冥界の王と人間の王

弐式

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 全ての人間は、死ぬと冥界に行く。

 その冥界において唯一絶対の存在であるのが冥界の王――すなわち冥王である。

 全ての死神の王であり、冥界で死者たちに責め苦を与える鬼たちの王であり、冥界に巣食う魔物や魔獣たちの王でもある。もちろん、全ての死者たちの王でもある。

 冥王は本来ならば天上の最高神とも肩を並べるほどの偉大な神の一柱なのだが、死者たちの世界を統べるというイメージの悪さからか、天上の神々は、冥王を神の眷属とは認めず、王と呼んでいた。

 その冥王は、冥界を一望できる高台に居を構えていた。それは、とてもとても巨大で豪華な城だったが、その暗い外観は見る者を陰鬱な気持ちにさせた。

 冥界はいつも薄暗く、いつも頭上では雷鳴が轟いていたが、城の中は数え切れないほどのランプに灯がともされ、昼間のように明るかった。しかし、この城の中で、昼の光の下にいるような安心を感じる者はいなかった。

 その中で、大勢の甲冑をまとった屈強の戦士や、見た目麗しい者ばかりで選抜された使用人たちにかしづかれているのが、冥王である。

 冥王にも名があるが、その名はあまりにも偉大で恐れ多い為、この城の戦士も使用人も、冥界の番人たる鬼どもも、死者たちも、口にすることなどなかった。

 口にするのは生者だけである。

 人間たちは冥王の名を讃えた神殿を作り、冥王に貢物を捧げ祭りを催した。

 何人もの芸術家が冥王の姿を想像し、美しい彫像を作り、絵画にも描いた。だが、冥王が死者たちの前に姿を見せることはなかったので、鬼籍となった芸術家たちが、自分たちが作った像や、描いた絵画が真実にどれほど近かったかを知ることは永久になかった。しかし、彼らは幸福だっただろう。冥王は、美の女神でさえ虜にしてしまうほど美しかった。本物の冥王を見ることができたならば、芸術家たちは自分の想像力の貧困さを思い知らされ、己の才能に絶望して発狂してしまったことだろう。

 それだけではない。冥王は戦の神でさえ歯が立たないほどに強く、悪業の神が竦み上がるほど残酷だった。あらゆる神々は、冥王を蔑みながら、いつか来ると予言される冥王が天上の神々にとって代わる最終戦争の日が来ることを怖れ続けていた。

 そして何より特筆されるべき冥王の性情は、あらゆる神々よりも、その使いの天使たちよりも、あらゆる聖人君子たちよりも、公正であることだった。

 冥界は限りなく広大で深い。深く堕ちていけば行くほど、暗い闇に覆われる。深ければ深いほど、凶暴な魔獣たちが数多く生息するようになっていき、冥界の番人たる鬼どもから苛烈な責め苦を与えられた。

 脱走しようにも冥界のほとんどは深い森に覆われており、その中には恐ろしい魔物どもがうようよと生息していた。魔物どもは、時折逃げ出してくる罪深い死者たちを容赦なく追い立て、食いちぎった。

 このような責め苦を受け、魔物に食われても、もはや死人である死者たちが死ぬことはない。岩をやすりで削るように、永遠にも思える長い長い時間をかけて魂がすり減って消えてしまうまで、延々と苦しみ続けるのだ。特に冥界の奥深くへと送られた罪人たちは、何度も何度も繰り返し嘆いた。

 あんなことをしなければ――。

 冥界の何処に送られるかは生前の罪の軽重によって決められる。全ての死者が、そんな罪深い者たちばかりではない。そして、魔獣に襲われたり、鬼どもに死ぬよりつらい責め苦を与えられたりするほど罪深い人生を送ってこなかったとみなされた者は、比較的明るい場所で魂が消えるその日を待つことになる。

 生前の罪の軽重を測り、冥界のどこに送るかを決めることができるのは冥王のみである。

 このような苦しみを与える冥王が、不公正であるはずがない。否、公正とは冥王の行為――いや、存在そのものを指すのであって、いかにその行いが不公正に思えても、冥王の行為は全て公正であるのだ。

 冥王は、暇な時も城を一歩も出ず、美しい城の中を歩いているか、庭園を眺めたりして過ごしていた。

冥王の配下の者たちの中には、冥王を楽しませるための楽団や踊り子たちもいた。冥王は楽団の音楽や踊り子たちの舞に対し、いつも賞賛の声をかけていた。まかり間違って失敗してもそれを咎めることはなく、次に冥王の前に出た時に降格されたり外されたりしていようものなら、むしろ責任者が厳しく叱責された。

 しかし、それを冥王の寛容さや器の大きさの表れであると考える者はいなかった。冥界の王という立ち位置が穿った見方をさせるのか、その死者たちに対する冷徹な態度や彼がまと陰鬱いんうつな雰囲気がそうさせるのか、その裏側に何か底知れない思惑が潜んでいるような気がして仕方ないのだ。

 冥王が城の中を目的なくぶらつくことを好むのも、そんなふうに見られていることを自覚してのことであったのかもしれない。
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