42 / 48
近づく、離れる
逃げるわよ!
しおりを挟む
アリスが振り上げている花瓶を見て、ナルシスは不思議そうに首を傾げた。
婚約中から思ってはいたことだが、ナルシスはやっぱりとんでもないお馬鹿さんのようだ。
今この状況を見て、何故アリスがナルシスに会いたがっていたなどと思えるのだろう。
色々突っ込みたいし怒りたいが、アリスには今こうしている時間も惜しい。
万が一ここでこのまま二人で朝を迎えるようなことになったら、きっと考えるのも恐ろしい未来が待っている。
「動かないでね、ナルシス。少しでも動いたら、これを貴方の顔に投げつけるわよ」
「何冗談言ってるの?怖いよ、アリス」
ナルシスにとって、自慢の顔を傷つけられるのは何より怖い。
しかしアリスはにこりともせず冷たくナルシスを見下ろしたまま。
「冗談じゃないわ。私は本気よ、ナルシス」
「そうか…。やっぱり君が僕に会いたいなんて、嘘だったんだね」
ナルシスはちょっとだけ寂しそうに笑った。
「ナルシス…」
「花瓶おろしてよアリス。僕君を襲ったり、絶対しないから」
「嘘よ。信じられないわ」
義妹になったはずの女性に執着して手紙や贈り物を送り続けていた非常識な男を、到底信じることなど出来ない。
しかも彼は無類の女好きだ。
部屋に女性と二人きりのシチュエーションで、襲わないわけがないとアリスは思っている。
しかしナルシスは小さく笑うと首を横に振った。
「僕はたしかに女の子大好きだけど、相手の同意なしにそんなことしないよ。僕はアリスが大好きだし、本当は君と気持ちいいことしたいとも思ってる。でも、嫌がる君を押し倒してまでしたいとは思わない。それは、僕の美学に反するんだ」
「美学…」
ミツバチのナルシスに美学があったとは驚きだ。
だがたしかに、婚約中アリスに触れたがってはいたが、無理矢理関係を迫るようなことはしなかった…と思う。
まぁ、だいぶ際どくはあったが…。
「…本当に?信じていいの?」
「信じてよアリス。本当にそういうことは、互いの同意がなければしないよ」
「そう…。貴方、思ってたよりは常識人だったのかしら」
「そういうアリスは思ってたよりかなり失礼な人だよね。それに、全然淑女っぽくないし」
色々問いただしたいところであるが、彼なりの美学があったとは天の助けである。
「わかったわナルシス。私、貴方を信じる」
アリスはそう言うとやっと花瓶を下ろした。
そしてつかつかと彼の方へ歩み寄ると、布団を捲り上げ、シーツを引き裂いた。
「うわ、何するの?アリス!」
「当然、この窓から逃げるのよ」
「何言ってるの、ここは三階じゃないか!」
「ええ。そうみたいね。さっき確認したわ」
アリスは窓を開けた一瞬でここが三階の高さであると確認した。
だからシーツを引き裂き、結びつけ、それを伝ってここから逃げようと言うのだ。
「えー、じゃあ窓から叫んで助けを呼べばいいじゃないか」
「馬鹿ね。そんなの自ら醜聞を撒き散らすようなものでしょ」
「でも危ないよー、アリス。僕本当に何もしないからさ、助けが来るまで待っていようよ。きっとそのうち誰かが気づいてくれるよ」
「冗談じゃないわ。待っていられないわよ、そんなの」
誰かが気づいたら、それは醜聞の始まりの時だ。
アリスはおとなしくそれを待っている気はない。
「私は逃げるわよ。貴方はどうする?ナルシス」
「えー、僕は嫌だよ。顔に傷でもついたらどうするのさ」
「そう。じゃあ私一人で逃げるわね」
別にナルシスが一人でここに残るのは問題ないだろう。
コラール家にとっては問題かもしれないが、それはアリスが心配することじゃない。
「…ねぇそれ、本当に危ないんじゃない?途中で破れたら落ちちゃうよ?」
引きちぎったシーツを縄のように撚り合わせているアリスに、ナルシスは心配そうに声をかけた。
「頑丈に撚っているから大丈夫だと思うけど…、まぁ、その時は仕方がないわ。落ちたら落ちた時よ」
「アリス…、君、思ってたよりずっと男前なんだね…。僕なんだかゾクゾクするよ…」
アリスはナルシスの声など聞こえないかのようにシーツを撚り続けている。
「…そうか、なるほどね。僕たちは醜聞を作るために二人きりで閉じ込められたんだよ」
せかせかとシーツを結ぶアリスに、ナルシスがまた声をかける。
「わかったのなら邪魔しないで」
やっと気づいたのか…と、アリスは一瞬だけナルシスに冷たい視線を向けた。
「あー、なんかいいね、アリスのその目」
「……は?」
「うわ、そんな目で見ないでー。本当にゾクゾクしちゃうから」
ナルシスの性癖など知ったことではないアリスは、黙って傍らにあった花瓶を頭の上に持ち上げようとする。
