらも授乳を注視し、アテネが吸い終えた後には抱きかかえてげっぷをさせ、乳臭い温かい体を抱えることに至上の喜びを感じるのだった。
多くの女たちが新しく増えた義務のように考え、その時は楽しみと感じることができず、老いてようやく幸福だったことを理解するのであるが、岡島ユキコ♀ははなっからそれが人生最高の喜びであることを知っていたのだ。
40歳になって、ようやく手に入れた幸福であった。岡島ユキコ♀はアテネから手を放すことすら惜しく、いつも座ったままゆりかごのように抱えて眠るのであった。
アテネはすくすくと成長した。寝返りをうったかと思うと這い這いを始めて、つかまり立ちをしだし、そこら中に糞尿を垂らすことで縄張りを広げていった。
実際アテネは傍若無人であった。癇癪が強く、強情で、気に入らないと何でも投げつけた。岡島ユキコ♀が買いそろえたティファニーの食器をすべて割り、岡島ユキオ♂の栄光の証である真紺土第一高等学校の制服をハサミで切り刻んだ。そのとき実は岡島ユキコ♀は家にいついた不吉なやっかいもの除いてくれたと心の中では喜んでいた。
岡島ユキコ♀はいたずらに疲れたアテネを抱えると寝ていた西園寺マリアの胸をまさぐり、乳をださせると、すっかり大きくなり乳頭がすっぽりと口に入るようになったアテネに吸わせてやるのだった。
アテネの悪戯はとまらなかった。
クレヨンと画用紙を与えても画用紙を使うことはなかった。真っ白な壁に排泄と性交の絵を描き連ねた。
ベランダから鉢植えを落として警察から注意を受けたことがあった。また3回もトイレにぬいぐるみを流し詰まらせた。その後にどうしても我慢できなかった西園寺マリアが用を足したので大変な騒ぎになった。
アテネはほとんどを口をきかない、いつも怒った子供であった。大人たちを馬鹿にし、困らせることに熱中した。
そのため3回も幼稚園を転園し、ついには真紺土の町でアテナを引き受けるところはなくなった。
それでも岡島ユキコ♀はアテネを愛していた。その暴力性も自分に罰を与えるためにアテネが神から仰せつかったのだと思った。西園寺マリアはアテネがただの?せっぽっちで癇癪持ちのガキだと気が付いていたが、岡島ユキコ♀がそれで良いと思っているならと、何も言わなかった。
アテネは6歳になったが、未だに西園寺マリアの乳を吸い、自分がこの家の女王と思っていた。言葉がほとんどしゃべらず、ものを投げつけ、蹴りつけ、いつも怒っていた。岡島ユキコ♀をにらみつけ、罵倒した。パンツの履かず、いまだにそこらじゅうで糞尿を垂れた。
そんなある日のことである昼食に放り出された西園寺マリアの左乳を吸っていたのだが、アテネは自分が女王であることを示すために漆黒の乳頭に思い切りかみついた。
するとビタンと大きな音を立てて、西園寺マリアがアテネをひっぱたいた。アテネの体は3回転も転がるとテーブルの端で止まった。
アテネは恐怖に震え、久しぶりに大泣きし、おしっこを漏らした。
岡島ユキコ♀は布団たたきの棒を掴むと思い切り、西園寺マリアを打ち付けた。
「このレズの、あばずれの、変態の、出来損ないが!」
西園寺マリアが千切れかかった乳首を見せ、事情を釈明しようとしたが岡島ユキコ♀はまるで聞かなった。
「この浣腸好きの、淫乱の、怪物が!アテネは私の子よ」と叫んだ。
岡島ユキコ♀は震えるアテネを抱きかかえ、頭を撫ぜた。
アテナはあまりに強く殴られたので乳歯が2本抜け、左の鼓膜が破れ、その日から右に首が曲がらなくなった。
しかしそれでもこれはアテネには必要な経験であった。自分が何もできないくせに威張り腐ったガキであることを知ることができたのだった。
アテネの強情さは意思の強さに変わり、馬鹿にした態度は自分が馬鹿であることを知り慎んだものに変わり、執着は熱心さに変わり、偏狭さは大らかさへと変わっていった。
アテネは成長した。
今まで面倒くさいという理由で使わなかった言葉も6歳にしてようやく使い始めた。字も書き始めた。
西園寺マリアを「マリア」と呼び、岡島ユキコ♀を「ママ」と呼んだ。
アテネが愛していたのはマリアであった。いつも果実のようないい臭い匂いをその陰毛の下に感じていた。「ママ」のそれはいつもおしっこの匂いがした。それでも喜ぶのは岡島ユキコ♀の方だと思ったので、その愛への返答として「ママ」と呼んだ。
ある夜、マリアとママが毎晩の夜伽に興じているときにアテネはこっそりとベッドに入り、自分も入れてくれと言った。
