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17.悪神の娘
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「あげるわ」
アカリは眉間に皺を寄せて、「北欧神話?」と表紙に書かれた文字を口にした。
……これは一体?
疑問を顔いっぱいに浮かべたアカリにヘルは何も答えず、
「読み終わって、気が変わったらダイニングにいらっしゃい。今度は食事を用意して待っていてあげるわ」
ヘルは背を向けると、周囲に溶け込むようにいつの間にかその姿は消えていた。
……ヘルのあの顔……。
消える間際に見せた、口元に薄い笑みを浮かべたヘルの顔を思い出す。まるで、この後自分がどうするのか分かっていたようだ、とその顔を思い出しながらアカリは思った。
「何のつもり……何だろう」
アカリはヘルに渡された本を開く前に、バルドルの姿を探してもう一回書庫の中を回ったが、やはりその姿を見つけることはできなかった。
それが終わるとアカリは壁に背を預け、尻を床につけて膝を折り曲げて、ヘルに渡された本に目を落とした。
もう一度、表紙に書いてあるタイトルを声に出して読んだ。
「北欧神話……」
多分、今までにも読んだことがあるのだろう。
ひっくり返してみると裏表紙いっぱいに特徴的な描かれている。それを見た瞬間、再び微かに記憶が戻る。
――世界樹ユグドラシル。
ぱっと頭の中にひらめいた単語だったが、それが何を意味するのかは思い出せない。まぁ、読み進めていけば分かることも多いだろう。
それにしても、今更、神話の本を渡して、ヘルは何を考えているのかと思う。
神の言葉でも聞かせるつもりだろうか。
闇の女王を自認する者が?
「何の冗談よ!」
アカリは心の中での僅かばかりの抵抗として、ヘルに対する侮蔑的な感情を吐き出してから、北欧神話の本を開いた。
北欧神話の世界観では九つの世界からこの世界は成っていると言われることがある。世界樹ユグドラシルは世界を体現する九つの世界を貫いて繋ぎ内包する存在。
読み進めていくと、すぐに手が止まる。
ヘルの名を見つけたからだ。しかし、そこにあったのは“闇”の女王ではなく、“死者”の女王ヘルの記述。
英語のHELLの語源とともなった彼女は、最終戦争を引き起こした悪神ロキと女巨人アングルボザとの間に生まれたの3人の子供の一人。
世界に災厄をもたらす存在と予言された3人の子のうち、巨狼フェンリルはドワーフによって作られた魔法の紐で拘束され、大蛇ヨルムンガルドはミズガルズの外海に放逐された。
そしてヘルも神々に災いをもたらす存在として極寒の地であるニブルヘイムへと追放された。その姿は半身は美しい生者のものだが、残りの半身は青く爛れた醜い死者のものなのだという。
追放されたヘルは、ニブルヘイムのさらに地下であるニブルヘルで死者たちを管理する役目を与えられた。ニブルヘルはヘルの名を冠されてヘルヘイムとも呼ばれた。その地に彼女はエリューズニルという館を建て、下男であるガングラティと下女であるガングレトにかしづかれ、死者たちの女王として君臨した。
ニブルヘルへ行かないのは名誉ある戦死を迎えた者。
生前、勇猛果敢な戦士だった戦死者は、ワルキューレによって導かれ、オーディンのヴァルハラと呼ばれる館で、毎日殺し合いと宴を繰り返し、来るべきラグナロクに備えることになる。古代北欧の戦士たちは、藁の死を何よりも恐れ、自らの体を傷つけて死に至ることも多かったと伝えられる。
ヘルの元へ行くのは九つの世界で老衰や疾病による死――藁を迎えた者たちである。死者たちは、寒く辛く長い道をたどり、苦難に満ちた森を通り抜け、血にまみれた獰猛な番犬ガルムの横を通り、ようやくニブルヘルへとたどり着く。
しかし、ようやくたどり着いたそこも、死者たちの安息の地とはならない。
死者たちを待っているのは「病床」と名付けられたベッドの上での寝起き、「空腹」の皿と「飢え」のナイフでの食事。
藁の死を迎えた者は例外なくニブルヘルへ行くことになる。
それは神々でさえも例外ではない。
オーディンの息子で賢明さと優雅さを兼ね揃え、あらゆる存在から愛された光の神バルドルもまた、ヘルの父親のロキの姦計によって死んでヘルの下にいった1人であった。光の神を失った世界は、夏を挟むことなく風の冬、剣の冬、狼の冬という厳しい冬が3度続き、戦乱に見舞われ、人心は荒廃し、やかて最終戦争へと突き進んでいく。
さらにヘルには、ニブルヘルの統治者として支配するのみならず、九つの世界において唯一、死者を蘇らせる権能まで与えられた。
しかし、彼女は凍てつく寒さに凍えぬ日のない、光も届かぬ僻地へと追いやられたことを恨み、神々への復讐心を燃やし続けた。
アカリは眉間に皺を寄せて、「北欧神話?」と表紙に書かれた文字を口にした。
……これは一体?
疑問を顔いっぱいに浮かべたアカリにヘルは何も答えず、
「読み終わって、気が変わったらダイニングにいらっしゃい。今度は食事を用意して待っていてあげるわ」
ヘルは背を向けると、周囲に溶け込むようにいつの間にかその姿は消えていた。
……ヘルのあの顔……。
消える間際に見せた、口元に薄い笑みを浮かべたヘルの顔を思い出す。まるで、この後自分がどうするのか分かっていたようだ、とその顔を思い出しながらアカリは思った。
「何のつもり……何だろう」
アカリはヘルに渡された本を開く前に、バルドルの姿を探してもう一回書庫の中を回ったが、やはりその姿を見つけることはできなかった。
それが終わるとアカリは壁に背を預け、尻を床につけて膝を折り曲げて、ヘルに渡された本に目を落とした。
もう一度、表紙に書いてあるタイトルを声に出して読んだ。
「北欧神話……」
多分、今までにも読んだことがあるのだろう。
ひっくり返してみると裏表紙いっぱいに特徴的な描かれている。それを見た瞬間、再び微かに記憶が戻る。
――世界樹ユグドラシル。
ぱっと頭の中にひらめいた単語だったが、それが何を意味するのかは思い出せない。まぁ、読み進めていけば分かることも多いだろう。
それにしても、今更、神話の本を渡して、ヘルは何を考えているのかと思う。
神の言葉でも聞かせるつもりだろうか。
闇の女王を自認する者が?
「何の冗談よ!」
アカリは心の中での僅かばかりの抵抗として、ヘルに対する侮蔑的な感情を吐き出してから、北欧神話の本を開いた。
北欧神話の世界観では九つの世界からこの世界は成っていると言われることがある。世界樹ユグドラシルは世界を体現する九つの世界を貫いて繋ぎ内包する存在。
読み進めていくと、すぐに手が止まる。
ヘルの名を見つけたからだ。しかし、そこにあったのは“闇”の女王ではなく、“死者”の女王ヘルの記述。
英語のHELLの語源とともなった彼女は、最終戦争を引き起こした悪神ロキと女巨人アングルボザとの間に生まれたの3人の子供の一人。
世界に災厄をもたらす存在と予言された3人の子のうち、巨狼フェンリルはドワーフによって作られた魔法の紐で拘束され、大蛇ヨルムンガルドはミズガルズの外海に放逐された。
そしてヘルも神々に災いをもたらす存在として極寒の地であるニブルヘイムへと追放された。その姿は半身は美しい生者のものだが、残りの半身は青く爛れた醜い死者のものなのだという。
追放されたヘルは、ニブルヘイムのさらに地下であるニブルヘルで死者たちを管理する役目を与えられた。ニブルヘルはヘルの名を冠されてヘルヘイムとも呼ばれた。その地に彼女はエリューズニルという館を建て、下男であるガングラティと下女であるガングレトにかしづかれ、死者たちの女王として君臨した。
ニブルヘルへ行かないのは名誉ある戦死を迎えた者。
生前、勇猛果敢な戦士だった戦死者は、ワルキューレによって導かれ、オーディンのヴァルハラと呼ばれる館で、毎日殺し合いと宴を繰り返し、来るべきラグナロクに備えることになる。古代北欧の戦士たちは、藁の死を何よりも恐れ、自らの体を傷つけて死に至ることも多かったと伝えられる。
ヘルの元へ行くのは九つの世界で老衰や疾病による死――藁を迎えた者たちである。死者たちは、寒く辛く長い道をたどり、苦難に満ちた森を通り抜け、血にまみれた獰猛な番犬ガルムの横を通り、ようやくニブルヘルへとたどり着く。
しかし、ようやくたどり着いたそこも、死者たちの安息の地とはならない。
死者たちを待っているのは「病床」と名付けられたベッドの上での寝起き、「空腹」の皿と「飢え」のナイフでの食事。
藁の死を迎えた者は例外なくニブルヘルへ行くことになる。
それは神々でさえも例外ではない。
オーディンの息子で賢明さと優雅さを兼ね揃え、あらゆる存在から愛された光の神バルドルもまた、ヘルの父親のロキの姦計によって死んでヘルの下にいった1人であった。光の神を失った世界は、夏を挟むことなく風の冬、剣の冬、狼の冬という厳しい冬が3度続き、戦乱に見舞われ、人心は荒廃し、やかて最終戦争へと突き進んでいく。
さらにヘルには、ニブルヘルの統治者として支配するのみならず、九つの世界において唯一、死者を蘇らせる権能まで与えられた。
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