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いちおう、新婚
仔犬はかすがい?
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「あら、いらっしゃいませ旦那様。また『タロ』に会いにいらしたの?」
仕事を終えてサンフォース伯爵邸を訪れたクロードに、アリスは微笑みかけた。
その彼女の腕の中には、毛足が短い、茶色い仔犬が抱かれている。
先日馬車に轢かれそうになった、あの仔犬である。
仔犬は『タロイモ』と書かれた木箱に入れて捨てられていたようで、アリスはそこからとって『タロ』と名付けた。
なんとも微妙なネーミングセンスだが、それは言わないでおこうとクロードは思っている。
「おいで、タロ」
クロードが手を差し出すと、タロは尻尾が千切れんばかりに振っている。
「あらタロ、浮気者ね」
アリスは少し面白くなさそうに笑いながらも、クロードの腕にタロを預けた。
温かくて柔らかな存在にクロードは頬ずりし、タロも嬉しそうにクロードの顔を舐め回した。
あんなに汚い仔犬だったタロは、伯爵家で大事にされ、なんとも小綺麗で可愛らしい姿になった。
目を細めてタロを見つめるアリスを見れば、彼がどんなに可愛がられているかわかるというものだ。
タロと戯れ合いながら、クロードはアリスを伺った。
(そう、この人は優しいのだ)
年若い女伯爵として君臨しているアリスは、方々から『強い女性』のレッテルを貼られている。
実際家業にも領地経営にもリーダーシップを発揮しているし、そのやり方もかなり強気だとは聞く。
だが、使用人への態度が横暴なところなど見たことがないし、何より使用人たちが彼女を見る目を見れば、彼らがどれほど主人に心酔しているかわかる。
こうして捨て犬を愛おしむ優しさもあるし、それに、クロードの将来を慮ってくれたのも、結局は彼女の優しさだ。
あれからクロードは、『タロ』に会うことを理由に度々サンフォース邸を訪れるようになった。
五ヶ月も寄り付かなかったくせに今さら何をという感じもするが、意外にもアリスも使用人たちもとても普通に受け入れてくれている。
もちろん最初は敷居が高かったが、一度訪ねてしまえば、あとはすんなりと通えるようになったのだ。
何気なくではあるが、最初の訪問の時にアリスが「またタロに会いに来てくださいね」と言ってくれたことが大きいと思う。
意を決して訪問したのは、もちろんタロの様子が気になったこともあるが、それより、純粋にアリスのことをもっと知りたいと思ったからだ。
今さら拗れてしまった夫婦仲を修復出来るとは思えないし、離縁を回避したいとかいうわけでもない。
だがせめて、お互い敬遠したままで別れることは嫌だと思ったのだ。
初めの頃は本当にタロの様子を見るだけだったりしたが、何度か通ううち、一緒に遊んだり、アリスとお茶を共にするようになった。
相変わらず言葉数は少ないが、タロと戯れながらタロの話をする二人の時間は、思いの外和やかに流れている。
「この子、本当に賢いんですよ。どんなに好物が目の前にあっても『待て』が出来るし、私が言った物をちゃんと取って来たりするの」
タロの頭を撫でながら、アリスが自慢げに話す。
「ちゃんと躾ければ出来ることですよ。貴女の教え方がいいのでしょう。まぁ、タロが賢いことには同意しますが」
「そうでしょう?」
「タロは、貴女に拾われて本当に幸せでしたね」
「私も。タロに出会えて幸せですわ。どんなに嫌なことがあっても、タロを抱きしめてるだけで癒されるもの」
「…嫌なことがあるのですか?」
「ああ、仕事の話ですわ。働いていれば、色々ありますでしょう?」
アリスが言葉を濁したので、クロードはそれ以上聞かなかった。
