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第二章

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 二十数年前
 凍える冬を乗り越え、待ちわびた暖かな春が訪れる。生命は芽吹き、新たな命が次々とこの世に誕生する。そのうちのひとつの命。
「おめでとうございます、元気な女の子です」
 家族や周りの大人達から祝福され、この世に生を受けた一人の女の子。彼女はルキアと名付けられた。真夜中の出産であり、多くの人が心配しながらルキアと母の無事を祈って待っていた。取り上げを担当したのは、街で有名なベテラン産科医であった。彼女は、「心配することはないですよ。母子共に異常は見られませんからね」と不安な気持ちが滲み出る人らが安心するように声をかけるが、この夫妻にとって初の子どもということもあり、やはり心配や不安がつきまとっていた。促されて呼吸を繰り返す母と、それを応援する父の姿。その様子を見守りながら、何かあった時のためにすぐに動けるように待機する使用人達。多くの大人に囲まれていた。そして、元気な産声をあげてルキアが生まれた。
ルキアの父母は貴族であり、使用人を何人か抱えている豪邸を住まいとしていた。使用人の中には、一家で代々この貴族に仕えている者もいた。また、その一家のうちの一人の女性が今夏に出産予定であるということで、ルキアときょうだい同然に育つのだろうと皆が盛り上がっていた。主従の意識はもちろんあったが、それよりも人と人との繋がりの方がより強く感じられるような温かい職場であり、温かい家族である。
ルキアがあらゆる人から愛情を注がれ、順調にすくすくと育っていた頃にウィリイアムが誕生した。予定通り、彼は夏に生まれた。太陽が最も高い位置に昇ってきた頃だった。ウィリアムの母の傍で最も励ましていたのはルキアの母であった。ウィリアムの母がふんんばれるように、手を握って声をかける。
「がんばって! 大丈夫よ!」
「は、はい……!」
 もともとウィリアムの母はルキアの母の身の回りの世話を担当していたのもあってか、二人の間には主と従者という繋がり以外にも、友でもあったように思える。信頼し合っていて、どんな時でも傍にいて寄り添ってくれるウィリアムの母をありがたく感じていたし、心強い味方であるとも感じていた。
 そうして、ウィリアムが誕生すると、ルキアの母は泣きながら喜んでいた。
「おめでとう、うう、涙が出てしまったわ」
「ありがとうございます。奥様……」
 出産を労い抱きしめていた。弱々しい腕が、出産の大変さを物語る。その後、夫婦でゆっくり過ごす時間を与えて、安定した頃にまた仕事に復帰することとなる。といっても、この夫妻は一家に代々仕える使用人であり、住まいもこの屋敷であるため、ルキアとウィリアムを一緒に世話をすることになっていた。その方が安心して仕事も出来るだろうということだったからだ。



 それから六年後
 ルキアとウィリアムは六歳になった。ルキアにとっても同い年の子と共に育つのは良い刺激になるだろうと考え、ウィリイアムと過ごさせていた。少しずつ簡単な勉強を教えるようになっていき、ルキアは真面目にそれを受けていたが、ウィリイアムはどうしても剣の鍛錬や鬼ごっこなど身体を動かす方が好きなようだった。ルキアはそんなウィリイアムを「だめな子ね」と言って、剣の手合わせで負かして勉強をするように説得した。
「わたしにまけているようじゃ、だめよ」
「くやしい! もう一回だ」
「いいよ」
 ルキアは女の子であるが、女の子だろうと剣を使えた方が将来役に立つこともあるだろうということで、父が古い友人を教師として招いて昨年から稽古を始めていた。ルキアにとって学ぶことは苦痛では無かった。走り回ることも、おままごとも、もちろん遊ぶことは好きだった。それに加えて、勉強も、剣術も、乗馬も、ピアノも、……全てが新しいことで楽しいと感じていた。特に、勉強することはどれだけ考えても答えが見つからず、投げ出してしまいたいし、つらいと思うこともあったが、ウィリイアムが隣にいたから頑張れた。ウィリイアムが「わかんない」とつまらなそうにするから、教えてあげたいと思って頑張れた。ルキアはいつしかウィリイアムが気になって仕方なかったのだ。
ウィリイアムは物心ついた時からルキアと過ごして、空いた時間は庭で遊んだり、両親の仕事、つまり使用人の仕事を間近で見たりしていた。両親の仕事をずっと見て、自分の将来はこれしかないのだろうかと幼い心の中で残念に思っていた。町に出かけた時、年齢の近い周りの子達はいろいろな夢を語っていたので羨ましく思っていたのだろう。
