美味しいだけでは物足りない

のは

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閑話 お隣の奥さん2

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「だからナジュアムさんが越してきたときに、みんなソワソワしちゃったのよ」
 ロザンナが笑いながら話すのを、客人はニコニコと、あるいは感心した様子で頷いてくれる。聞き役がいいのでついついペラペラしゃべってしまった。

「ああ、でもね。いい話だけじゃないのよ。あの人のところね、夜中に時々男が出入りているみたいなのよ。私は会ったことないんだけど、あんまりいい感じの男じゃないらしくて」
 などと口では言ったものの、ロザンナは少々興奮していた。
 夜中に男が訪ねてくるなんて、普通なら眉を潜めるようなことだが、美貌の男の話となると一気に艶めく話題となる。
 恋人かしらと格好の噂なのだ。

「ああ、その人のことなら、もう来ないみたいなことを言っていましたよ。だから俺、住まわせてもらえることになったので」
「あら、そうなの?」
「ですけど、その人が来ても追い返したほうがいいかもしれません。会ったこともない人に、失礼なことだと重々承知ですが、どうも、ナジュアムさんの人が良いのを利用されているみたいな雰囲気があって」

 話しながら客人の眉間にぎゅぎゅっと皺がよった。
 あらあらあら。
 ロザンナは内心、とてもウキウキした。けれどそれをひた隠し、気遣ってみせた。

「心配なのね、ナジュアムさんのこと」
「はい。あの人、俺のことも、ろくに事情も聞かず家に上げちゃったんですよね」
「あなた何か悪いことしたの?」
「いいえ! ただちょっと前の職場で理不尽なことばかり言われて、我慢してたけどもう限界だ! って思って飛び出してきちゃって、……行き倒れかけたわけですが」

 客人は恥ずかしそうに頬を掻いた。そして言葉をつづけた。ロザンナの上っ面の気遣いと違い、純朴な青年の言葉は本心からのものに見えた。

「ナジュアムさんは命の恩人なんです。腹を空かした俺のために、なけなしの食糧でリゾットを振る舞ってくれました。それがすごく美味しくて……。だから、俺、あの人にもお腹いっぱい食べて欲しいんですよね」
「なけなしって?」
「あのうち立派な食糧庫があるってのに、なんと空っぽだったんですよ」
「まあそれは大変! うちから何か持ってく? 何かあったかしら」

 席を立ちかけたところを引き留められる。
「今はもう買い足したので大丈夫です。ああ、でも可能であれば……トマトソースを少し分けていただければ助かります」
「ないの!?」
 ロザンナは目をひん剥いて尋ねた。客人も大真面目に頷く。
「ないんです」

「そんな大げさな話かね」
 それまで横で黙って話を聞いていた夫が、呆れた様子で呟いた。
「だって、トマトソースよ! ないと困るじゃない。ねえ!」
「はい。すごく困ってるんです」
 間違いない。彼は料理を愛する人だ。ロザンナは確信した。
「待ってて。持ってくる。いつも多めに作るから少しなら分けてあげられるわ」
「わあ! 助かります!」

 客人は本当に嬉しそうにトマトソースを持ち帰った。
 そんなに喜ばれると、こっちまで嬉しくなってしまう。

「オーレン君ね、いい子が越してきてくれてよかったわね」
「まだいい子かどうかはわからんよ」
「あら、料理好きに悪い人はいないのよ」
「自分で言ってら」

 夫は憎まれ口を叩くけれど、途中で追い返さなかった時点でもう結構認めているのだ。
 それに、オーレン君はロザンナの作ったトマトソースを活用してくれているようだ。「美味しいです」と飾り気のない笑顔で褒めてくれた。そして今では、料理を交換する仲だ。彼の料理が非常に美味しいものだから、なんだか対抗意識を燃やしてしまう。ロザンナの生活にも張りが出た。

 張りが出ると言えばもうひとつ、二人の仲も楽しい観察対象だ。
 しばらくすると、ナジュアムさんとオーレン君は仲良く買い物へ出かけるようになった。人に対して丁寧に接するナジュアムさんだが、どこか線を引いているようなところがある。
 それがオーレン君にはすっかり気を許しているように見えた。
 その姿を見てロザンナはにっこりした。
 そしてそそくさと、はす向かいの奥さんのところへ出向き、噂話に花を咲かせるのだった。
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