美味しいだけでは物足りない

のは(山端のは)

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 無害だなんてとんでもない

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「やっと帰ってきた! おかえりなさい!」
 玄関を開けてすぐのところでオーレンが待ち構えていた。エプロン姿でなにやらすごんで見せたが、スープの良い香りをまとっているせいか、もともと優し気な顔だちのせいか、むしろふっと和んでしまった。おかえりなさいなんて、ずいぶん久しぶりに言われた気がする。
「……ただいま? まだいたんだ」
「そりゃいますよ。鍵を、かけていかなかったじゃないですか!」
 オーレンはギュッと目を閉じ、拳を握って訴えた。
「え!? そうだった?」

 いくら慌てていたとはいえ、手ひどい失敗だ。彼のほうもさぞかし困ったことだろう。予定を狂わせてしまったかもしれない。
「ごめん、それで出ていけなかったの?」
「それもありますけど……。行ってきますと言われたんじゃおかえりなさいと迎えたくなるじゃないですか」
 怒っているのかと思ったら、彼がゴニョゴニョ付け足した言葉は、あまりに可愛らしいものだった。ナジュアムは目をしばたたき、破顔しかけてハッと口元を抑えた。
「俺、行ってきますなんて言った?」
「言ってました」

 無害そうと判断したとはいえ、初対面の男にどこまで気を抜いていたのだろう。自分でも怖くなった。
 しばしのあいだ無言で見つめ合い、やがてどちらからともなく目をそらす。
「あの、立ち話もなんなので、中へどうぞ。俺の家ではないですけど」
「ああ、うん……」

 すでに充分気まずいというのに、彼はさらに答えにくいことを聞いてきた。
「お昼はちゃんと食べましたか?」
「え? まあ……」
 昼ならパンで済ませたし、なんなら食べきれなくて紙袋ごと持って帰ってきた。そんなのよくあることだというのに、なぜだか後ろめたい気分になる。しかも、下手に隠そうとしたせいで見咎められたようだ。
「それは?」

 見せろとばかりに伸ばされた腕にそっと乗せてみたところ、中を覗き込んだ彼はギョッとしたようにナジュアムとパンを見比べた。
「まさか昼、これだけですか? たった一口? 朝だって食べていないのに」
 責めるような口調だったので、ナジュアムは言い訳じみた言い方になる。
「もう一個買ったんだよ。それは、食べかけたところでお客さんが来たから残しただけで!」

 ナジュアムはそこまで言ってムッと口を閉ざした。なんだって会ったばかりの男に、こんな、言い訳みたいなことをしているんだろう。彼には無関係のはずだ。

「すみません、俺、余計なことを」
 ナジュアムが気を悪くしたのがわかったのか、オーレンは急にしおらしくなった。
「――でも、ちゃんと食べたほうがいいです。夕食は食べますよね? 実はもう、作ってあるんです」
 図体のでかい男が、せいいっぱい縮こまっているのを見ると、どうにも怒りが持続しない。
 朝は断ってしまったし、もしかしたら昼も、ナジュアムが食べに帰るかもと期待していたのかもしれない。

「いただくよ」
 答えたとたん、オーレンの顔がパッと輝いた。
 そんなに喜ばれたんじゃ仕方ない。食べてやろうじゃないか。
 仕事用のスーツから普段着に着替えてリビングに戻ると、テーブルに並んでいたのは春キャベツと鶏肉のスープとカブのマリネだ。しかし、お礼と言っていたわりに意外と質素だ。

「一緒に食べてもいいですか」
「もちろん。君が作ったんだし」
「でも、あなたのうちですし」
「覚えてたんだ」

 少々嫌味っぽい口ぶりになってしまったのはちょっとした抵抗だ。
 けれど温かい料理を前にして皮肉屋で居続けるのは難しかった。そもそも、言われなければ気づきもしなかっただろう。普通に一緒に食べるものだと思っていた。なんなんだろうな、彼のこの人懐っこさは。