「かあさん、おれはちがうお仕事したいよ」
「今はそう思うかもしれない。けれどね、ウィリイアムはこのお仕事をしたいと思う時が来ると思うよ。そして、ルキアお嬢様を護りたいとも思うかもしれない」
「そうなの? でも、ルキアは強いよ? おれがいなくてもだいじょうぶだよ」
「いつかわかる時が来るわ、きっと」
「ふーん」
 ウィリイアムにとって、ルキアは、自分より少し早く生まれた同い年の大人しい子であった。ルキアが春、自分は夏に生まれたことは勉強会の時に教えてもらった。ルキアは何でもこなしてしまう「すごいやつ」だった。背がウィリイアムより一回り大きく、女の子なのに剣も強い。勉強も理解していていつも教えてくれる。綺麗な金色の髪はふわふわしていて可愛いと思った。顔は、目はぱっちりと大きくて可愛らしいのに、物語に登場する王子様のように気品があってカッコイイと思っていた。それが気に入らなかった。こんな完璧な女の子に将来仕えなきゃいけないのは、幼いウィリイアムにとって受け入れたくないことであったのだ。自分よりも優れていて、支えることなど何も無いなら自分は好きなことをしたい。町で見た仕事の方が楽しそうに見えた。屋敷の仕事は両親の様子を見ていたから何となくわかっている。その結果、退屈そうだと思ったのも理由の一つだ。とりあえず、ウィリイアムは今のところ使用人の仕事をしたいとは到底思えなかったのだった。
 数日後、勉強を教えてくれていた先生がルキアとウィリアムを連れて算数の勉強のために市場へ出かけることとなった。先生は、なかなか教えている時に集中しないウィリアムに「勉強も実際に使ってみれば楽しいかもしれない」と提案し、外で実践の形式で行うことにしたのだ。その話をウィリアムにしたところ、市場での実践に向けて屋敷の中でしっかり勉強するようになった。先生は、ウィリアムは素直で、楽しいことには真面目な子だと理解していたからこその考えであった。
 市場では週の最終日、多くの人々が賑わっている。店も多く並んでいて、普段屋敷内で勉強していた二人にとって新鮮な景色だった。
「いいかい? まずは復習だ。あの果物屋へ行くよ」
 果物が並んでいる屋台に向かい、先生がミカンとリンゴを指差しながらウィリアムに質問する。
「リンゴとミカン、それぞれ何個あるかな?」
「えーと……」
 ルキアはウィリアムをじっと見つめながら心の中では応援していた。ウィリアムにとって数を数えるのであれば問題ないが、この屋台に置いてあったリンゴとミカンは数が多かった。
「いち、にぃ、さん……」
「ゆっくり数えても大丈夫だからね」
 先生は笑顔でウィリアムにそう言ってから、店主に事情を説明する。そうすると、店主も笑顔でウィリアムを見守っていた。
「リンゴ十五! ミカンは三十だ!」
「そう。正解だ。よくできた。じゃあルキア。ミカンを三個買ったら何個残るかな?」
「二十七」
「そうだね。よし、じゃあミカンを三個買おうね」
 先生に教えられたことを応用し、正解したことの嬉しさでウィリアムはスキップしながら歩きだした。ルキアは先生から紙袋をもらって、入っていたミカンの香りを吸い込むと、紙袋の特有の匂いとミカンの爽やかなすっきりとした香りが鼻腔で混ざる。そのままゆっくり、はあ、と深く息を吐くと、肺にまで行き届くような感覚があった。
 次の店に行くまで好きな店を見つけて、寄っても良いこととなったため、きょろきょろ周りを見渡しながら歩いていると、前方に泣きじゃくる同い年くらいの女の子が座っていた。ルキアはすかさず女の子のもとへ走っていくと、先生とウィリアムもルキアとはぐれないように駆けつけていった。
「そこのきみ。どうしたの?」
「……ひっく、う、うう……」
「ないていては、わからないよ。だいじょうぶだから、ね」
 ルキアは女の子の視線に合わせるようにしゃがみ、背中をさすってあげた。女の子はルキアが傍にいて、親身になって話しかけてくれたおかげで安心したようで、少し経つと泣き止んで呼吸も整っていた。
「あのね、おつかいにきたの。けどね、わかんなくなっちゃったの」
「そうなのね。おかあさまからメモはもらっていないの?」
「これ」
 ルキアがメモを見て、すぐに内容はわかった。女の子はきっと、人混みの中に入ってしまい混乱したのだろう。
 ウィリアムがひょっこりと顔を出してそのメモをルキアの頭の上から見る。
「これならおれたち、わかるぞ! なあ、ルキア」
