嵐が去って、会社は今日も平和――たぶん。義兄妹の恋のプレリュード

夢窓(ゆめまど)

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もどかしい想い

家に帰ると、リビングではクリスがソファに座ってテレビを見ていた。
「ただいま」

「……おかえり」
クリスは画面から目を離さずに答えた。
ライアーはキッチンに向かい、冷蔵庫から水を取り出す。マイケルとの楽しかった時間が、まだ心に残っている。
「今日、野球観戦行ってきたんだ」
「……ふーん」
「マイケルさんのチームが勝って、すごく盛り上がって——」

「で?」
クリスの声が、やけに冷たい。
ライアーは思わず振り返った。クリスは相変わらずテレビを見ているが、その表情は硬い。
「……何か、機嫌悪い?」
「別に」
「嘘。絶対機嫌悪い」
「悪くない」
「悪いです! さっきから態度が——」
「お前が楽しそうにデートの話するから!」
クリスが突然立ち上がり、ライアーを睨んだ。
「……え?」
「……っ」
クリスは自分の発言に気づいたように、言葉を詰まらせた。
沈黙が落ちる。
ライアーの心臓が、急に早鐘を打ち始めた。
「……なんで、それで機嫌悪くなるんですか」

「……知らない」
「知らないって——」
「知らないんだよ!」
クリスは苛立たしげに髪をかき上げた。
「お前が他の男と楽しそうにしてるのが、何で気に入らないのか、俺にも分からない!」
ライアーは息を呑んだ。
クリスも、ハッとしたように目を見開く。
「……それって」
「……っ、もういい。忘れろ」
クリスはそう言い捨てて、自室へと逃げるように去っていった。
バタンとドアが閉まる音。
ライアーは、その場に立ち尽くしていた。
胸の中で、何かが大きく動いた。
(……クリス)
もしかして——
もしかして、私と同じ?

次の日
ライアーはクリスと目を合わせられないまま、会社へ向かった。
その日以降、クリスは朝早く出勤し、夜遅く帰ってくる。明らかに、ライアーを避けている。
(……どうすればいいんだろう)
義理とはいえ、兄妹。家族として一緒に暮らしてきた。
でも——
胸の奥に芽生えたこの気持ちは、確かに「家族」に向けるものじゃない。
デスクに座り、パソコンを開こうとした時、キャロルさんが声をかけてきた。
「ライアー、マイケルからまた連絡あったわよ?次のデート、いつにする?」
「え、あ……」
ライアーが返事に困っていると、ふとクリスの席を見た。
彼はヘッドフォンをつけて、こちらを見ようともしない。
(……逃げてる)
胸が、チクリと痛んだ。

その日の夕方。
ライアーは残業を終え、会社を出た。
駅へ向かう途中、ふと見覚えのある背中が目に入った。

クリス——
でも、彼の隣には綺麗な女性がいた。長い髪、スラリとした体型。笑顔でクリスに話しかけている。 

クリスも、少し困ったような顔で相槌を打っている。

ライアーの足が、止まった。
胸の奥が、ギュッと締めつけられる。
(……誰?)
あの女性は誰? クリスと何を話してるの?
気づけば、ライアーは二人を見つめていた。
女性がクリスの腕に手を添える。

その瞬間——
ライアーの視界が、真っ白になった。
(……嫌だ)
この感情。
これが、嫉妬。
マイケルとデートした時、クリスが感じたのと同じもの。

(……クリスは、私のものじゃないのに)
義理の兄。家族。それ以上でも、それ以下でもないはずなのに——
ライアーは踵を返し、走り出した。

深夜。
ライアーは自室のベッドで膝を抱えていた。
夕飯も食べず、母には「体調が悪い」と嘘をついた。
(どうすればいいんだろう)
この気持ち、どうすればいい?
クリスを好きになってはいけない。家族なんだから——

玄関のドアが開く音。
クリスが帰ってきた。
ライアーは思わずドアの隙間から廊下を覗いた。
クリスは壁に手をついて、フラフラとしている。
(……酔ってる?)
クリスはあまり酒を飲まない。なのに——
(あの女性と、飲んでたの?)
胸が、また痛んだ。
ライアーは部屋を出て、クリスに駆け寄った。

「クリス、大丈夫ですか?」
「……ライアー?」
クリスが目を細めて、こちらを見た。
「……なんで、お前がいるんだ」
「ここ、家ですけど」
「……ああ、そうだった」

クリスは力なく笑い、壁に背を預けた。
ライアーは我慢できなかった。
「……今日、誰と飲んでたんですか」
「……は?」
「夕方、駅前で……綺麗な女性と一緒でしたよね」
クリスが、ゆっくりとライアーを見た。
「……見てたのか」
「偶然です」
「……あれは、取引先の人間だ」
「……そうですか」
「嫉妬してんのか?」
ライアーは息を呑んだ。

クリスがニヤリと笑う。
「してない、です」
「嘘つけ。顔に書いてある」
「書いてません!」
「じゃあ、なんでそんな顔してんだよ」
クリスがライアーの顔を覗き込む。酒の匂いが、ふわりと鼻をつく。

「……クリスだって」
ライアーは思わず言い返した。
「マイケルさんのこと、嫉妬してたじゃないですか」

「……っ」
クリスの表情が、一瞬強張った。
「……してねえよ」
「してました。すごく機嫌悪かった」
「してない」
「しました! 私が楽しそうにしてるのが気に入らないって、自分で言ったじゃないですか!」
ライアーの声が、少しだけ震えた。
「……なのに、クリスさんは他の女性と笑って——」
「嫉妬してんじゃねえか」

クリスが、ライアーの肩を掴んだ。
「……お前、俺に嫉妬してんだろ」
「……っ」
ライアーは何も言えなかった。
クリスの顔が、近い。
「なんで、嫉妬すんだよ」
「……知りません」
「知らないわけないだろ」
「知りません! クリスさんだって、なんで私が他の男と楽しそうにしてるのが嫌なんですか!」

「……っ」
クリスが、言葉を詰まらせた。
沈黙。
二人の呼吸だけが、静かな廊下に響く。
「……分かんねえよ」
クリスが、ぽつりと呟いた。
「お前のこと、妹だと思ってた。家族だと思ってた」
ライアーの心臓が、跳ねた。

「……でも」
クリスの手が、ライアーの頬に触れる。
「お前が他の男と笑ってるの見たら、胸がムカムカして、イライラして——」
「……クリス、さん」
「もう、分かんねえんだよ。お前が、妹なのか、それとも——」
クリスの顔が、さらに近づく。
ライアーは息を止めた。
「……ライアー」
クリスの唇が、ライアーの唇に重なった。
一瞬の出来事。

柔らかくて、温かくて、少しだけ酒の苦味がした。
クリスはすぐに顔を離し、ハッとしたように目を見開いた。
「……っ、悪い」
そう言って、クリスは自室に逃げ込んだ。
バタンとドアが閉まる。

ライアーは、その場に立ち尽くしていた。
唇に、まだクリスの感触が残っている。
胸が、バクバクと鳴り止まない。

(……キス、された)
クリスに——
義理の兄に——
ライアーは唇に指を当てた。
涙が、ぽろりとこぼれた。
(……どうしよう)
もう、戻れない。
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