 今さら警戒しても遅いけれど、味をみてやる、くらいの気分にはなった。
 スプーンを手に取りじっと見下ろすと、スープには余計な濁りがなく、丁寧に灰汁を取ったのだろうとわかった。
 なによりも、さっきからずっと、早く食べてと訴えかけてくるようなこの香り。
 ナジュアムはゴクっと唾をのみ、スプーン手に取った。一口飲含んだところで、ハッと目を見開く。
 ――美味しい。
 鶏のうま味とキャベツの甘みを引き出す絶妙な塩加減。スープは舌の上でとろけるような味わいだった。くたくたに煮込まれたキャベツは食べやすく、空腹の胃に温かくしみわたるようだった。
 ホッと息をついた瞬間、視線を感じ目線を上げると、オーレンが食べる手を止め、満足そうに微笑んでいた。

「あまり、ものを食べていないようだったので、お腹に優しいものをと考えたんです。あ、でも、足りないようならほかのものも出しますよ」
「ううん、これで充分」
 さっきは質素だなんて思ったが、確かに、揚げ物なんて出されても食べられる気はしなかった。
「けど、オーレンは食べていいんだよ」
「じゃあ、これをいただいてもいいですか?」

 彼が指さしたのは、ナジュアムが昼に食べ残したパンだった。
「けど、それは」
「粗末にするのもなんですし。それともナジュアムさん、全部食べられそうですか?」
「う、全部は無理かな。けど、ちぎってしまったところくらい、責任もって食べるよ」
「なら切りますね」
 パンは少々固くなっていたが、スープに浸せば食べやすい。カブのマリネはシャキシャキした歯ごたえで、レモンの酸味が聞いていてさっぱりと食べられる。
「味、どうですか?」

 しっかりと、人の顔色を見ていたじゃないか。答えなくても知っているんじゃないのか。
「――美味しい」
 照れくささと反抗心が入り混じり、ナジュアムは彼からさっと目を背けてしまった。
 笑った気配にチラリと視線をやれば、オーレンはこちらが驚くくらい無防備に、子供みたいに笑っていた。よかったとかすかにつぶやいた。
 可愛いじゃないか。
 孤児院で共に育ち、いつも足元をうろちょろしていたチビたちのことを思い出してしまった。

「あ、そうだ。お酒飲む? キッチンの向こうは食糧庫なんだ。もう見た? ワインなら何本かあるはずだけど」
「いえ、あちこち見て回るのも失礼かと思って。ワインは……今は結構です。食糧庫には興味があるのであとで見せてもらえますか?」
「ほとんど空だけどね」
「それはもったいない。けど、どうしてですか。ナジュアムさん、料理できますよね」
「……できるけど、自分のためには面倒なんだよ」

 渋々答えると、オーレンは哀れみの目でこちらを見た。
「キッチンが充実してるのは、前の家主の趣味! 料理好きな人だったんだよ」
「ご家族ですか?」
「違う。ここのおじいさんとはちょっとした知り合いでね。彼が亡くなったあと、縁あってこの家を買い取ったんだ」
「そうだったんですね。残念です。話をしてみたかったな」

 彼の声色に労わりを感じて、少ししんみりしてしまった。

「そうだ。名前、伺ってもいいですか」
「名乗ってなかったっけ?」
 少なからず驚いてナジュアムは瞬きした。そうだったかもしれない。こっちは遠慮なくオーレンなんて呼びかけていたけれど。
「それは失礼したな。俺はナジュアム」
「ナジュアムさん」

 何が嬉しいのか噛みしめるようにつぶやいて、もう一度「ナジュアムさん」なんて微笑みながら呼ぶので、やけに心臓が高鳴った。
 無害だなんてとんでもない。彼は、とんだ人たらしなんじゃないのか。一瞬でこちらの懐に飛び込んで、警戒を丸ごとほぐしてしまうような。

「オーレンは、なんだってあんなところで行き倒れていたの」
「それは……」
「犯罪がらみ?」
 ナジュアムが半眼になって問い詰めると、彼は慌てて首を振る。
「いえ、まさか!」
「じゃあ家出」
「家出って年でもないです」
「いくつ?」
「十九歳になりました」
 ナジュアムは内心胸をなでおろす。実は子供でした、なんて言われたら目も当てられない。誘うようなことを言ってしまったし。

「その……。ある場所で料理人をしてたんですけど、追い出されたんです、俺」
 女か。ナジュアムはあたりを付けた。きっとむやみにたらし込んで、それで揉めたに違いない。犯罪よりそっちの方がよっぽどありそうだ。
 続きを聞きたかったのだが、彼はそれ以上話すつもりもないらしく、じっとヤランの使っていた部屋の扉を見た。

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