マリアはそのまま続けようとしたが、ママはそれがお酒を呑んでたまたま裸で寝てしまっただけだと言い訳し、匂いでものを見るという恐るべき能力をもったわが子に気をつけるようになった。声を上げないようハンカチを丸めてマリアと自分の口に入れるようにし、その最中はラベンダーの香をたてるようにした。そしてやがてアテネはラベンダーの香りがするとその行為が始まったと思うようになった。
そんなことがあっても、アテネは十分良い子に育った。勉強も運動も絵も音楽も、大概のことは人並み以上にできたが、決して威張らなかった。ブロンドの髪に、やや青みがかった黒い瞳をしていた。
思いやりがあり、生徒に人気があったが、その表情はどこか憂いがあり、親しくなりたいと思った多くの生徒を、一瞬であるが躊躇させるのだった。
成長する中でマリアとママの関係が正常なものではないと気づくのであるが2人を責める気はなく、愛していた。
ママは6年間貯めた小遣いでアテネにピアノを買った。実はママはそれほど弾けるのではなく、教えるのはマリアであり、いつも1時間も過ぎると露骨に面倒くさい顔をして止めてしまうのだった。
それでもアテネのピアノは上達し、マリアほどではないが、真紺土市の小さな演奏会で表彰されるほどになった。それはママにとってはこの上ない喜びであった。
ママはアテネを自分の失敗した人生が得た唯一の成果だと思った。またママはアテネに同じ道を歩ませないように、男たちの言葉に気を付けること、女たちに対抗するという理由だけで好きでもない男の言い寄らないこと、たまたまな成果におごらないこと、期待してくれた人の気持ちを裏切らないこと、自分を好きでい続けることを教えた。
どんな失敗を繰り返せばそんなに多くの教訓が出てくるのかとアテネはおもったが、それでも自分を愛しているからだと理解し、我慢してその話をずっと聞いた。
やがて10年が過ぎ、アテネは16歳になり、マリアとママは56歳になった。
マリアとママが16歳のとき、真紺土高等学校のテニスコートわきで雨に打たれ、軒下でキスをした日から、真紺土大橋での再会まで20年が経ち、さらに5年が経ち、アテネが仕込まれ、1年後にアテネが生まれ、そこからさらに16年が経ったのだ。
真紺土第一高等学校は今では老人用の介護施設になっていた。
そのためアテネは隣県の高校に行っていた。しかし真紺土第一高等学校が廃校になったさいに多くの建材がそこに移設されたので、アテネの入学式の日にマリアとママは30年前の、あの風景の中に戻ったような錯覚に襲われた。
アテネは成績が良かった。真紺土にいる多くの未来のある若者がそうであるようにアテネは東京の大学に行くと期待された。ママはアテネを誇りに思い、またそうして自分が捨てられるのもうれしく思った。一方、マリアは2人の生活を邪魔する厄介者がようやくいなくなると喜んだ。
ある朝のことである。ガラス器具で整腸処理を施した後のマリアがトイレから呼ぶのが聞こえた。ある程度大きなものが出たとき、しばしばマリアは2人を呼び出すので、そうだと思い、アテナは見に行った。ママが一緒に行かなかったのは朝食中だったからである。ガラス器具でマリアに薬液を注入した後に良く手を洗い、1人で朝食を食べていたのだった。
「キャア」と短いが鋭い、アテネの声を聞き、ママもようやく見に行った。
そこには突っ伏したマリアとトイレからあふれる真っ赤な鮮血があった。
長年マリアを苦しめてきた直腸の腫瘍がついに破裂したのだ。
それは約束された死の始まりだった。
直ぐに救急車が呼ばれマリアは病院に運ばれたが、その日の内に破裂した癌細胞は瞬く間に全身に回り、入院となった。マリアが経営した床用ワックスの会社は見込みのある社員たちに株を譲渡し、代表の座を退いた。
その後、それこそ日本中の病院を回ったが、どの医者もサジを投げたのだった。年をとってもマリアは美しかったが、その皮膚の下はすべて癌に侵されていた。
五臓と言われる心臓・肝臓・肺臓・脾?(ひ)?臓・腎?(じん)?臓、また六腑と呼ばれる大腸・小腸・胃・胆・膀胱?(ぼうこう)?のすべてが癌に侵されていた。脳の半分と左の眼球も癌に侵されていた。
長期入院でマリアはすっかり歳をとり、老婆になっていた。髪はすべて白くなり、抗がん剤治療のため左半分は抜けてしまった。歯はさらに抜けあと数本が残るだけだった。爪は黄色く変色し、皮膚はしわが寄り、あんなに豊満であった乳房もしぼみ、情けない姿になった。
