弐式のホラー小説 一話完結の短い話集

弐式

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八話.一番大事な人を連れて逝く

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 私が大学に進学して一人暮らしを始めるまで住んでいた実家近くに、新興の住宅街がある。その中に、一カ所、「売地」と書かれた立て看板がある空き地がある。

 私が生まれる二十年ほど前に、一家心中があったのだと高校生の頃、同級生から聞いた。

 家は壊され更地になったが、その後は不思議なことに買い手もつかず、荒れ放題になっているとも聞いた。

 少し時間を戻す。その出来事に遭遇したのは小学2年生の春のことだった。

 私たちの間で、誰が言い出したか、この空き地に近づくと悪魔に連れて行かれると噂されていた。しかし、そんな話を聞くとかえって近づきたくなるのが子供のさがである。

 それは2年生に上がったばかりの頃で、ちょっとした冒険に飢えていた、ということもあったのかもしれない。私は学校帰りに、ちょっとだけ遠回りして、その空き地に向かってみた。ところがどうしても、空き地が見つからないのだった。

「おかしいな……この辺りのはずなんだけれど」

 見つからないなら、さっさと帰ればいいものを、意固地になって探して回る私に、「どうかしたの?」とかけてきた女の子の声があった。

 振り返った私の前にいたのは、私より少し上だろうか? 10歳くらいの長い黒髪に真っ赤な洋服の女の子だった。同じ学区のはずだが見覚えはなかった。

「空き地を探しているんだ」

 私はそう言った。

「空き地ぃ~?」

 女の子は間延びした声で言ってから首を傾げる仕草をした。

「私の家はこの辺りだけれど、この辺りに空き地なんてないよ」

 僕は訳が分からなくなったが、すぐに道に迷ったのだろう、と考えることにした。

「ねぇ。やることがないなら、ウチにおいでよ。今日はママがケーキを作ってくれる日なんだ。一緒にテレビゲームしようよ。格闘ゲームは好き?」

 ニコニコしながら言う少女に、思わず「うん」と言い掛けた。ケーキもゲームも魅力的な誘いだった。けれど、時間を考えると、家に帰るのが遅くなって怒られてしまう、という気持ちの方が先に立った。

 僕がそう言うと、女の子は「それなら仕方ないね」とにっこりと笑い、それから「じゃぁ、別の日に遊びに来てよ」「じゃぁ、次の日曜日に」というやりとりをして別れた。

 家に帰って、その話を母にした。もちろん、例の空き地を探しに行ったと言うと怒られてしまうので、それは秘密にしていた。母はまず、「それは誰のお宅なの?」と聞いてきたが、「始めて会った女の子なので分からない」と答えた。

「学校で会ったら、ちゃんとお名前を聞いておくのよ。先方のお宅にも、ちゃんとご挨拶しておかないと……」
 
 と許可をくれた。

 ところがその夜、父が帰ってきて一緒に晩ご飯を食べた後のことだった。父が僕の名前を呼んで、「お前、例の空き地に行っただろう」といきなり言った。

 混乱した私は、しどろもどろになりながら、結局それを認めた。

「でも、見つからなかったんじゃないか?」

 父の言葉に驚く私に、父は「あれは俺がお前と同じ年の時だった__と話し始めた。例の空き地が更地になったばかりの頃だったらしい。

     *     *     *

 小学2年生だった父を含めた友人4人で、あの辺りにあった友達の家に向かっていたときのことだった。

「おかしい。こんなところに家があったかな」

 友達の一人がそう言った。

 しかし、同じような建て売りの住宅が並ぶ住宅地である。ぐるぐると回れば回るほど、道に迷っていった。

 そこは小学生の低学年。

 最初はわいわい楽しみながら目的地を探していたが、自分たちが今居る場所も分からなくなり、次第に不安が勝ってきた。

 幼かった父もさすがに泣きそうになった頃、やはり、一つ二つ年上に見える長い黒髪の女の子に出会ったという。
 
 そして、私のウチに来ないか、と聞かれたという。

「何でか分からないけれど、気味悪く感じたんだ。俺と、もう一人の友達は一緒に行かないと言った。でも、その中の二人はついて行った」

 その女の子と別れてからすぐに、父ともう一人の友人は見知った道に出て、無事に帰ることができたという。しかし、女の子に付いて行った二人は、そのまま帰って来ることなく、今もなお行方不明だと父は言った。

「これは嘘っぱちの話じゃない。俺が知ってるだけで、この二十年の間に、10人は居なくなっている」

「そんな……」

 僕は怖くなった。あのままついていったらどうなっていたのだろう。それに、次に会うことを約束してしまったのだ。もしも、次の日曜日に僕を迎えにきたらどうしたらいいのだろう。

「心配するな」

 父は真剣な顔で言った。

「あの住宅地のほうに行かなければいいだけだ。いいな、これから絶対に行ってはいけないぞ」

 僕は、その言いつけを守り、それからは友達に誘われても、その辺りの住宅街には絶対に行かなかった。

     *     *     *

 それから時は過ぎ、大学を卒業して、遠い都市で就職した。入社してすぐに大きな仕事に関わり、私生活でも彼女もできて、公私ともに順風満帆な日々を送っていた。

 就職して5年。ずっと顔を見せていなかった実家に、5月の長期休暇を利用して帰省した。結婚を考えていた彼女を両親に会わせることも目的の一つだった。

 帰省して3日が過ぎ、母と彼女が思った以上に意気投合し、父も彼女のことを「しっかりしたお嬢さん」と褒めていたので、ほっと安堵した僕は、「ちょっと地元をぶらついてみるよ」と家を出た。

 この日、この時、足があの住宅地の方に向いたのを、僕はこの先ずっと後悔することになる。あれから約20年が経った。もう、子供ではないのだ。あの女の子だって、もう……。

 住宅地を歩いていると奇妙な違和感に襲われた。この住宅地は、まるで時間が止まっているかのように、あの時と変わっていないように思えた。

 僕がここに足を踏み入れたのは、20年ぶりだというのに。

 周りを見回しながら歩くと、懐かしさより薄気味悪さの方を強く感じて仕方なかった。

 ……来るんじゃなかった。早く帰ろう。

 そう思ったとき、「やっぱり、久しぶりだね」と僕は後ろから声をかけられた。

 この辺りに知り合いがいただろうか? と思いながら僕は振り返る。

「あの日、来てくれなかったから、寂しかったんだよ」

 そこに立っていたのは黒い髪に、赤い服の女の子。あの子だーー。僕は確信した。20年ぶりだというのに。ろくに顔なんて覚えていないのに。でも確信していた。

「今度こそ、遊びに来てよ」

 女の子はそう言って、にこにこと笑う。その無邪気で屈託のない笑顔が、たまらなく恐ろしかった。

 一緒に行ったら帰れなくなる。

 僕は必死で断りの言葉を口にした。

「ごめんね。僕は、君と一緒にいけないよ。家には、彼女がいて、もうすぐ結婚するんだ。待たせている人を置いて、君と一緒にいけないよ」

 僕がそう言うと、女の子はとても悲しそうな顔をした。しかしすぐに元の笑顔に戻ると、「それじゃ、仕方ないね」と言った。

「でも、代わりに、そのうち君の一番大事な人を貰いに行くね」

 僕が女の子の行った言葉の意味を理解するより早く、女の子は僕に手を振ると、くるりと背を向けた。そして、その姿は僕が瞬きするほどの間にふっと消えてしまっていた。

 僕は慌てて実家に帰ると、用事ができたと言い訳して彼女を連れて自分の家に戻った。地元からここまで車で半日かかる距離にある。そこまでは女の子も追ってこられまい。僕は「一体何があったの?」と聞く彼女に、仕事のことでと言い分けしながら、必死で車をとばした。同棲していたアパートにもどり、ほっと息を付く。出迎えてくれたひんやりとした空気の中に、住宅地で感じた薄気味悪さはなかった。

     *     *     *
 
 それから、忙しくも平穏な時間が過ぎた。

 2年後に僕は当時抱えていた案件が一段落したことを機に、彼女と結婚した。きっと、あの女の子の力も、何百キロも離れたこの街までは届かないに違いない。今までだって、何もなかったじゃないか。あの言葉に怯えながらも、そう確信をしたからだった。

 それから結構な時間が過ぎた。マイホームを購入したり、色んなことがあった。親しい友人が急逝したこともあったが「一番大事な人」とは遠い人間だった。故郷の両親も70を過ぎても健在で、悠々自適の年金生活に入っている。ひょっとしたら自分より長生きするんじゃないかと思えるほどに元気で健康そのものだった。

 あの時の女の子の言葉を忘れることはなかったが、結局は何もないのだろうと思うようにしていた。

 ところが、もうすぐ50歳という頃になって、私は体調の不良を感じるようになるようになっていた。

 それなりに責任ある仕事を任されているから、ストレスもたまっているのだろう。

 年だなぁと思うようになっていたある日、私は職場で急な眩暈を起こして倒れた。そのまま、救急車で病院に運ばれて入院することになったが、次の日には立ち上がれなくなっていた。

 医者からは「過労です。しばらく栄養を取って安静にしていればすぐに治りますよ」と言っていたが、毎日、見舞いに来て、面会時間いっぱいまで話をして帰る妻の様子や、看護師たちのよそよそしい態度などで気付いてしまった。私はきっと、もう長くない。

 入院して四日目。

 日々衰弱していくのを私は感じていた。体を起こすのも辛かった。

「ごめんね……」

 と妻が言うのを私は薬でぼうっとなった頭で聞いていた。

「何を?」

 私は問い返す。

「子供を……」

「いいんだ。私は楽しかった」

 私は妻に皆まで言わせなかった。私たちの間に子供はできなかった。子供は授かりものだから自然に任せようと話し合っていた私たちは検査をしたりすることもなく、今を迎えていた。

「いいんだ……」

 もう一度呟いた私は、妻の後ろに小さな人影を認めた。私は目を凝らした。輪郭がはっきりしてくる。

 黒髪に赤い服の――女の子。

 あの女の子が迎えに来たのか?

 何故? 一番大事な人を連れて行くと言っていたじゃないか……私は、はたと気付いた。そうか、結局自分にとって一番大事なのは自分自身だったということだったのか。

 私はむしろほっとしていた。

 自分の身近な大事な人を連れていかれずに済んだ。私は満足して眠りについた。闇に呑み込まれるように意識を失った私は、二度と目を覚ますことはなかった。

     *   *   *

 夫の葬儀が終わり、火葬も終わり、納骨も済ませた。葬儀が忙しいのは、遺族が大切な人を失った辛さや悲しみを忘れさせて、心が安定するまでの時間を用意するためなのではないか、などと私は思った。

 病床で、私はあの日のことを告白しようとした。しかし、夫に遮られてできなかった。今となっては、あの事実を告げなくてよかったと思う。口にしたところで、私の自己満足にすぎない。

 20年以上前――。

 まだ結婚していなかったとき……初めて夫の両親にあった頃、私は妊娠したことに気付いた。まだ三ヶ月だった。

 その事実を知った時、私は異様な不安に襲われた。彼は仕事では順調にキャリアを積んでいたし、優しく良い夫になってくれるだろうと思えた。不安に感じるような出来事といえば、初めて彼の実家を訪れた時に、突然怯えたように当時同棲していた街に帰ると言い出した時だろうか。最後までその時に何があったか教えてくれなかったが、すぐにそんな小さな不安は忘れてしまった――はずだった。

 しかし、妊娠の事実を知った時、私の中の小さな不安が異常なほど膨らんでいくのを感じた。その人と一緒になり生活を続くうえで、誰でも感じるであろう恐れが、胸いっぱいに広がり、頭を支配していくのを感じていた。

 そして気が付くと、私は産婦人科で中絶の手続きをしていた。

 それはただのマリッジブルーにすぎなかったのかもしれない。しかし、本当にあれは自分の意思であったのかと感じる時もある。あの時、私の頭の中を、自分ではない誰かが支配してあのような――あのような恐ろしい行動に走らせたのではないかと、思えて思えて仕方ないのだ。

 それは、奪ってしまった命や、子供の顔を見せられなかった夫や、孫を抱かせてあげられなかった両親、義両親への、心の中での言い訳にすぎない。

 いずれにせよ、それで私は子供を作ることができない体になってしまった。そのことを知ったのは結婚した後のことだったが、結局黙っていることを選択したのは私の意志だ。

 ひどい妻だった。

 せめて、その事実を悟られずに送り出せたことだけが救いだろうか。

 やたらと寂しく、やたらと広く感じるような家のリビングで、私はそう自分に言い訳を繰り返した。
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