「そうね。あ、先生。この子のおつかいを、いっしょにしたいです」
「そうか。じゃあ三人とも。私がこのメモにある物を売っている店まで案内するから、そこで全部買えるかな? 私はあくまで見守りだよ」
「はい!」
 先生は三人を引き連れて店まで案内し、いよいよ、自分たちのためだけでない勉強の成果を発揮する時となった。これまで、特にウィリアムは勉強に対して積極的でも肯定的でもなかった。それは、自分にとって必要性の無いものだと心のどこかで感じていたということも要因の一つではあった。だから、この機会はウィリアムのためにも良い出来事だったのだ。
「ミルクはこれだね。いっぱいあるけど、このサイズのびんだとおもう。ふだに、おなじ数字があるもの。」
「そうだな。ルキアの言うことは合ってるぞ! えーと、なまえは? なんていうんだ」
「わたし、エミリー。あなたがウィリアムで、あなたがルキアさまね」
「そう。なんでわかったの」
「あなたたちがよびあっているのを聞いたらわかった!」
「エミリーはおぼえるのが早いな、うらやましいぜ」
「さあ、ほかのものを見つけに行こう」
 ルキアとエミリーが手を繋いで、ウィリアムは二人の一歩前を歩く。三人で、店の中を回りながらメモに書いてある品物を次々に手に取っていく。「何個」「何グラム」という単位があったせいで、エミリーは混乱してしまったらしい。それもそのはずで、本来であればまだ習うことのないものであった。
しかし、エミリーの両親は忙しく、なかなか買い物に出られない。母がエミリーに教えた単位は理解したようだし、わからなければ店の人に聞けば教えて出してくれるということでおつかいに出たと話していた。
ルキアにとって、初めて同い年くらいの同性の子との交流だった。今まで、両親の知り合いの娘とも会って話すことはあったが、挨拶とたった数分の会話だけで終わるような交流しかしてこなかった。そのため、エミリーとの時間は特別に感じていた。
三人で協力したおつかいの結果は、先生に選んだ商品を確認してもらい合格の判定を受けてから、購入して店から出た。
「お疲れさま、三人とも。大変よく出来ました」
「ありがとうございます」
 先生が三人を労う。おつかいを無事に成功させた達成感で気分が高まっていた。
「ルキアさま、かっこいいわ! まるで王子さまよ!」
「え?」
「わたしに声をかけてくれたじゃない! あと、顔もかっこいいもん!」
「そうなの?」
 きゃっきゃと盛り上がる女子二人を羨ましそうに輪に入れないウィリアムが目を細め、唇を尖らせて壁に寄りかかっていた。
「早くかえるぞ」
「そうね、わたしはこっちだから! 先生、ルキアさま、ウィリイアムありがとう! じゃあね!」
 エミリーはこちらを向きながらぶんぶんと音が聞こえそうなくらい元気に手を振って、そのまま走り去っていった。家へと向かって行って、姿が見えなくなったところでルキアたち屋敷へ帰っていった。

 数か月後
 ウィリアムは市場での実践以降、真面目に勉強に取り組むようになり学ぶ姿勢も変わったようだった。先生が出した課題にも、授業にも真面目に取り組むようになった。ルキアはウィリアムに教えることは無くなったが、相変わらず難しい問題を与えられると投げ出してしまうこともあり、そういう時はやはりルキアが積極的に声をかけようとするのであった。この教える行為を先生は学習したことをしっかり覚えるのに重要だと考えていたため、ルキアにはウィリアムに教えるように促すことも増えた。しかし、そういう流れが無かったとしても、どうしても、ウィリイアムが気になって放っておけなかった。
「くそぉ、わからねぇ!」
「ウィリアム、もう一回最初からやり直してみようか」
「先生、これで合ってますか?」
「そうだね、正解だ。じゃあウィリアムに教えてみてくれるかな」
「はい」
ルキアの両親の中では、学校に来年から通わせようという話になっていた。家庭教師に毎日勉強を教えてもろうことも可能ではあったが、あえて学校に通わせることを選んだのには理由があった。街でのエミリーとの出会いをルキアはとても楽しそうに話していたのもあるが、同年の子どもたちと触れ合い、協力して集団生活を送ることも必要だと考えていたからだ。勉強だけを教えるのであれば家庭教師から個別に授業を受けた方が効率も良いのは明確だが、学童期で学校でしか経験出来ないものや学びを他者から得て欲しかったのだ。