マリアは胃、小腸、大腸、直腸をすべて切除した。14針の手術跡をなぞり、「おそろいね」とママに言った。
1年後、すべての治療行為を終了したマリアは真紺土の家に戻っていた。
延命治療さえ行われず、痛み止めにモルヒネの点滴のみ受けていた。
白くなった髪と細くなったマリアの体は真っ白なシーツに溶けてしまうようであった。
学校生活で忙しいアテネは朝晩欠かさずキスをしていたが、そのほとんどの時をマリアは眠っていた。マリアは夢の中で、昔のハチャメチャな生活を懐かしみ、その限りのない欲望を思い出し、その部分に手を伸ばすのだけど、今はすっかり乾いてしまっていた。
ときどき起きては、マリアはママと呼ばれる岡島ユキコに陰毛の下のその部位を舐めさせた。岡島ユキコは丁寧は作業を行いながら、かつては近所の犬猫をも発情させたその強力な匂いが乾いた草原のように変わったと思った。
またママはかつて胃酸を含んだ唾液のためピリピリとしたマリアのキスが穏やかな、乾いたシルクの風合いに変わって行ったのに気が付いた。
外は雨が降っており、ガラス越しに雨音が聞こえた。
30年前、2人がまだ処女の頃、真紺土第一高等学校のテニスコートのわきのひさしの下で振っていたのと同じ雨が降っていた。
最期の時を知った西園寺マリアは岡島ユキコを呼び寄せると言った。
「愛しているわ。ずっと愛している。あなたは私のことを愛しているの?」
岡島ユキコは言った。
「星が火であることを疑ってもいい。太陽が動くことを疑ってもいい。真実が嘘であると疑ってもいい。でも、わたしの愛を疑わないでくれ。」
それは高校生のころ、学園祭で行ったシェイクスピア劇中のセリフだった。
*シェイクスピア 「ハムレット二幕二場」
そして「怖がらないで。私も一緒にいくから」と言った。
西園寺マリアが死んだあと、岡島由紀子はまた一人に戻っていた。
簡単な葬儀を済ますと部屋の片づけを行った。荒れ果てたベランダの鉢植えを整理し、西園寺マリアと岡島ユキコの2台の拘束具、ガラス器具、この世に残してはいけないと思うものを岡島ユキコはすべて処分した。
岡島由紀子は西園寺マリアを失い、弟も自らの過ちで失っていた。
そして耐えがたいその人生の終焉を迎えようとしていた。
最近は僻みっぽく、また疑り深くなっていた。それでいて物覚えがひどく、2桁の足し算ができず、6の段以降の九九もできなくなっていた。
岡島由紀子は57歳になっていた。西園寺マリアが病気になったときに、その時がきたら、まだちょっと早いがかつて青春の日々をすごした真紺土第一高校の後に建てられた施設に入ろうと思った。そこで思い通りにならなかった人生の、恥ずかしく失敗の日々を慰めたいと思った。そして滅んでしまったわが一族の末裔として、もうすでにやることは何もなく、ただ人の迷惑にならないように静かに過ごしたいと思っていた。
しかし実際に西園寺マリアの死を迎えて岡島ユキコはもう1人での生活を耐えることが出来ないのに気が付いた。
部屋の整理が一とおり終わると、20年前、西園寺マリアに身を拾われなかったら飛び込んでいたはずの真紺土大橋に行こうと思った。あの時、西園寺マリアに拾われて中断した、その続きを行うために。
その時になって、ようやくアテネのことを思い出した。
私の宝石、私のすべて、私は唯一成果としてこの世界に残すことができた私の娘はどこにいるの?
岡島ユキコが振り向くとアテネはそこにいた。
これから死ぬつもりだったのに、思わず、
「学校はどうしたの?」と岡島ユキコは言った。
アテネは何も答えずただ笑っていた。衣服は何もつけずに裸だった。
外は雨が降っており、ガラス越しに雨音が聞こえた。
40年前、真紺土第一高等学校のテニスコートのわきのひさしの下で降っていたのと同じ雨が降っていた。
アテネの体を見た。美しいヴィーナスのような均等のとれた肢体がそこにあった。乳頭は桜色で、その下にへそがあり、さらにその下には不似合いなくらいもっさりとした陰毛があった。
岡島ユキコは思わず14針の手術の跡を探してしまった。自分のではなく、西園寺マリアのである。
外は雨が降っている。雨音の中、急な夕立に2人は雨宿りをしていたのだけど、アテネは急に「愛してる」と言い、岡島ユキコにキスをした。
何が起きているの?
