失われた相場譚2~信用崩壊~

焼き鳥 ◆Oppai.FF16

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第16話・静観

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「今朝のトースト、美味しかったよ」

 PCルーム、背後に陣取った法帖老が、ご機嫌で。

「あ、はあ、恐れ入ります」

 背中で返答する。
 ザラ場は既に開場しており、目の前の板表示は目まぐるしくピコピコしている最中だ。
 目が離せない。

「しかし、契約に朝食作りなどは入ってなかった筈だが」

 背後の法帖老、今は普通の椅子に座っている。
 車いすは無く、祢宜さんもその横に立ってニコニコしているだけだ。
 契約のサインをした直後、おもむろに車いすから立ち上がり、かくしゃくと歩み寄ってきて握手を求められたときは、少し驚いたが。

「ああ、はい、まあ日頃の癖と言うか、そんなワケで」

 隣に座ってる宇藤が、チラとこちらを見る。
 それほんと? というような横顔で。
 まったく、この女は……

 とにかく、契約さえしてしまえばこちら側の人間になったのだから、もう芝居をする必要はなくなったと言われたのだった。

「日頃? キミぐらいの年齢なら、朝は食べないとかせいぜいコンビニで菓子パンかじるとかじゃないのかね」

 それは、かなり偏った思い込みに思えた。
 しかし、館の老主とくれば車いすに乗ってるもの、と思い込んでるくらいだから、それもまあ無理もないかとも。

「え、ええ、実はそうなんですよ」

 だから、話を合わせておくことにした。

「コンビニの菓子パンって、なんか癖になるんですよね」

 確かに、菓子パンはカロリー補給には適している。
 それに、設計データの作成は頭脳的な体力仕事だからな。
 甘いものは、すぐ脳の燃料になると言われてるし、その実感もある。

「だから朝は、もっぱらコンビニで買ったもので済ませてます」

 将棋の対局で、棋士が甘そうなケーキとかをバクバク食ってるのを見たことがあるだろうか。
 それはたぶん、同じ理由なんじゃないかと。

「そうかね、ふむ……」

 もう少し話を伸ばすかな、と思ったが、法帖老はそれ以上は突っ込んでこなかった。
 それで少し気になって振り向いてみたのだが、その時は法帖老が傍らの祢宜さんに目くばせをしているところだった。

