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一章 虹の種と孤独な手
2話 にじのたね
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「答えは――そんなもの、最初からなかった」
「へぇ、まさかアセル君が勇者だとはね……」
彼は、行商人のアーサー。
もう、長い付き合いになる。
“勇者だった”俺には、“勇者”以外の名がなかった。
だから、アーサーがくれた「アセル」という名は、俺にとって初めての名前だった。
「アセル君よ、ワシも勇者の話は聞いたが、まさか君がその本人だとはね。すまんな、この“虹の種”から煎じた茶には不思議な力があると聞いて、つい試してみたんじゃが……まさか、こんなことになるとは。それにしても、なぜワシには効いていないんだろうな?」
彼は本当に不思議に思ったようだ。
「もう二十年は姿が変わらないアセルさんが勇者……そんなことがあるんだな」
目を見開き、湯気の消えた茶を飲み干して、ぽつりと呟いた。
「……こんな山奥に一人で住んでるから、てっきり妖精か何かだと思ってたんだ、ははっ」
そんな冗談を言うアーサーは、何度もこの山を訪れてくれた。
彼を“友”だと思えるのは、それ以上、俺の昔の話を聞こうとしないからだった。
ただ穏やかに笑ってくれる、その姿勢が、俺には救いだった。
静かなこの時間と、彼の存在に、俺は心から感謝していた。
お礼というわけではなかったが、“虹の種”の話をした。
「これは、イベントアイテムだからなんですよ」
アーサーは、なぞなぞでも出されたかのように頭をかしげた。
「特別な運命を背負った者にだけ作用する――魔法みたいなものです」
「ああ、なるほど...って、アセル君は落ち着いているね」
それにしても、この“虹の種”というものは、俺も初めて見た。
虹色に輝くものの多くは、かつて俺が扱っていたアイテムに似ている。
「アーサーさん、この種は……どこで手に入れたんですか?」
「ああ、この虹の種はな――」
虹の種は、その珍しい輝きから、長らく珍重されてきた。
だが、いくら水を与えても、芽は出なかった。
中には、水だけでなく、酒やミルク――
ありとあらゆる液体を試した者もいたようだ。
それでも、結果は同じだった。
芽は、一度も出なかった。
お茶のように煮出すと、不思議な味がすることがわかった。
その見た目の美しさも手伝い、虹の種はさまざまな商人の手を渡っていった。
だが、いつしか、奇妙な噂が立った。
――この革袋の中からだけ、種を出しても、決して数が減らない、と。
誰が最初に、その袋へ種を入れたのか――
もう、誰も知らない。
けれど、袋に入れておかねば、種はいつの間にか消えてしまう。
そんな言い伝えが、いつの間にか“決まりごと”になっていた。
その話が広まるほどに、虹の種は、ますます価値を増していった。
「……そんな話を聞いて、面白そうだと思ってな。いや、それも、もう二十年になるのか……」
アーサーは遠くを見るように言った。
「そろそろ引退を考えていたのだが、最後に――ちょっとアセル君と一緒に飲んでみたくなったんだ」
アーサーは目の前のテーブルに置いてある革袋をアセルの方へと滑らせた。
「どうだろ? アセル君なら、この種を育てることができるんじゃないか?」
俺は、革袋の中を見た。
アーサーには、この輝きは見えないだろう。
とても懐かしい輝きだ。
――かつて、幾度となく目にした、世界を変える“始まり”の光。
「……預かります」
そう言うと、アーサーは少しだけ満足そうにうなずいた。
「芽が出たら、見せてくれよ。ワシの代わりに、この種の行く末を」
外では、山の風が枝を揺らしていた。
俺は、革袋をそっと手に取り、胸の前で握りしめた。
今では、これが唯一、過去と繋がる“モノ”だった。
「ではお暇するよ、元気でな」
そう言うとアーサーは笑い出した。
「アセル君に“元気でな”は、ないか。ワシのほうが気をつけないとな」
俺もつられて、少しだけ笑った。
アーサーはいつも通り、大きい荷物を背負い、ゆっくり帰っていった。
風が吹き抜け、木々の間にその姿が溶けていく。
残されたテーブルの上には、革袋と、微かに光を宿した“虹の種”だけが残っていた。
それから数日後――山の朝は、まだ冷たい。
けれど、雪解け水が、土を潤し始めていた。
アセルは、小さな庭に出て、革袋から“虹の種”を一粒取り出す。
手のひらで転がすたび、七色の光が、霧のように揺れた。
「さて、育て方は……まあ、俺も水でやってみよう」
独り言をつぶやきながら、土を掘った。
伝説の剣は、折れて刃先が短くなっていた。
けれど、ちょうどスコップのように、土をすくうのにぴったりだった。
「……ま、魔王もいない今なら、これで十分か」
軽く息をつき、アセルは土に手を入れる。
冷たい感触が、少しだけ心を落ち着かせた。
土を耕したあと、表面を手のひらでならし、指先で小さな穴をつくる。
そこへ、“虹の種”をそっと落とした。
とりあえず、七つほど植えてみた。
川から水を汲もうかと思ったが、水を入れられそうなものは、コップしかなかった。
何度か往復すればいいか――そうも考えたが、
それより、今すぐ少しだけやってみたくなった。
指先から、ぽたり、ぽたりと雫を落とす。
