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第36話 揺れる思い、揺るがぬ無邪気さ
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ファリダット町の家に戻ったアルスとマルタ。帰り道の騒動とは打って変わり、家の中は静けさに包まれていた。しかし、それも束の間だった。
「もぉ~! ほら、こうやって足で地面を掘って……お牛さんの真似!」
マルタが楽しそうに声を上げながら、紅き猛牛を真似して家の中を駆け回る。その無邪気な姿にアルスは一瞥をくれただけで、深くため息をつき、椅子に腰を下ろした。
「ふぅ……」
彼は両肘を膝に置き、顔を手で覆うようにしてうつむいた。その心の中は荒波のように揺れていた。先ほどの大臣の言葉が頭を離れない。
「リラ王女……」
アルスはその言葉を繰り返し呟いた。その視線が自然とマルタに向かう。彼女は部屋の片隅で勢いよく倒れこみ、「アルスおじさんの技、バックドロップ!」と叫びながらふざけている。
「……あれが王女だというのか」
彼の脳裏には次々と思い当たる節が浮かんできた。深緑の霊域での出来事。傷ついて倒れていたマルタの姿。あれは明らかに何かから逃げていた時の傷だった。そして、あの危険な森に、普通の子供が一人で迷い込むなどあり得ない。
さらに、ネーベル湿原での霧蛙の子との出来事――あの時、マルタに心を開いた霧蛙の子の姿は、彼の常識では考えられないことだった。何か特別な力が、彼女にはあるのではないか。そう思わざるを得なかった。
「アルスおじさん?」
その時、マルタの声が思考の渦中にいるアルスを引き戻した。彼女はニコニコと笑いながら近づいてきた。
「私はアルスおじさんと一緒にいるよ? 冒険が楽しいから!」
無邪気に笑う彼女の顔に、アルスは少しだけ眉をひそめた。
「冒険じゃない。クエストだからしているだけだ」
淡々とした声で一蹴する。その言葉にマルタは少しだけ目を丸くしたが、すぐに明るい声で続けた。
「じゃあ、兵士さんたちいっぱい来るかな?」
「……さぁな」
その言葉にアルスはぎゅっと拳を握った。彼の頭の中には、あの大臣の嫌味な笑みと、不穏な言葉が浮かんでいた。
「あの大臣……何か隠していそうだな」
アルスは低く呟いた。そのまま椅子から立ち上がり、マルタの頭を軽くポンと撫でた。
「少しだけ出てくるぞ」
「えっ、どこ行くの?」
「すぐ戻る」
アルスはそう言い残し、マルタを家に残して扉を開け、夜のファリダット町へと歩き出した。
彼が向かった先は、町外れにある小さな酒場だった。その店の木製の扉を押し開けると、中は薄暗く、かすかな灯りが揺れている。奥のカウンターには細身の紳士風のマスターが立っていた。グラスを丁寧に拭いている彼は、扉の音に気づくと顔を上げ、目を細めて微笑んだ。
「おぉ、お久しぶりですアルスさん。いつ以来ですか?」
「……久しぶりだな、マスター。だいぶ久しくか」
アルスは淡々と答えながら、カウンターの椅子に腰を下ろした。マスターは静かに頷くと、棚から一本の瓶を取り出し、鮮やかな蒼い酒をグラスに注いだ。
「いつものです。今日はお久しぶりということで、私のおごりです」
マスターはニコッと微笑みながらグラスを差し出す。その顔に、アルスもわずかに微笑みを返した。そして、静かにテーブルに金貨を一枚置いた。
「おごりは受け取らない主義だ」
「ふふ、相変わらずですね」
二人は静かに笑みを交わした。その後、アルスは少し言葉を切り、真剣な表情でマスターを見つめる。
「マスター、悪いが聞きたいことがある」
「……ほう、アルスさんが私に何かを尋ねるとは……何かに巻き込まれましたか?」
マスターは興味深そうに首を傾げながら、グラスを拭く手を止めた。
その後、アルスはマスターとの短い会話を終え、再び夜の町を歩いて家へと戻った。扉を開けると、家の中は静まり返っていた。
「……寝たか」
アルスはそっと中へ足を踏み入れると、マルタが布団の中でスヤスヤと眠っている姿を見つけた。その無邪気な寝顔に、彼はわずかに顔を緩める。
「……全く」
