『この命、めぐりて、きみに還る』―“俺の子じゃない”と捨てたくせに―

夢窓(ゆめまど)

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ジェイクとアレクサンダー

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ジョッキの中の泡が、静かに、ゆっくりと沈んでいく。
アレクサンダーは、うつむいたまま、その揺らぎをただ見つめていた。

隣に座るジェイクが、ようやく口を開いた。
低く、抑えた声。けれどその言葉には、ぶれることのない芯があった。

「……私には、わかりませんがね」

アレクサンダーが、顔を上げる。
その瞳に、かすかな戸惑いが浮かんだ。

「あなたの言葉が、“ただの後悔”にしか聞こえないんです」

その一言が、静かに突き刺さる。
アレクサンダーの喉がわずかに動いたが、言葉は出てこなかった。

ジェイクは、視線を逸らさずに続けた。

「あなたは、ルシンダを一方的に責めて、追い出した。
話も聞かず、真実にも向き合わず、ただ自分の疑念と恐れに飲まれて。
……弁明の機会すら与えなかった。
あの人が、どれほど傷ついたか――想像できますか?」

アレクサンダーの手が、わずかに震える。
それでも、何も言い返せない。

「……私が彼女と出会ったとき、ルシンダはまるで魂を抜かれたような人でした」
ジェイクの声は、そこに浮かぶ情景を描くように、静かに落ちていく。
「目の焦点も合わず、感情の起伏もない。
生きているのに、誰かに置き去りにされたような……痛ましいほど壊れかけた人間でした」

苦笑が、短くこぼれる。だが、それは冷笑ではない。
ひとりの男としての、静かな憤りと悔しさが混じっていた。

「それをあなたは、“自分の子には見えなかった”の一言で、済ませるのですね。
彼女がどれほどの痛みと覚悟で、命を抱き、守り、育ててきたか……
……あなたには、見ようとする気すらなかった」

アレクサンダーの拳が、膝の上で静かに強く握られる。
苦しさに耐えるように、唇を噛んでいた。

「私は、彼女が大きなお腹で、誰にも頼らず、懸命に働いているのを見た。
夜中も、吐きながらも、誰にも助けを求めなかった。
私は……そんな彼女を見て、夫になろうと思った。
子どもの父親になると、覚悟を決めたんです」

ジェイクの声が、一瞬だけ揺れた。
けれど、すぐに静かな怒りを宿したまま、言葉を重ねる。

「……あなたは、ルシンダを“捨てた”のです。
感情のままに疑い、信じる努力を放棄し、弁護士を通じて“終わり”を押しつけた」

その言葉に、アレクサンダーの顔が苦悶に歪む。

ジェイクは構わず続けた。淡々と、事実だけを突きつけるように。

「しかも、まだお腹の大きな彼女に、“子どもとは一切関わらない”という誓約書まで突きつけた。
慰謝料も……ありましたね。
でも、彼女はその金に、頼ろうとはしなかった。
使わず、しまい込み、名前にも過去にも、すがらなかった」

……沈黙が落ちる。

遠くで、波の音が微かに聞こえる。
それが、ここが港町であることを思い出させる唯一の音だった。

アレクサンダーは、何も言えなかった。
ただ、唇を震わせ、視線を落とし――
そして、かすかに肩を震わせていた。

やがて、搾り出すように言葉が漏れた。

「……そうか……
私は……金を渡して、それで終わったと思って……
忘れようとして……
……最低だな、私は……」

声が、かすれていた。
苦い酒の味さえも、今はもう感じられなかった。

どうやって家に戻ったのか――記憶にない。
夜の帳が降りて、海風は冷たく、港の明かりは遠かった。

あの男と交わしたビールの味は、ひどく不味かった。
いや、味ではない。
喉を通るたび、焼けつくように胸が痛んだ。
吐き出したいのに、すべてが内側に残っていた。

──そして、そこに、ルシンダがいた。

記憶の中の彼女は、もっと細く、尖っていて、強がりだった。
壊れそうなほどに、脆く、美しかった。

けれど、今のルシンダは違った。

柔らかな頬。
包むようなまなざし。
母となった女の、静かな気高さ。

……あの男が、彼女を変えたのだろうか。

それでも。
それでも、彼女は――変わらず、美しかった。

胸が、軋むように痛かった。
言葉が、喉元までこみあげてくる。
けれど、出せなかった。

「アレク、
あなたを愛しているわ」

あの声が、今も耳に残っている。

……もう一度、聞きたい。
その手を取りたい。
抱きしめたい。
奪い返したい。

――けれど。

そんな資格は、もう、どこにもなかった。

彼女は、もう別の未来を選んだのだ。

それを、奪う権利など、自分にはない。
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