それを見たナルシスは、慌てて「嘘嘘」と手を横に振ったのだった。
シーツを結び終えると、アリスはその端を固く自分の体と窓枠に括り付けた。
そしてそのさらに端をナルシスが体に巻きつける。
「絶対離さないから。アリス、気をつけてね」
「頼むわね、ナルシス」
ナルシスは自分は残り、アリスを逃す手伝いを申し出た。
女性を窮地に陥れるのはいちおう彼の美学に反するらしい。
「アリス…、君はクロードが好きなんだね。だから僕と醜聞が立ったら困るんだろう?」
窓枠に手をかけて跨ごうとするアリスに、ナルシスが声をかけた。
アリスは振り向くと、満面の笑みを見せる。
「ええ、好きよ。世界中の人に誤解されても、クロードには誤解されたくないの」
婚約中から思ってはいたことだが、ナルシスはやっぱりとんでもないお馬鹿さんのようだ。
今この状況を見て、何故アリスがナルシスに会いたがっていたなどと思えるのだろう。
色々突っ込みたいし怒りたいが、アリスには今こうしている時間も惜しい。
万が一ここでこのまま二人で朝を迎えるようなことになったら、きっと考えるのも恐ろしい未来が待っている。
「動かないでね、ナルシス。少しでも動いたら、これを貴方の顔に投げつけるわよ」
「何冗談言ってるの?怖いよ、アリス」
ナルシスにとって、自慢の顔を傷つけられるのは何より怖い。
しかしアリスはにこりともせず冷たくナルシスを見下ろしたまま。
「冗談じゃないわ。私は本気よ、ナルシス」
「そうか…。やっぱり君が僕に会いたいなんて、嘘だったんだね」
ナルシスはちょっとだけ寂しそうに笑った。
「ナルシス…」
「花瓶おろしてよアリス。僕君を襲ったり、絶対しないから」
「嘘よ。信じられないわ」
義妹になったはずの女性に執着して手紙や贈り物を送り続けていた非常識な男を、到底信じることなど出来ない。
しかも彼は無類の女好きだ。
部屋に女性と二人きりのシチュエーションで、襲わないわけがないとアリスは思っている。
しかしナルシスは小さく笑うと首を横に振った。
「僕はたしかに女の子大好きだけど、相手の同意なしにそんなことしないよ。僕はアリスが大好きだし、本当は君と気持ちいいことしたいとも思ってる。でも、嫌がる君を押し倒してまでしたいとは思わない。それは、僕の美学に反するんだ」
「美学…」
ミツバチのナルシスに美学があったとは驚きだ。
だがたしかに、婚約中アリスに触れたがってはいたが、無理矢理関係を迫るようなことはしなかった…と思う。
まぁ、だいぶ際どくはあったが…。
「…本当に?信じていいの?」
「信じてよアリス。本当にそういうことは、互いの同意がなければしないよ」
「そう…。貴方、思ってたよりは常識人だったのかしら」
「そういうアリスは思ってたよりかなり失礼な人だよね。それに、全然淑女っぽくないし」
色々問いただしたいところであるが、彼なりの美学があったとは天の助けである。
「わかったわナルシス。私、貴方を信じる」
アリスはそう言うとやっと花瓶を下ろした。
そしてつかつかと彼の方へ歩み寄ると、布団を捲り上げ、シーツを引き裂いた。
「うわ、何するの?アリス!」
「当然、この窓から逃げるのよ」
「何言ってるの、ここは三階じゃないか!」
「ええ。そうみたいね。さっき確認したわ」
アリスは窓を開けた一瞬でここが三階の高さであると確認した。
だからシーツを引き裂き、結びつけ、それを伝ってここから逃げようと言うのだ。
「えー、じゃあ窓から叫んで助けを呼べばいいじゃないか」
「馬鹿ね。そんなの自ら醜聞を撒き散らすようなものでしょ」
「でも危ないよー、アリス。僕本当に何もしないからさ、助けが来るまで待っていようよ。きっとそのうち誰かが気づいてくれるよ」
「冗談じゃないわ。待っていられないわよ、そんなの」
誰かが気づいたら、それは醜聞の始まりの時だ。
アリスはおとなしくそれを待っている気はない。
「私は逃げるわよ。貴方はどうする?ナルシス」
「えー、僕は嫌だよ。顔に傷でもついたらどうするのさ」
「そう。じゃあ私一人で逃げるわね」
別にナルシスが一人でここに残るのは問題ないだろう。
コラール家にとっては問題かもしれないが、それはアリスが心配することじゃない。
「…ねぇそれ、本当に危ないんじゃない?途中で破れたら落ちちゃうよ?」
引きちぎったシーツを縄のように撚り合わせているアリスに、ナルシスは心配そうに声をかけた。
「頑丈に撚っているから大丈夫だと思うけど…、まぁ、その時は仕方がないわ。落ちたら落ちた時よ」
「アリス…、君、思ってたよりずっと男前なんだね…。僕なんだかゾクゾクするよ…」
