青髪の悪役(?)令嬢は、婚約破棄を望む!?-堂々たる反逆と王子のコンプレックス-

宮坂こよみ

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昼下がり、私たちの馬車は峠を下りきり、見渡す限りの平原へと足を踏み入れていた。山間の細い道から抜け出し、視界が一気に広がる――青い空の下、穏やかな風が草を揺らし、遠くにはまだ森の名残が点在している。馬を走らせるほどに、先ほどの険しさが嘘のような開放感が身体を包んでくる。護衛の一人が「本当にあの峠を無事越えられてよかったですね」と笑い、ローズも「ええ、私たちもずいぶん鍛えられたんだと思います」と頬をほころばせる。

私――イザベルは、馬車の窓からあふれる風を顔いっぱいに受けながら、先ほどの山越えを思い返していた。王宮にいたころ、あんな危険な峠を自分の足で選んで進むなんて考えもしなかっただろう。けれど今はむしろ、そのスリルと達成感が私の心を躍らせている。レオンとの過去にしがみつかず、こうして自由に旅を続ける自分が、昔の私とはまるで別人のように思えるのだ。

「次に人里があるなら、そろそろ日が暮れる前にたどり着きたいわね。昨日は野営したし、今夜は屋根のある場所で休めたら助かるかも」
何気なくつぶやくと、ローズが地図のない手持ちのメモをめくり、「峠を越えたら町があると言われましたし、もうそう遠くないかもしれませんね」と応じる。護衛たちも「あまり大きな町でなくても、集落や宿場があればありがたい。道中、補給もそろそろ必要ですね」と賛成の声を上げる。皆、同じ思いのようだ。

少し進むと、森の入り口らしき場所が見えてくる。先ほどの険しい山道とは違い、そこは低木が途切れ、枯草が目立っている。木の看板が片隅に立っているが、文字が摩耗して読み取れない。護衛の一人が馬車を止め、「こちらの道が本当に合っているか確証はありませんが、道幅が広がっているので進みやすそうですね」と確認を取る。私は「そうね……行くだけ行ってみましょう。もし間違っていたら、戻って別のルートを探すしかないわ」と決断する。

馬が蹄を鳴らしながら草や落葉を踏みしめ、やや下り坂になった林道を進む。木々がまばらなせいか、陽光が斜めに差し込み、馬車の車輪が作る影が地面を流れていくのが見える。先ほどの峠と比べれば道ははるかに穏やかで、馬車が揺れるたびに心地よい弾力を感じるほどだ。護衛が「しばらく進むと川があるといいんですが……このあたり、地図がなくてさっぱりですね」と苦笑いし、私も「ま、なんとかなるわ」と気楽に笑い返す。

しばらく進むと、林が開けて小高い丘へ続く道が見え、そこを登っていくと突如視界がひらけた。向こう側には、青く輝く水面がある――川というよりは大きな湖のようにも見える。ローズが「わあ……湖? こんなところに?」と驚きの声を上げる。私も馬車から乗り出すようにして目を凝らすが、確かに広い水面が陽光を反射してキラキラ光っている。しかも遠方には、人家らしき建物の影が幾つも確認できるではないか。護衛の一人が「もしかしてあれが噂の町でしょうか?」と、期待に満ちた声を発する。

「行ってみましょう。もし町なら、宿もあるかもしれない」
私が即決し、護衛たちも笑顔で頷く。峠を越えてここまで来た甲斐があるというものだ。馬車が丘を下っていくと、草がやや緑色を増し、土の道が少しずつ整備された形跡が見える。何かの看板はないかと探しながら進むうち、遠くに木造の建物が徐々にはっきりしてきた。

「人の気配があるわ……かなり大きな集落かしら。それとも町……?」
私が言葉を継げないまま、ローズや護衛たちが「建物の数が多いですね。村というより町に近いかも」「宿は期待できるかも」と賑やかに話し始める。馬車を止め、ひとまず下りて周囲の様子を見てみると、そこには石畳こそないものの、家や商店らしき建物が点在し、道がいくつか分かれているようだ。道端にはいくつかの屋台が並んでいて、そこそこ人通りもあるではないか。

「これはちょうどよかったわね。今日はここで泊まれそうな気がする」
私が微笑むと、ローズや護衛たちも「はい、助かります!」と安堵の表情を浮かべる。久々にしっかりした町の宿で体を休められるかもしれない――そんな期待に胸が膨らむ。馬車をさらに先へ進めると、駆け寄ってきた若者が「旅の方ですか? 町へようこそ!」と笑顔で声をかけてくる。どうやらここは「ラネット」という湖畔の町だということだ。

彼の話では、この町は昔、大きな湖を利用した水運で賑わっていたが、近年は別の交易ルートが発展した影響でやや寂れ気味らしい。それでも湖の恵み――魚や水運、少し離れた土地にある鉱山の交通拠点として、人が集まる時期もあるそうだ。私はその説明を聞き、「なるほど、ここなら宿も店もありそうね」とホッと一安心。若者に礼を言い、宿を探してみると、割と目立つ場所に「宿屋ラケル」と書かれた看板が見えた。

