光の射す方へ

弐式

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19.闇の女王との夕食

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「思っていたより、早かったわね」

 扉を開くなり聞こえてきたヘルの声。

 テーブルの上の置かれた蝋燭が5本立てられた燭台は3台置かれている。その全てに火が灯されている。先程、アカリが持ち出した燭台も新しいものが用意されている。

 細長いテーブルの上座に座ったヘルが両手を組んでアカリをじっと見据えている。

 ヘルの後ろでは暖炉にくべられた薪がぱちぱちと音を立て、その火がうす暗い部屋の中でヘルの姿をくっきりと浮かび上がらせている。

 テーブルの上には白いふわふわのパンが、十個以上もバスケットに入れられておかれている。

 中身の入っていないワイングラスと、白い皿とナイフ、フォークが置かれた席がある。アカリはここに座れということだろうか。

 アカリは空の皿を横目に見ながら、ヘルの傍までつかつかと歩いて行った。

「……返すわ」

 と、ヘルに渡された北欧神話の本をテーブルの上に置いた。ぱたんという音と、暖炉の薪がはぜる音が重なった。

「……すっかり思い出したかしら? 一之瀬灯さん」

 アカリは、ヘルに本当の名で呼ばれ、びくりと肩を震わせた。

「私は……」

「まずは座りなさい。それから食べなさい。話は、その後にしましょう」

 ヘルが問う言った瞬間、ぐらぐらっと館全体が激しく揺れた。

「地震……?」

 アカリは空を見上げる。

 先程、書庫での出来事を思い出す。崩れ落ちた書棚の本と、いなくなったバルドルが思い出される。

「何が……起こっているの?」

「……始まったのよ」

 静かな声にアカリは目を向ける。その声は、微動だにした様子もなく、真っ直ぐアカリの方を見ているヘルから発されたものだった。

「この世界の崩壊が……。そう遠くないうちに、私も、エリューズニルも、あなたがファントムと呼ぶ者も……すべてが飲み込まれる」

「飲み込まれる……? 何に?」

「あなたに……あなたの絶望に」

 アカリに向かって無表情でそう言ったヘルは、にこりと相好を崩した。ヘルの死の色の頬が醜く歪んだ。

「でも最後の時までもう少し話をするくらいの時間はあるでしょう」

 黙ってヘルの言葉を聞いていたアカリは、自分のために用意されていた椅子に腰かけた。それと同時にヘルがパンパンと両手を打ち鳴らす音が聞こえた。

 アカリが入ったのと逆の扉が開き、人型の影が何体か入ってくる。

「……ファントム?」

 アカリの前のさらにシチューがそそがれ、切り分けられた肉の塊や、みずみずしい生野菜にドレッシングがかけられたサラダなどが並ぶ。

 ワイングラスに、赤い液体ががれた。

「あ……りがとう……」

 ファントムに礼を言うのも奇妙なものだと思いながらアカリは声をかける。ただの影にしか思えないファントムがなぜか一瞬はにかんだような気がした。

 ファントムがすべて部屋の外に出て行ったのを見届けてから、アカリはワイングラスを手にとって、グラスの淵に鼻をつけて香りを嗅いだ。別にテイスティングなんて行為ではなく、これがアルコールかどうか確かめたかっただけだった。予想した通り、アルコールの特有の香りが鼻孔をくすぐった。

「ワインはお嫌い?」

「一応、未成年なので」

 ヘルの問いにアカリは虚勢で返した。
 
「一度くらい、アルコールの味を覚えておいても、損はないわよ」
  
 ヘルはアカリのそんな虚勢など簡単に受け流すと、ワイングラスを口元に運んだ。そんなヘルの様子を見ながら、アカリは駆け引きなどしても到底及ばないだろうと実感していた。

 だったら、疑問を直接ぶつければいい。

「改めて聞くけれど……この世界は一体何なの? 崩壊する……って、何がどうなろうとしているの?」

 アカリの問いに、ヘルは『北欧神話』の本をくるりとひっくり返して裏表紙を見せた。先程も見た絵だが、世界樹ユグドラシルと世界を形成する9つの世界が描かれている。
 
 その9つの世界の中には、ヘルが支配するニブルヘルも含まれる。

「この本にもあなたは見覚えがあるはずね。小学校高学年の時のあなたの好きだった本よ」

「ええ。……それも思い出したわ」

 アカリは小さく頷く。

「『こんなくだらないものを読むのはやめなさい』 この言葉は?」

 今度は言葉なくアカリは頷く。不快さしか感じない思い出。その後、“灯”の母親は“灯”の頬を張ったことも思い出していたが、今でもそれが自分の記憶だと理解はしていても、まるで他人の心の中を覗き込んでいるような、現実味のない思い出だった。

「あなたの母親にとっては、あなたの興味を持つこと、やりたいこと。何もかも含めて気に入らなかった。くだらないことと引き離した」

 ヘルは本をテーブルの上に置いて、指で押して滑らせ、自分から遠ざけると、「さぁ、お食べなさい」とワイングラスをアカリに向けた。

 アカリはグラスに唇をつけ、ワインを舌を湿らせる程度に口の中に入れた。舌の上いっぱいに拡がった慣れない甘苦い感じのする味にアカリはしかめっ面を作ってグラスをテーブルに戻した。

 目の前で、ヘルがくすくすと笑っているのが分かり、アカリはむっとしながら、パンに手を伸ばした。

「どうせ私は子供ですから」

「そう拗ねない。ジュースでも用意させるわ」

 パンをちぎったアカリの耳に、ヘルが手を叩く音が聞こえた。
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