 着々と入学手続きは進み、あとはその時を待つだけとなった。その頃には、先生から教えてもらうことはほぼ終わっており、入学してからの学習につまずくことはないだろうが、もし不安があればすぐに呼んでくれれば補うと約束をして家庭教師として一旦役目を終えた。先生が来なくなってからも、二人はよく本を読んでいた。小さい子向けの物語や絵本だけでなく、歴史について簡単に記されたものなど、幅広いジャンルに興味を示して読書をする。もちろん、剣術も週に二、三回のペースで行っていて、以前まではルキアが勝っていたのも、今では彼らの実力は互角になっていた。
 本を読んで休憩や気分転換したい時には、中庭に出て剣術の手合わせをすることも増えていた。
 カン! と木製の剣が叩き合う音が心地好く空に響く。カン、カン、とそのリズムに激しさが生まれる。ルキアを追い込むようにウィリアムはカン、カン、カン! と隙を狙って次々に仕掛ける。
「ルキア! おまえよわくなったか」
「そんなわけない。ウィリアムが強くなったんだよ」
「……は!?」
 滅多にルキアから褒められることのないウィリアムが彼女から褒められ、驚いてしまう。しかも柔らかな笑みを浮かべてまるで今までの努力を労っているようにも捉えられるその笑顔は純粋なウィリアムの男児心を貫いた。その揺らぐ感情を抑えて、照れ隠しするようにルキアから逃げるように離れ、屋敷に入ろうとする。
「がんばってたんでしょ」
 背中にやや大きな声で語りかける。
「んなわけねぇし」
 ルキアに勝つために、ひっそりと隠れて自主練習をしていたのをルキアは知っていたし、ルキアも負けじと練習を重ねていた。だからこそ、ルキアは本音でウィリアムの努力を称えていた。
「ちょっとつかれた」
 ルキアが小走りでウィリアムを追いかけ、背中をトン、と押して隣を歩く。
「また本でもよむか?」
「うん」
 ルキアは剣術や自主練、乗馬など運動をする時は、ふわふわの長髪を耳より高めに一束に結っていた。風に揺れるポニーテールから微かに漂うシャンプーと汗の香りが妙に『いい匂い』だと感じた。ドキッと、胸が苦しくなってしまったウィリアムが立ち止まると、ルキアは心配そうに首をかしげる。
「ウィリアム、どうしたの? お水もってこようか」
「あ、うん、おねがい」
 中庭のベンチに腰かけて深呼吸をする。ぼおっと青空を見ると、太陽が容赦なくウィリアムを照らしていた。
(おれ、もしかしてルキアのこと……)
 サアアア──。庭の草木が揺れ、音楽を奏でる緑たち。爽やかな風に運ばれる町の香り。そういえば、今日は市場が賑わっている日だろうか。パンの香ばしさの中に甘みも感じる食欲をそそる匂いが此処まで届いていた。
「はらへったなぁ」
 ルキアが来るまで特に何もすることがないので空に浮かぶ雲を眺めていた。
あれは、剣みたいだな、あれは犬みたいだな。あ、あれはパンだ! と何に見えるかを一人で考えていると、隣に誰かが座る。
「はい、お水。あと、サンドイッチもらってきたのだけれど、食べる?」
「……食べる。ありがと」
 手を拭くための濡れタオルをカゴに入れていた。用意周到なルキアは本当に気が利くという女の子であった。そう意識すればするほど、ウィリアムの胸の鼓動は高まっていく。その息苦しさを水で腹の底まで無理矢理流して飲み込んだ。ゴク、と喉が鳴る。ルキアはウィリアムに微笑んで手を拭いてサンドイッチを食べる。チーズとハムが挟まっていた。今は昼を少し過ぎて、おやつの時間に近かった。甘いお菓子よりも軽食を希望したところ、食事を担当する者が急遽変えてくれたのだった。
「つかれたね。あ、ここで本よもうかな。きもちいいから」
「何よむんだ? もってくるからまってろ」
 もきゅもきゅとリスのように小さな口でサンドイッチを頬張るルキアよりも先にサンドイッチを食べ終えて、手を拭いいて走るポーズをとる。
「まほうつかいのたからもの」
「オッケー! すぐもどる」
 ウィリアムが全力で走って屋敷の中に入ってく。脇腹を押さえながら。
 ルキアの部屋の本棚には多くの本がある。両親が買い与えたもの、本人が読みたくて取り寄せたもの、勉強のためのもの。とにかく同年の子と比べても、確実に多くの本を読んできただろう。その中でも、気に入っている本の一つが、「まほうつかいのたからもの」であった。絵本を読む機会は数年前に比べると少なくなったが、その作品はお気に入りらしく、今も読むことが多い。
 ルキアがよく読む本は、目線の高さに並んでいて、取り出しやすかった。それだけ、ウィリアムがいない時も読んでいたことが伝わってくる。本を抱えて、ルキアの待つベンチまでまた走っていく。なるべく早く、隣に座りたかった。
