『オークヘイヴンの収穫祭』

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第1章 ― 谷間の抱擁 ―

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古びたフォード・ブロンコは、エレノア・ミッチェルが曲がりくねる山道を進むたびに、不機嫌な唸り声を上げた。霧に包まれた大自然が次々と顔を見せる中、アパラチアの秋は、深紅と燃えるような金色に彩られた。しかし、その古代からの丘々には、ただ美しいだけではなく、何か別のものがあった。まるで、太古の知恵を秘めた目が、彼女の一挙手一投足を見守っているかのように…。

GPSの信号はすでに一時間前に途絶え、エレノアはミスカトニック大学時代の恩師、ハリソン博士から手渡された手描きの地図に頼らざるを得なかった。博士から送られてきた、オークヘイヴンの収穫祭に関する謎めいたメールは、彼女の興味を一気にかき立てたが、夕暮れが谷を包み込むにつれて、胸の奥に不安の影が忍び寄る。

「孤立した集落の民俗は、しばしばキリスト教以前の信仰の痕跡を残すものだ――」
エレノアは、研究提案の冒頭部分を無意識に口にした。その言葉は、山々の静寂に対して、どこか虚ろに響くだけだった。

舗装された道は次第に狭まり、やがて砂利道へと変わっていく。エレノアはオドメーターと博士のメモを照らし合わせながら進む。もし博士の指示が正しければ、次のカーブの先にオークヘイヴンが現れるはずだ。カーブを曲がると、谷はまるで何世紀も封じられた本の一ページが開かれるかのように、彼女の前に広がった。

オークヘイヴンは、山の懐にそっと佇んでいた。風化した建物群は、まるで大地そのものから生い茂ったかのように存在感を放ち、石造りの煙突からはのんびりと煙が渦巻いて上がっていた。町の中心には、白く塗られた教会が、暗くなり始めた空に向かってその尖塔を突き出していた。周囲の畑は、すでに収穫済みで、刈り取られた土と、晩秋の陽光を受けた散らばるカボチャが、まるで消えかけた炎のように輝いていた。

エレノアは車を路肩に寄せ、カメラを手に取った。目の前に広がる光景は、あまりにも完璧で、まるで異国の古い絵画のように感じられた。レンズを合わせると、フレームの隅に何かが動いた。彼女はカメラを下ろし、目を細める。畑の端、トウモロコシの刈り株の中に、一つの人影が佇んでいた。動かぬその姿に、エレノアは思わず手を挙げて挨拶を試みたが、相手は微動だにせず、夕闇にぼんやりと溶け込むような顔立ちで、ただそこにあった。

「まあ、こんなところでひとりごとを言っていても仕方ないわね。」
気持ちを奮い立たせるように、エレノアはブロンコのギアを入れ、町へ向かって下る丘を走り出した。後部座席のミラー越しに、あの人影は未だに彼女を見送るように、谷間に佇んでいた。

オークヘイヴンのメインストリートは、アスファルトではなく固い土で舗装され、時を超越したかのような古い建物が軒を連ねていた。手書きの看板が風に揺れ、「モートン雑貨店」「鍛冶屋・雑貨店」「オークヘイヴン郵便局」と刻まれていた。チェーン店やガソリンスタンドの痕跡はなく、ほんの数時間前にエレノアが離れた21世紀の影は、ここには全く見当たらなかった。

彼女は町唯一と思われる宿泊施設――「ハーベスト・イン」の前に車を停めた。ジンジャーブレッドの装飾が施された三階建てのビクトリア様式の建物は、深いポーチを持ち、その佇まいは古き良き時代を彷彿とさせた。車から降りたエレノアのブーツが、固く踏み固められた土の上に響く音は、夕方の静寂の中で異様に大きく感じられた。

宿の扉が、彼女が到着する前にすでに開かれ、ポーチに一人の女性が姿を現した。背が高く痩せたその女性は、銀色の髪を厳かに後ろで束ね、まるで別の時代から来たかのようなドレスを身にまとっていた。

「あなたがミッチェル博士でしょう?」
問いかけることなく、女性は淡々と言った。「私はマーサ・ブラックウッド。あなたが来ると聞いておりました。」
微笑みは見せるものの、その目はどこか冷たく、11月の雨のように灰色で厳しかった。

エレノアは肩に掛けたメッセンジャーバッグを軽く調整しながら、内部に入っている録音機材やノートの存在を意識した。「ええ、そうです。ハリソン博士がこの宿を薦めてくださったので。収穫祭の伝統を研究するために来ました――」