仕事の話をしたって、どうせクロードにはわからない。
「いい子ね、タロ」
タロを抱きしめるアリスの瞳には慈愛が溢れている。
(多分この人は、自分の子どもにも溢れんばかりの愛情を注ぐんだろうな)
タロを可愛がるアリスを見ながら、ふいにクロードはそんなことを思った。
彼女は子ども好きなのか、使用人の子どもたちに話しかける様子も優しい。
後継が欲しいとは言っていたが、単に後継というのではなく、本当に自分の子どもが欲しかったのだろうと今ならわかる。
おそらくあのまま自分たちが普通の夫婦になっていたら、いずれ子宝にも恵まれ、愛情深い母親になっていたことだろう。
(何を、今さら…)
キリリと胸に走る鈍い痛みに、クロードは気づかないふりをした。
自分自身が潰してしまった未来の形を思い描いてみたって、虚しいだけである。
「今日は夕食を食べて行かれませんか?」
そろそろ退出しようと思っていたクロードに、アリスが声をかけた。
「…いいのですか?」
うかがうようにたずねたクロードに、アリスは小さく微笑んだ。
「いいも何も、貴方はここの旦那様ではありませんか」
「では、お言葉に甘えて」
クロードは五ヶ月ぶりに、アリスと晩餐を共にした。
クロードは騎士姿のまま、アリスも普段着のままで、足元では仔犬が歩き回るという気軽な晩餐になった。
急だったため、品数も少なめだと料理長は恥ずかしそうに言い訳したが、しかしクロードは、五ヶ月前にここでした豪華な晩餐よりも、ずっと美味しく感じた。
(次に晩餐に誘われたら、その時はここに泊まって行こう)
クロードは自然にそう思った。
初夜の翌日から宿舎住まいで、あれからクロードは一度もサンフォース邸に泊まっていない。
もちろん、泊まったからといって鍵のかかった夫婦の寝室のドアを開けようとは思わないが。
二年後、アリスの隣にクロードの姿は無いだろう。
次はせめて、自分のような朴念仁ではなくて彼女を幸せにしてくれるような人間であればいいと思う。
クロードとの未来は潰えてしまっても、やがて彼女は再婚し、自分の望む家族の形を夢見るのだろうから。
仕事を終えてサンフォース伯爵邸を訪れたクロードに、アリスは微笑みかけた。
その彼女の腕の中には、毛足が短い、茶色い仔犬が抱かれている。
先日馬車に轢かれそうになった、あの仔犬である。
仔犬は『タロイモ』と書かれた木箱に入れて捨てられていたようで、アリスはそこからとって『タロ』と名付けた。
なんとも微妙なネーミングセンスだが、それは言わないでおこうとクロードは思っている。
「おいで、タロ」
クロードが手を差し出すと、タロは尻尾が千切れんばかりに振っている。
「あらタロ、浮気者ね」
アリスは少し面白くなさそうに笑いながらも、クロードの腕にタロを預けた。
温かくて柔らかな存在にクロードは頬ずりし、タロも嬉しそうにクロードの顔を舐め回した。
あんなに汚い仔犬だったタロは、伯爵家で大事にされ、なんとも小綺麗で可愛らしい姿になった。
目を細めてタロを見つめるアリスを見れば、彼がどんなに可愛がられているかわかるというものだ。
タロと戯れ合いながら、クロードはアリスを伺った。
(そう、この人は優しいのだ)
年若い女伯爵として君臨しているアリスは、方々から『強い女性』のレッテルを貼られている。
実際家業にも領地経営にもリーダーシップを発揮しているし、そのやり方もかなり強気だとは聞く。
だが、使用人への態度が横暴なところなど見たことがないし、何より使用人たちが彼女を見る目を見れば、彼らがどれほど主人に心酔しているかわかる。
こうして捨て犬を愛おしむ優しさもあるし、それに、クロードの将来を慮ってくれたのも、結局は彼女の優しさだ。
あれからクロードは、『タロ』に会うことを理由に度々サンフォース邸を訪れるようになった。
