屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第二部

第58話 時計店ー01

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 秋の柔らかな日差しが、窓辺の陶器鉢から溢れるアイビーと秋咲きクロッカスに降り注ぐ。

「…………」

 馬車を降りた場所は、おとぎ話に出てきそうな小さなお店の前だ。
 にんじん色のレンガ造りに、古びた木製のドア。真鍮の看板をじっと見やり、ウェイン卿は唇を引き結ぶ。数秒の間の後、ぽつりと呟きを落とした。

「…………なぜ?」

「想像していたより、ずっと雰囲気のある素敵なところですねえ。ね、早速、入ってみましょう?」

 ウェイン卿の袖に手を置いて明るく呼びかけると、ウェイン卿はようやく看板から視線を外し、わたしを見下ろした。

「……エッケナー時計店……ですか? わたしは、てっきり、アナベルを探すとばかり……」

 本日のウェイン卿は、わたしとお揃いの真っ黒な外套姿だ。アナベルの仲間は、騎士の制服が目に入ると、きっと遠ざかってしまうだろうから。
 人目を惹く整った顔立ちと銀髪は、深く被ったフードで隠されている。それを覗き込んで、わたしは笑いかける。

「その点は問題ありません。実は非常に有力な情報を得て、作戦を練って参りました」
「……情報?」

 眉を顰めたウェイン卿に、わたしはにんまりと得意げに口を開く。

「アナベルを見つける方法……それは、お花屋さんです!」

 じゃじゃん!! と効果音を響かせる勢いで言うも、ウェイン卿は当然ながら、訝し気に首を傾げる。

「――花屋、ですか?」

 アリスタとペネループから聞いた話を、かいつまんで説明する。

「――そんなわけで、アナベルは定期的に生花店を訪れていたそうです。それって、連絡手段ぽくありません? 生花店、もしくはその周辺に、アナベルの仲間が居るのかも」

 わたしの拙い推理を聞いたウェイン卿は、真面目な顔で頷いてくれる。

「生花店……なるほど……確かに、手掛かりかもしれません」

「それで、このエッケナー時計店があるここビッテル通りには、生花店が三つもあるのです。朝食の前に、地図で確認しておきましたの」

 言いながら、通りの左右に代わる代わる視線を送る。
 王都中心部から少し離れたここは、地元で愛される商店街だ。二人の子を連れた女性が提げた買い物籠には、みずみずしいポロ葱と大ぶりのカリフラワーが顏を覗かせる。
 工夫を凝らした真鍮の看板が所々に並び、路地植えのセージとマムが、レンガで舗装された下町情緒あふれる通りに彩りを添えていた。

「もっとも、目当ての生花店を探し出すまで、時間はかかりそうですけれど……」

 数えきれないほどある王都中の生花店を、虱潰しに回る。気の遠くなるような作業である。
 しかし今日は、アナベルを探しつつ、ウェイン卿とエッケナー時計店にも寄れる。
 我ながら、一石二鳥の素晴らしい考えだと胸を張った。

「ああ……なるほど……」と目を細めたウェイン卿は、しかし、どことなく歯切れが悪い。

「では、参りましょうか?」

 腕を取って顔を覗き込んで促しても、ウェイン卿は尻込みしているかのように、微かに頬を引き攣らせた。

「あの、令嬢、時計の方は、今は間に合っているというか、なんというか……。ですから、今日はアナベルを探すほうを優先――」

 この強い人には、怖いものなんて何もないだろうと思うのに、ウェイン卿は時折、こういう表情をする。まるで、何かを恐れているみたいじゃないの。

「え? でも――」

「――リリーさん!?」

 呼ばれて、振り返る。

 そこには、職業安定所の親切なマーク・エッケナー氏が目を丸くし、口をぽかんと開けて佇んでいた。


 §


「――いやまさか、本当に来てくださるなんて」

 言いながら、マーク・エッケナー氏はうっすらと汗ばむ額をセーターの袖で拭った。
 秋の終わりの王都はずいぶん冷える。暖炉に火が入っているわけでもないのに、エッケナー氏は暑がりらしい。柔らかそうなヘーゼルの髪の下に覗く顔は、上気している。

「どっ、どうぞ!! そそ粗茶ですが……!」

 湯気が揺らぐ大ぶりのカップを二つ、語尾を震わせながら、おずおずと両手で差し出してくれる。
 エッケナー氏の榛色の眼差しは、フードを下ろしたウェイン卿をちらちらと伺っていた。

「あの……こんなのしかなくて、すみません……。ちゃんとソーサーがついてるのもあったんですけど、普段使わないものだから……久しぶりに出したら欠けていて……あの、本当すみません……」

「とんでもありません! どうぞお構いありませんように。お茶、ありがとうございます。頂きます」

 カップに手を伸ばすと、エッケナー氏は小さく息を吐いた。カップの中は、薄いイエローのハーブティーだった。レモンのような爽やかな香りと味わいに、ほっと心身が寛ぐ。

 ご実家である時計店に通してくださったマーク・エッケナー氏は、椅子を勧めてくれた。小ぶりな木製チャーチチェアは、わたしにはぴったりだけれど、ウェイン卿の長い足には窮屈そうだ。
 木製ローテーブルを挟んで向かいに、マーク・エッケナー氏はおそるおそるの体で腰を下ろした。

「……あの、それで? よもや、時計をお求め……じゃありませんよね?」

 店内は古いけれど清潔で、よく磨かれた窓から陽が差して明るい。テーブル上に置かれたガラスの一輪挿しには、クロッカスがシアンブルーの花を咲かせる。
 仕掛け時計が壁にずらりと並ぶ様は物珍しくて、わたしはついきょろきょろと見回してしまう。
 エッケナー氏に会うなり、落ち着いた態度を取り戻したウェイン卿がガーネットの瞳をすっと眇めた。

「わたしの婚約者が、以前、お世話になったそうで。その礼に参っただけです。すぐに失礼しますから、お構いなく」

 涼しげ、かつ平坦な声でウェイン卿は言う。
 気弱そうな榛色の瞳を見開いて、エッケナー氏はごくりと唾を呑み込んだ。

「……ああ、そういう……? あの、し失礼ですが、あの……レクター、ウェイン卿……でいらっしゃいますよね? あの、第二騎士団の……」

「はい! 左様でございます!!」

 すっと唇を引き結んでしまった人見知りなウェイン卿の代わりに、わたしは元気よく返事をする。
 やだ、ウェイン卿の口から「婚約者」って言われちゃった。ときめきすぎて、わたしのテンションがやばい。

「あ、あの……そういうことでしたか……あの僕、ちっとも知らなくて……それでしたら、僕、あの、あ、あ」

 額に浮かぶ汗を、また袖で拭ってしどろもどろ、マーク・エッケナー氏はわたしとウェイン卿の顏を代わる代わる見比べた。

「…………あ、握手っ!! してください!!」

 え?――と小さく唸ったウェイン卿の隣で、わたしは大きく頷く。ここにもまた一人、同志を発見。

「ほ、本物の、王宮騎士団副団長様にお会いできるなんて……僕、小さい頃から、王宮騎士に憧れていて……感激です! あのっ! 両親も、こちらに呼んでも構いません?」

  返事も待たず、マークが勢いよく振り返る。カウンターの奥の少し開いた引き戸の向こうに隠れるように、老夫婦が寄り添い立っていた。クロッカスの花弁と同じ色の瞳を興味津々に丸くして、こちらを覗き込んでいる。
 視線が合うと、色の抜けた雪白の頭が、これ以上ないほど深々と下がった。

「父さん母さんっ、ほらこっち!」
 マークが手招きして呼ぶと、彼らはカウンターの向こうからいそいそと現れた。

「まあ、いいの? ほらっ、お父さんっ」
「いや、まさか、王宮騎士様が、こんな狭苦しい小さな店に。ようこそ、おいでくださいました。わ私も、構いませんかな……?」

 老いて背の曲がった二人の身体は小さい。柔和な目尻と差し出された手の甲には、皺と染みがたくさん刻まれている。外見はどこも艶めいていないのに、どうしてだろう、その老夫婦は春の陽だまりのような光を放って見えた。

「お邪魔しております。もちろんですとも! ね、ウェイン卿?」

 時計店の一家は、尊敬と憧憬に満ちた眼差しをウェイン卿に向ける。わたしはもはや、ウェイン教を布教する宣教師の心地で、前のめりである。

「――えっ? ああ、はい……」

 ウェイン卿はまるで狼狽えたみたいに立ち上がった。
 差し出されたウェイン卿の手を握ったマークのお母様が、少女のように頬を染めてはしゃぐ。

「きゃっ、まあまあまあ! なんて大きくて固い掌なんでしょうね。すごいわねえ、たくさん、頑張ってこられた手ねぇ」

「ああ……どうも……」とウェイン卿はもごもごと応えながら、それでも丁重に、老夫婦の手を握り返した。



 
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