絶滅危惧種のアイロニー

のは(山端のは)

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7 逃亡

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 一週間の健康促進プログラムを受けたあと、気づけば俺の担当が変わっていた。
「前の人は……?」
「移動になりましたよ」
 にこやかに言われる。本当だろうか、処分されたのではないか。一瞬頭をよぎったが、怖くて聞けなかった。
 そういえば俺は、彼の名前も知らない。

「おめでとうございます! 今月からはもっとも重要な務めを果たせますね」
 エデンのスタッフたちが、笑顔で手をたたく。
 もちろん彼らにとっては、俺の高校卒業なんかよりも、こっちのほうがずっと大事だろう。
 もっとも重要な務めとは、生殖行為のことだ。
 彼らは動物の繫殖を見守るような気分なんだろうけど、こっちの気分は最悪だ。だれとも知らない相手にたねを残さなければならないんだから。
 最も確率の高い母体候補と、もっとも確率の高い日を選んで。
 しゅを維持するために、人としての尊厳を捨てなきゃならない。

 思い出すのは、やはりリハルのことだった。彼がロボットだと知っても、触れたいのは彼の唇で、覗き込みたいのは彼の瞳だった。

 勤めの日なんて、永遠に来なければいいのに。
 その願いは、儚く崩れ去る。
「いよいよ、明日ですね。ああ、安心してください。プライバシー保護のため互いの顔は認識できないようになっています」
 にこやかに最低なことを言われる。
 何がプライバシー保護だ。
 情を交わした相手に余計な執着心が芽生えないようにとか、互いに結託しないように、だとかきっと理由があるんだろう。
 実際、旧人類同士の接触を拒むように、俺たちは個室へ閉じ込められている。
 いっそ眠っているうちに、全部終わってしまえばいいのに。

 騒ぎが起こったのはその日の真夜中のことだ。
「火事だ!」
 だれかが叫ぶ声がして、部屋のドアが開け放たれた。
 燃えているのは、どうやらこの建物らしい。
 俺と同じか、少し上くらいの年頃の男たちが、次々部屋から飛び出してくる。
 建物の外に出たものの、だれもが戸惑っていた。
 変な男が、何かわめいている。

「■曜日には、すべての穢れを祓いましょう!」
 その言葉を聞いて、体中の血が沸騰するかと思った。
「お前らがいなければ、じいちゃんたちはっ!」
 俺は男に殴りかかった。

「イスミくん、落ち着いて!」
 スタッフが近づいてくる。彼らに捕まったら注射を打たれておしまいだ。
 だがその時、建物の中で爆発が起こった。窓が割れてスタッフの一人が倒れ込む。
 背中にガラスが刺さっているのに、彼は平気な顔で起き上がった。その恐ろしい姿を見て、周りから悲鳴が上がった。

 スタッフがそちらに気を取られた隙に、俺はさっと駆け出していた。
「イスミ君!」
 あちらこちらから、■曜日崇拝の声が聞こえる。
「なんなんだ、あいつら、どうやって入ってきたんだ!」
 だれかが叫んだ。
 俺もようやく気が付いた。そうだ、エデンは普段閉ざされている。
 あいつらは、どこから入ってきたんだ。

 考えに気を取られ、思わず足が止まる。
「イスミくん、こっちです!」
 ひそめられた声が聞こえて、反射的に視線を向けると、暗がりに立っていたのは、前の担当者だった。
 彼のひどい有様に、俺は思わず口元を押さえた。
「怖がらせてすみません……」
 彼は自分の姿を恥じるように、そっと顔面を手で覆い隠した。
 彼の顔半分は大きくえぐれ、目玉が飛び出してしまっていた。

 急に変わった担当。一瞬よぎった処分という言葉。そして……。
 ――死ねば、エデンから出られる。
 彼は、ゴミのようにエデンの外に捨てられたんじゃないのか?
 いや、それよりも。

「まさかあんたが、彼らを招き入れたのか?」
 すると彼は片方だけの顔で、満足そうな笑みを浮かべた。
「出たかったのでしょう? イスミくん、外へ」
「……どうして、そこまでするんだ……」
 俺は呆然とつぶやいた。
「わかりません」
 彼はまだ笑みを浮かべたままだ。
「ただ、あなたを見ていると、何でもしてあげたくなるんです」

 唐突に、リハルの言葉を思い出した。

『あなたは、刺激的過ぎる。君は僕らを壊しかねないほど、不可解で、強烈で、魅力的だ。きっとみんな君を共有したがる』

「私たちは、人類を愛するようにプログラムされています。愛さずにはいられないんです」

 じゃあ、リハルも……?
 心臓が引き絞られるように痛かった。
 リハルとのあの日々も、単に俺を喜ばせるための行動だったのか。
 俺が彼を望んだから――。

 だけど、それでも、たとえ真実がどうであっても。
「……俺は、リハルに会いたい……。ここから出て、会いに行きたい」
「ならばこちらへ。案内します」
 たとえ俺が向かうのが、他の男のところでも、それでも、彼は俺の願いを叶えるつもりらしい。
 なんて悲しい生き物なんだ。

 彼についていこうとしたその時、悲鳴が聞こえた。

「きゃ!」
 そして一瞬、バチッと音を立てながら何かが光った。

 男が、女性に襲い掛かっていた。襲われている方も、襲っている方も、どちらも旧人類のようだった。
「なあ! 証明させてくれよ。俺は『種なし』なんかじゃない! ここを追われたのは何かの間違いなんだ。お前が孕めばその証拠になるだろう!」
「おい、やめろよ!」
「イスミ君!」
「なんだ、おまえ、邪魔しようってのか! ……いいよな、おまえは務めを果たせてよう!」
 男が殴りかかってきた。避けたつもりだった。だが、何かが首をかすめたと思った瞬間、バチッと大きな音がして、激しい痛みに襲われた。
「イスミ君!」
「おい、どこ行った。待てよ、女ぁ!」

 意識はあった。けれど、痛みと恐怖でうまく動けなかった。
 そんな俺を引きずるようにして、彼は進んだ。
 たどり着いた先は、ゴミ捨て場だった。
 ひどい臭いがした。
 彼はその場に崩れ落ちる。
「利用できなくなった旧人類も、新人類もみなここに捨てられます。余った細胞や、育ち損ねた赤子なんかも。イスミくん、行ってください。朝になれば、この炉に火がともります。その前に、抜け出して……」
「あんたは……」

 彼は静かに首を振った。もう動くこともできないのに、必死に腕を上げて指をさす。
「向こうに森が見えるでしょう? その先に湖があります。泳ぎ切れば、旧市街です」
「だけど……」
 彼をこんなところにおいておくことに、抵抗があった。
「振り返らないで、イスミ。私は死ぬのではありません。生まれ変わるんです」
「生まれ変わる?」
「行って、イスミ」

 彼は笑みを浮かべたまま、完全に動きを止めていた。
 そのとき、ゴミ捨て場の外で足音が聞こえて、俺はとっさに口を押えて悲鳴を飲み込んだ。

「イスミは?」
「ダメです、反応がありません」
「……死んだのか?」
「わかりません、うまく位置情報がつかめなくて」
 息を詰めて、スタッフの会話を聞いていた。
 位置情報がつかめないだって? 一体どうして――。
 俺はハッとまだ痛む首筋を意識した。まさか、さっきのあれで?
 彼らの足音はやがて遠ざかっていった。
 俺は、言われた通り湖を目指し、向こう岸まで泳ぎ着いた。
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