4 / 194
第一部
第4話 困りごと
しおりを挟む
十三歳になった頃。
北東の国境付近の領土を巡り、小競り合いが絶えなかった隣国、ハイドランジアとの本格的な戦争が起こり、武官だった父も出征することになった。
屋根裏の窓から、騎士を引き連れ、戦地に赴く父を見送った。
無事を祈る日々が、しばらく続いた。
本当の父でなかったとしても、どれほど厭われても、わたしは父を愛していた。
ずっとずっと、空想していた。
いつか、わたしは父の役に立つ。
その為なら、命を掛けても、怪我をしたって、構わない。
父は、わたしを許して言う。
―― リリアーナ、ありがとう。今日から、お前もわたしの娘だ。
往々にして、そんな都合の良い願いは、叶わない。
出征から間もなくして、父は、帰らぬ人となった。
§
父には娘が二人だけ。
当然ながら、女子は爵位を継ぐことができない。
父には弟がいたらしいが、その叔父も、若くして亡くなったらしい。
結果として、今まで会ったこともない、叔父の一人息子だという、二十一歳の従兄が、爵位を継ぐことになった。
ロンサール伯爵の称号を継いだあと、従兄のランブラー・ロンサールは初めて屋敷を訪れ、わたしたちに面会した。
「やあ、ブランシュ、リリアーナ。
僕が伯爵になったからって、この屋敷を改革しようとか、そんなつもりは全くないから、安心して。王宮での仕事が忙しいから、こっちにはほとんど来ないと思う。君たちは、今まで通り、好きに暮らしてくれたらいいからね。何か用があったら、執事を通して連絡してくれ。じゃ」
初めて会った従兄もまた、ロンサール家の一員に相応しく、美しい金髪碧眼を持っていた。
物腰柔らかい印象の見目麗しい八つ上の従兄はそれだけ言うと、
「ご配慮、痛み入ります」
とお辞儀をする姉妹に向かって、非の打ちどころのない優美な作り笑いを浮かべて見せた後、何かに急き立てられるように背を向け、屋敷を去った。
そうして、わたしは今まで通り、ひとりぼっちで暮らし続けることになった。
§
戦争が勝利のうちに終わったのは、それから二年が経ち、わたしが十五歳の時だ。
十七歳になった姉のブランシュの美貌は、この世の者とは思えないほどだった。
太陽の光を受けて輝く滝のように緩やかに波打つ黄金の髪、月が優しく照らす湖のように澄んだ碧い瞳、白磁のように白く透き通った肌。
(美の女神というものがいるとしたら、きっとブランシュとそっくりに違いないわ)
この目に、狂いはなかった。
程なくして、屋敷には求婚者らが列をなし始めた。
新聞には毎日、ブランシュの記事が飾られた。
社交界の大物である誰々を袖にした、とか。どこどこで誰々と食事をした、とか。どこの服飾店でドレスを仕立てているか、とか。どこどこのやんごとなき令嬢と親友である、とか。どこの菓子店がお気に入りか、などなど。
光が溢れる世界に住み、華やかな生活を送るブランシュは、わたしの誇りだった。
時を同じくして、ほんの少し、困ったことが起こり始めた。
できる限り隠れ暮らし、人に会わない生活を心掛けているにも関わらず、わたしもまた、連日のように新聞を賑わせ始めたのである。
伯爵邸で働くメイドの誰かが情報源なのだろうか。
関係者の証言、として
『社交界の女神・ブランシュ姫の実妹リリアーナは恐ろしい容姿を持つ、嫉妬深い魔女!』
『ブランシュ・ロンサールの実妹は稀代の毒婦! 醜い容姿を苦にして屋根裏に引き籠る!』
『魔女リリアーナ、妖力で気に入らない人間を呪殺⁉ その部屋は、毒と血でまみれ、ところどころに骨らしきものも――』
内容は少しずつ違ったが、概ね似たようなもので、他にも、見目美しい処女を攫ってきて○○している……とか、可愛らしい小動物の○○を○○して収集している……といった、ぎょっとするような内容の記事もあったが、口にするのも恐ろしいので、この場では伏字を用いて、割愛しておく。
こうしてわたしも、ブランシュに負けず劣らず、話題に事欠かなかった。
問題は、『醜い容姿』と『屋根裏に引き籠る』という部分以外、全く身に覚えがない、という点だ。
ご期待に沿えず、大変申し訳なく思うが、わたしには、もちろん魔力などない。魔力どころか、幼い頃から引き籠り続けているせいで、人並みの能力すら、持ち合わせていない。
社交に必要な話術も知らなければ、ダンスも踊れない、運動もできないし、馬にも乗れない、色々教えてもらえたのは十歳までだったから、知識だって、人よりずっと少ないだろう。
魔力もなければ、何の力もないのに魔女と呼ばれて、完璧なブランシュの唯一の汚点となっている。
もし、わたしが本当に魔女であったなら。
そうしたら、ブランシュに迷惑をかけずに生きることができるのに。
