古への守(もり)

弐式

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一.

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 目的地は小高い丘の上にあった。大昔に整備された長い長い階段の向こう側にある。実際には、丘の上まで車で上がれるように、自動車の用の道も整備されているのだが、奈津は階段を歩いて登っていくことにした。

 下から見上げてみるが、上にあるはずの門も、社も鳥居も見えない。何本かの立派な樹木が立っているのは分かる。その葉が揺れているのがかろうじて見えた。

 そのさらに上には梅雨が明けたばかりの初夏の爽やかな青空が広がっている。階段の上には日差しから身を隠す場所はないが、そんなに強くない心地よい風が常に吹いていて、うっすらとかいた汗が適度に体を冷やしてくれるので階段を上るのはそれほどきつくなかった。

 頭に手をやってみると、後ろで束ねてポニーテールにした髪が、少し湿って気持ちが悪い。上に着いたらシャワーを借りられないかなぁ、と思いながら、階段を上がるペースを少し落とし、

「四百三十……何段目だったかな」

 と首を傾げた。

 夏休みが始まって数日が過ぎた今日から数日間、この上にあるお宅に泊まることになったと藤次から言われたのは夏休みが始まった直後だった。突然、7月から8月をまたいで東京から300キロ離れた日本海側のとある田舎の家で過ごすと言われて、奈津は大いに戸惑い、小学校に上がったばかりの佐奈はよくわからないままに意味なく喜んでいた。

 田舎の夜というものを知らないから、少し不安を感じる。小学5年生になった今は蛇よりも蜘蛛とか蜂とかの虫のほうが苦手だ。

「おねえちゃん、まってよぉ……」と下で声を上げる沙奈の声に立ち止まる。足を止めてちらりと下を見やった。

 奈津は、沙奈には「お父さんと一緒に車で来なさい」と言ったのだが、自分も一緒に階段を上がると言い張った沙奈は、案の定、階段の途中でへたりこんでしまっていた。

「お父さんも、止めてくれればいいのに……」

 よく言えば放任、悪く言えば無責任な藤次が、顎下に蓄えた髭をなでながら、「まぁ、これも経験。いい勉強になるさ」と許可を出したのをいまさらながら恨む。

 藤次の口癖は「若いうちの苦労は買ってでもしろ」だが、基本的に家のことは奈津に丸投げでお金を入れる以外のフォローをする気がないのは、言葉の意味をはき違えていると思う。きっと、大学でも学生さんに色々押し付けているのだろうなぁ、と予想しているが、それを確かめたことはまだない。

 父親が放任だったら、母親が厳しく躾けてバランスをとるのが一般的な家庭なのかもしれないが奈津と佐奈の母親は3年前に他界した。何でも楽観的で、何かあっても「ダイジョーブ、ダイジョーブ、ナントカナルサ」で済ませる藤次に、「こんな時、お母さんがいてくれたら……」と日に一回はぼやくのが奈津の日常になってしまった。もっとも、奈津の記憶に残る母の印象も、父親に負けず劣らずの楽観主義者であったから、どっちにしても奈津は心労を抱えることになっていたのかもしれない。

 今回も、ため息混じりにぼやいてから、大きく息を吸い込み「沙奈……きつかったらそこに座ってなさい」と大声で呼びかけた。沙奈が足を止め、奈津を見上げたのが見えた。

 奈津の今いる場所から見ても大分下にいるが、それでも300段目くらいにいる。降りるのだってかなり大変だろう。かといって時間をかけて体力を回復させたとしても、とても上がってこれるとは思えない。

 奈津は上を見上げた。階段はまだまだ続いている。半分よりも上には来ていると思いたいが……。

 どっちにしても、自分の力ではどうしようもないので、奈津は上から叫んだ。

「ちょっとだけ待っていなさい! すぐにお父さんを呼んでくるから!」

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