ラケルの扉を開けると、中には長いカウンターとテーブルが並び、年季の入った木造の雰囲気が落ち着く。迎えてくれたのは恰幅の良い主人で、「おお、旅のお客様か? 馬車もあるのかい、こりゃ珍しい。空き部屋はあるからゆっくりしていってよ」と朗らかに声をかけてくれる。料金や部屋の種類を確認し、護衛たちが荷物を下ろしているあいだ、私は主人と少し雑談をする。

「湖のほうにも行けますか? 魚を獲る船とかありそうだけど」
私が尋ねると、主人は「もちろん。ちょっとした漁船や観光用の小舟もあるけど、あまり派手じゃないね。昔はもっと大きな船が行き来してたんだけどな」と寂しそうに笑う。どうやらここも例に漏れず、時代の変化でかつてほどの活気はないらしい。それでも外から来た人を歓迎する雰囲気が感じられ、私の胸に小さな期待が生まれる。

部屋は二階にあり、古いがしっかり掃除されていて、窓からは遠くに湖の輝きが見える。王宮の華美な調度品はないけれど、くたびれたテーブルや簡素な椅子がかえって旅の心をくすぐる。ローズが「しっかり休めそうですね。久々のベッドが嬉しいです……」とホッと肩を落とし、私も「本当よね。野営が続いてたし、温泉町以来の宿泊かもしれない」と思い返す。

身支度を整えたあと、町を少し散策してみたくなった。護衛たちも「周囲の地形を把握しておきたいですし、安全確認がてら一緒に回りましょう」と賛成してくれる。宿の主人に鍵を預け、外に出ると、湖のほうへ続く道があり、そこを辿ると桟橋のような場所が見える。桟橋には小舟が数隻繋がれていて、何人かが網の手入れをしていた。水面を見下ろすと緩やかな波が揺れ、夕陽に照らされてオレンジ色の光が反射しているのが美しい。

「綺麗……。王宮の噴水とは違う、生きた水の迫力を感じるわ」
思わずつぶやくと、ローズも同じように「本当に。湖畔の景色、好きになりそうです」と目を輝かせる。護衛たちも「もし明日、時間があれば船に乗ってみるのもありですね」と面白そうに話す。地元の漁師らしき人に声をかけると、「乗るだけなら構わないが、観光というほどのもんじゃないぞ」と気さくに笑われた。

日が沈む前に町を一通り歩いてみると、食堂や道具屋がいくつかあり、小さな市場もあるようだ。人通りは多くないが、それなりに賑わっている印象を受ける。王宮やフォルトナのような大都市とは比べものにならないが、穏やかで落ち着いた雰囲気が漂っていた。今夜の夕食は宿に頼むとして、明日は市場を覗いてみようか――そう考えると、久々に“町の暮らし”を体感できることに胸が弾む。

夕暮れが深まり、私たちは宿へ戻る。主人が「夕飯は上の食堂で用意してるよ。今日は魚がうまいから食っていきな」と声をかけてくれ、私たちは喜んで応じる。二階の一角には食堂らしきスペースがあり、テーブルが数脚並んでいた。湖で獲れたという淡白な白身魚のソテーに、麦のスープやパンが付いてきて、どれも優しい味わいだ。王宮のような豪華さはないが、私にとっては十分すぎるご馳走だ。

食事のあいだ、ローズや護衛たちと今日の出来事を振り返る。峠を越えて危うい場面もあったこと、無事にこの町へ到着できてホッとしたこと――すべてが話題に事欠かず、笑いあいながら過ごす。宿の主人も交じって「こういう時代だからな、町も人が減ったが湖は変わらんよ」と昔の話をいくつか語ってくれる。

「王家の動向なんてものは、この辺じゃ全然聞かないね。そりゃ大事なことかもしれないが、俺たちに直接関わるわけでもないからなあ」と主人がぼやく姿に、イザベルは王宮時代との距離感を改めて実感する。そこではレオンとの婚約が国中の話題になるほど重要視されていたのに、ここでは誰もそんなことに興味を持っていない。そんな当たり前の事実が、今のイザベルには心地よかった。

食後、部屋へ戻ると、旅疲れがどっと押し寄せてくる。ローズも「今日もよく歩きましたね……」と布団に腰掛け、すぐに横になりそうな気配だ。イザベルもベッドに近づき、窓の外を見やる。そこには遠くの湖面が夜の闇に溶け込み、微かな月明かりがゆらりと反射している。「綺麗……」と小声で呟くと、ローズは薄い笑みを浮かべたまま目を閉じる。

「明日はゆっくりできるかもね。市場を見たり、湖を眺めたり……。次の行き先はそのあと考えましょう」
イザベルは自身にそう言い聞かせ、横になって布団をかぶる。王宮では一日の締めくくりが疲れ果てた儀式のように思えたが、今はただ「自由に明日を迎える」喜びが心を満たす。レオンや王家のしがらみに煩わされることなく、自分の決断で道を選び、行きたい場所へ行ける。多少の困難があっても、こんな日々を手放す気には到底なれない――そう思いながら、イザベルは瞼を重く落とし、深い眠りへと落ちていく。

夜は静かに更けて、遠くで魚が跳ねるような水音が聞こえた気がした。湖の町「ラネット」はそっと優しい夜を包み込み、イザベルの胸にほんのりと温かい充実感を満たしてくれる。誰にも束縛されない旅の続きが、また明日やってくる。イザベルはその幸せをかみしめるように、ゆっくりと呼吸を整え、布団の心地よさに身を委ねたのだった。
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