その頃のわたしはもう、ブランシュという光に群がる蛾の一匹に過ぎなかった。
迷惑をかけている、ここを離れなければ、と思うのに、その方法すら、見出せない。
愛するブランシュにだけは、自分の醜いこの闇色の髪と瞳の呪われた秘密を知られたくなかった。わたしが父の子でなく、母の命を奪ったと知ったら、ブランシュも父と同じように、わたしのことを憎むだろう。
それだけは、嫌だった。
朝起きて、孤独に耐えながら長い一日を生き、ようやく迎えた夜にほっとして眠りにつく。そしてまた、朝が始まる。
屋根裏でひとり、変わり映えしない生活を送りながら、いつしか、わたしは、十七歳になっていた。
北東の国境付近の領土を巡り、小競り合いが絶えなかった隣国、ハイドランジアとの本格的な戦争が起こり、武官だった父も出征することになった。
屋根裏の窓から、騎士を引き連れ、戦地に赴く父を見送った。
無事を祈る日々が、しばらく続いた。
本当の父でなかったとしても、どれほど厭われても、わたしは父を愛していた。
ずっとずっと、空想していた。
いつか、わたしは父の役に立つ。
その為なら、命を掛けても、怪我をしたって、構わない。
父は、わたしを許して言う。
―― リリアーナ、ありがとう。今日から、お前もわたしの娘だ。
往々にして、そんな都合の良い願いは、叶わない。
出征から間もなくして、父は、帰らぬ人となった。
§
父には娘が二人だけ。
当然ながら、女子は爵位を継ぐことができない。
父には弟がいたらしいが、その叔父も、若くして亡くなったらしい。
結果として、今まで会ったこともない、叔父の一人息子だという、二十一歳の従兄が、爵位を継ぐことになった。
ロンサール伯爵の称号を継いだあと、従兄のランブラー・ロンサールは初めて屋敷を訪れ、わたしたちに面会した。
「やあ、ブランシュ、リリアーナ。
僕が伯爵になったからって、この屋敷を改革しようとか、そんなつもりは全くないから、安心して。王宮での仕事が忙しいから、こっちにはほとんど来ないと思う。君たちは、今まで通り、好きに暮らしてくれたらいいからね。何か用があったら、執事を通して連絡してくれ。じゃ」
初めて会った従兄もまた、ロンサール家の一員に相応しく、美しい金髪碧眼を持っていた。
物腰柔らかい印象の見目麗しい八つ上の従兄はそれだけ言うと、
「ご配慮、痛み入ります」
とお辞儀をする姉妹に向かって、非の打ちどころのない優美な作り笑いを浮かべて見せた後、何かに急き立てられるように背を向け、屋敷を去った。
そうして、わたしは今まで通り、ひとりぼっちで暮らし続けることになった。
§
戦争が勝利のうちに終わったのは、それから二年が経ち、わたしが十五歳の時だ。
十七歳になった姉のブランシュの美貌は、この世の者とは思えないほどだった。
太陽の光を受けて輝く滝のように緩やかに波打つ黄金の髪、月が優しく照らす湖のように澄んだ碧い瞳、白磁のように白く透き通った肌。
(美の女神というものがいるとしたら、きっとブランシュとそっくりに違いないわ)
この目に、狂いはなかった。
程なくして、屋敷には求婚者らが列をなし始めた。
新聞には毎日、ブランシュの記事が飾られた。
社交界の大物である誰々を袖にした、とか。どこどこで誰々と食事をした、とか。どこの服飾店でドレスを仕立てているか、とか。どこどこのやんごとなき令嬢と親友である、とか。どこの菓子店がお気に入りか、などなど。
光が溢れる世界に住み、華やかな生活を送るブランシュは、わたしの誇りだった。
時を同じくして、ほんの少し、困ったことが起こり始めた。
できる限り隠れ暮らし、人に会わない生活を心掛けているにも関わらず、わたしもまた、連日のように新聞を賑わせ始めたのである。
伯爵邸で働くメイドの誰かが情報源なのだろうか。
関係者の証言、として
『社交界の女神・ブランシュ姫の実妹リリアーナは恐ろしい容姿を持つ、嫉妬深い魔女!』
『ブランシュ・ロンサールの実妹は稀代の毒婦! 醜い容姿を苦にして屋根裏に引き籠る!』
『魔女リリアーナ、妖力で気に入らない人間を呪殺⁉ その部屋は、毒と血でまみれ、ところどころに骨らしきものも――』
内容は少しずつ違ったが、概ね似たようなもので、他にも、見目美しい処女を攫ってきて○○している……とか、可愛らしい小動物の○○を○○して収集している……といった、ぎょっとするような内容の記事もあったが、口にするのも恐ろしいので、この場では伏字を用いて、割愛しておく。
こうしてわたしも、ブランシュに負けず劣らず、話題に事欠かなかった。
問題は、『醜い容姿』と『屋根裏に引き籠る』という部分以外、全く身に覚えがない、という点だ。
