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絶海の孤島編
同一化の相手
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「坊ちゃん、良いニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞きたいですか?」
「お前の事だ。どうせどちらも同じ内容なんだろ」
「惜しい。まず悪いニュースですが――」
「おい! 僕はまだ選んでない「ラインハルト先生に縁談が。もう何度か顔合わせしたようです」」
ビエルサの呼吸が止まる。小さな顔から血の気が引いた。それでいて彼の心臓は早鐘を打ち、ドクドクと鼓動が響く。
硬直した幼い主人に、トリルはにっこりと微笑んだ。表情だけ見れば慈愛の笑みだが、やっている事は巣から落ちた小鳥を笑顔で眺めているのと同じだ。
(何度も会っているなら、話は前向きな方向で進んでいるのか……)
ラインハルトの年齢を考えれば何もおかしく無い。
ビエルサはこうして彼の事を調べているが、彼に関わるような行動はしていない。
(ショックを受けるのも、裏切られたように感じるのもお門違いだ)
頭では冷静に理解しているのに、ビエルサの心がついていかない。
「良いニュースは、新しい物が届きました。今回もラインハルト先生直筆のお手紙付きです」
「お前この状況で――」
「あと破談になったようです」
「は?」
「ラインハルト・フリートとルイーゼ・マクガーデンの縁談は白紙に戻りました」
トリルはビエルサの呆然とした表情に、してやったりと笑みを深めた。
(コイツ――!)
トリルは優秀な男だが、つくづく性格が捻じ曲がっている。
ノエルには大人しく仕えていたのに、ビエルサに対してはずっとこの態度だ。先代同様に敬えとは言わないが、新しい主人をおちょくり過ぎだ。
(いや、僕が主人に相応しいか試しているのか)
当主になったのだから「坊ちゃん」呼びは止めろとビエルサが命じても、うっかりを装って止めない。
トリルに限って、長年の癖が抜けないなんて事はない。
彼は命令に逆らい、敢えて呼び名を変えないのだ。
まだ彼はビエルサを主人だと認めていない。
ビエルサを半人前だと思っているから、保護者の庇護下にあった時と同じように呼ぶのだ。
「坊ちゃんは、これからも今までと変わらずラインハルト先生を調べ続けるんですか? それで満足できるんですか?」
「……」
「先生が誰かのものになるのを、この先も指を咥えてみているんですか?」
現地からの定期報告だけでは、トリルが撮ってくる写真だけでは、もう満足出来ない事はお互いに分かっている。
去年からビエルサは報告書に添えられる最低限の写真だけでは物足りなくなり、もっと色々な姿を見たいという欲求を抑えられなくなった。
身辺調査ならまだしも、大量の写真を外部に依頼したら足元を掬われかねない。
トリルの不在による負担は大きいが、彼に任せるしかなかった。
まだ子供だから、祖父の庇護下にある身では接触する理由を作ることは出来ないからと、ビエルサは行動するのを先送りにしていた。
(でももう子供じゃない)
ビエルサは家を継いで、先日精通も迎えた。今の彼ならラインハルトと接触する理由くらい簡単に作れる。
「……やるなら徹底的に行う」
「何か策がお有りなんですか?」
「これを読め」
小さな主人は、とある論文を使用人筆頭に突きつけた。
「……なるほど。吊り橋効果ですか、面白い考えですね」
ビエルサはラインハルトの影響で考古学――古代マーロン史が好きだが、彼本来の興味は心理学にある。
トリルが去った部屋で、ビエルサは大判の封筒から丁寧に中身を取り出した。
その主人の温もりを感じ取ろうとするように、インクの文字を指先でなぞる。
同封されていた大学案内のパンフレットはリニューアルしたようで、新しい彼の写真が載っていた。
ビエルサが彼を知ってまだ数年しか経っていないので当然なのだが、変わらない笑顔がそこにある。
ラインハルトの写っている部分だけを慎重に切り取り、大事にスクラップブックに収納した。
ノエルの書斎でこのパンフレットを見た時から、ビエルサの生活は鮮やかに色付いた。
祖父は好きだ。
1人癖の強い者も居るが使用人にも恵まれている。
両親を早くに亡くしたが、ビエルサは自分の置かれた環境が良いものだと自覚している。
でも足りないのだ。
刺激がない、楽しみがない、心躍らせる何かが欲しい。
印刷されたラインハルトの写真を見た時、ビエルサは彼がそうだと確信した。
(容姿だけで人を好きになるなんて愚かだ)
だからビエルサはラインハルトの事を徹底して調べた。
(僕はちゃんと先生が好きだ)
知り得た情報をもとに、ビエルサはラインハルトの好きなものに次々手を出した。古代マーロン史、大きな風呂、彼の母国の味……少しずつ彼に近づけたような気がして、最初の頃はそれだけで充分幸せだった。
ラインハルトの真似をするだけでは満たされなくなった頃、ノエルと一緒に出かけた市場でビエルサは視界に入ったゲルスの髪から目が離せなくなった。
身を清める手段が限られていたため出会った当時、彼の髪はラインハルトと同じシルバーアッシュだったのだ。
ビエルサは彼を手元に置きたくなり、すぐさまノエルに懇願した。珍しい孫の我儘をノエルは叶えてくれた。
親子を雇い入れた時はとても嬉しかったのに、すぐに物足りなくなった。
ラインハルトを彷彿とさせる物ではダメだ、ラインハルト本人でなければ意味がない。
(リハーサル無しの一発勝負になるが、ちゃんと台本を練れば問題ない。確実に先生を手に入れる為に、複数の策を講じよう――)
「お前の事だ。どうせどちらも同じ内容なんだろ」
「惜しい。まず悪いニュースですが――」
「おい! 僕はまだ選んでない「ラインハルト先生に縁談が。もう何度か顔合わせしたようです」」
ビエルサの呼吸が止まる。小さな顔から血の気が引いた。それでいて彼の心臓は早鐘を打ち、ドクドクと鼓動が響く。
硬直した幼い主人に、トリルはにっこりと微笑んだ。表情だけ見れば慈愛の笑みだが、やっている事は巣から落ちた小鳥を笑顔で眺めているのと同じだ。
(何度も会っているなら、話は前向きな方向で進んでいるのか……)
ラインハルトの年齢を考えれば何もおかしく無い。
ビエルサはこうして彼の事を調べているが、彼に関わるような行動はしていない。
(ショックを受けるのも、裏切られたように感じるのもお門違いだ)
頭では冷静に理解しているのに、ビエルサの心がついていかない。
「良いニュースは、新しい物が届きました。今回もラインハルト先生直筆のお手紙付きです」
「お前この状況で――」
「あと破談になったようです」
「は?」
「ラインハルト・フリートとルイーゼ・マクガーデンの縁談は白紙に戻りました」
トリルはビエルサの呆然とした表情に、してやったりと笑みを深めた。
(コイツ――!)