アリスはナルシスの声など聞こえないかのようにシーツを撚り続けている。
「…そうか、なるほどね。僕たちは醜聞を作るために二人きりで閉じ込められたんだよ」
せかせかとシーツを結ぶアリスに、ナルシスがまた声をかける。
「わかったのなら邪魔しないで」
やっと気づいたのか…と、アリスは一瞬だけナルシスに冷たい視線を向けた。
「あー、なんかいいね、アリスのその目」
「……は?」
「うわ、そんな目で見ないでー。本当にゾクゾクしちゃうから」
ナルシスの性癖など知ったことではないアリスは、黙って傍らにあった花瓶を頭の上に持ち上げようとする。
それを見たナルシスは、慌てて「嘘嘘」と手を横に振ったのだった。
シーツを結び終えると、アリスはその端を固く自分の体と窓枠に括り付けた。
そしてそのさらに端をナルシスが体に巻きつける。
「絶対離さないから。アリス、気をつけてね」
「頼むわね、ナルシス」
ナルシスは自分は残り、アリスを逃す手伝いを申し出た。
女性を窮地に陥れるのはいちおう彼の美学に反するらしい。
「アリス…、君はクロードが好きなんだね。だから僕と醜聞が立ったら困るんだろう?」
窓枠に手をかけて跨ごうとするアリスに、ナルシスが声をかけた。
アリスは振り向くと、満面の笑みを見せる。
「ええ、好きよ。世界中の人に誤解されても、クロードには誤解されたくないの」
131
あなたにおすすめの小説
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
真実の愛がどうなろうと関係ありません。
希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令息サディアスはメイドのリディと恋に落ちた。
婚約者であった伯爵令嬢フェルネは無残にも婚約を解消されてしまう。
「僕はリディと真実の愛を貫く。誰にも邪魔はさせない!」
サディアスの両親エヴァンズ伯爵夫妻は激怒し、息子を勘当、追放する。
それもそのはずで、フェルネは王家の血を引く名門貴族パートランド伯爵家の一人娘だった。
サディアスからの一方的な婚約解消は決して許されない裏切りだったのだ。
一ヶ月後、愛を信じないフェルネに新たな求婚者が現れる。
若きバラクロフ侯爵レジナルド。
「あら、あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」
フェルネの曾祖母シャーリンとレジナルドの祖父アルフォンス卿には悲恋の歴史がある。
「子孫の我々が結婚しようと関係ない。聡明な妻が欲しいだけだ」
互いに塩対応だったはずが、気づくとクーデレ夫婦になっていたフェルネとレジナルド。
その頃、真実の愛を貫いたはずのサディアスは……
(予定より長くなってしまった為、完結に伴い短編→長編に変更しました)
【完結】探さないでください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。
貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。
あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。
冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。
複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。
無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。
風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。
だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。
今、私は幸せを感じている。
貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。
だから、、、
もう、、、
私を、、、
探さないでください。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
あなたに嘘を一つ、つきました
小蝶
恋愛
ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…
最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる