冥界の王と人間の王

弐式

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中.

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 城の中には、数えきれないほどの大小さまざまな鏡が設置されている。それはインテリアではなかった。そして鏡に似ていたが覗き込んだ者の姿を映し出すものではなかった。鏡は冥界の様々な場所を映し出していた。

 冥王は一つ一つ鏡を眺めながら城の中を歩いていた。

 もっとも冥王は一度落とした死者の現在に大した興味を持っていなかった。毎日数多の死者が送られてくる冥界で、いちいち落とした人間のその後を気にかけているだけ無駄だとでも思っているのか、その胸中を知る者は誰もいない。

 だから、一つの鏡の前で足を止めるのはとても珍しいことだった。

 ……この男は確か……。

 冥王がみつめてたのは冥界の最も深いところで苦しんでいる一人の男だった。

 紫色の水の中から悪臭を含んだ泡が湧き出し続けている毒の沼の中にその男はいた。入っているだけで体がしびれ、息をするのも苦しい毒の沼の中では数十人の死者たちが、もみくちゃになりながら槍を持った鬼どもの責め苦を受け続けていた。生きてきた時代は違うが、いずれも歴史に名を残す極悪人どもであった。

 冥王が見ているのは、白髪に白い顎ひげを蓄え、丸々と肥え太った老齢の男であった。しばらく前に冥界の住人になった男である。

 生前はある国の王だった。ただの王ではない。誰もが恐れる暴虐非道の王であった。王の命令によって殺された者は数え切れなかった。

 殺された者とその理由は様々である。

 不正に蓄財していると因縁を付けられ一族全て切り刻まれた商人もいた。たまたま王の機嫌が悪い日に結婚式を挙げる予定だったという理由で教会ごと焼き払われた若い男女とその家族と神父もいた。雨が3日続いたという理由で気象台の長官を殺したこともあったし、晴れの日を喜んだと殺された子供もいた。

 もちろん、王の暴政を戒めようとした勇気ある者がいなかったわけではない。しかし、そういった者たちが、どの様な運命を辿たどったかは、想像に難くあるまい。いつしか王の傍ではおべっか使いばかりが幅を利かせ、賄賂が横行し、政治は乱れきっていった。

 王は生まれながらにしての王であり、生きたいように生き、したいようにして死んだ。最初に暴虐の王が死んだという報せに触れた国民は、王の死を喜ぶ者をあぶり出そうという王の罠だと思った。時が経って、王の死が事実だと知った時には国民は歓喜した。

 その時には、王の傍で政治をわたくししていた者たちは、こっそりと蓄えた財産を抱えて国外や人の目に付きにくい田舎に逃げていた。空っぽになった王宮の国庫。政を担うことが出来る人材の枯渇。内政は大いに乱れ、暴虐の王が残した混乱は、今なお国民を苦しめ続けている。

 その王が冥界に送られれば、最も深い場所に落とされるのは当然と言えば当然のことだ。冥界に生前の地位や貧富など関係はないのだから。

 しかし――。

 冥王は、鏡の向こう側で無数の槍で貫かれて、鏡のこちらからは聞くことのできない悲鳴を上げている王を見ながら、少しだけあわれんだ。

 この男は確かに生前、とんでもない極悪人であった。罪もない者も大勢殺したかもしれない。優しい人たちを大勢泣かせたかもしれない。本来、国を守るために仕えていた兵士たちにも、無益な殺生をさせたかもしれない。

 しかし、この男とて、人間であったのだ。他の者たちと同じように、赤子で生まれ、無邪気な子供の時代を過ごしたのだ。大人になっていく中で、辛いことや苦しいことや悲しいことや――様々な経験を積んで、あのような極悪人になってしまったに違いない。

 もしかしたら、この男にも、何か善行と呼べるような行いをしたのではあるまいか。小さな羽虫の命を救ってやったことがあったのではなかろうか。あるいは枯れかけた草花のために水をやったことがあったかもしれない。

 全知全能の冥王は、人間の王のかつての善行を探してみようと考えてみた。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 ……無いな。

 しばらく考えて出た結論はそれであった。 
 
 見事なまでに思い当たらぬ王である。悪意とともに生まれ、悪意を育み続ける狂ったような人生を送った男である。

 幼いころに父親が死ぬと、弱者への残酷さはすぐに姿を現した。初めての放火は5歳の時。説教をした教師を斬り殺したのは7歳の時。初めて使用人の女を手籠めにしたのは9歳の時、という有様である。

 王になってからは民衆には自分の贅沢のために極貧の生活を強いていたし、役人たちには自分への忠誠を示すために密告を奨励した。弱い者は踏みつぶし、病人からでも容赦なく搾り取った。

 悪魔でも、この男ほど残酷にはなれまい。

 そう感じた冥王は、同時に人間の王のもう一つの顔を思い出し、再び顎に手を当てて考えた。

 良心と呼べるものは見当たらず、怖れというものを知らぬかのように振舞っていたこの人間の王ですら、恐れている存在があった。他でもない、こうして考え込んでいる冥王である。
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