「ルキアー!」
「早いね。いそがなくてもよかったのに」
「おれのあし、はやいからな」
「まだわたしのほうがはやい」
「ちぇっ」
 事実、ルキアに追いかけっこで勝てたことがない。女の子であるルキアより速く走れないことに若干の劣等感を抱いていたため、不貞腐れてしまった。機嫌を損ねてしまった様子をなんとなく感じたルキアは、あえて本の話題を振る。
「いっしょに読もう。わたしがなんでこの絵本がすきなのか、あててみて」
「おう」
 絵本のストーリーは、簡単な内容である。子ども向けの柔らかで温かみのある色使いで可愛らしいデザインでキャラクターたちは描かれていた。
魔法使いが長い人生の中で初めて惹かれたほどだという、龍の魂が収まっている美しい宝石を手に入れ、独占した。しかし、その宝石は誰も見たことはないが、それでも全ての人々に愛され、大切にされてきた宝石であり、独占して良いものでは無かった。誰にも奪われないように、魔法使いは宝物に呪いをかけて、触れられないようにした。
そこでその魔法使いを退治するために現れたのが、魔法使いよりももっと年齢が高く、強い魔女だった。この魔女と魔法使いは知り合いで、昔喧嘩をした。喧嘩の決着をつけるためにも魔女は魔法使いと戦う。その結果、魔法使いは魔力を奪われてしまい宝石を手放すこととなったのだ。
「わたしがなんですきかわかる?」
「うーん……絵がかわいいから?」
 ウィリアムは正解してやろうとするが、全くもってルキアが何故この絵本が好きなのかわからなかった。聞いたこともなかったし、話してくれたこともなかった。
「ちがう」
「じゃあ、まじょがかっこいいから!」
 ルキアの長い睫毛が伏しがちになって、その間からちらりと見える澄んだ青空のような宝石が輝いて見えた。
「ちがう」
 ウィリアムはしばらく黙り込んで考えたものの、正解することは出来なかった。クイズに正解出来なくて悔しい、というよりも、ルキアのことを全く知らないということに気づいてしまったことがショックであった。
「じゃあせいかいは?」
「せいかいはね」
 綺麗な青空に急に雲がかかっていく。次第にぽつり、ぽつり、と小粒の雨が天上から落ちた。ウィリアムが立ち上がって上着をルキアに被せると、ルキアはのっそりと立ち上がった。
「せいかいはね、わたしも、たからものがあるから」
 二人が急いで屋敷の中に入ったため、濡れることはなかった。急に降り出した雨のせいか、先程まで暖かった気温も一気に下がって、冷え込んだ。
 ルキアはうつむいたまま、部屋に閉じこもってしまった。
 さらに数か月後
 ルキアとウィリアムは同じ学校に入学した。ルカの両親の計らいでウィリアムも同じ学校に通えるようにした。今までの使用人たちにも、子どもが生まれれば学習の機会を与えるために給料に手当を上乗せし、学ぶことを推奨していたため、ウィリアムを特別扱いしているわけではないが、それでも、ウィリアムの両親は最初は躊躇っていた。その反応を見た他の使用人たちが背中を押し、ルキアと同じ学校に進むことに決めたのだ。
二人が入学した学校は、七歳から十二歳の生徒が通う小学部と十三歳から十五歳の生徒が通う中学部が一つの学舎に集い、各学年ごとにクラスを一学年あたり三つに分けられている。公立学校ではないため、そこそこの金持ちの子息や令嬢が通っている。しかし、特待生枠には優秀な一般家庭の子どもいるため、全員がそういう人間ではない。
 ルキアとウィリアムはクラスが離れてしまったが、どちらも上手くクラスに馴染めそうであった。入学初日からルキアには多くの女子が集まり、かっこいいだの、王子様のようだだの言われた。ルキアに自覚はなかったが、中性的な顔立ちと大人しい性格で、優しい。さらに、授業中の質問には全て答えられて、わからない問題を尋ねれば丁寧に教えてくれる。体育の時間ではスポーツ万能であることも明かされた。女の子からすれば、ルキアは「完璧な王子様」であり、憧れの的であった。
 ウィリアムは、主に価値観の合うような一般家庭出身の特待生の男子や、剣術に精を注いでいる生徒と意気投合していた。勉強も今のところ順調で、ついていけないということは無いようだ。しかし、たまにわからない問題が出てくるので、それを友人や席の近い子に聞くことで理解する努力をしている。教える側も、人に教える楽しさを感じているようで、ウィリアムが尋ねてくることを拒みはしなかった。
