弐式のホラー小説 一話完結の短い話集

弐式

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十話.真夜中の便乗者

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 片田舎の居酒屋は閉店間際だった。田舎町の夜は早いので、閉店時間も早い。しかし、飲むところもそんなにないので、まだ、それなりに賑わっていた。 

 そんな小さいながらも明るい店内の隅のテーブルを囲んで、近くの大学の学生、男女数人がビールを片手に雑談していた。 

 そのうちの1人――高志という名の青年が、唐突に怪談話を始めた。 

「A駅からB駅までの線路に並行して約15㎞、県道が走っているだろ?」 

 高志はそう言って、両手を目線あたりに上げて、両手の人差し指を立てた。 

「若いカップルが、夜の2時にA駅の正面の駐車場に車を止めていると、黄色い服の若い女に声をかけられるというんだ……」 

 A駅を彼らは思い描く。ホームと古い駅舎いうか建物がある利用者の少ない無人駅である。15㎞離れたB駅も似たようなものだ。利用するのは、せいぜい朝夕の学生くらいのものだった。 

「そこで、「B駅まで乗せて行っていただけませんか」と頼まれる。乗せてB駅の方向に車を出すと、その女は物静かだけれど、別に話しかけても返してこない、なんてことはない、見た目はごくごく普通の女だというんだ。ところが……A駅から県道を3㎞ほど走ると、短いトンネルがあるだろ? あの中でふとバックミラーを見ると……女の姿は忽然と消えているという話なんだ」 

 大学生たちは……一様に、手に持ったビールのグラスから口を放して、話の続きを促した。 

「それで?」 

「え? いや……それで終わりなんだけれど」 

「おいおい、何かオチがあるんじゃないのか?」 

「いや、本当に、気が付かない間にいなくなっている感じなんだってさ」 

「なんだよ。もっと怖いオチを期待していたのにさ」 

「いや、そういうところがリアルなんじゃないか」 

 そんなふうに、言い合っていると、誰かがふと壁にかかった時計に目をやって、「あと、3時間もすれば、その時間になるな」と言い出した。 

「……ちょうどいいや。高志、お前、車だろ? おい、明美と一緒にその時間に、A駅の駐車場に行って来いよ」 

「おいおい。酒が入っているんだぞ」 

「なんで私が!」 

 怪談話を始めた張本人の高志と、カップル役を押し付けられそうになった明美は抗議の声を上げるが、酒の入っていたメンバーたちがさらに煽り立てたために、結局、2人は車に乗ってA駅の駐車場に行くことになってしまった。

     *   *   *

 ……それから午前2時。 

「なんで、こんなことに……」 

 明美は切れかけた街灯の下で、高志の白い軽自動車の中で憮然としながらその時を待っていた。酒はかなり抜けていたと思うが、その分、自分がものすごくバカなことをしているという自覚も強くなっていた。 

 明美は、今日集まっていた大学生の集団に含まれた女の子の中でも、特に気が強い性格である。しかし、単純な性格で煽り耐性が低いので、挑発されると乗ってしまうところがあった。今日も、煽られた挙句、押し切られる形で、高志と一緒に彼の車に押し込められることになったことに、強い不満を感じていた。 

「……もう帰っちゃおうよ」 明美が言った。「何もなかったよ、って後で言えばいいじゃない」

「そうしたいけれど、あいつらどこかで見ているかもしれないしなぁ……それに、実は、この話には続きがあって……」 

 高志は運転席のドアに肘をついて、外を見ながら言う。

「何さ」

 明美は、今さら後出しするなよ……と思いつつ、先を促す。 

「例の幽霊を見たカップルは、必ず結婚する……」

 明美は一瞬唖然として、それから「バカバカしい」と吐き捨てる。 

「夜中の午前2時に一緒にいるカップルなら、いずれ一緒になっているだろ」

 ぶっきらぼうに言い捨てる明美に、

「夢がないなぁ……」

 と、高志は言った。

「お前と夢があってたまるか」

 苛立ちを含ませた明美の言葉に重なるように、コンコンと運転席側の窓を軽く叩く音が聞こえた。明美は、そちらに目を向け、高志越しに運転席の窓からのぞき込む人影に気付いて驚いて口をパクパクとさせた。

 そこには黄色いワンピースを着たショートカットの若い女が立っていた。

「……」

 本当に出てくると思っていなかったので、指をさしたままぶるぶると震えて言葉を失った明美と違い、高志はすぐにパワーウインドウを下した。

「大丈夫なの?」

 さすがの明美も不安を感じて声を出すが、高志は構わず外の女に声を掛けた。

「どうしました?」

 見た目は、自分たちと同じくらいか年下に見えた。十代後半から二十歳くらいだろうか。やや幼い顔立ちの、可愛らしい印象を受ける女性だった。街灯との位置関係上、外にいる女の顔がそんなにはっきり見えるはずがなかったが、その事実に明美は気づかなかった。

「終電に乗り損ねてしまって……B駅まで送っていただけませんか?」

「構いませんよ」

 高志が勝手に答えてしまったので明美が「ちょっと!」と抗議の声をあげかけたが、手を上げて明美の声を遮った高志が、ヒソヒソと耳打ちしてきた。

「俺には彼女が幽霊や物の怪の類には到底思えない。本当に困っている人がいるのなら、助けてあげるのが人情というものだろう」

 それでも明美は高志の袖をさらに強く「やめよう」という意思を込めて引っ張ったが、高志は無視して、ロックを外した。 

 黄色いワンピースの女が後部座席に乗り込んでくる。

「助かります」

 その声ははっきりしていて、やはり、ごくごく普通の人間に思えた。

 車が動き出した。

 発進してすぐ、「結局B駅まで行くのか……」と明美はぽつりと漏らした。

「お前な……後ろに人が乗っているのに、そういうことを言うなよ」

「そもそも、私が、何であそこにいて、どうしてこんなことになったと思っているのよ」

「もう、そういうことは言いっこなしだろ」

 それでも明美はまだ納得がいかない。高志を責める言葉が次々と出てきた。それに返答する高志の言葉に含まれる苛立ちが如実になってきた。

「……いい加減にしろよ」

「いい加減にするのはあんたのほうでしょ。いつもいつも普段から、お調子者で、いい加減で適当で!」

 正面を向いている明美の目に、トンネルの入り口の輪郭が見えてきた。話通りなら、ここで終わりだ。それまで我慢すればいいだけだったのに、急に別の意味で腹が立ってきた明美は振り返った。

「大体ね! アンタだって、こんな時間に一体何だってのよ!」

「やめろって!」

 明美が怒鳴り、高志が制止する。

 その時、明美は見てしまった。後ろに座る女性の表情は、先ほどまでの柔和なそれではなかった。無表情で両目だけがをカッと見開かれていた。短い髪がふわりと浮き、黒いオーラが包み込んでいるようだった。

 明美だけではなく、バックミラー越しにリアシートの女性に目をやっていた高志も、言葉を失ってしまっていた。明美は恐怖のあまり汗がだらだらと流れてきた。

 それは、間違いなくこの世の者ではなかった。

「お前たちだったのか……?」

 怒りに震えるような女の声は後ろの女のもの。それを声と呼んでいいものかわからない。地の底から響くような……頭の中に直接響くような……そんな声だった。 

「ひぃっ!」と声を上げた明美は車が動いているにもかかわらず、後先考えずにロックのかかったドアを開こうとインナーハンドルを引っ張った。同じものを見た高志は、後ろの女に恐れを感じたか、明美の声に動揺したのか、明美の行動に驚き慌てたのか、ハンドルを大きく回した。さらにアクセルを強く踏み込んだか、突然車が加速する。

 車は横滑りの駆動を含みながらあさっての方向に走り出し、明美は甲高い悲鳴を上げた。その声で我に返ったのか、高志は今度は慌ててブレーキを踏みこんだが、コントロール失っていた車を立て直すことはできず、トンネルの壁に激突して停止した。

     *   *   *

「運転手からも、同乗者からも、アルコールの匂いがしていました」

 事故の通報を受けて真っ先に駆け付けた付近の派出所の若い警官が不快そうに吐き捨てた。吐き捨てた相手は年配のベテラン刑事だった。もっとも、この年配の刑事は、自宅に帰る途中で、事故で道路を封鎖しているのに遭遇して、忙しく走り回っている警官の一人に「何があった?」と声をかけたのだった。

「2人とも、怪我自体は大したことはありませんが、何せ錯乱していて……。事情を聞くのは明日になりそうなんですが……」

 若い警官は小さく首を振って、「まぁ、酔っぱらいの戯言たわごとです」と続けた。

「どうした? 変な供述でもしていたのか?」 

「声をかけた時、噂の女の幽霊を乗せてしまった……なんてことを言っていたのです」

 若い警官は深くため息をついて、「まぁ、酔っぱらいの戯言です」ともう一回繰り返した。

「なんだ。お前さんは、例の幽霊の話を信じていないのか?」

 年配の刑事は茶化すように言った。 

「まさか、こんなバカな話を信じるのですか!」

  年配の警官の言い様に、若い警官は驚いたように返した。

「この手の話は、若いお前さんらのほうが好きそうなもんだと思っていたんだが……最近の若いのはドライなのかね。まぁ、それはさておき、実は心当たりがあってな」

 事故処理に出てきた他の警官は片側車線になったトンネルを交通誘導したり、レッカーに指示を出したりしている。若い警官は、早く戻らなければと思いながらも、年配刑事の話に興味がわいて、「心当たり……ですか」とついつい先を促してしまう。
 
「あれは……30年ほど昔の話だ。俺が刑事になったばかりの頃だ。この辺で、女子大生が行方不明になる事件があったんだ。東京から22時半着の列車でB駅に来るはずだったのに、丸一日以上が経っても連絡もつかない、って捜索願が出された」 

「……何となくですが、聞いたことがあるような気がします」

「お前さんが生まれる前の話だから知らなくても当然かもしれんが、当時は大騒ぎになったんだ。どうやら、その女子大生はB駅の親戚のところに向かう途中で間違ってA駅で降りてしまったらしい。ワンマン列車だったが運転手が覚えていたんだ。まだ携帯電話が普及していない時期だったし、A駅の公衆電話は運悪く壊れていた。終電で次の列車もなかった」 

 1時間に1回しか列車が走らないような田舎の話である。若い警官は地元生まれだからそれが当たり前だったが、東京の娘には想像もつかない出来事だっただろう。 自分が降りる駅を間違えたことに気付いて、その上、この後に列車がないこと気づいた若い娘の驚愕を想像すると、若い警官はとても不憫に思えた。

「それで、その女子大生は?」

 と、若い警官が尋ねた。「死んだのですか?」とは続けなかった。

「今に至るも行方不明だ。……だが、警察の捜査の結果、A駅で途方に暮れていたその女子大生を若いカップルの車が拾ったことがわかった。そのカップルの話だと、B駅に向かう途中で些細なことで喧嘩を始めてしまってな。……仲裁しようとした女子大生に腹を立てた男のほうが、丁度このトンネルのあたりで放り出したらしいんだ」

 真夜中の人気もなく、土地勘のない土地で、放り出された女子大生の心情を思うと胸が痛む。そして、その後何があったのか……。

「本当に、そのカップルは、その後何があったのか知らなかったのでしょうか」

「分からん」

 年配の刑事は大きく首を振った。

「我々は、あらゆる可能性を考え、懸命な捜査を続けた。だが結局、あの女子大生の足取りはまるっきり掴めなかった」

 若い警官は顔を上げて周囲を見回した。どこかから、その女子大生がこちらを覗いているのではないか……そんな居心地の悪さを感じたからだった。 

「まあ、仕事に戻りな」と年配の刑事に促され、若い警官は敬礼して、事故処理に戻ろうとした。その彼の耳に、年配の刑事がぽつりと呟くのが聞こえた。 

「ひょっとしたら、彼女は今でも、あの時仲違いしたカップルを探して回っているのかもな……」 
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