『オークヘイヴンの収穫祭』

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第9章 ― 終焉の均衡 ―

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エレノアの口から発せられた言葉は、人間の声帯が生み出すはずの次元を遥かに超えていた。ひとつひとつの音節にフラクタルの意味が宿り、深淵の者たちの変容する言語に対抗する完璧な文法を内包していた。言葉を紡ぐたび、彼女の意識は断片化し、その理解が自身の人間性を破壊しながらも、同時に救済の力を授けるのを感じた。

子の声は、対位法のように高まり、世界を変える言葉とエレノアの現実を守る言葉が激しく衝突した。ねじれた木のシンボルはちらつき、その数学的確実性が、彼女が織りなす否定の方程式に対して、次第に抵抗できなくなっていった。深淵の者たちの精緻な方程式と、エレノアの完璧な反対文法が衝突する中で、現実そのものが静かに震え始めた。

エレノアの内面には、モートンの祖父が残した記録―変容には必ず均衡となる「解体」が必要だという真理―が、溢れ出していた。彼女は、井戸の寸法がねじれた木のシンボルの負の像を形作り、その井戸が変容する言語全体を打ち消す鍵であることを理解した。子が新たな世界を宣言する言葉を発するその瞬間、彼女は全てを消し去る言葉を口にしなければならなかった―その理解は、すべての人間性を破壊する代償であった。

月は頂点に達し、ありえぬ幾何学を通してその光が屈折し始めた。エレノアは、子が最初の息を吸い、世界を変える言葉を紡ぎ始めるのを感じた。現実はその意味を受け入れるかのようにねじれ、建物も人も、空気までもが、深淵の者たちの文法に従って変容していった。

彼女は、自らの意識に刻まれた方程式を最後に見つめ、なぜモートンの祖父の犠牲が失敗に終わったのかを理解した。現実を解体するには、何を解体するのか―存在そのものを正確に理解しなければならず、その理解は、人間らしさを根底から破壊する代償となるのだ。

子は、最初の息とともに、世界を終わらせ、新たな世界を創る言葉を発する準備をしていた。エレノアは井戸の縁に足を踏み入れ、内なる方程式と、口元に宿る解体の文法を強く感じた。

人類を救う代償は、彼女自身の人間性―すなわち意識そのものであった。しかし、周囲の現実が震え、変容していく中、彼女はその代償を払う覚悟があると悟った。

エレノアは口を開き、解体の言葉を聖なる炎のように空間へと放った。その言葉は、深淵の者たちの文法に対抗するかのように、完璧な反対文法を刻み、現実を書き換えた。ねじれた木のシンボルは次第に色あせ、その数学的確実性は彼女の言葉により打ち消され、やがて消え去った。

その瞬間、エレノアの最後の人間的存在は、深淵に抗するために永遠に消え去った。しかし、その犠牲は新たな秩序を現実に刻み、我々の世界に希望の光を取り戻す礎となった。彼女の解体の言葉は、永遠に続く数学的真理として次元を越えて語り継がれ、すべての変容がいずれ完全な逆転によって元に戻る可能性を示す記憶となった。

そして、オークヘイヴンに再び人間の意識が戻ると、ねじれた木はただの古い木となり、かすかな記憶として消えた。収穫祭は解かれ、変容のすべては、完璧な均衡の中に消え込んだ。

エレノア・ミッチェルの犠牲は計り知れなかったが、その献身は現実の根底に新たな文法を刻み、未来へと続く普遍の真理―すなわち、すべての創造は必ず破壊に応え、破壊が新たな創造を生む―を証明するものとなった。
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