「とにかく、中に入りなさい。」
マーサは空を見上げ、夕闇が深まる様子を告げるかのように一言断った。「この谷では夜もあっという間。今の季節、空気は一層冷たく、刺すようです。」

宿内は完璧に整っていたが、オークヘイヴンのすべてと同様、どこか時が止まったかのような感覚を漂わせていた。油灯の柔らかな光が暗い木目のパネルに温かい影を落とし、隅の大時計は厳かに時を刻んでいた。空気には蜜蝋と乾燥ハーブの香りが漂い、同時に年月と秘密を物語るかのようなかすかなカビ臭さも混じっていた。

「あなたのお部屋は『ローズルーム』です。」
マーサはエレノアを狭い階段へと案内しながら告げた。「二階、突き当りです。朝食は厳格に7時です。オークヘイヴンでは伝統に則って生活しております。」

ローズルームは小さいながらも快適で、手作りのキルトが掛けられた四柱式のベッドが目を引いた。窓際には書き物机が設置され、町の広場を一望できる位置にあった。エレノアは窓越しに、夕方の用事を済ませる人々の動きを遠くから観察した。彼らは目的を持って動いていたが、その動作はまるで誰かが定めた踊りのステップのように、整然と、しかしどこか不自然な印象を与えた。

「夕食は1時間後に始まります。」
マーサは戸口から声をかけた。「ミッチェル博士、ここではよそ者には用心深くあっていただきたいものです。私たちのやり方について詮索されるのは好ましくありません。」

「承知しております。」
エレノアはバッグをベッドの上に置きながら答えた。「私はあくまで、現地の習慣を尊重し、ただ観察し記録するために来ただけです。」

マーサの表情はわずかに和らいだ。「そうしていただければ。それから、博士、夜になってからはなるべく外出なさらぬよう。谷の夜は…何か、欺く力があるのです。」

ドアが静かにカチリと閉まると、エレノアは宿の落ち着いた音に包まれながら、一人取り残された。彼女はデジタルレコーダー、ノート、カメラ、そしてノートパソコンなど、現代の道具を取り出した。ここでは、時間の流れがどこか異なっているかのようで、現代のテクノロジーすらも突如無力に感じられる瞬間だった。

窓越しに、彼女は太陽が西の尾根の向こうに沈むのをじっと見つめた。町の広場には、まるでこぼれたインクのように影が忍び寄り、一つずつ、しかし確実に窓から暖かい炎のような明かりが灯り始めた。暗闇が谷を包み込む中、先ほど畑で目にしたあの不思議な人影が、彼女の心に静かに焼き付いて離れなかった。

エレノアはノートを開き、こう記した。
「10月15日:オークヘイヴン到着。第一印象――この町は時を止めたかのように伝統を守り続け、その表面には何世紀にも渡る秘儀の痕跡が感じられる。孤立感はあまりにも鮮明であり、この牧歌的な村の裏側には…」

ペンが紙の上を滑るが、エレノアはふと立ち止まる。表面的な美しさの下に、一体何が潜んでいるのだろうか。答えは、この谷の奥深く、彼女が調査に来た伝統の中、そして数日後に始まる祭の中に隠されているに違いない。

下の階で大時計が6時を告げ、その鐘の音が古びた館内に警告のように響いた。エレノアはノートを閉じ、身支度を整えた。夕食が待っており、これこそがオークヘイヴンの人々をじっくり観察する最初の機会だった。扉の取っ手に手を伸ばすと、どこからか町の広場から、歌か詠唱かと思われる音がかすかに漂ってきた。言葉は判別できぬほど遠く、しかしその響きはどこか不吉であった。

一瞬、エレノアはドアを握ったまま立ち止まり、かすかに耳を澄ませた。奇妙な声、そしてその声を発する人々――その全てから一時、身を守るために部屋にとどまろうかと考えた。しかし、彼女はここまで来たのは逃げるためではなかった。彼女は人類学者として、観察と記録をもってこの謎に挑むために来たのだ。オークヘイヴンが抱える秘密、どんな隠された真実があろうとも、彼女は必ずや解き明かす覚悟であった。

扉がギシリと軋みながら開かれ、館内のどこかで何かが軋む音が応えた――それは、過去からの囁きか、あるいは今まさに起ころうとしている恐怖の前触れのように…。
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