青髪の悪役(?)令嬢は、婚約破棄を望む!?-堂々たる反逆と王子のコンプレックス-

宮坂こよみ

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馬車の揺れに微睡みかけていた私だったが、ふと小さな音に気づいて目を開けた。どうやら護衛のひとりが口笛を吹いていたらしい。澄んだ空気のなか、鼻歌に近いメロディが心地よく耳に届く。旅に慣れてくると、そんなささやかな音が妙に嬉しいものだ。

視線を窓の外へやると、遠くにまた違う山並みが見え始めていた。湖から少し離れたこの辺りは緩やかな丘陵地帯が続いており、点在する森や畑が織りなす風景に穏やかさを感じる。さっきまで大きな湖を見下ろしていたとは思えないほど、まったく別の景色に移り変わっていくのが旅の醍醐味だ。

ローズが地図を確認しながら「この先に小さな町がありますね。そこで今日の宿を探してもいいと思いますが、イザベル様はいかがなさいます?」と尋ねる。私は数秒考えてから、軽く首を振った。「うーん、まだお昼過ぎだもの。できればもう少し先へ進んでみたいわ。途中で気になる村や集落があれば寄ってみたいし。」

護衛たちも、特に反対の声はあげない。みんな温泉で心も体もほぐれたのか、どこかほがらかな空気が漂っている。王宮を離れた直後のぎこちない雰囲気はもう消え去り、私を含め誰もが自然体でこの旅を楽しんでいるように思える。

そのまま馬車を走らせていると、やがて雑木林が広がってきた。高さはそれほどでもないが、密度があり、日の光が斜めに差し込む林道は幻想的だ。馬車が通るには十分な道幅があるものの、地面には落ち葉や小枝が散らばっていて、時折ガサッと車輪が踏みしめる音が響く。

「ここ、秋になったら紅葉が綺麗そうね……。今は初夏だから新緑だけれど、季節によって全然違う表情を見せるんだろうな。」私は窓から手を伸ばし、そっと木の葉に触れてみる。柔らかな感触が指先をくすぐり、生命力を感じる。

そんな折、馬車の先頭を歩いていた護衛の一人が急に手を挙げて合図をした。どうやら何かを発見したらしい。私が「あれは……?」と目を凝らすと、林道の端に馬車らしきものが停まっており、車輪が外れているのか傾いているのが見えた。近くには人影がふたつあり、どうやら困っているようだ。私は「少し行ってみましょう」と護衛たちに促し、そっと近づく。

見ると、そこには旅人風の男と女がいて、馬車が壊れたのか車輪が外れて斜めに倒れ込んでいた。荷物が散乱しており、どうやら二人だけでは手に負えない状況のようだ。私たちが近寄ると、警戒の表情を浮かべるものの、「もしや助けていただけるのですか?」という期待も感じる。

「大丈夫ですか? 馬車が壊れてしまったのかしら?」と声をかけると、女のほうが「はい……急に車輪の軸が折れたみたいで。二人じゃ直せないし、通りかかる人も少なくて困っていました」と青ざめた顔で答える。男も「もし工具をお持ちでしたら貸していただけませんか?」と懇願する。

護衛の一人が道具を持っていて、車輪の軸を簡易的に補修することが可能だと言う。私たちはさっそく馬車を停め、協力することにした。男が感謝の言葉を繰り返し、女は「ありがとうございます、何とお礼を言えばいいか……」とぺこぺこ頭を下げるが、私は「困ったときはお互い様よ。私たちも旅の途中で助けられたことが何度もあるから」と笑顔で返す。

護衛が手際良く車輪を外し、金属製の軸を確認すると、確かに折れている部分がある。部品を完全に交換するのは無理だが、応急処置でどうにか馬車が動くようにはできるかもしれない。私とローズは散乱した荷物をまとめて脇に置き、スペースを確保する。男と女も必死になって手伝うので、思ったより作業はスムーズだ。

そうして小一時間ほど格闘した末、何とか車輪をはめ直し、軸を固定し終わった。護衛が「とりあえずこれで町まで移動できると思います。早めに専門の工房でちゃんと修理したほうがいいですね」と助言すると、男は心底ほっとしたように「ありがとうございます、本当に……。おかげで助かりました」と言う。女も「私たち、今日のうちに町へ行けないかと途方に暮れていたんです。本当に助けてもらった……」と涙ぐんでいる。

私は「無事に走れるようでよかったわ。私たちも旅の途中、助けてもらったことがあるから、こういうときは協力したいの」と返す。ローズや護衛たちもにこやかに頷いている。男が「これ、わずかですがお礼です」と小袋を差し出してきたが、私は「そんなつもりじゃないわよ」と丁重に断る。すると彼らも「それではせめてお名前だけでも……」と言うので、私は「イザベルといいます。今はただの旅人よ」と告げた。

別れ際、彼らは「イザベルさん、ローズさん、そして護衛の皆さん……もしまたどこかでお会いできたら、ちゃんとお礼させてください」と深々と頭を下げる。私たちは「お気になさらずに、お気をつけて」と見送った。馬車がゆっくり動き出して林道を去っていくのを見届けると、ローズがふっと笑いながら「イザベル様、私たちもいつか誰かに助けられ、また誰かを助けるのでしょうね」とつぶやく。私も軽く微笑み、「そうね。これが旅の連鎖ってやつかもしれないわ」と答える。

それから再び馬車に乗り込み、私たちも道を進める。太陽が傾き始め、林を抜けた先には田畑が広がり、どうやら小さな農村が見えてきた。そこで一夜を過ごすのもいいかもしれない。こういう予定外の出来事が旅を彩ってくれる――私はそんなことを考えながら、窓の外を眺める。王宮にいた頃とは違い、出会いと別れが自然に巡る生活が、今の私にはしっくりと馴染んでいるのだ。

護衛の一人が「イザベル様、そろそろ宿を探しますか?」と尋ねる。私は頷いて「ええ、あの農村で交渉してみましょう。もしかすると小さな宿があるかもしれないし、なければ民家に泊めてもらえるかもしれない」と答える。皆が手早く準備を整え、馬の手綱を軽く操ると、馬車がスムーズに道を下っていく。夕焼けが一面を染め始め、今日がまた静かに終わろうとしていた。

私はふと、先ほど助けたあのカップルのことを思い出す。どんな旅をしているのだろうか。私たちと同じように、王都を離れていろんな場所を回るのかもしれないし、あるいは家族のもとへ帰る途中だったのかもしれない。いずれにせよ、彼らもまた自由を感じながら生きているのかもしれない――そんな想像を巡らせるうちに、馬車は農村の入口へとたどり着く。

赤く焼けた空がまるで絵画のように美しく、私は思わず胸を打たれる。そこには王宮も王子もいない。ただ暮らしの音と、自然の息吹があるだけ。婚約を捨ててこの道を選んだことを、私は一度たりとも後悔していないし、これからもきっとそうだろう。人々と助け合い、無理をしない範囲で未知の景色を求める旅――その充実感をかみしめながら、私は農村の夕陽を見つめた。

「さ、今夜はどんな出会いが待ってるかしら。行きましょう、みんな。」
軽やかな声を出して馬車を降り、私はローズや護衛たちと一緒に、新たな一日の終わりと次なる旅路を見据えるのだった。
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