 順風満帆な学校生活を送っている二人は、学校が終わると一緒に帰る。友人たちは車での送迎の子や帰る方向が違うとかで一緒に帰ることはあまりなかった。ルキアも頼めば迎えは来るだろうが、二人で遊んだり話したりしながら帰ることも一日の楽しみの一つであったため、両親はその意思を尊重していた。
 学校から歩いて帰ると、音楽家や手品師、絵師などパフォーマンスをする人々が集う広場を通る。そこが賑わっていると、少し寄り道をしてしまうため、いつも帰った後に注意されていた。
 今日は、誰もパフォーマンスを披露する人がいないため、そのまま帰れそうだった。
「今日、だれもいないのか?」
「んー。あ、誰だろうあの人。ほら」
 ルキアが指を指すと、小さなテーブルに構える紺色のローブを着た長い黒髪を三つ編みした女性と思われる人が座っていた。
「すごい長いかみのけね」
「なにする人なんだろう」
 じっと女性を凝視すると、視線に気づいたのか、遠くにいる女性は二人の方を見てにっこり笑う。手招きをされたため、そちらに身体を向けた。怪しい人に近づくなという教えはあったが、この広場には他の人も数人いたし、安全だろうと考え、近寄っていく。思っていたよりも随分若いようで、中学部の三年生の先輩か、それより少し上くらいに思う。
「私は占いをしているの。どう? あなたたちも占われてみない? お金は取らないわ」
「やってやって!」
 ウィリアムは興味津々に占いの少女の誘いに乗った。ルキアも少し興味があったようで、占い用と思われる水晶に目を奪われていた。
「じゃあ男の子からやろうか。はい、手をこの水晶に置いてね」
 彼女は水晶を見つめるが、何が映っているのかはわからない。しかし、彼女は頷きながらニヤニヤと口元を緩ませてウィリアムに声をかける。
「君、好きな人がいるねえ」
「なっ……! うそだ!おれにすきな人なんていねぇし!」
 ウィリアムは水晶からバッと手を離して大声を上げて否定した。占い師の少女は口角を上げたまま言葉を続ける。
「その好きな子を失うかもしれない」
「……え」
 唐突に『好きな人を失う』つまりルキアを失うという言葉を突き付けられ、何も考えられなくなる。占いを信じたくはなかったが、今まで生きてきた中でルキアを失うことを考えたことはなかったウィリアムにとって、あまりにも絶望的な未来と言えた。どう失うのかを教えられていないというのに、ウィリアムは勝手に脳内で死んでしまうものだと決めつけて、急に魂を抜かれた抜け殻のような状態になっている。
「つぎは君だ。はい、触ってね。……うん、君も好きな人がいるんだね。だけど、気持ちはなかなか伝えられないようだ」
「ほんとうにわかるんですね」
「私の占いは結構当たると評判なのよ!」
「すごいなぁ。あ、そろそろ帰らなきゃ」
 占い師の少女に会釈して帰ろうと、動かないウィリアムの腕を引っ張って帰ろうとする。
「未来で、何かを失うことがあるかもしれない。けれど、諦めないで。その心までは失わないで」
「……? はい」
 占い師の少女が手を振ってまたあの笑顔で二人を見送る。気が付くと広場には誰もいなくなっていた。がらんとした広場は、影が濃くなっている。
「もう終わりだよ、帰りな」
 少女の背後に立っていた長い銀髪を緩く結っている男は、少女を睨みつける。
「ルキアに何を吹き込んだ?」
「儂とあの子の秘密じゃ。若造は黙っとれ」
 少女の瞳が、焦げ茶の混じる黒から真っ赤な炎のような色に変化した。
「若造と呼ぶな。既に百はとっくに過ぎた」
「儂からすれば百も二百も大して変わらんわ。よく平気な顔して儂の近くに来れるもんだ」
「私にとってお前に攻撃されるより、あの子を失う方が怖い。……あの子は誰にも渡さない」
「はッ! 笑わせるな。誰のものでもないわ。あの日の恨みもあるからな、いつかお前の魔力を奪って二度と歯向かえなくしてやるわい。そして、あの子に授けた『呪い』を──」
 少女が喉元を氷柱で突き刺そうと後ろを振り向くと、男は消えていた。



──百年前
 とある村での出来事。
この頃の村だけではなく社会全体で「魔女」が存在するとされていた時代。疫病も飢餓も不幸も、何もかもが魔女のせいとされ、その悪の根源である魔女は火炙りの刑に処されるのだった。魔女と呼ばれるにはどんな理由であっても良い。
例えば、ある者が「魔女だ」と発すれば、その者は魔女になってしまう。そして、同じようにほかの誰かも賛同して「魔女だ」と彼女のことを呼べば、すぐに魔女として捕らえられ、拘束される。人々は魔女を罵倒し、石を投げ排除しようとする。大半が全く罪の無い者だった。しかし、それがこの社会での当たり前な出来事であったため、誰も疑問を抱かなかった。というより、抱いてしまえば「魔女」になってしまうのだった。
