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12 夜の水族館と二度目の発情期
「藤郷さん!来てくれたんですね、ありがとうございます」
(嬉しい…)
絶対来ないと思ってた。
急いで時間を確認する。
(よかった、まだギリギリ入場できる。ショーはたぶん終わってるから…)
「行きましょう。クラゲの水槽がお薦め――」
「これは返す」
無言で千遥を見下ろしていた藤郷が、千遥の手に紙を押し付けた。
水族館のチケットだった。
「え?水族館は…」
「行くわけがないだろう。
いいか?これ以上、俺につきまとうのはやめろ。お前がやってるのは相手の立場も顧みない立派な迷惑行為だ。お前が俺と話してもいいのは発情期だけだ。それ以外は一切関わりを拒否する。
もし今後も同じ事をするなら会社を辞めてもらう」
睨みつけられ、体が竦む。
声も出てこなかった。
藤郷はそれだけ言うとくるりと反転し来た道を戻っていった。
一瞬だけ浮かれた気持ちが、地の底まで落ちていく。
「お客様、最終入場時間ですが、入られますか?」
店員に声をかけられ、千遥は何も考えられず、ただふらふらと足が動き中へ入った。
魚が泳ぐ水槽の前をとぼとぼ歩く。
夜の水族館はカップルが多く、照明は気持ち薄暗くされていた。
水槽に映った千遥の顔は悲しげでひどく疲れて見えた。どこからどう見てもベータの冴えない男。
こんな男が運命の番なんてそりゃ相手も嫌だよな。
学生のころ、枇々木と地元の水族館に行ったことがあった。まだ付き合いたてで手を繋ぐのもどきどきして、目が合って恥ずかしくて俯いて。
小さくて普通の水族館だったけど、すごく楽しかった。枇々木といるとどんな風景もキラキラと綺麗に見えた。
あの頃が人生で一番幸せだった。
人気があるというクラゲの水槽をぼんやり眺める。
水槽の近くでカップルが仲睦まじげに寄り添っている。
クラゲの水槽の近くの小さな水槽に、地味な色の小さな魚が一匹寂しそうに泳いでいるのを見つけ思わず足を止めた。
カラフルで珍しい魚の水槽の前で物珍しそうに見物していた客たちが、その水槽は素通りしていく。
誰にも見向きもされない。
なんだか自分みたいだと千遥は思った。
この魚は一生この小さな水槽でひとりぼっちで泳いでいくしかないのかな。
◇◇◇
藤郷と再会してから二度目の発情期。
藤郷は千遥に発情期だけは自分に伝えに来てもいいと言っていた。
運命の番なのに身体だけの関係はやっぱり嫌で、何度も躊躇したがそれでも発情期だけでも藤郷と過ごしたくて結局発情期が来ることを彼に伝えた。
インターホンが藤郷の来訪を告げる。
前回よりも来る時間が早かったからか、千遥も多少身体がふわふわするものの余裕のある状態で出迎えることができた。
「あ、お茶でもどうですか?」
「結構だ」
藤郷の視線がローテーブルの上に転がるクラゲのペンにいく。
このペンは水族館で買ったもので、同じものをチケットをくれた小山内にお土産として渡していた。
書くたびにペンの上にくっついているクラゲがゆらゆら揺れて、正直書きにくい。
閉館時間が迫る中、慌てて手に取ったのがこのペンだった。こんな微妙すぎるお土産を小山内は笑顔で受け取ってくれた。
「このペン、水族館で買ってきたんです。水族館けっこう楽しかったですよ」
「…何のことだ?」
どうやら藤郷は千遥が水族館に誘った事もどうでもよすぎて忘れてしまったらしい。
「…本当にたまにでいいんです。会社では話しかけませんから、外で一緒に…」
「……もう黙れ」
藤郷にベッドに押し倒され、服を脱がされる。
こんなに冷たくされているのに、数カ月ぶりに触れてもらえる期待から身体がどうしようもなく熱く震える。
そのとき藤郷の携帯が鳴った。
「チッなんだ」
電話に出た藤郷が、低い声で通話相手とやりとりし、「わかった。今から向かう」と言って通話を切った。
「仕事が入った。帰る」
乱れた服を整え、藤郷は千遥の方へ向き直りもせず玄関へ向かう。
「えっ?今からですか?」
「ああ」
「も、戻ってこれますか?いつ来れますか?」
運命の番を前に火照った身体をどうにかしてほしくて千遥はみっともなく藤郷に縋り付いた。
このまま一人にされるのはしんどい。
「面倒なやつだな、それくらい自分で処理しろ。これやるから」
藤郷は煩わしそうに、縋り付く千遥の手を払い除け、自身の上着を千遥に放り投げた。
「あ、待って――」
「上着は返さなくていいから。不要なら捨てろ」
バタン
玄関扉が閉じ、千遥は一人残された。
置いていった藤郷の上着から彼の甘い香りがして、我慢できずに千遥は火照った身体をそれに擦り付ける。
(熱い…苦しい…)
きっと同じ状況でも相手が恋人だったら、例えば観月だったらこんなに冷たい対応はしないだろう。
千遥は本当にどうでもいい相手だから、雑に扱っても構わない相手だから。
結局、藤郷は仕事が忙しいのか、面倒なのか発情期が終わるまでに再び千遥のアパートに来ることはなかった。
この一週間は強めの抑制剤を飲んでも、自分で自身を何度処理しても熱が治まらず、いつも以上に辛かった。
身体も辛かったがそれ以上に心が限界だった。
冷たく扱われることには慣れているはずだったのに
それが自分の運命の番だとやはり心に堪えるものがあった。
この世界で唯一無二の存在であるはずなのにほんのこれっぽっちも尊重してもらえない。大切にしてもらえない。
彼にとって千遥は何も特別ではなく、ただの道端の石ころと変わらない存在なのだろう。
だったら千遥がどんなに努力したって、この先もきっと変わらない。
藤郷の態度をみればそんなこと最初からわかりきっていたはずなのに、運命の番は特別だからいつか変化が見られるんじゃないかって。
自分に都合が悪い部分は見えないふりをした。
勝手に期待して、何度も何度も落胆して。
それでも声をかけ続けて、距離が縮まるどころか益々冷たくされる。悪循環だった。
彼からしたら嫌いな人間に付きまとわれて本当に迷惑だったのだ。
寂しくて悲しくて涙が止まらない。
こんなにオメガであることが辛いと思ったことはない。
どこかへ行ってしまいたかった。
あの、千遥を惹き付けてやまない甘い香りがしない場所まで行かなければ。
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