屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第98話 両想い

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(しまった、押しすぎた)

『愛してます』

 言った途端、リリアーナは大きな目を零れ落ちそうなほど見開いた。愕然として、青くなったり赤くなったりしている。

(しまった)


『令嬢、俺は、貴女が好きです』

 以前、先走って想いを伝えた時、同じように愕然としていた。……どん引かれ、エスコートを断られたことが脳裏を過る。


 勢いで押して、何とか承諾に漕ぎつけた。
 思い直され、「やっぱりやめます」と言われるのだけは、嫌だ。無理だ。

 リリアーナは、はたと我に返った様子で、口を開く。

「あ、あ、あのう」

 ぎくり、と胸が鳴る。
 
「行きましょう。遅くなると心配されますから」

(やっぱりやめた――だけはやめてくれ)

 リリアーナの細い指の間に自身の指を差し込んで絡め、立ち上がって歩き始める。華奢でふわりと柔らかい掌の感触に、幸福感が胸に溢れる。

 ここまで来たからには、この指に触れる権利は誰にも譲らない。

 幸福で埋まる胸に湧き上がるのは、不安と焦り。とにかく、今、何よりも優先すべきことは、急ぐことである。

(ずるくたって、いい……!)

 中身はどうでも、婚約の了承をもらったのだ。
 気迫で押して無理やりでも、流されてうっかりであっても、卑怯でも、何だっていい。

 必要なんだ、どうしても。

 ――例え、必要とされていなくとも。


『婚約なんて、一生、どなたともするつもりはありませんが……?』

 何、言ってんだ。

 それであっさり退く男が、いるはずない。
 世間の男が放っといてくれるはずない。そういうことなら、言い方は悪くとも、要は、

 ――押した者勝ち。

 まずは、ロンサール伯爵とノワゼット公爵に婚約の報告をして、外堀を埋める。

 後はゆっくり、時間をかけて、隙間を埋める。毎日会いに来て、大切にして、優しくして、行きたい場所に連れ出して、幸せだと思わせてみせる。他の男を近づけない。それから――

 繋いでいた手が、ぐいっと引かれて、ぎょっとして振り返る。

 リリアーナが躓いて転びかけていた。
 膝が地面に触れる前に、脇に腕を差し込み抱き留める。ふわりと柔らかい身体の重みが腕に乗る。

「すみません」
「いえ、急ぎ過ぎました。歩くのが早すぎたでしょう」

(……失敗した。歩幅が違うこと、わかっていたのに)

 焦り過ぎである。

「あのう、ウェイン卿……」

「はい」

 ぎくり、としながら応える。

(さっきのはナシにしてください、って言われたら、どうしたらいい?)

 一度、見てしまった夢は、捨てられない。

(愛してほしい、なんて望まないから)

(恋に落ちてくれ、なんて願わないから)


 ――傍にいて。ただ、それだけでいいから。


 リリアーナは転びかけたまま、自身の腕で支えられている。この状態では、聞かずに流すのは難しい。
 こっちの気を知ってか知らずか、リリアーナは、おっとりとした口調で話し出す。

「……もっと早く、申し上げるべきだったようにも思いますが、申し上げるのが、遅くなりました」

「はい」

「あのう……先ほどの、お話ですが……、少しばかり、誤解と申しますか、勘違いがあったような気がいたします」

「……」

 打とうとした相槌は喉の奥でひっかかる。ひやり、と背筋と指先が冷え、冷たい汗がじわりと滲む。息が詰まり、心臓がぐっと圧し潰される。

 リリアーナは、真剣な表情を浮かべ、こっちを覗き込む。

「あのー、わたくしも、ウェイン卿のことが……わりと大分前から、その、大好きです」





「…………は?」


 何て?




 絡めていた指をほどき、細い腰に両手をかける。軽く力を入れると、華奢な身体は、驚くほど簡単にすいっと持ち上がる。

「……はい?」

 リリアーナがさらに愕然と目を見開く。
 そのまま、一番近いベンチにどさっと座り、膝の上にリリアーナを乗せて、腕で囲うと、天使みたいな顔が、ちょうど目の前になった。