岡島由紀子はとまどい、震えていた。でもアテネにはママが拒んでいないように思えた。アテネはさらに手を伸ばすとママの胸をまさぐり、さらにスカートの下に手を入れた。
天空で天使の羽音がした。
キスは胃酸を含んだ唾液の、苦い味がした。そして岡島ユキコは
「ただいま。またあなたに会えるのをずっと待っていたのよ」
という声を遠くに聞いた。
西園寺マリアの拷問ともいえる拘束具をともなう岡島ユキコ♀への仕打ちはぴったり56日間続いた。
西園寺マリアは自身がもっとも恐怖を感じた目隠しを最初から行った。目隠しをされたまま注挿された経験はその後も西園寺マリアのトラウマとして記憶され、その後灯りのない部屋では眠ることが出来なくなった。
しかし岡島ユキコ♀は暗闇に何も感じなかった。見えなくても西園寺マリアがどこにいるのか?怒っているのか?笑っているのか?何を考えているのか?すべて分かるのだった。
この5年間、西園寺マリアは部屋では下着を身に着けることはなかった。そのわずかな匂いで岡島ユキコ♀のすべてを知ることが出来たのだった。
岡島ユキコ♀が目隠し越しにまっすぐな目で西園寺マリアのその部分を見つめ、
「まだメンスはないの?」と聞いた時には、西園寺マリアは本当に驚いたのだった。
西園寺マリアは今まで正確に28日間でその日を迎えていた。
急に不安になり近づいた西園寺マリアのその部分に岡島ユキコ♀は鼻を近づけるのだけど、もっさりとした陰毛越しにツンとした匂いを嗅いださいには何かした違和感を覚えた。
岡島ユキコ♀は西園寺マリアに食器棚の珪藻土のコースターの裏に隠してある妊娠検査薬を取ってくるよう頼んだ。そして西園寺マリアの尿意が高まるのを待ち、検査をさせた。西園寺マリアは岡島ユキコ♀の目隠しをずらすとビショビショに濡れた検査キットを見せた。
Positive、すなわち陽性を示していた。
岡島ユキコ♀はその僥倖に飛び上がって喜んだ。弟の死という破滅的な結末で終了したプロジェクトであったが、目的は達成していたのだ。しかしあまりに不幸な人生を歩んできた岡島ユキコ♀はその成功を簡単には信じることができなかった。箱に残っていた5つの検査薬をすべて西園寺マリアに試させ陽性を確認した後、自分自身も試して、それが陰性であるのを知り、ようやくこの奇跡を受け止めることができたのだった。
岡島ユキコ♀はその後、53日間に上る拘束具に捕らわれた生活を送るのだけど、気が気でなかった。
朝のガラス器具による拷問を除けばその生活はそれほど堪えられないものではなかった。マウスピースを経ずに口移しで咀嚼されたので、胃酸を含む西園寺マリアの唾液で口の周りは赤くただれたけど、それも大した話ではなかった。
むしろ西園寺マリアが性的満足を得た後に裸で寝たり、うつぶせて腹部に負担をかけている姿をみて、たまらない気持ちになった。その方がはるかに拷問と言えた。
岡島ユキコ♀は拘束生活に差しさわりにない範囲で都度一時的に自分の拘束を解く許可を得た。その間、岡島ユキコ♀は西園寺マリアに毛布をかけたり、寝る姿勢を正したりした。そして西園寺マリアの毎朝のガラス器には体温まで温められられた薬液を使用するようにした。最後の何日かは西園寺マリア自身、ひどいつわりに苦しんでいたので、苦痛を強いられていたのは西園寺マリアの方であった。咀嚼して食べさせるという拷問も、ほとんど嘔吐物をそのまま岡島ユキコ♀の胃に移送するという内容に変わっていた。もともと胃酸を含んでいた西園寺マリアの唾液は今や胃酸そのものとなり、岡島ユキコ♀の差し歯のクロムの部分もすべて溶けてしまった。
また西園寺マリアの豊満な乳房は蓄えられた母乳でさらに膨れ上がった。岡島ユキコ♀は乳腺の腫れを抑えるため、ビー玉の大きさの漆黒の乳首を口で吸うのだけど、口内炎だらけの口に沁みた上に栄養満点のため、西園寺マリアの出産までの間に岡島ユキコ♀は10kgも太ってしまった。
約束の56日が経ち、岡島ユキコ♀はようやく拘束を解かれ、西園寺マリアを産婦人科へ連れて行った。そこで妊娠証明を得て、この消えゆく真紺土の町で唯一高層化が進んでいる役場に行き、母子手帳をもらった。
それは岡島ユキコ♀にとってずっと以前にあきらめた思いを取り戻るような、かけがえのないものであった。喜びで胸が詰まるのを感じた。弟の死とう重罪を背負って手に入れた喜びであるが、その弟の死は自分に帰するのものであり、もしこの生命の誕生に後ろ暗い影を残すならば、その対策のためにならば喜んで罰としての死を受け入れようと思った。
岡島ユキコ♀は男の子が欲しいと思った。2人も元夫たち、2人目の夫にあてがわれた2人目の夫の友人たち、そして血を分けた唯一の弟、彼らに足りなかったもの、つまり優しさ、思いやり、自己犠牲の心、そして岡島ユキコ♀への愛情をもった男を育てたいと思った。そしてそのような男を育てることがこの消えゆく町、錆びて忘れられゆく街の復興も、結局はそのような男たちの出現を待つしかないのでないかと考えた。