そう呟きながら、椅子に腰を下ろすと、彼の心の中には新たな不安と決意が入り混じっていた。この夜の静けさの中で、彼は次の一手を考え始めた。
「もぉ~! ほら、こうやって足で地面を掘って……お牛さんの真似!」
マルタが楽しそうに声を上げながら、紅き猛牛を真似して家の中を駆け回る。その無邪気な姿にアルスは一瞥をくれただけで、深くため息をつき、椅子に腰を下ろした。
「ふぅ……」
彼は両肘を膝に置き、顔を手で覆うようにしてうつむいた。その心の中は荒波のように揺れていた。先ほどの大臣の言葉が頭を離れない。
「リラ王女……」
アルスはその言葉を繰り返し呟いた。その視線が自然とマルタに向かう。彼女は部屋の片隅で勢いよく倒れこみ、「アルスおじさんの技、バックドロップ!」と叫びながらふざけている。
「……あれが王女だというのか」
彼の脳裏には次々と思い当たる節が浮かんできた。深緑の霊域での出来事。傷ついて倒れていたマルタの姿。あれは明らかに何かから逃げていた時の傷だった。そして、あの危険な森に、普通の子供が一人で迷い込むなどあり得ない。
さらに、ネーベル湿原での霧蛙の子との出来事――あの時、マルタに心を開いた霧蛙の子の姿は、彼の常識では考えられないことだった。何か特別な力が、彼女にはあるのではないか。そう思わざるを得なかった。
「アルスおじさん?」
その時、マルタの声が思考の渦中にいるアルスを引き戻した。彼女はニコニコと笑いながら近づいてきた。
「私はアルスおじさんと一緒にいるよ? 冒険が楽しいから!」
無邪気に笑う彼女の顔に、アルスは少しだけ眉をひそめた。
「冒険じゃない。クエストだからしているだけだ」
淡々とした声で一蹴する。その言葉にマルタは少しだけ目を丸くしたが、すぐに明るい声で続けた。
「じゃあ、兵士さんたちいっぱい来るかな?」
「……さぁな」
その言葉にアルスはぎゅっと拳を握った。彼の頭の中には、あの大臣の嫌味な笑みと、不穏な言葉が浮かんでいた。
「あの大臣……何か隠していそうだな」
アルスは低く呟いた。そのまま椅子から立ち上がり、マルタの頭を軽くポンと撫でた。
「少しだけ出てくるぞ」
「えっ、どこ行くの?」
「すぐ戻る」
アルスはそう言い残し、マルタを家に残して扉を開け、夜のファリダット町へと歩き出した。
彼が向かった先は、町外れにある小さな酒場だった。その店の木製の扉を押し開けると、中は薄暗く、かすかな灯りが揺れている。奥のカウンターには細身の紳士風のマスターが立っていた。グラスを丁寧に拭いている彼は、扉の音に気づくと顔を上げ、目を細めて微笑んだ。
「おぉ、お久しぶりですアルスさん。いつ以来ですか?」
「……久しぶりだな、マスター。だいぶ久しくか」
アルスは淡々と答えながら、カウンターの椅子に腰を下ろした。マスターは静かに頷くと、棚から一本の瓶を取り出し、鮮やかな蒼い酒をグラスに注いだ。
「いつものです。今日はお久しぶりということで、私のおごりです」
マスターはニコッと微笑みながらグラスを差し出す。その顔に、アルスもわずかに微笑みを返した。そして、静かにテーブルに金貨を一枚置いた。
「おごりは受け取らない主義だ」
「ふふ、相変わらずですね」
二人は静かに笑みを交わした。その後、アルスは少し言葉を切り、真剣な表情でマスターを見つめる。
「マスター、悪いが聞きたいことがある」
「……ほう、アルスさんが私に何かを尋ねるとは……何かに巻き込まれましたか?」
マスターは興味深そうに首を傾げながら、グラスを拭く手を止めた。
その後、アルスはマスターとの短い会話を終え、再び夜の町を歩いて家へと戻った。扉を開けると、家の中は静まり返っていた。
「……寝たか」
アルスはそっと中へ足を踏み入れると、マルタが布団の中でスヤスヤと眠っている姿を見つけた。その無邪気な寝顔に、彼はわずかに顔を緩める。
「……全く」
そう呟きながら、椅子に腰を下ろすと、彼の心の中には新たな不安と決意が入り混じっていた。この夜の静けさの中で、彼は次の一手を考え始めた。
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