なぜ、最強の勇者は無一文で山に消えたのか? ──世界に忘れられ、ひび割れた心のまま始めたダークスローライフ。 そして、虹の種は静かに育ち始め

イニシ原

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一章 虹の種と孤独な手

1話 勇者の財産

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「なぁ、知ってるか? 勇者が蓄えたお金や貴重な品は、一体どこにしまってあるのか」

「ふふ、正解は――」

 ***

 フェドル国歴102年の夏。
 16歳になったばかりの勇者が、仲間たちと魔王討伐に旅立った。
 そして、翌年の春。
 魔王は倒れた。
 地上の魔物は塵になるか、地下深くへと逃げ去った。

 勇者が帰還したのは108年の夏――ただ一人だった。

 魔王城を出て最初に“人の生活の気配”に辿り着いたのは106年の秋。
 その三年間、俺たちは誰一人として人を見なかった。

 焦げた森を抜け、魔物の抜け殻を踏みしめ、崩れた壁の影で焚き火をした。
 戦士は無口で火の番ばかりしていた。
 盗賊は文句を言いながらも罠を仕掛け、なんだかんだ食料を見つけてくる。
 プリーストはその度に感謝の祈りを捧げ、魔法使いの老人はそれを茶化して笑った。

 俺たちはあの三年を“帰り道”だと思っていた。
 だが今振り返ると――あれが最後の“旅”だった。

 ***

 その朝も、昨日と同じように始まるはずだった。
 だがプリーストと盗賊がいなかった。
 そして、集めた宝石や金貨もごっそり消えていた。

「盗賊の仕業だ」
 戦士がそう決めつけた。

 戦士は昔から金にうるさい男だった。
 報酬の計算だけは誰より正確で、一銅貨の誤魔化しも許さない。
 俺も老人も否定しなかった。
 プリーストは巻き込まれたのだろう、と。

 その夜――戦士が残りの財産を全部持って逃げた。
 テーブルには一行だけの走り書き。
『これは俺の分だ』

 翌朝、盗賊が戻ってきた。
 泥だらけで息を切らしながら。

「プリーストを追っていたんだ! でも見失った! あいつは騙されたんだ!」

 魔法使いの老人が口を開いた。
「また手癖の話か? お前はいつになったら改心するんだ」

 それは叱責というより、諭すような声だった。
 老人は旅の間ずっと、若造の盗賊を気にかけていた。
 身寄りのない若者が、まっとうに生きられるようにと。
 この旅が終わったら弟子にしようとさえ考えていた。

 だが盗賊には非難にしか聞こえなかった。
「違う! 俺じゃねぇ! プリーストは戦士に騙されたんだ!」

「いい加減にしろ! お前は……」
 老人は疲れたように息をついた。

 長い沈黙の後、口を開いた。
「……もうお前を庇う気力もない。分け合うものもない、このパーティーに意味はない。勇者よ、私はここで降りる」

 そう言って、杖をついて去っていった。
 その背中は驚くほど小さく、あの三年の重さがそのまま刻まれていた。

 盗賊は俺を真っ直ぐ見つめた。
 震える声で。
「……信じてくれ、勇者。俺は、あいつを助けようとしただけだ」

 ……俺は答えられなかった。

 清楚で優しいプリーストの笑顔が浮かんだ。
 盗賊は口が悪く、過去にも影がある。
 戦士のメモ。
 盗賊の必死な言葉。

 どちらが真実か、俺には判断できなかった。

 そして俺は――一番“信じやすい”方を選んだ。
 見た目で判断してしまった。

 盗賊はうなだれ、背を向けた。
 俺は一人で国へ向かった。



 一人の旅は、思った以上に辛かった。
 村に近づくにつれ、物乞いが増えた。
 平和になったように見えるが、まだ貧しい者も多い。

「恵んでください」

 最初は断っていた。
 だが、子どもの泣き声を聞くと断れなくなった。
 一枚、また一枚と銅貨を渡した。

 魔王討伐の戦いで家を失ったと、うそぶく老婆がいた。
 疲れていた俺は、何もいわず残りの金貨から数枚を渡した。

 別の街では、宿屋の主人が「この辺は物価が高い」と言って法外な宿代を要求した。
 文句を言えば「嫌なら野宿すれば?」と笑った。

 また別の村では、夜中に部屋に盗賊が入った。
 俺の荷物を漁り、残りの銀貨を持って逃げた。
 追いかける気力もなかった。

 皮肉なものだ。
 俺のパーティーにいた盗賊は、仲間のものを盗まなかった。
 なのに、見ず知らずの盗賊に盗まれた。
 せがまれるまま、奪われるまま、俺の金は減っていった。

 108年の夏は、とても暑く感じた。
 俺はフェドル国に帰還した。

 門兵の顔は、知らない顔ばかりだった。
 街路をどれほど歩いても、俺には誰も気づかなかった。
 歓声も、祝祭も――何もなかった。

 なんとか王宮に辿り着き、謁見を求めた。
 警備兵は面倒そうに上司を呼び、上司は眉をひそめて執事を呼んだ。
 ようやく王に会えたのは三日後だった。

 王は俺の顔を覚えていなかった。
「ああ、勇者殿か。よくぞ...ご苦労であった」
 王は、俺がなぜ一人なのかを問わなかった。

 簡素な礼と、一年ほど食いつなげる程度の金貨。
 王都の外れにある質素な平屋があてがわれた。
 それだけだった。

「魔王討伐から六年も経つのでな。予算も、既に……」
 言い訳めいた言葉を背に、俺は王宮を後にした。

 街を歩いた。
 人々は笑っていた。
 子どもが駆け回り、商人が威勢よく商品を売り、恋人たちが腕を組んで歩いていた。

 平和だった。
 魔物のいない、明るい未来があった。
 俺が命を懸けて勝ち取った平和。
 でも、そこに俺の居場所はなかった。

 誰も俺を覚えていない。
「勇者」は知っていても、この顔を誰も知らない。
 街角には、立派な彫像があった。
 完璧な筋肉、高貴な顔立ち、輝く剣を掲げた理想の勇者像。
 ――それは俺ではなかった。

 もしかしたらと思った。
 魔王討伐に向かう時、通った村々がある。
 あの時は歓声で送り出してくれた。
 顔を覚えている者もいるかもしれない。
 俺は再び旅に出た。

 最初の村に着いた。
 広場の中央には、勇者の像が立っていた。
 子どもたちがその周りで遊んでいる。
 俺が通り過ぎても、誰も気づかなかった。

 宿屋に泊まった。
 出された食事は、六年前と同じ味だった。
 温かいシチューとパン。あの時と変わらない。
「旅の方ですか?」宿の主人が笑顔で尋ねた。
「ああ」
「平和になって良い時代ですよ。勇者様のおかげですな」
 主人は像を指差した。
「あの方のおかげで、魔物も出なくなって」
 俺は何も言えなかった。

 次の村も、その次の村も同じだった。
 像はあった。
「勇者」は讃えられていた。
 でも、俺を見る者は誰もいなかった。

 最後の村に着いた。
 ここにも平和があった。
 ここにも像があった。
 広場のベンチに座り、俺は考えた。
 魔王を倒して手に入れたものは何だったのか。
 財宝?仲間に持ち逃げされた。
 名声?偽物の像に奪われた。
 仲間との絆?疑心暗鬼で崩れ去った。
 王の信頼?六年で忘れられた。
 民衆の感謝?俺の顔すら知らない。

 何一つ、残っていなかった。

 六年間、命を懸けて戦った。
 傷だらけになって、仲間を信じて、人々のために剣を振るった。
 その全てが、幻だった。
 本当に価値のあるものなど、最初から何もなかったのかもしれない。
 俺は立ち上がり、山の奥へ向かった。
 誰もいない、静かな場所へ。
 何も持たず、何も期待せず。
 ただ一人で生きていくために。
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