『この命、めぐりて、きみに還る』―“俺の子じゃない”と捨てたくせに―

夢窓(ゆめまど)

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捨てられた妊婦と、朝の新聞

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夜。

宿の一室には、静かな月明かりが差し込んでいた。
窓際のカーテンが揺れる音だけが、ルシンダの周囲を包んでいる。

膨らんだお腹をそっと抱えるようにして、彼女は布団に身を沈めていた。

誰もいない。
夫も、家族も、友人も。

――たったひとりで、お腹に命を宿している。

「……ごめんね、こんな母親で……」

小さく、囁いた。
返事はないけれど、お腹の中から、ぽこりと弱く蹴られたような感覚がした。

ああ、生きてる。

それが、どれだけ心を支えてくれているか。
誰にも、わからないだろう。

けれど――彼女は、涙をこぼさなかった。
もう、泣き尽くしてしまったのだ。



翌朝。

まだ街が眠っているうちに、ルシンダはひとり、外へ出る。
目的はひとつ。新聞を買うため。

宿に戻ると、テーブルに新聞を広げる。

一面には、彼の名。
アレクサンダー・ローレンス侯爵令息。

『侯爵家の御曹司、今度は北の伯爵令嬢と熱愛か!?』
『噂の美貌令嬢ルビーと深夜の舞踏会――婚約も間近!?』

見慣れた黒髪、華やかな笑み。
腕には、違う女。

ルシンダは、無言で記事を切り取る。

「……知ってるわ。あなたは、こういう人だったものね」

それでも、毎日切り抜く。
まるで、それが自分の存在証明のように。



そして数日後。
実家に行くと、弁護士からの手紙が届いていた。
手続きに来るようにと、

実家からも、「これ以上迷惑をかけるな」との冷たい言葉とともに、絶縁を告げられた。 

事務所に行くと、封筒を渡された。

弁護士からの封筒。
中には、整った書類が収められていた。

・離婚届
・生まれてくる子供との縁切り合意書
・口座に振り込まれた、慰謝料という名の“口止め料”

──すべてが、終わっていた。

「……ああ、本当に、全部なくなったのね」

彼女はただ、お腹を撫でた。
弁護士事務所から、ゆっくり出ていった、、

ひとりじゃない、と信じたかった。
けれどそれは、まだ言葉を持たぬ命。

守るには、あまりにも、弱すぎた。

それでも。

彼女はまた、翌朝も新聞を買いに行く。

スクラップ帳を開き、昨日と同じように、丁寧に切り抜く。

「生きてやるわ、簡単に消えてたまるもんですか……」

――そうして、ルシンダは、「母になる日」を待ち続けた。



お腹が少しずつ大きくなってきた頃――
体も落ち着いて、ようやく“安定期”と呼ばれる時期に入った頃だった。

私は、大漁亭で働かせてもらうことにした。

本当は、静かに休んでいるのがいいのだろう。
でも――ひとりきりのホテルの部屋は、あまりにも静かすぎて。

朝も夜も、息をひそめるように過ぎていく時間が、胸に沁みて。

人の気配が恋しかった。
誰かとすれ違い、誰かと笑い、誰かのために手を動かしたかった。

そうして、私は厨房の手伝いや、洗い場の仕事を申し出た。

もちろん、無理はしなかった。
少しずつ、できる範囲で。
優しい女将さんと、陽気な板前さんたちが、私を受け入れてくれた。

――口止め料という名の慰謝料も、確かにあった。
でも、そのお金に包まれて眠るより、
私は、人のぬくもりの中にいたかった。

“守られる”より、“共にいる”ことを選びたかった。
それはきっと、私が母になる前に、
一人の人間として、まだ“誰かと繋がっていたい”と願ったからだと思う。
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