この滅び行く世界の、破滅へと向かう列車を止めることができるのは優しさと明るさ、そして正直さしかなかった。岡島ユキコ♀の知るかぎり男たちの本質的に抱える欲と嘘に満ちた傲慢さ、見栄っ張り、意気地のなさ、不正直さ、薄情さ、言い訳のうまさ、詰まるところ人間の弱さを克服した、西園寺マリアのような男を育てたいと思った。
しかし早い段階でエコーの影から子供は女の子と分かった。
それでも岡島ユキコ♀はうれしかった。こっそりと買った男の子用の衣類をすべて捨てると女の子用のものに買い替えた。
岡島ユキコ♀がかつて与えられたピアノ、それを生まれてくる子供に与えたいと思った。そして今までの分は弟のすべて渡してしまった小遣いを今日からはその時のために貯めるのだった。5年前、真紺土の町へ帰って、西園寺マリアと一緒に暮らした時から岡島ユキコ♀は自分のためには下着一枚買ったことはなかった。そのため最近ではサイズが2回り大きい西園寺マリアのお古を履いていた。履いていてずり落ちることもあったし、洗っても落ちないシミのために湿疹が起きることもあったが、耐えることが最も自分の優れた特性だと気づいた岡島ユキコ♀は、夢見ながらその生活を続けたのだった。
臨月を迎え、西園寺マリアはようやく重荷を下ろすことが出来ると喜んだ。そして分娩台に載せられると、
「ああ、これなら家にもあるわ」と言った。
陣痛は夕方に始まったが、子供が生まれたのはその6時間後の夜半であった。
一仕事終えた思いでそのまま寝付いた西園寺マリアに代わって岡島ユキコ♀が赤ん坊の世話をした。世話と言っても、それは抱きかかえて、あやしたり、その柔らかな頬に唇を寄せて、涙で濡らすだけであったけれども。
子供が生まれると厄介ごとだらけで、大人たちはあっという間に時間が過ぎていくようになる。
名前を決めなくてはいけなかった。岡島ユキコ♀は東京の著名な占い師をはじめ多くの意見を聞いていた。幸福と不幸、幸運と不運、それをたかが名前が左右することはないのだけど、それでも岡島ユキコ♀はそれがこの子の将来に少しでも助けになるならと集めた。その候補は100にも上り、最後まで絞り切れていなかった。
そんな日のことである。ようやく荷が下りて、楽になった体を横ら耐えながら、西園寺マリアは何となく、
「アテネ」と言った。
アテネとは古代ギリシャでアクアポリスと言われる神殿を築いた都市の名である。
紀元前500年頃のペルシア戦争後の数十年は、民主政アテネの黄金時代(en)として知られる。前5世紀のこの時代、アテネは古代ギリシア世界の先頭を走り、さまざまな文化的達成は以後の西洋文明の礎となった。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスといった劇作家、歴史家のヘロドトスとトゥキディデス、医師ヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時期のアテネで活躍している。優れた指導者であったペリクレスは諸芸の振興と民主主義の庇護をこととしたが、この指導者のもとでアテネは野心的計画に乗り出し、パルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの壮観と、デロス同盟を通じた帝国の樹立を見ることとなった。デロス同盟はもともとはペルシアへの抵抗を継続するギリシアの諸都市が相互に結んだ同盟関係というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国的野望のための手段となった。このアテネの傲岸がもたらした緊張はペロポネソス戦争(前431年 - 前404年)の開戦を招き、宿敵スパルタに敗北したアテネはギリシアにおける覇権を失った。(*)
*Wikipedia
「アテネって何?」と岡島ユキコ♀は言ったが、西園寺マリアは、
「何それ?」と言った。そしてそんな言葉言った覚えはないとつづけた。
実際のところ岡島ユキコ♀はそれが空耳であったと思ったのであるが、最後にはアテネと命名した。かつて栄華を誇り滅びた町の名前は、最後の希望であり、抗いがたい宿命とも言えた。
アテネの出産届を出す際に不思議なのことに西園寺マリアの籍がどこにもないことが分かった。早くから亡くなったという両親のこともほとんど分からなかった。父親がいたという真紺土の住所はでたらめで、母親がいたロシア小国は1856年のクリミア戦争でなくなったものであった。
「あなたはどこから来たの?」と岡島ユキコは聞くが、西園寺マリアはただ微笑むだけであった。
生まれたばかりのアテネはひどいアレルギーであった。
医者は、この自家中毒でこの生まれたばかりの赤ん坊は早死にする可能性もあると言った。
岡島ユキコ♀は東京の著名な医者の診断を含め、あらゆる方法を試したのだけど、一向に良くならなかった。
薄い皮膚がかろうじて汚れた外界から体を守っているのだけど、今にも破れて崩れ落ちそうであった。
途方に暮れた岡島ユキコ♀は西園寺マリアの胃酸を含む唾液を100倍に希釈してガーゼに濡らし、アテネに塗ってみた。それは何の医学に基づくものではなかったが岡島ユキコ♀は直観的に毒と薬は実は同じものでその濃さだけが違うのだと知っていたのだ。
アトピー性皮膚炎(アトピーせいひふえん、英語: atopic dermatitis)とは、アレルギー反応と関連があるもののうち皮膚の炎症を伴う[1]もの。アトピー性湿疹(英語: atopic eczema)と呼ぶ方が適切である。アトピーという医学用語は、主にタンパク質のアレルゲンに強く反応する傾向のことであり、気管支喘息、鼻炎などの他のアトピー性のアレルギー疾患にも冠されることがある。アトピーである場合、典型的には皮膚炎、鼻炎、喘息の症状を示すことがあり、その内の皮膚炎(湿疹)のことである。
過半数は乳児期に、そして90%までが5歳までに発症する[3]。(*)
*Wikipedia
それは正しい方法であったかは分からないがアトピーを引き起こすタンパク質よりもはるかに強い毒を施すことで、結果としてアレルゲンがおさまったのだった。
アテネのただれた皮膚の下からは美しい桜色の皮膚が現れた。その後、高熱を出したり、コレラ並みの下痢をしたりすることはあったが、アテナはすくすくと成長したのだった。
岡島ユキコ♀にとってそれは楽しみで、まさに生きる希望とも言えた。
アテネはまたひどく便秘がちで岡島ユキコ♀は希釈した浣腸液を口に含んでアテネの肛門へ吹き入れた。またしょっちゅう熱を出し、看病に追われる岡島ユキコ♀は眠れない夜を何度も過ごした。
出産を経た西園寺マリアの乳頭はピンポン玉のように大きくなり、色はますます漆黒になった。赤ん坊のアテネはそれを口に口を含むことが出来ず、吸い付くことで母乳にありついた。西園寺マリアは寝たまま授乳させていたので、西園寺マリアの寝返りでつぶれそうになることもしばしばであった。
そのため岡島ユキコ♀は西園寺マリアの授乳の間中見張っていなければならなかった。西園寺マリアが授乳するタイミングはいつも激しい愛の営みの後だったので、岡島ユキコ♀はへとへとになりがらも授乳を注視し、アテネが吸い終えた後には抱きかかえてげっぷをさせ、乳臭い温かい体を抱えることに至上の喜びを感じるのだった。
多くの女たちが新しく増えた義務のように考え、その時は楽しみと感じることができず、老いてようやく幸福だったことを理解するのであるが、岡島ユキコ♀ははなっからそれが人生最高の喜びであることを知っていたのだ。
40歳になって、ようやく手に入れた幸福であった。岡島ユキコ♀はアテネから手を放すことすら惜しく、いつも座ったままゆりかごのように抱えて眠るのであった。
アテネはすくすくと成長した。寝返りをうったかと思うと這い這いを始めて、つかまり立ちをしだし、そこら中に糞尿を垂らすことで縄張りを広げていった。
実際アテネは傍若無人であった。癇癪が強く、強情で、気に入らないと何でも投げつけた。岡島ユキコ♀が買いそろえたティファニーの食器をすべて割り、岡島ユキオ♂の栄光の証である真紺土第一高等学校の制服をハサミで切り刻んだ。そのとき実は岡島ユキコ♀は家にいついた不吉なやっかいもの除いてくれたと心の中では喜んでいた。
岡島ユキコ♀はいたずらに疲れたアテネを抱えると寝ていた西園寺マリアの胸をまさぐり、乳をださせると、すっかり大きくなり乳頭がすっぽりと口に入るようになったアテネに吸わせてやるのだった。
アテネの悪戯はとまらなかった。
クレヨンと画用紙を与えても画用紙を使うことはなかった。真っ白な壁に排泄と性交の絵を描き連ねた。
ベランダから鉢植えを落として警察から注意を受けたことがあった。また3回もトイレにぬいぐるみを流し詰まらせた。その後にどうしても我慢できなかった西園寺マリアが用を足したので大変な騒ぎになった。
アテネはほとんどを口をきかない、いつも怒った子供であった。大人たちを馬鹿にし、困らせることに熱中した。
そのため3回も幼稚園を転園し、ついには真紺土の町でアテナを引き受けるところはなくなった。
それでも岡島ユキコ♀はアテネを愛していた。その暴力性も自分に罰を与えるためにアテネが神から仰せつかったのだと思った。西園寺マリアはアテネがただの?せっぽっちで癇癪持ちのガキだと気が付いていたが、岡島ユキコ♀がそれで良いと思っているならと、何も言わなかった。
アテネは6歳になったが、未だに西園寺マリアの乳を吸い、自分がこの家の女王と思っていた。言葉がほとんどしゃべらず、ものを投げつけ、蹴りつけ、いつも怒っていた。岡島ユキコ♀をにらみつけ、罵倒した。パンツの履かず、いまだにそこらじゅうで糞尿を垂れた。
そんなある日のことである昼食に放り出された西園寺マリアの左乳を吸っていたのだが、アテネは自分が女王であることを示すために漆黒の乳頭に思い切りかみついた。
するとビタンと大きな音を立てて、西園寺マリアがアテネをひっぱたいた。アテネの体は3回転も転がるとテーブルの端で止まった。
アテネは恐怖に震え、久しぶりに大泣きし、おしっこを漏らした。
岡島ユキコ♀は布団たたきの棒を掴むと思い切り、西園寺マリアを打ち付けた。
「このレズの、あばずれの、変態の、出来損ないが!」
西園寺マリアが千切れかかった乳首を見せ、事情を釈明しようとしたが岡島ユキコ♀はまるで聞かなった。
「この浣腸好きの、淫乱の、怪物が!アテネは私の子よ」と叫んだ。
岡島ユキコ♀は震えるアテネを抱きかかえ、頭を撫ぜた。
アテナはあまりに強く殴られたので乳歯が2本抜け、左の鼓膜が破れ、その日から右に首が曲がらなくなった。
しかしそれでもこれはアテネには必要な経験であった。自分が何もできないくせに威張り腐ったガキであることを知ることができたのだった。
アテネの強情さは意思の強さに変わり、馬鹿にした態度は自分が馬鹿であることを知り慎んだものに変わり、執着は熱心さに変わり、偏狭さは大らかさへと変わっていった。
アテネは成長した。
今まで面倒くさいという理由で使わなかった言葉も6歳にしてようやく使い始めた。字も書き始めた。
西園寺マリアを「マリア」と呼び、岡島ユキコ♀を「ママ」と呼んだ。
アテネが愛していたのはマリアであった。いつも果実のようないい臭い匂いをその陰毛の下に感じていた。「ママ」のそれはいつもおしっこの匂いがした。それでも喜ぶのは岡島ユキコ♀の方だと思ったので、その愛への返答として「ママ」と呼んだ。
ある夜、マリアとママが毎晩の夜伽に興じているときにアテネはこっそりとベッドに入り、自分も入れてくれと言った。
マリアはそのまま続けようとしたが、ママはそれがお酒を呑んでたまたま裸で寝てしまっただけだと言い訳し、匂いでものを見るという恐るべき能力をもったわが子に気をつけるようになった。声を上げないようハンカチを丸めてマリアと自分の口に入れるようにし、その最中はラベンダーの香をたてるようにした。そしてやがてアテネはラベンダーの香りがするとその行為が始まったと思うようになった。
そんなことがあっても、アテネは十分良い子に育った。勉強も運動も絵も音楽も、大概のことは人並み以上にできたが、決して威張らなかった。ブロンドの髪に、やや青みがかった黒い瞳をしていた。
思いやりがあり、生徒に人気があったが、その表情はどこか憂いがあり、親しくなりたいと思った多くの生徒を、一瞬であるが躊躇させるのだった。
成長する中でマリアとママの関係が正常なものではないと気づくのであるが2人を責める気はなく、愛していた。
ママは6年間貯めた小遣いでアテネにピアノを買った。実はママはそれほど弾けるのではなく、教えるのはマリアであり、いつも1時間も過ぎると露骨に面倒くさい顔をして止めてしまうのだった。
それでもアテネのピアノは上達し、マリアほどではないが、真紺土市の小さな演奏会で表彰されるほどになった。それはママにとってはこの上ない喜びであった。
ママはアテネを自分の失敗した人生が得た唯一の成果だと思った。またママはアテネに同じ道を歩ませないように、男たちの言葉に気を付けること、女たちに対抗するという理由だけで好きでもない男の言い寄らないこと、たまたまな成果におごらないこと、期待してくれた人の気持ちを裏切らないこと、自分を好きでい続けることを教えた。
どんな失敗を繰り返せばそんなに多くの教訓が出てくるのかとアテネはおもったが、それでも自分を愛しているからだと理解し、我慢してその話をずっと聞いた。
やがて10年が過ぎ、アテネは16歳になり、マリアとママは56歳になった。
マリアとママが16歳のとき、真紺土高等学校のテニスコートわきで雨に打たれ、軒下でキスをした日から、真紺土大橋での再会まで20年が経ち、さらに5年が経ち、アテネが仕込まれ、1年後にアテネが生まれ、そこからさらに16年が経ったのだ。
真紺土第一高等学校は今では老人用の介護施設になっていた。
そのためアテネは隣県の高校に行っていた。しかし真紺土第一高等学校が廃校になったさいに多くの建材がそこに移設されたので、アテネの入学式の日にマリアとママは30年前の、あの風景の中に戻ったような錯覚に襲われた。
アテネは成績が良かった。真紺土にいる多くの未来のある若者がそうであるようにアテネは東京の大学に行くと期待された。ママはアテネを誇りに思い、またそうして自分が捨てられるのもうれしく思った。一方、マリアは2人の生活を邪魔する厄介者がようやくいなくなると喜んだ。
ある朝のことである。ガラス器具で整腸処理を施した後のマリアがトイレから呼ぶのが聞こえた。ある程度大きなものが出たとき、しばしばマリアは2人を呼び出すので、そうだと思い、アテナは見に行った。ママが一緒に行かなかったのは朝食中だったからである。ガラス器具でマリアに薬液を注入した後に良く手を洗い、1人で朝食を食べていたのだった。
「キャア」と短いが鋭い、アテネの声を聞き、ママもようやく見に行った。
そこには突っ伏したマリアとトイレからあふれる真っ赤な鮮血があった。
長年マリアを苦しめてきた直腸の腫瘍がついに破裂したのだ。
それは約束された死の始まりだった。
直ぐに救急車が呼ばれマリアは病院に運ばれたが、その日の内に破裂した癌細胞は瞬く間に全身に回り、入院となった。マリアが経営した床用ワックスの会社は見込みのある社員たちに株を譲渡し、代表の座を退いた。
その後、それこそ日本中の病院を回ったが、どの医者もサジを投げたのだった。年をとってもマリアは美しかったが、その皮膚の下はすべて癌に侵されていた。
五臓と言われる心臓・肝臓・肺臓・脾?(ひ)?臓・腎?(じん)?臓、また六腑と呼ばれる大腸・小腸・胃・胆・膀胱?(ぼうこう)?のすべてが癌に侵されていた。脳の半分と左の眼球も癌に侵されていた。
長期入院でマリアはすっかり歳をとり、老婆になっていた。髪はすべて白くなり、抗がん剤治療のため左半分は抜けてしまった。歯はさらに抜けあと数本が残るだけだった。爪は黄色く変色し、皮膚はしわが寄り、あんなに豊満であった乳房もしぼみ、情けない姿になった。
マリアは胃、小腸、大腸、直腸をすべて切除した。14針の手術跡をなぞり、「おそろいね」とママに言った。
1年後、すべての治療行為を終了したマリアは真紺土の家に戻っていた。
延命治療さえ行われず、痛み止めにモルヒネの点滴のみ受けていた。
白くなった髪と細くなったマリアの体は真っ白なシーツに溶けてしまうようであった。
学校生活で忙しいアテネは朝晩欠かさずキスをしていたが、そのほとんどの時をマリアは眠っていた。マリアは夢の中で、昔のハチャメチャな生活を懐かしみ、その限りのない欲望を思い出し、その部分に手を伸ばすのだけど、今はすっかり乾いてしまっていた。
ときどき起きては、マリアはママと呼ばれる岡島ユキコに陰毛の下のその部位を舐めさせた。岡島ユキコは丁寧は作業を行いながら、かつては近所の犬猫をも発情させたその強力な匂いが乾いた草原のように変わったと思った。
またママはかつて胃酸を含んだ唾液のためピリピリとしたマリアのキスが穏やかな、乾いたシルクの風合いに変わって行ったのに気が付いた。
外は雨が降っており、ガラス越しに雨音が聞こえた。
30年前、2人がまだ処女の頃、真紺土第一高等学校のテニスコートのわきのひさしの下で振っていたのと同じ雨が降っていた。
最期の時を知った西園寺マリアは岡島ユキコを呼び寄せると言った。
「愛しているわ。ずっと愛している。あなたは私のことを愛しているの?」
岡島ユキコは言った。
「星が火であることを疑ってもいい。太陽が動くことを疑ってもいい。真実が嘘であると疑ってもいい。でも、わたしの愛を疑わないでくれ。」
それは高校生のころ、学園祭で行ったシェイクスピア劇中のセリフだった。
*シェイクスピア 「ハムレット二幕二場」
そして「怖がらないで。私も一緒にいくから」と言った。
西園寺マリアが死んだあと、岡島由紀子はまた一人に戻っていた。
簡単な葬儀を済ますと部屋の片づけを行った。荒れ果てたベランダの鉢植えを整理し、西園寺マリアと岡島ユキコの2台の拘束具、ガラス器具、この世に残してはいけないと思うものを岡島ユキコはすべて処分した。
岡島由紀子は西園寺マリアを失い、弟も自らの過ちで失っていた。
そして耐えがたいその人生の終焉を迎えようとしていた。
最近は僻みっぽく、また疑り深くなっていた。それでいて物覚えがひどく、2桁の足し算ができず、6の段以降の九九もできなくなっていた。
岡島由紀子は57歳になっていた。西園寺マリアが病気になったときに、その時がきたら、まだちょっと早いがかつて青春の日々をすごした真紺土第一高校の後に建てられた施設に入ろうと思った。そこで思い通りにならなかった人生の、恥ずかしく失敗の日々を慰めたいと思った。そして滅んでしまったわが一族の末裔として、もうすでにやることは何もなく、ただ人の迷惑にならないように静かに過ごしたいと思っていた。
しかし実際に西園寺マリアの死を迎えて岡島ユキコはもう1人での生活を耐えることが出来ないのに気が付いた。
部屋の整理が一とおり終わると、20年前、西園寺マリアに身を拾われなかったら飛び込んでいたはずの真紺土大橋に行こうと思った。あの時、西園寺マリアに拾われて中断した、その続きを行うために。
その時になって、ようやくアテネのことを思い出した。
私の宝石、私のすべて、私は唯一成果としてこの世界に残すことができた私の娘はどこにいるの?
岡島ユキコが振り向くとアテネはそこにいた。
これから死ぬつもりだったのに、思わず、
「学校はどうしたの?」と岡島ユキコは言った。
アテネは何も答えずただ笑っていた。衣服は何もつけずに裸だった。
外は雨が降っており、ガラス越しに雨音が聞こえた。
40年前、真紺土第一高等学校のテニスコートのわきのひさしの下で降っていたのと同じ雨が降っていた。
アテネの体を見た。美しいヴィーナスのような均等のとれた肢体がそこにあった。乳頭は桜色で、その下にへそがあり、さらにその下には不似合いなくらいもっさりとした陰毛があった。
岡島ユキコは思わず14針の手術の跡を探してしまった。自分のではなく、西園寺マリアのである。
外は雨が降っている。雨音の中、急な夕立に2人は雨宿りをしていたのだけど、アテネは急に「愛してる」と言い、岡島ユキコにキスをした。
何が起きているの?
岡島由紀子はとまどい、震えていた。でもアテネにはママが拒んでいないように思えた。アテネはさらに手を伸ばすとママの胸をまさぐり、さらにスカートの下に手を入れた。
天空で天使の羽音がした。
キスは胃酸を含んだ唾液の、苦い味がした。そして岡島ユキコは
「ただいま。またあなたに会えるのをずっと待っていたのよ」
という声を遠くに聞いた。
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