この村にミラ・ヨルガンドという魔女が移住して五年ほど経った頃。ついにこの村で初の魔女狩りが行われた。
最初の犠牲者は、出産したものの、子どもが生まれてすぐに死んでしまった母親。その夫の母が怒り狂って大声で叫んだのだった。
「魔女だ! 魔女がいるぞ!」
 母親は子どもの亡骸を抱えて森まで逃げた。どこまでも走った。出来るだけ遠くの村へ移り住めば、生き延びることが出来るだろうと。だが、その願いも叶わない。
「魔女を捕まえろ!」
 隣の村ではだいぶ魔女狩りが進んでいて、この村にもその噂を知らぬ者はいないくらいだった。いつ魔女がこの村に現れてもおかしくない。多くの人がそう呟いていたのだ。
「私は違うの! 魔女ではないわ!」
 村の人々が集う集会広場の中央に、大きな十字形の木製の磔が設置してあった。女は冷たくなった赤子を取り上げられ、そこに強制的に縛り付けられる。ひそひそと、ほかの村人たちは話している。
「まさかあの人がねえ」
「そういえば、夜中に発狂していたな」
「穢らわしい」
 涙を堪え、義母への復讐心に満ちたその絶頂で、炎はたちまち女を焼き尽くしていった。あまりにも熱く、耐え難い痛みに耐え、祈りを捧げて絶命していった。
 これが、この村の魔女狩りの発端であった。これを機に、次々と魔女は発見され、処刑されていく。女だけでなく、男も対象になっていく。混沌とした魔女狩りの様子に、ミラは呆れ返っていた。
「人間というのはどうしてこうも愚かなのか」
 黒猫に語りかけるが、黒猫は知らんふりして何処かへ歩いていった。ミラは本物の魔女であったが、今の世の中でそれを打ち明けることは死を意味した。短い間ではあったが、この村から離れなければならないと感じたミラは、少しずつ引っ越す準備を進めていた。といっても、ほぼ私物は持っていないため、いつでも村から出ることは出来た。明日にでも出ていけば良いだろうと考えていたのが間違いであった。すぐそこに、悪の手は迫っていたのだった。
「あのお姉さん、黒猫と話していた」
 そう言ってミラを指差した少年。彼こそが幼き日のレヴィガルディ。後にミラから『若造』と呼ばれ、命を狙われることとなる男だ。彼は、村での一連の騒動を知っていたし、広場で火刑も見ていた。子どもにとってショッキングな事件が続いているのだが、レヴィガルディは恐れるどころか、関心を寄せていた。
「坊主。そういう嘘を吐くのは、しない方が良いぞ」
 ミラにとって不都合であった。事実、例え語りかけているだけでも動物と話しているように見えればそれは魔女認定されてしまう。子どもの発言だろうと採用されてしまうことだってある。それを知っているからこそ、ミラは威圧をかけてレヴィガルディの発言を撤回させようとしているのだ。
「いや、魔女なんだ。お姉さん」
「何のことかな?」
 しかし、子どもの好奇心とは恐ろしいもので、ミラを魔女として仕立てあげて楽しもうとしている。子どものただの気まぐれなお遊びの心持ちで、ミラの人生が終わるというのは全く面白くないし、気に食わない。早急に村から出ようとすると、運悪くほかの村人と遭遇してしまう。
「あら、おでかけ?」
「ああ、ええ。そうですね」
 やり過ごせるかと思ったその瞬間。
「魔女なんだ! この人!」
 レヴィガルディは何度もそう訴えて泣き出してしまう。その狂ったように叫ぶレヴィガルディの声を聞いた近所の人や、すれ違ったばかりの主婦からの視線が突き刺さる。
「何を言って」
「そういえば、あなた引っ越してきたばかりの人よね」
「数年前に来たばかりね」
「怪しい。独身だしね」
「黒猫と話していたんだ!」
 レヴィガルディはひたすら大人たちの思考にミラは魔女だと刷り込んでいく。何の目的があったのかわからない。ただ、この少年の暇つぶしに巻き込まれてしまっただけだった。
「魔女よ!」
「魔女だ!」
 反射的に逃走を選択したミラ。飛行魔法で空を飛べるが、それでは本当に魔女としてしばらく広まってしまい平穏な生活は送れない。思考を超速で巡らせ、この窮地を脱する方法を考えて、考えて、考える。長く生きているだけあって冷静さは持っていたが、このような境遇は初めてであった。魔女狩りというのがそもそも最近出来たものであり、むしろ昔は、魔女というのは尊敬される立場であった。時代というのはわからないものだ。
 しかし、追手はすぐそこまで来ており、ミラは大人しく捕まってしまう。
「最期に言葉は」
「魔女がどういうものなのか、よく考えた方が良い」
