『この命、めぐりて、きみに還る』―“俺の子じゃない”と捨てたくせに―

夢窓(ゆめまど)

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大漁亭、訪問者大富豪アレクサンダー

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「……いらっしゃいませ、っと……ん?」

昼下がりの「大漁亭」に、不意に吹き込んだ冷たい空気。
潮の香りと混ざることのない異質な風を、のれんがはためかせる。

その場違いな空気をまとって立っていたのは、黒の外套に身を包んだ一人の男――
仕立てのよさと磨かれた所作が、否応なしに“王都の貴族”であることを物語っていた。

場末の海町の食堂にはあまりに不釣り合いなその姿に、店のざわめきがふっと引いた。

奥から出てきた女将・マリアが、半ば眉をひそめ、半ばあきれ顔で言う。

「……なんだい。王都の貴族さまが、こんなとこまで潮風浴びに来たのかい?」

男は帽子を取った。
淡い金色を含んだ漆黒の髪が、静かに揺れる。
整いすぎた顔立ち。抜けるように白い肌。どこまでも高貴な骨格。

アレクサンダー・ローレンス――
侯爵家の令息であり、そして、“妻を追い出した男”と噂された男が、そこにいた。

「……ルシンダを訪ねてきました。話があります」

静かに告げられた名に、店の奥で片づけをしていた女性が、動きを止めた。

「……あなたが、来るとは思わなかった」

静かに顔を上げたルシンダ。
手には濡れた布巾、腕には台所仕事でまくり上げた袖。
かつて貴族の夫人だった女は、今は町の居酒屋で働く、どこにでもいる女になっていた。

それでも、変わらぬものがある。
声の響き。瞳の光。
あの頃と同じなのに、手の届かない距離があった。

アレクサンダーの胸が、わずかに痛んだ。

「街で……君と俺によく似た少年を見た、と、従兄弟が言っていた。だから、どうしても……確かめたくて来た」

声を震わせぬように、抑え込んだ低音。

その場にいた常連客たちが、ざわりと視線を交わす。

「……似てるねぇ、あいつに。ほんと……」

「テオか? あの顔は……たしかに驚くよな」

店の空気が一変する中で、ルシンダはまっすぐアレクサンダーを見つめた。

「いまさら、何を確かめるの? “二度と関わるな”って、そう言ったのは、あなたじゃなかった?」

その声に、一瞬アレクサンダーの肩が揺れる。
けれど、後悔は飲み込んだまま、口を開いた。

「……わかってる。けど、君の顔を見て、声を聞いて、確かめたいことがあるんだ」

――そのとき、暖簾がばたんと揺れた。

「ルシンダ、ただいまー。あ、おかみさーん、買ってきたぞー!」

陽気な声が店に響く。
そこにいたのは、ジェイク。
そして、彼の後ろには、手をつなぐ二人の子供たち――

テオがいた。

ぱっとこちらを向いた少年の顔。

その瞬間、アレクサンダーは動けなくなった。

目が合った。
少年は不思議そうな顔をしてこちらを見る。

けれどアレクサンダーには、それが、過去の自分に刺さるようだった。

その少年――テオの顔を見て。

(……ああ、本当に、俺に……似ている)

心臓が、きゅっと掴まれたようだった。
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