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第51話・Hold The Lineと言ってもいわゆるスタンプアプリの事ではありません

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「そうですか、姉さんがそんなことを」

 大変失礼しました、と館の庭のベンチから立ち上がって頭を下げる。
 バックは正午の青い空と白い雲。
 昨夜のショー会場に居た青年だ。
 名前は野崎のざき 栄樹えいきと言った。

「いや、そこまでの事じゃないから」

 若干逆光なので微妙に眩しい。
 それで手を翳そうとして、膝の上に置いていたカレー皿を落としそうになる。
 (石上さんが作って冷凍してくれてたもので、昨日も昼食はこれだった)

「とりあえず飯を食おうぜ」

 そう言って、栄樹を座らせる。
 栄樹は、胸の前に持ち上げていた自分の弁当箱を降ろしながら。
 再びベンチ(俺の右隣)に座った。

「庭の手入れの進み具合はどう?」
「あ、ええ、それは問題無く。あと2時間ほどで終わりそうです」

 たしかに、今日見ていた感じではそつのない手際で。
 別にウソを言ってる様子はなかった。
 そこら辺の、仕事に対する姿勢は姉とは違うのか。

 まあ、姉の方も事情を聞くと無理のないところもある。
 最近の株の大暴落に巻き込まれて、信用で買っていた姉は大損したらしい。
 (損を確定したくなくとも、追証になって強制決済されたんだとか)

 どうも倒産しそうな米国の証券会社を韓国が救おうとして急に止めたとか。
 なんか酷いことになってるのな、最近の相場は。

 それで、娘の借金を返済する為に父親(清掃会社の社長だ)が金策に走って。

「しかし、今朝会った時は驚いたよ」

 ショー会場の整理係(?)の青年がなんでここに!? と。
 それは、金策で父親が手持ちのクラッシックカーを競売に出す為で。
 ショーに参加する条件として、整理係の人員の提供を言われたのだとか。

「アメリカから駆けつけてくれたそうです」

 クルマをショーのホムペに掲載すると、すぐに問い合わせが入ったらしい。
 どんな大金持ちのジジババが来るのかと思ってたら、あの純音だったと。
 それは栄樹も驚いていたようだが。

「簡単に見抜かれましたね、単なるレプリカだって」

 ジャガーEタイプ・ライトウェイトの本物なんて日本に無いのは常識……
 と、栄樹はよく分からないことを呟いていたが。
 どうも純音は、そのジャガー何とかに異常な執着を持っているらしい。

 つうか、米国で何してるんだ純音……

「そう言えば昨夜、ショー会場で」

 栄樹の方は、昨日から俺の顔を見て知っていたので。
 昨夜もすぐに分かったそうな(クルマで判断したんじゃなかった)。

 いや、これは恥ずかしい。

「僕も驚きましたよ」

 下の方から、なかなかいい音を立てて上がってくる奴がいると。
 どんなクルマなんだろうなと思って待っていると。
 それは館の管理人と、白いスタリオンだったと。

 なんでも、あのスタリオンは走り屋の間では有名なクルマらしい。
 持ち主は死んで廃車になったと聞いてたのが、いきなり八方に現れて。
 しかも最新型のロータスを凄い勢いで追い回してるのだから。
 それはまあ驚くか。

 因みに、一緒にいた40絡みの男性も同じ職場の人だった。
 今は他の庭師数人と一緒に、館の玄関の下の日陰で食事中だ。

 今朝会った時には、開口一番「ちゃんと抜いただろうな」と訊かれたが。
 ぶっちぎられたと言った時の、明るい笑顔が印象的だった。
 まあ無事でなにより、と背中をバンバン叩かれて。

「若い連中はみんな大盛り上がりでしたよ」

 英樹がそう言ってフォローしてくれる。
 連中は、ついて行けてたところしか見てないからなあ。

「つうか、キミも若いだろ」

 と、普通につっこんだ、つもりだった。
 いや、まだ俺もこんなセリフ言う年齢じゃないとは思ってるんだが。
 しかし。

「いえもう来年30ですから」
「え……」

 俺のたった一つ下……
 なんでここら辺は若作りな奴ばっかなんだ!?

 聞くと、大学の4年間だけ東京に居て、卒業と同時にこちらに戻って。
 父親の知り合いの、造園業の会社に就職して現在に至るのだとか。
 県北ではわりとよくある人生設計らしい。

 あ、じゃあその可愛らしいキャラ弁は……

「え、もちろん嫁が作ってくれたんですが」

 子供用のついでですけどね、と、照れ隠しにならない追い打ちまで追加で。
 ううっ、まあ二十台で嫁や子供が居ても別におかしくないっちゅうか。
 むしろそれが自然なんだろうなとは思うけどさあ。

「ご、ごちそうさま……」

 いまだ独身という冷酷な現実を突きつけられて。
 とてもトホホな気分になってしまった。

「……? ああ、昨日の事がまだ気になってるんですね」

 と、栄樹が気づかないふりでフォローしてくれる。
 もちろん競争に負けてガッカリって話じゃないのは分かってるだろうに。

 でも、栄樹たちにも言ってない事があるのだ。
 それは昨夜の続き。
 例の舗装林道を走り終えて、塩原の町中に出てきた時の事。

 行き先案内の看板が無いので。
 最初の四つ角の交差点の中の駐車場で途方にくれていた時だ。
 不意に胸ポケットのケータイが鳴ったのは。

 すぐに出た。
 しかしそれは一回だけ鳴ってすぐに切れた。
 表示された電話番号は覚えのないものだった。

 間違いかな、と思ったところでケータイが未だにランプを光らせてて。
 それは実はショートメールだったのだ。

 すぐに開いた。
 するとそこには、こう書かれていた。

 『今夜はありがとう
  また会えると信じています
  それまで二人のことをよろしく』

 …………
 ケータイの番号は大学時代から変えてなかったし。
 内容からしても純音からのもので間違いないと思ったが。

 とにかくすぐに表示されてる電話番号にかけてみた。
 すると思った通り、着信拒否を意味する申し訳なさそうな機械音声が出た。

 しかし、本当に後輩たちが心配なのな。
 何とかしてやらなければ……

 というワケで、まだ純音と繋がりはあるのだと自分を慰めてたんだが。

「大丈夫ですよ、昨夜の甘露さん、きっと加治屋さんに気がありますよ」

 と、栄樹が嬉しいことを言ってくれる。
 なんだよ、分かってるんじゃねーか!

「姉が結婚する前の頃と雰囲気がそっくりでしたから!」

 ……そ、それって、喜んでいいのか……?


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