五ヶ月も寄り付かなかったくせに今さら何をという感じもするが、意外にもアリスも使用人たちもとても普通に受け入れてくれている。
もちろん最初は敷居が高かったが、一度訪ねてしまえば、あとはすんなりと通えるようになったのだ。
何気なくではあるが、最初の訪問の時にアリスが「またタロに会いに来てくださいね」と言ってくれたことが大きいと思う。
意を決して訪問したのは、もちろんタロの様子が気になったこともあるが、それより、純粋にアリスのことをもっと知りたいと思ったからだ。
今さら拗れてしまった夫婦仲を修復出来るとは思えないし、離縁を回避したいとかいうわけでもない。
だがせめて、お互い敬遠したままで別れることは嫌だと思ったのだ。
初めの頃は本当にタロの様子を見るだけだったりしたが、何度か通ううち、一緒に遊んだり、アリスとお茶を共にするようになった。
相変わらず言葉数は少ないが、タロと戯れながらタロの話をする二人の時間は、思いの外和やかに流れている。
「この子、本当に賢いんですよ。どんなに好物が目の前にあっても『待て』が出来るし、私が言った物をちゃんと取って来たりするの」
タロの頭を撫でながら、アリスが自慢げに話す。
「ちゃんと躾ければ出来ることですよ。貴女の教え方がいいのでしょう。まぁ、タロが賢いことには同意しますが」
「そうでしょう?」
「タロは、貴女に拾われて本当に幸せでしたね」
「私も。タロに出会えて幸せですわ。どんなに嫌なことがあっても、タロを抱きしめてるだけで癒されるもの」
「…嫌なことがあるのですか?」
「ああ、仕事の話ですわ。働いていれば、色々ありますでしょう?」
アリスが言葉を濁したので、クロードはそれ以上聞かなかった。
仕事の話をしたって、どうせクロードにはわからない。
「いい子ね、タロ」
タロを抱きしめるアリスの瞳には慈愛が溢れている。
(多分この人は、自分の子どもにも溢れんばかりの愛情を注ぐんだろうな)
タロを可愛がるアリスを見ながら、ふいにクロードはそんなことを思った。
彼女は子ども好きなのか、使用人の子どもたちに話しかける様子も優しい。
後継が欲しいとは言っていたが、単に後継というのではなく、本当に自分の子どもが欲しかったのだろうと今ならわかる。
おそらくあのまま自分たちが普通の夫婦になっていたら、いずれ子宝にも恵まれ、愛情深い母親になっていたことだろう。
(何を、今さら…)
キリリと胸に走る鈍い痛みに、クロードは気づかないふりをした。
自分自身が潰してしまった未来の形を思い描いてみたって、虚しいだけである。
「今日は夕食を食べて行かれませんか?」
そろそろ退出しようと思っていたクロードに、アリスが声をかけた。
「…いいのですか?」
うかがうようにたずねたクロードに、アリスは小さく微笑んだ。
「いいも何も、貴方はここの旦那様ではありませんか」
「では、お言葉に甘えて」
クロードは五ヶ月ぶりに、アリスと晩餐を共にした。
クロードは騎士姿のまま、アリスも普段着のままで、足元では仔犬が歩き回るという気軽な晩餐になった。
急だったため、品数も少なめだと料理長は恥ずかしそうに言い訳したが、しかしクロードは、五ヶ月前にここでした豪華な晩餐よりも、ずっと美味しく感じた。
(次に晩餐に誘われたら、その時はここに泊まって行こう)
クロードは自然にそう思った。
初夜の翌日から宿舎住まいで、あれからクロードは一度もサンフォース邸に泊まっていない。
もちろん、泊まったからといって鍵のかかった夫婦の寝室のドアを開けようとは思わないが。
二年後、アリスの隣にクロードの姿は無いだろう。
次はせめて、自分のような朴念仁ではなくて彼女を幸せにしてくれるような人間であればいいと思う。
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