なぜ、最強の勇者は無一文で山に消えたのか? ──世界に忘れられ、ひび割れた心のまま始めたダークスローライフ。 そして、虹の種は静かに育ち始め

イニシ原

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一章 虹の種と孤独な手

4話 特別な土

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ピン、タタントン。ピピン、タタン。ピン、タタントン。ピピン、タタン。
 サァァァ……。

 夜になり、雲が厚く重なり始めると、雨粒たちが空から落ちてきた。
 雨がノイズのように鳴り続ける。
 その中で金属の板を打つ雨粒が楽器のように響いていた。

 目が覚めてしまった。

「うるさいな……」
 ――雨足がもっと強くなったら、どうなってしまうんだ……。

 でも、太陽が上がれば雨も止むだろう。
 そう思いながら、降り続く雨の“音楽”に耳を澄ませた。
 すると、ひとつの“新しいこと”がふっと浮かんだ。

「バケツがいるな」
 それは、新たな音を増やす“楽器”にもなり、虹の種に水をやるにも便利だろう。
「音を出すだけじゃもったいないしな……」
 残っていた、紙のような板金を折り曲げ、縁を折り返すだけで、簡単に作ることができた。

 さっそく、まだ雨の降る外に置いてみる。
 トトン、トトン――やがて音は、ピチョン……と柔らかく変わっていった。

「……ふむ、これは“失敗作”か、それとも“新しい曲”か」
 板金はまだ残っている。
 音楽家の気分になって、いくつも作ってみた。

 微妙なバケツの形の差で、奏でる”音色”が変わる。
 もし俺が指揮者なら、これは立派なオーケストラだろう――
 だがこれは、……まったく違う。
 暗闇の中で響くこの音楽は、もし知らぬ者が聞けば、まるで魔物の鼓動か……。

 吐息の後に、山の夜を包むのは、雨と、鉄と、そして孤独だった。

 朝日が昇るころ、予想通り雨がやんだ。
 ピョン――最後の音を聞き、外に出た。

 息を呑んだ――
 虹の種から、小さな芽がひっそりと顔を出していた。
 まるで、ウトウトしていたところを春の日差しに起こされたみたいだ。

 それも、七つ、すべての種からだ。
「……やっぱり、水をたくさんあげないといけなかったのか、な?」

 近づいて見ると、太陽の光を受けた芽の先が、淡く虹色に輝いていた。

「ふふ、本当に俺でも育てられるなんて……嬉しいな」

 自分の家を作り、こうして虹の芽を眺めていると、何かが足りない気がしてきた。
 この芽たちにも、安全な場所が必要だと思う。
 まずは柵でも作ってみるか。

 マルチツール伝説の剣で樹皮を剥ぎ、ロープの代わりにねじっていく。
 あとは太めの枝を組んでいけば――“それっぽく”出来上がった。

 虹の芽も家を持ったようで、きっと喜んでいるに違いない。
 毎日一度、川で水を汲み、バケツを抱えて戻る。
 虹色の水滴が茎を伝って、静かに根へと染み込んでいった。

 一週間が経った。
 日に日に暖かくなっていくのに、芽は思ったより伸びていかない。

 なぜなのかと考えても、答えは出なかった。
 水だって、ちゃんと与えている。
 それなのに――。
 次の日も、またその次の日も、じっと見守り続けた。
 けれど、何も変わらなかった。

 俺は、どうしたらいいのだろう。

 うつろな顔で空虚を見ていた。
 その時、虹の芽のひとつが、盗人に盗まれるように、鳥に摘まれた。

 虹色のしずくが、はじけて消えた。
 それが妙に美しくて――
 胸の奥に、ぽっかりと穴が空いた。

 それからは、夜も昼も寝ていない。
 風が枝を揺らすたびに、気になり見つめた。
 目を閉じるのが怖かった。
 鳥だけでなく、虫の羽音にも怯えた。
 虹の芽のそばに腰を下ろし、ただ見守る。
 一晩中、目を離さないように。