その瞬間、土の中で光がふっと膨らんだように見えた。
……けれど、それだけだった。
「へぇ、まさかアセル君が勇者だとはね……」
彼は、行商人のアーサー。
もう、長い付き合いになる。
“勇者だった”俺には、“勇者”以外の名がなかった。
だから、アーサーがくれた「アセル」という名は、俺にとって初めての名前だった。
「アセル君よ、ワシも勇者の話は聞いたが、まさか君がその本人だとはね。すまんな、この“虹の種”から煎じた茶には不思議な力があると聞いて、つい試してみたんじゃが……まさか、こんなことになるとは。それにしても、なぜワシには効いていないんだろうな?」
彼は本当に不思議に思ったようだ。
「もう二十年は姿が変わらないアセルさんが勇者……そんなことがあるんだな」
目を見開き、湯気の消えた茶を飲み干して、ぽつりと呟いた。
「……こんな山奥に一人で住んでるから、てっきり妖精か何かだと思ってたんだ、ははっ」
そんな冗談を言うアーサーは、何度もこの山を訪れてくれた。
彼を“友”だと思えるのは、それ以上、俺の昔の話を聞こうとしないからだった。
ただ穏やかに笑ってくれる、その姿勢が、俺には救いだった。
静かなこの時間と、彼の存在に、俺は心から感謝していた。
お礼というわけではなかったが、“虹の種”の話をした。
「これは、イベントアイテムだからなんですよ」
アーサーは、なぞなぞでも出されたかのように頭をかしげた。
「特別な運命を背負った者にだけ作用する――魔法みたいなものです」
「ああ、なるほど...って、アセル君は落ち着いているね」
それにしても、この“虹の種”というものは、俺も初めて見た。
虹色に輝くものの多くは、かつて俺が扱っていたアイテムに似ている。
「アーサーさん、この種は……どこで手に入れたんですか?」
「ああ、この虹の種はな――」
虹の種は、その珍しい輝きから、長らく珍重されてきた。
だが、いくら水を与えても、芽は出なかった。
中には、水だけでなく、酒やミルク――
ありとあらゆる液体を試した者もいたようだ。
それでも、結果は同じだった。
芽は、一度も出なかった。
お茶のように煮出すと、不思議な味がすることがわかった。
その見た目の美しさも手伝い、虹の種はさまざまな商人の手を渡っていった。
だが、いつしか、奇妙な噂が立った。
――この革袋の中からだけ、種を出しても、決して数が減らない、と。
誰が最初に、その袋へ種を入れたのか――
もう、誰も知らない。
けれど、袋に入れておかねば、種はいつの間にか消えてしまう。
そんな言い伝えが、いつの間にか“決まりごと”になっていた。
その話が広まるほどに、虹の種は、ますます価値を増していった。
「……そんな話を聞いて、面白そうだと思ってな。いや、それも、もう二十年になるのか……」
アーサーは遠くを見るように言った。
「そろそろ引退を考えていたのだが、最後に――ちょっとアセル君と一緒に飲んでみたくなったんだ」
アーサーは目の前のテーブルに置いてある革袋をアセルの方へと滑らせた。
「どうだろ? アセル君なら、この種を育てることができるんじゃないか?」
俺は、革袋の中を見た。
アーサーには、この輝きは見えないだろう。
とても懐かしい輝きだ。
――かつて、幾度となく目にした、世界を変える“始まり”の光。
「……預かります」
そう言うと、アーサーは少しだけ満足そうにうなずいた。
「芽が出たら、見せてくれよ。ワシの代わりに、この種の行く末を」
外では、山の風が枝を揺らしていた。
俺は、革袋をそっと手に取り、胸の前で握りしめた。
今では、これが唯一、過去と繋がる“モノ”だった。
「ではお暇するよ、元気でな」
そう言うとアーサーは笑い出した。
「アセル君に“元気でな”は、ないか。ワシのほうが気をつけないとな」
俺もつられて、少しだけ笑った。
アーサーはいつも通り、大きい荷物を背負い、ゆっくり帰っていった。
風が吹き抜け、木々の間にその姿が溶けていく。
残されたテーブルの上には、革袋と、微かに光を宿した“虹の種”だけが残っていた。
それから数日後――山の朝は、まだ冷たい。
けれど、雪解け水が、土を潤し始めていた。
アセルは、小さな庭に出て、革袋から“虹の種”を一粒取り出す。
手のひらで転がすたび、七色の光が、霧のように揺れた。
「さて、育て方は……まあ、俺も水でやってみよう」
独り言をつぶやきながら、土を掘った。
伝説の剣は、折れて刃先が短くなっていた。
けれど、ちょうどスコップのように、土をすくうのにぴったりだった。
「……ま、魔王もいない今なら、これで十分か」
軽く息をつき、アセルは土に手を入れる。
冷たい感触が、少しだけ心を落ち着かせた。
土を耕したあと、表面を手のひらでならし、指先で小さな穴をつくる。
そこへ、“虹の種”をそっと落とした。
とりあえず、七つほど植えてみた。
川から水を汲もうかと思ったが、水を入れられそうなものは、コップしかなかった。
何度か往復すればいいか――そうも考えたが、
それより、今すぐ少しだけやってみたくなった。
指先から、ぽたり、ぽたりと雫を落とす。
その瞬間、土の中で光がふっと膨らんだように見えた。
……けれど、それだけだった。
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