「ワタシです。はい。もうすぐ今日の銘柄が決まりますので……」

 隣の宇藤、テーブルの端にある内線電話を使い始めた。

「フォロー、よろしく」

 横目で俺を見ながら。
 それは、地下に居るサラ・美原コンビに言うのと同時に、俺にも言ったように感じた。
 つまり、雑談は止めて仕事を進めろと言う意味で。

「銘柄は、昨日のETFともう一つ」

 昨日のザラ場終了後に、サラにPCのアプリケーションをイジってもらっていた。
 今日は2銘柄のフル板が同時に見られるようになっている。

「例のメガバンクだ」

 昨日、俺が銘柄を変える前に表示されていた銘柄だ。
 サラも、それが関係しているかもと言っていた。

「聞こえた? じゃあ、動作監視の方よろしくね」

 銘柄は、昨日と同じく出来高の多いものから選ぶつもりだった。
 しかし、今日も出来高トップは、このETF。
 選択の余地は無かった。

「時刻も今ぐらいだったろ」

 受話器を持ったままの宇藤に向かって。
 時刻は10時3分前。
 このタイミングで俺が両建てをすると、板の両端がピコピコし始めたのだが。

「そうね」

 真剣な表情で首肯して、宇藤。
 本気モードになってるようだ。
 俺もそれに合わせることにする。

「では行く」

 昨日と変わらず、ティック抜きの餌食になって過熱気味な板に、両建ての注文を送り出す。
 今日は13350円(空売り)と13340円(買い)からスタートだ。

「……よし」

 今日も簡単に、1段ずつ1枚ずつの両建てが成立。
 まあ、両建てはこっからが本番なんだが。

「注文が約定、そっちに変化は? ……え?」

 宇藤が地下から何か言われてるらしい、なにやらテーブルの奥の方をゴソゴソ探り始めた。
 だが、今はそれを気にしてる場合じゃない。

 今日は値動きが鈍い。
 いや、約定数は相変わらず多いのだが、昨日のようなある意味で意思を持ったような、値動きに明確な方向性みたいなものが感じられないのだ。

 基本は下げ方向か。
 しかし、2~3段とれたら撤退する口が多いようで、上は13370円、下は13320円の間でピンポン状態だ。
 これでは、損切+建て直しすらできない……

「かじやっ!」
「うはっ!!」

 ビックリした!
 いきなり面前のディスプレイから俺を呼ぶ大声が!

「加治屋、こっち」

 声の主はサラのようだった。
 ビビりながらも音源を探す。
 それはすぐに、ディスプレイの真後ろに見つかった。
 昨夜FPSをやった時に使った、ミニコンポだった。

「こっちを見る」

 いや、こっちと言われても。

「こっちってどっちだ」
「上よ上、壁のディスプレイ」

 横から宇藤。
 壁の、正面にあるディスプレイを指さしている。

「あ、おお、元気かチビッ子」

 壁のディスプレイ(両建てには多くの情報は必要ないので、今日はテーブルの上のしか使っていなかった)の、真ん中下側の一枚に、下から覗き込んでるアングルでのサラが映し出されていた。

「チビッ子言うな」

 サラの横には、美原さんが居るのも見える。
 テーブルやキーボードは見えるのにディスプレイが見えないところを見ると、カメラはディスプレイについてるものを使ってるんだろうな。
 だから、こちらもサラが映ってるディスプレイに向かって手を振ってやった。

「見えてるぅ~?」

 昨日、PCをいじった時にこんな仕掛けもしてたのか。ミニコンポまで使って。
 チビッ子侮れず!
 しかし、なんかこういうのって、少年の心が呼び覚まされるというか、テンションが上がるというか。

「やってる場合なの? まったく……」

 呆れた声で宇藤、続けて。

「サラ、そちらに何か変化は?」
「今のところなにも無し」

 ディスプレイの中のサラが肩をすくめる。

「板の端のピコピコも、今日はまだ発生してないな」

 フル板の上端と下端を表示させた。
 しかし今日は、昨日のような注文数の増減は起きてなかった。
 気になって表示させてみたが、例のメガバンクの板も同じような状況だった。

「……いや、しかしまあ」

 抜き差しならない。典型的な両建て殺しの展開。
 まあ、手数料が無料なのが唯一の救いか。
 シミュレーションじゃないんだからな、気を入れていかなければ。

 そう、シミュレーションではないのだ。
 昨日、契約後に法帖老から伝えられた。
 もちろん、1千億円という金額も。
 全てリアルであると。

 そんなワケだから、宇藤は東証の人間として、別の人間それも免許を持ってない人間にトレードを代行させてる現場を見過ごすわけにはいかないらしい。
 
 だから、法帖老にザラ場中は必ずPCルームに居るようにと要求したそうな。
 つまり、PCの操作だけを頼んでるんであって、あくまでもトレード自体は本人の意思によって行われてる、という体裁をとりたいらしいのだ。

 いや、四角四面で分かりやすくて非常に結構だ。

 だが、実際のトレードが1枚2枚なら、そこまで几帳面な対応しなくてもいいとは思うが。
 別にすぐにゼロ円になるわけじゃないし、1段のロスはつまり1000円にすぎないのだから。

「まったく、小学いや小額投資はサイコーだぜ」

「小学生が、なんですって!?」
「加治屋、ロリコン?」
「加治屋さんって……」

 横と前方(それに恐らくは後方からも)から、一斉にクレームが付いた。
 いやちょっと待て、いくらなんでもその聞き間違いは無理ありすぎじゃね!?

「納得いかねえ!」

 因みに、例のピコピコは前引けまで発生しなかった……


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