 三日、眠れずにいる。
 もう限界らしい。
 まぶたが、錆びついた扉のようだ。
 もうくっついて開けられない。

 ――目が覚めたとき、姿勢は眠る前と同じだった。
 体の節々が痛い。
「しまった、虹の芽は……」
 あわてて虹の芽を数えた。
 よかった六つ、ちゃんとある。

 息をついた瞬間、腕が痛んだ。
「これじゃ、守るどころじゃないな」
 腕をさすりながら立ち上がる。

 もうすぐ、アーサーが来るはずだ。
 芽が出たこいつを見てほしい。
 それに――少し、相談もしてみよう。

 虹の芽の前で、今度は横になりながら見守った。
 眼は閉じていたが、耳をすませば、なんとか行けそうだ。

 しばらく経つと、さわやかな風が足音を運んできた。
 なんとか、起きていてよかった。
「やあ、アーサー」

「どうした、その目のクマは。三日は寝てないような顔だな」

「はは、そんなことより、これを見てほしい」
 俺は乾いた笑いで、無駄にかたく組まれた柵の方を指さした。
 その中には、六つ――小さな芽が、仲良くゆれていた。

「おお……これが、まさか“虹の芽”か!」
 アーサーが思わず目を見開いた。
「凄いじゃないか、アセル君。ワシも本物を見るのは初めてだよ」

「それは、よかったです」
 少し照れくさそうに笑った。
「それから……相談があるんです。聞いてください」

「もう、二週間はこのままだと言うんだね」
 アーサーは顎ひげを指でつまみながら、じっと考え込んだ。

 俺は黙ってうなずいた。

「……もしかしたら、肥料などが必要かもしれんな」

「肥料、ですか?」
 詳しくないので、思わず首をかしげた。

「ふむ……」
 アーサーは虹の芽をじっと観察していた。
「やはり――この“虹の芽”には、普通の土や水だけでは足りぬのかもしれん」

「それは、何かと交換できるんですか……?」

 その言葉に、アーサーはゆっくりと視線を俺へ移す。

「特別な肥料を探すとなると、少し厄介かもしれん。だが……方法がないわけでもない」

「それは、どうすれば……」

 アーサーは細い目で、見比べだした。
 短い沈黙。
 そして、静かに告げた。

「ワシに――この虹の芽をもらえんか」

「え……これを!?」
 まだ柔らかな芽を守るように、思わず口をついて出た。

 アーサーは、静かにうなずいた。
「どんな植物でも育てるという“土”がある。昔、旅の途中で耳にしたことがあってな」

「つまり……この虹の芽と、その土を交換する。そういうことですね」

「そうだ。金で手に入るものなら、ワシがいくらでも出す。しかし――特別なものには、同じ特別なものが必要じゃろ」

 俺は折角の虹の光がなくなると思った。
「全部、持って行きますか?」

「ああ、全部もらっていこう」

「あ」
 少し悲し気な声をもらす。
 ただ……そんな気もしていた。

 それを聞いたアーサーは、励ますように俺の肩を軽くたたいた。

「アセル君。虹の種はその革袋にある限り、なくなることはないだろ? また種から育てればいい。ここだけではなく、いろんな場所に撒いてみてもいいんじゃないか?」

「別の場所?」

「ワシにもわからんが、アセル君が思うままに蒔いてみてほしい」

 その言葉を聞いて、胸の奥にふっと灯りがともるのを感じた。
 なら、やってみよう――今は、そう思えた俺は笑って、アーサーを見送ることにした。

 アーサーは虹の芽を、土ごと慎重に、しかし手際よく掘り起こし、バケツに入れていく。

「では、また来るよ」

 短い挨拶を残して、アーサーは急ぎ足で山を下っていった。

 アーサーが去ったあと、これでよかったのかと悩んだ。
 ついさっきまでそこにあったアーサーの気配だけが、まだ空気の中に薄く残っている。

 心細くなるといつもそうする癖だ。
 無意識に腰の革袋へ手を伸ばし、表面を撫でていた。
 だが今は、紐をほどいて中を確かめる気力さえ湧かなかった。

「……明日でいいか」

 そう吐き出した声は、自分で言ったのかもわからない。
 力が抜け、俺は寝床に身を沈めた。

 何も考えたくなかった。
 それなのに、まぶたの裏には虹の色があった。
 薄水に落ちた絵の具のようにじわじわと広がる。
 沈む場所を見つけられず、漂い続けていた。

 あぁ、消えてくれない。
 目を閉じているのか、開けているのかわからなくなった。
 その境目は……眠っているのかさえも曖昧だった。
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