此岸にて~失われた相場譚~

焼き鳥 ◆Oppai.FF16

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第2話・鬼女

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「あなただって事はすぐに分かったわ」

 通されたホールの奥のスクリーンルームで、鬼の女性はウンザリした様に言った。

「あなたの、E線えーせんの弾き方には癖が有り過ぎるのよ」

 売り方を最初に応対したカウンターレディが、紅茶を二杯お盆に載せて部屋に入って来た。

「こんな奴にお茶なんか出すことないわよ」

 カウンターレディは、お茶と茶菓子をテーブルの上に置くと、10畳ほどのその部屋の隅に有った丸い簡素な椅子に座った。

「酷い言われようだな」

 彼女はつまりボディーガード代わり、或いは銀行からの監視役という事だろうか。
 鬼の女性は銀行内でそれなりの要職に就いており、面会者の売り方に至っては、その筋では知らぬ者は居ないと言われた、海千山千の山師だ。
 それ故、彼らを二人っきりにしない事は、銀行としては当然の配慮だった。

「まあ良いわ……まだ優しい方よ」

 カウンターレディを監視役と受け取った鬼の女性が諦める。
 そして出された紅茶に口をつけた。
 カップを持つ左手。多くののピアニストがそうである様に、彼女の指もまた長く美しいものだった。
 その薬指を一時はシンプルな指輪が飾っていたが、現在は無い。

「ふむ、最近は更に稼ぎまくってる様だな? 大したもんだ」

 左手に売り方の視線を感じていた鬼の女性が、独身で稼ぎに徹している=金の亡者、である事を揶揄されたと勘違いし、猛然と反論し始める。

「何言ってるの? そっちこそどうなのよ! 何なの、この間の暴落騒ぎは」

 嘗て売り方が証券会社の自己売買部門に居た頃、商品先物のディーラーだった彼女とは裁定売買の相場で丁々発止を演じた間柄だった。
 男女の関係だった頃もあった。簡単に破綻したが。

「知らんね、三重野がまた何かしたんじゃないか?」

 とりあえず惚けてみせる売り方。
(因みに三重野とは当時の日銀総裁であり、バブル潰しと称して行なった金融引き締めがその後失われた二十年を呼んだとして、いま尚低評価である)

 彼女の、為替のオプションを証拠金に異市場裁定売買で板を圧倒する、鬼神の様な買い上がりには、一切の迷いが無かった。
 その上、指の美しさに相応しい容姿と美貌を兼ね備えていた為、取引所で向かわれた他の参加者(多くはムサい野郎どもだ)たちは、たまったものではなかった。

「ネタは割れてるわよ。あれでヘッジファンドが何社トんだと思ってるの?」
「知るかよ」

 某大手証券も結構な角度に傾いたが。

 そのくせ一旦相場が動かないと見るや、場中でも寝たり、旅行に出掛けたりもした。
その影で幾つかの業者や個人が破産に至る事を承知の上で。
 その豪胆さをして、市場参加者たちは彼女を鬼の裁定師と呼んだ。

「じゃあ何しに来たの? お金なら腐るほど持ってるんでしょうに」

 そんな鬼が、今は銀行の為替部門で活躍していると風の噂を聞いていた売り方は、その伝を辿れば、少女を治すモノを持っている奴に会えるのではないかと考えたのだ。

「そ、それはな……」

 売り方にとって、少女の件を他人に聞かれるのは辛かったのだろう。
 口ごもり、監視役の女性を横目で見る。

「……お茶が冷めてるわね、熱いのに入れ替えて来てちょうだい」

 実際には、紅茶は冷めていなかった。が、売り方の逡巡を見て、話がプライベートなものになる、そう感じ取った鬼の女性が人払いをしようとしたのだ。
 だが監視役の女性も察したか、申し訳無さそうにフルフルと小さく首を横に振った。

「上には言っておくから」

 フルフル……。

「3分間だけで良いの、お願い」

 押し負けた監視役の女性が、では忘れ物をとってきますと言って席を立った。

 この後、恐らく彼女は上司から叱責を受けるだろう。それに対する謝意を込めて、売り方はドアを開ける女性に、自分の顔の前で、左手で手刀を翳して見せた。
 監視役の女性は、それに気付かなかった風で出て行った。

「では手短に言うぞ」

 売り方は、これまでの経緯を要約して伝えた。
 駆け引き無しで情報が欲しい、と。

 一通り聞き終わった鬼の女性が、ため息と共に答える。

「そんなもの、有るワケないじゃない」

 有ったら人が病気で死ぬなんて事無くなっちゃうでしょ、とも。

「そういう通り一遍な事が聞きたいワケじゃない!」

 食い下がる売り方。

「顧客の中に金持ちの妖怪みたいな爺とか居るだろ? そいつらがどんな薬飲んでるかだけでも良いんだ! 頼む!」

 少女の治療には、病院も医師も超一流を揃えた。設備や器具も勿論の事、開発中の新薬すら使わせたのだ。

「だから、そういうのは医者の方が詳しいでしょ? で、彼らは何て言ってるの?」

 売り方の脳裏を、医師達の沈痛な面持ちがよぎる。

「くっ……」

 全くの正論だった。売り方は反駁の論拠を失ってしまった。

「でもまあ、正確に言うと居ないわけでもないけどね」

 項垂れる売り方を哀れに思ったか、鬼の女性が呟くように話し始めた。

「相場の神なら、きっとね」
「……神だと? そんな居もしないものを!」

 売り方が、証券会社の自己売買部門に配属された当時、コーチ役の先輩社員から教えられた事。

 歩み値を見ても分からない。
 日足を見ても分からない。
 だが日中の1分足に僅かな違和感。
 30分足辺りで予感めいて。
 しかし1時間足ではまた見えなくなって。
 見返す30分足にももう何も感じられなくなって。

 具体的な数字以外の、何か良く分からない外からの力が板にかかってる状態。
 若しくは玉の出し入れ。合わない勘定。
 それらの殆どは単なる数字の打ち間違いか錯覚だが、稀にどう考えてもオカシイと思えるケースがある。
 誰もが関わりを否定する仕手。謎の介在。
 それを、相場の欠損を埋める存在=相場の神と呼ぶのだと。

「それが、ホントに居るのよ」
「バカな」

 売り方は、それを単なる概念上の存在だと思っていた。実在はしないと。

 立ち上がり、窓際に行って、ブラインドを僅かに開く鬼の女性。

「為替の板から株式を見てると、ホントよく思う、あそこには何か居るって」

 テーブルに横縞の影が落ちる。

「……私も探した事があるの。でも為替や商品の板には気配すら無くて」

 東証の方角を見やる。

「あなたなら見つけられるかもしれない、いえ、商品先物相場から私を退場に追い込んだ貴方なら、きっと」

「無理だろう、そんな事」

 それは途方も無い事だった。売り方が否定するのも無理は無い。
 しかし、それしか道は無いのだとしたら、否定しても意味が無い。
 彼らに残された時間に、それほどの余裕は無いのだから。

 グズる売り方を見かねたか、鬼の女性はハッパをかけることにした。

「それにね、よく言うでしょう?『神は、いつも貴方の傍に居ます』と」

 こんな事も知らないの? と蔑む様に。

「スマンな、宗教は、やってないんだ」
「ロリコンは、やってるけどね。サイテー」
「なっ……!」

 それは、売り方を元気付ける為とは言え、あまりな言い草だった。

「い、言うに事欠いててめえ、呪われてしまえっ!!」

 その売り方の悪態は、ドアの外に立っていた監視役の女性の聞き耳を潰さんばかりの大声だった。


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