 そう言い放つと、ミラの周りは一瞬で業火の海が押し寄せる。渦巻いて、煙が漂いだんだん焦げ臭くなってくる。しばらくすると跡形も無く灰が小さな山となっていた。
「魔女」
 レヴィガルディは何かを悟っていた。この灰がミラ本人のものではないことも、あの燃えたように見えた人間も。全ては「魔法」であったのだと。
 本人はまだ気づいていないが、レヴィガルディには先天的に魔法が使える力が備わっていた。だから、ミラが魔女であるのもわかった。ミラが実は生きていて、何処かへ消えたのを知っているのはレヴィガルディだけであった。
 この村での魔女狩りは、この一件で綺麗さっぱり終わった。



 レヴィガルディの両親は彼が魔力を持って生まれたことを受け入れ、それでも普通の男子として育てた。しかし、周りの人間に魔力を使えることを知られると、友人から仲間外れにされてしまうのではないかと恐れ、打ち明けられずにいた。そのような学生時代を過ごし、彼が成人する頃に、両親は病に侵され亡くなった。流行り病だった。
それから、独り身の生活を送る。森の奥でこぢんまりとした木の小屋を住処として動植物たちとしばらく過ごす。人との生活に疲れてしまったレヴィガルディは、しばらく人里に近づくことはなかった。
──もし、また私の大切な人を失ったら
自分が魔法使いであること、それゆえ長命であること。長命であれば、愛するものを再び持ってしまうのは悲しいだけである。だから、心が愛になびかないように、刺激を避けていたのかもしれない。レヴィガルディ自身も気づいていたが、気づかないふりをしたのだ。愛を知ってしまえば苦しくなる未来は知っていたから。
何十回目の春のある日。急にレヴィガルディの瞳の奥で、新たな魂が力強く跳ねて輝きを放った。今までこんなにも綺麗なものを見たことは無かった。そして、欲してしまったのだ。欲から遠ざかろうとした悲しい独りの魔法使いが、親以外の人間を生まれて初めて「愛」したもの。誰よりも先に奪って独り占めしてしまいたいくらい恋しいもの。
「おめでとう、ルキア。……愛しい私の花嫁」
 それからというものの、レヴィガルディは満月の夜に一度だけルキアに会おうと決めていた。それ以上近づいてしまえば、きっと狂ってしまう。欲に身を任せ、強引にルキアをさらうなど自分がいちばん望まないことだ。だから、傍で見ているだけで良かったのに。

「じゃあ、わたしをじゆうにしてちょうだい……。いつもおうちにいて、たいくつなの」
「それはまた今度だね。もう私は帰らなければならない」
──次の満月にまた会おう。

 約束してしまったのだ。二度目の約束。夜の逢瀬を重ねては、また激しい葛藤に渦巻かれる。嵐の中のように息苦しいし、何も見えない。レヴィガルディはルキアが喜びそうな魔法を一通り考えた。綺麗な魔法も、楽しい魔法も、独りでしか使ってこなかったレヴィガルディには難しいと感じた。それでも努力出来たのは、愛しいルキアの笑顔を見るためと、会うためであった。もう、引き返せなかった。
「こんばんは、ルキア」
「まほうつかいさん! いいえ、つきのおうじさま!」
「私は王子ではないよ」
 今宵は夜空を眺めながら飛びましょう、と誘ってルキアの手を取り大きな窓から飛んでいく。手をぎゅっと握ると、ルキアのまだ小さくて柔らかい手と、子どもらしい高い体温にこちらまでもが溶けてしまいそう。魂の煌めきは間違いでは無かったのだ。レヴィガルディに突然見えたあの閃光は、「運命のしらせ」だったのだろうと確信してしまう。それほど、ルキアを求めていた。例え今は幼くとも、大人になったら迎えに行こうと。
「怖くない? 大丈夫かな」
「うん! だって、わたしのて、はなさないでしょ?」
 ルキアのまん丸いガラス玉のような瞳は快晴の星空を映していた。
「……そうだね。絶対に離さないよ」
 ぎゅ、と力強く握りしめるレヴィガルディの手は大きくて、ルキアにとって安心する手だった。夢のような時間をくれる、素敵なお兄さん。彼に会うのを楽しみにしていた。
 星座を教えながら、やや高めに浮遊して宙を歩く。まだまだ夜は続くというのに、幼い身体には深夜は辛い。十分も経たないうちに、ルキアは眠ってしまう。ルキアを起こさないように慎重に姫抱きして部屋まで連れて言って布団をかけてあげる。
「おやすみなさい。良い夢を」
 ルキアの頭を撫でて、楽しい夢を見られるように願った。
 この夜以降、どれだけルキアが待っても、『月の王子様』は訪れなかった──
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