トリルは優秀な男だが、つくづく性格が捻じ曲がっている。
ノエルには大人しく仕えていたのに、ビエルサに対してはずっとこの態度だ。先代同様に敬えとは言わないが、新しい主人をおちょくり過ぎだ。
(いや、僕が主人に相応しいか試しているのか)
当主になったのだから「坊ちゃん」呼びは止めろとビエルサが命じても、うっかりを装って止めない。
トリルに限って、長年の癖が抜けないなんて事はない。
彼は命令に逆らい、敢えて呼び名を変えないのだ。
まだ彼はビエルサを主人だと認めていない。
ビエルサを半人前だと思っているから、保護者の庇護下にあった時と同じように呼ぶのだ。
「坊ちゃんは、これからも今までと変わらずラインハルト先生を調べ続けるんですか? それで満足できるんですか?」
「……」
「先生が誰かのものになるのを、この先も指を咥えてみているんですか?」
現地からの定期報告だけでは、トリルが撮ってくる写真だけでは、もう満足出来ない事はお互いに分かっている。
去年からビエルサは報告書に添えられる最低限の写真だけでは物足りなくなり、もっと色々な姿を見たいという欲求を抑えられなくなった。
身辺調査ならまだしも、大量の写真を外部に依頼したら足元を掬われかねない。
トリルの不在による負担は大きいが、彼に任せるしかなかった。
まだ子供だから、祖父の庇護下にある身では接触する理由を作ることは出来ないからと、ビエルサは行動するのを先送りにしていた。
(でももう子供じゃない)
ビエルサは家を継いで、先日精通も迎えた。今の彼ならラインハルトと接触する理由くらい簡単に作れる。
「……やるなら徹底的に行う」
「何か策がお有りなんですか?」
「これを読め」
小さな主人は、とある論文を使用人筆頭に突きつけた。
「……なるほど。吊り橋効果ですか、面白い考えですね」
ビエルサはラインハルトの影響で考古学――古代マーロン史が好きだが、彼本来の興味は心理学にある。
トリルが去った部屋で、ビエルサは大判の封筒から丁寧に中身を取り出した。
その主人の温もりを感じ取ろうとするように、インクの文字を指先でなぞる。
同封されていた大学案内のパンフレットはリニューアルしたようで、新しい彼の写真が載っていた。
ビエルサが彼を知ってまだ数年しか経っていないので当然なのだが、変わらない笑顔がそこにある。
ラインハルトの写っている部分だけを慎重に切り取り、大事にスクラップブックに収納した。
ノエルの書斎でこのパンフレットを見た時から、ビエルサの生活は鮮やかに色付いた。
祖父は好きだ。
1人癖の強い者も居るが使用人にも恵まれている。
両親を早くに亡くしたが、ビエルサは自分の置かれた環境が良いものだと自覚している。
でも足りないのだ。
刺激がない、楽しみがない、心躍らせる何かが欲しい。
印刷されたラインハルトの写真を見た時、ビエルサは彼がそうだと確信した。
(容姿だけで人を好きになるなんて愚かだ)
だからビエルサはラインハルトの事を徹底して調べた。
(僕はちゃんと先生が好きだ)
知り得た情報をもとに、ビエルサはラインハルトの好きなものに次々手を出した。古代マーロン史、大きな風呂、彼の母国の味……少しずつ彼に近づけたような気がして、最初の頃はそれだけで充分幸せだった。
ラインハルトの真似をするだけでは満たされなくなった頃、ノエルと一緒に出かけた市場でビエルサは視界に入ったゲルスの髪から目が離せなくなった。
身を清める手段が限られていたため出会った当時、彼の髪はラインハルトと同じシルバーアッシュだったのだ。
ビエルサは彼を手元に置きたくなり、すぐさまノエルに懇願した。珍しい孫の我儘をノエルは叶えてくれた。
親子を雇い入れた時はとても嬉しかったのに、すぐに物足りなくなった。
ラインハルトを彷彿とさせる物ではダメだ、ラインハルト本人でなければ意味がない。
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