「……はい?」

 脳内で、混乱が渦を巻く。

「…………大分前から、何だって、仰いました?」

 腕の中、至近距離で大きな瞳を縁どる長い睫を瞬かせる。上気した肌は滑らかに輝いていた。膝に柔らかな重みを感じる。
 
 ふわふわと、宙に浮いているような心地だった。夢の中にいるような。

「……大好きです……それで、あのう……? これは?」

「ちょっと、気が遠くなりそうで」

 はあ……? と月の妖精は訝しげに首を傾げる。頬と耳はみるみる朱に染まっていく。

「大分前って、いつです?」

 腕の中で、リリアーナはむうっと細い眉を寄せ、唇を尖らせて引き結んだ。

 ――言いたくない。

 って顔である。

(……わけが、わからん)

 なら、なんで、婚約したくないって言った? 
 なんで、さよならしようとした? 
 なんで、話したくなさそうだった?
 大体、大分前っていつだ? 

 疑問が果てしなく湧く。しかし、それを訊くのは、今ではない。

(これが現実なら、そんなの、これから先、いつでも訊ける)

 指で梳いて、一筋掬い、さらりとした黒髪に口づける。リリアーナはぎょっとして頭を引こうとしたが、背にしっかり腕を回している。

「はい!?」
「嫌ですか?」

「……いえ、い、嫌では、ありませんが」

 膝の上で身動ぎする力は、びっくりするほど弱い。

「……これは?」

 上気して艶めく頬に、そっと唇を寄せた。腕の中で、華奢な身体がふるっと震える。

 柔らかな感触を確かめ、掠めただけで離すと、顔を真っ赤に染めて、夜を呑み込んだ瞳を潤ませている。

「いや……ではありませんが、……す、すこし、……逃げ出したくは、なります」

 眉尻を下げて、頬を薔薇色に染めて、瞳を潤ませて、こっちを睨む。

(嫌じゃ、ない)

 どくんと、自身の身体の深い場所で音が鳴るのがわかった。

「……可愛い」
「はいっ!?」

 囲う腕に力を込める。ぎゅうぎゅうと、壊さないように加減しながら抱き締めて、白い首筋に顔を埋めると、ふわりと甘い、花のような香り。息を吸い込むと、くすぐったそうに身をよじる。

「……さっき、大事なことを言い忘れてました」
「は……はあ……」

「……俺は、令嬢の、何を考えているのか読めない、わけのわからない可愛いところが好きです」
「は、はぃ……?」

 震える甘い声が応える。

「……ですが、そのうち、理路整然と理解できるようになったとしても、気持ちは変わりません」
「……はあ」

 首筋に顔を埋めたまま、話す。頬に触れる柔らかな黒髪を、囚えていない方の手で梳く。さらりとした感触の心地好さに、胸が震えた。

「馬に乗れず、ダンスが踊れないところも可愛くて好きですが、馬に乗れるようになり、ダンスが上手くなっても、やはり好きです」
「……はい」

「誰にでも優しくお人好しなところが大好きですが、たまにイライラして、俺に八つ当たりしてくれたとしても、やはり大好きです」
「……はい……」

「見た目はめちゃくちゃ弱そうなのに、中身は我慢強く、何でも自分で何とかしようとするところが好きですが、そうでなくなり、俺に頼ってくれるようになっても、やっぱり好きです」
「……は、はあ……」

「つまり、……何が言いたいかと言うと、貴女の何がどうなっても、この先も魂まるごと、ずっと、永遠に愛し続ける自信があります」

 顔を上げると、頬を真っ赤に染めたリリアーナは、優しく頷いた。

「……は、は、は、はい、わかりました。……で、では、わたくしも……」
「はい」

「えっと、ウェイン卿のお強いところが好きですが、弱いところがあったって、大好きです」
「はい」

 ふわりと、胸が浮き立つ。

「ウェイン卿が無表情で冷静でも好きですが、色んな表情を見せてくださるウェイン卿は、もっと好きです」
「はい」

「弱いものを放っておけないお優しいところが好きですが、少し意地悪でも、大好きです」
「はい」

「いつもきちっとされているところが好きですが、だらっとしたウェイン卿も、きっと好きです」
「はい」

 抱き締める片腕に力を込めて引き寄せる。片手で、真っ赤になった優しい頬に触れ、熱っぽく潤んだ瞳の下のまぶたを親指でなぞる。腕の中で、また小さな体がふるっと震える。

「ええと、要するに、この先、何がどうなっても、ウェイン卿のぜんぶまるごと、だいす――」

 最後まで聞くのは、もう無理だった。


 甘い果実のような唇を、引き寄せて塞いだ。





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