ご期待に沿えず、大変申し訳なく思うが、わたしには、もちろん魔力などない。魔力どころか、幼い頃から引き籠り続けているせいで、人並みの能力すら、持ち合わせていない。
社交に必要な話術も知らなければ、ダンスも踊れない、運動もできないし、馬にも乗れない、色々教えてもらえたのは十歳までだったから、知識だって、人よりずっと少ないだろう。
魔力もなければ、何の力もないのに魔女と呼ばれて、完璧なブランシュの唯一の汚点となっている。
もし、わたしが本当に魔女であったなら。
そうしたら、ブランシュに迷惑をかけずに生きることができるのに。
その頃のわたしはもう、ブランシュという光に群がる蛾の一匹に過ぎなかった。
迷惑をかけている、ここを離れなければ、と思うのに、その方法すら、見出せない。
愛するブランシュにだけは、自分の醜いこの闇色の髪と瞳の呪われた秘密を知られたくなかった。わたしが父の子でなく、母の命を奪ったと知ったら、ブランシュも父と同じように、わたしのことを憎むだろう。
それだけは、嫌だった。
朝起きて、孤独に耐えながら長い一日を生き、ようやく迎えた夜にほっとして眠りにつく。そしてまた、朝が始まる。
屋根裏でひとり、変わり映えしない生活を送りながら、いつしか、わたしは、十七歳になっていた。
3
あなたにおすすめの小説
【完結】私が誰だか、分かってますか?
美麗
恋愛
アスターテ皇国
時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった
出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。
皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。
そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。
以降の子は妾妃との娘のみであった。
表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。
ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。
残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。
また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。
そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか…
17話完結予定です。
完結まで書き終わっております。
よろしくお願いいたします。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています
鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。
けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。
指示を出さない。
判断を奪わない。
必要以上に関わらない。
「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。
それなのに――
いつの間にか屋敷は落ち着き、
使用人たちは迷わなくなり、
人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。
誰かに依存しない。
誰かを支配しない。
それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。
必要とされなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
それでも、ここにいていい。
これは、
「何もしない」ことで壊れなかった関係と、
「奪わない」ことで続いていった日常を描く、
静かでやさしい結婚生活の物語。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~
美袋和仁
恋愛
ある夜、一人の少女が婚約を解消された。根も葉もない噂による冤罪だが、事を荒立てたくない彼女は従容として婚約解消される。
しかしその背後で爆音が轟き、一人の男性が姿を見せた。彼は少女の父親。
怒らせてはならない人々に繋がる少女の婚約解消が、思わぬ展開を導きだす。
なんとなくの一気書き。御笑覧下さると幸いです。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる