-Crazy- 殺しあいの約束

寺谷まさとみ

文字の大きさ
26 / 26
第二章

(十)濁流

しおりを挟む
 宿から出たソウは、細い外部階段を下った。カンカンカン、と硬い音が響く。それは反響する重機の駆動音にぶつかって、そのうちに消えた。路地の縞鋼板もあいかわらず、鈍くふるえているものの、人の往来はなく、しんと冷えきっている。
 すこし歩いて枯れた谷をつなぐ橋梁きょうりょうへ出ると、夜空がいくぶんか広く見えたが、月も星も見えない空だ。そのくせギラギラと鉄骨の角を叩く光がやけにまぶしい。それは上流にある鉱山区域が夜もたえず稼働しているからだ。その光や音が枯れた谷にはじけ、響いて、この街中にそそがれている。
 すぐ脇の錆びたハシゴを降りると、中空にはねだした鉄骨に架けられた縞鋼板があった。落下防止柵はなく、なんのためにはね出しているのかはわからないが……ふと下を覗くと、暗い谷底が夜を一身に吸いこむように広がっていた。枯れた谷底は貧民街という話だが、灯りはひとつも見られない。
 向こうの鉱山区画から貧民街までを一直線につなぐ谷は、まるで狭量とした社会を表しているようだ。
 そのときだ。
 ドン、と大きな音とともに大地がふるえた。
(地震⁉)
 とっさにハシゴをつかんで備える。が、大きかったのはその一度だけだった。
 状況を確認するように見渡すと、鉱山区域の一画から、黒い煙が立ち上っている。
(爆発でもあったのかな)
 ソウは数歩、身をのり出すように周囲の変化を観察した。
 いくつかの連続した鈍い重低音と、細かい振動。もくもくと立ちあがった煙で鉱山区域の灯りはさえぎられ、ソウが立っている橋梁の下も薄暗い夜が垂れこめる。
 低く、夜がふるえている。
 細かく、細かく。
 だんだんと大きくなって。
 来る。
「ソウ!」
 裂帛れっぱくをはらんだ低い声に呼ばれ、ソウはふりむいた。橋梁の上からのぞきこむように黒影が叫んでいる。
「黒影、どうして」
「なにをしている。いいから早く上がれ!」
 黒影は矢継早やつぎばやに叫んだ。
「呑まれるぞ!」
 黒い。
 視界が黒い。
 ついさきほどまで鋭い輪郭を帯びていた鉄骨のふちも、縞鋼板の錆びた表面も、黒くぼやけて見えにくく……。
(ちがう、暗いんだ)
 ソウはふりむいた。
 吹き抜ける風。上流の鉱山区域は、黒くさえぎられている。向こうの灯りをさえぎっているのは、壁のようにたちあがった真っ黒な濁流だ。
 だから、暗い。
「ソウ!」
 黒い。
 ハシゴに足を掛けた黒影の手が、こちらへ伸びている。せいをつかめと急かしている。
 ソウはとっさにその手を――、

――あの細い腕で、濁流が襲う前にもちあげられるだろうか?
――もし途中で俺が濁流に呑まれたら、黒影もまきこまれてしまうんじゃないだろうか?
――だめだ。それは、ダメだ。正しくない。
――まちがっちゃ、いけない。

 黒影の手をつかもうとして、しかし、ソウはそれをやめた。

――死ぬときは、死ななきゃいけない。
――か。
――もしくは、ような。

 濁流の壁が、ソウをおおうように影を落とす。
 むせかえるようなにおい。轟々とうねる濁流。
 呑みこまれる――刹那、ソウは目を見ひらいた。
 耳をふさぐ、鼓動。
(なんで)
 この傷だらけの汚い手のひらを、黒影の細い手がつかんでいた。
(アンタは、ただ殺しあいをしたいだけなんだろ?)
 細すぎるその腕に、抱きよせられていた。
(そしてそれは、俺じゃなくてもいいはずだ)
 疑問を声にする間もなく、
(なのにどうして)
 見上げた一瞬。
 黒影の鋭い瞳は、濁流を睨んでいた。
(君は俺を助けようとするの?)
 訪れたのは、衝撃。
 そして、暗転。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜

桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。 上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。 「私も……私も交配したい」 太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

処理中です...