エーテルの騎士

リュカ

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第一章

1 夕暮れ

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  夕暮れの空に浮かぶうろこ雲の隙間を、雁の群れが飛んでいるのを見つけ、忍び寄ってきた青北風に気づいてしまった。

 人々の往来は随分と減り、隙間なく敷き詰められた白い石畳と、赤いケヤキの街路樹が夕日に染まって、それを合図に商人たちが店じまいを始めると、ロリア・フランディ広場は急に閑散としだした。

「だいぶ冷えてきましたね、そろそろ帰りましょうか、ソフィア様」

 宝石がちりばめられた白いアンダードレスの上に、銀糸の刺繍が施された黒色のオープンローブを羽織った背中にそう声をかけると、彼女はピタリと歩みを止めた。

 後ろ側で結った長い琥珀色の髪を揺らしながら、残念そうな顔で振り返ったのは、おれの主人であるフランディル国王ジル4世の子女、ソフィア・プロライトだ。
 年の頃は15歳ほど、華奢な体に見合った慎ましい乳房は、振り返ったくらいでは揺れないが、王都テルムの強大な城壁とジル王の庇護の下、何不自由なく育ったという感じの、弱々しい大きな瞳と、白磁の様に透き通った肌を持つ美しい娘は、ある意味男好きのする女性であるようにも見える。だがおれの好みではない。

「私まだ帰りたくない。ねえ、リュカ。もう少し遊んでいきましょ」

 ソフィアは灰色の瞳を潤ませ懇願する。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳だ。

「なりません、帰りが遅いとルドマンに文句を言われます」
「ちょっと夕食を食べていくだけよ」
「夕食は王宮で用意してます。それに、いくら王都テルムと言えども、麗しい淑女が夜に出歩くのは危険です」おれはソフィアをいさめる。

 すご腕の近衛騎士おれを連れて、気分が向いたら王宮を抜け出し、息抜きをするだけの温室育ちには分からないだろうが、夜のテルムはひとたび裏通りの小路に入り込めば暴漢や追いはぎが跋扈し、公衆浴場の脇ではソフィアより若い年齢の娼婦が、自分の値段を壁に書くような素敵な街だ。王女を連れて夜道を散策するなど、面倒ごとに巻き込まれるのは目に見えている。

「リュカは真面目ね」ソフィアのその一言が妙にしゃくにさわったが、最終的にはソフィアが王宮へ帰ることに同意を示したため、握り締めた拳を振り上げることなく、苦笑するだけでこらえて見せた。

 紅葉舞う広場を抜け、夕日を背に、サンサーク通りを、二人並んで歩く。
 ソフィアの細い手首には、真珠や翡翠のブレスレットがいくつもはめられていて、歩く度にちゃらちゃらと音をたてて、すれ違う人々を振り返らせる。おれはその度に、紋章つきの装飾剣をちらつかせて、無言の威嚇をしなければならなかった。

 これは、よくあるプリンセスガードの一日なのかもしれないが、おれはもうこんな生活にはほとほと嫌気がさしていた。
 同期の連中は口を揃えて、おれのことを羨ましいと言う。王女直属の近衛騎士なんて騎士の誉れだとか、王女と乳繰り合うだけで金が貰えるだとか、友人のフルニールに関しては王女が結婚したら夜這いでもして、夫の代わりにお前が孕ませてやればいいと言って笑った。フルニールの案は悪くないと思ったが、ソフィアのような女はどうもおれの好みじゃなかった。なによりおれはガキの子守をやるために騎士になったわけじゃない。
 王女の護衛騎士をやり続ける限りは、よほどの事がない限り封土なんて望めないし、王女が嫁げば場合によっては職を失う可能性だってあった。戦場に出るなら若いうちでないと武功を得ることは難しい、その点フルニールは同期で一番の出世頭だった。すでに4度の合戦に出陣し戦果を上げている。おまけに敵味方から、夜明けの騎士などという仰々しい二つ名まで付けられていたもんだから羨ましいことこの上ない。


 サンサーク通りを王宮に向かって歩いていると、また往来が顔を覗かせた。
 王都を東西に通す主要幹線であるこの大通りは、帝国統治時代の建築様式を端々に残していた。白いコンクリートで舗装された道路は、派手ではないが、広々と設計されているため使いやすく、晩課の鐘が近づく頃には、仕事帰りの役人や、商人たちが引く馬車で賑わいだ。
 通り沿いの灯火が、石造りの神殿や商店の壁で揺らめき、淡い光を放って街を彩る。
 気がつけば夕日は山々の向こうに身を隠そうとしていた。空との境界線だけがオレンジ色を帯びているだけで、東の空はすっかり暗くなっていた。灯火の下では奴隷たちが死んだ目をして担い籠を担いでいる。
 おれとソフィアはまた今度も出かけようとか、天気の話とか、他愛もないおしゃべりをしながら、そのまま並んで歩いた。いつのまにか話が途切れてしまっていて、さてまた天気の話でもしようかなと考えていると、ソフィアの方から口火を切った。

「父はまだ王都には戻れないの?」

 おれはソフィアの真意が掴めず、そのまま黙って歩いていると、ソフィアも何かを察したのか「ほら、今回の戦はずいぶん長いから心配で」と付け加えた。

「大丈夫です、ソフィア様が心配なさるようなことはありませんよ」

 実際のところ、ジル王が始めた周辺国との小競り合いは、北方のロマリス帝国を巻き込んでその規模を拡大していた。春に始めた戦争は夏を過ぎ、秋になっても終わる気配を見せず、日に日に増していく税金や不足しがちな物資が国民の不満を煽っていた。ソフィアもそういった噂を誰かから聞いたのかもしれない。

「それならいいの、少し寂しいけど、父が居ないなら、こうしてリュカと気軽に市街に遊びに行けるから、悪いことばかりじゃないわね」ソフィアは笑った。

 ソフィアのこういう気丈な姿は、たまに可愛いと思えないこともないが、こんなときに限って、おれはすぐには気の利いた台詞を思いつけないでいた。

「今度は夕食を食べてから帰りましょう」

 少し間が空いてやっと出てきた言葉は、こんな程度のものなのだから、本当におれはどうしようもない男だ。


 王宮を囲う城壁が見えてくると、門扉の前に立つルドマンがこちらを見て一礼するのがわかった。おれたちの帰りをずっと待っていたのだろうか。

「お帰りなさいませ、ソフィア様、リュカ様」門前に着くとルドマンは再度頭を下げた。
「悪いルドマン、少し遅かったか」
「いえ、ちょうど夕食の準備が整ったところです」
「それなら良かった」

 王女専属の王宮執事であるルドマンに初めて会ったのは、おれが王都でフルニールと共に従騎士として働いていたころまでさかのぼる。
 出会ったときから彼はソフィアの執事だったし、今と変わらず白髪のじじいだった。しかし歳の割りには引き締まった肢体をしていたし、身のこなしも中々のもんだ。一度おれとフルニールがエーテル視を使って、貴族街に紛れ込んだ妖精種を捕まえようとしたときには、間一髪のところをルドマンに助けられたのを覚えている。(ちなみに、このときへまをしたのはフルニールのほうだ)その実力は今も健在なのだろう。

 ルドマンに導かれ、重々しい門扉をくぐると広大な庭園が広がっている。涼しげな夜の風と、鈴虫の音に迎えられながら歩いていると、いつの間にか現れた少年奴隷が、カンテラを持っておれたちの足元を照らしていた。しかし、庭園にはところどころに、神々や動物をかたどった庭園灯が備え付けられており、これ以上明かりが必要なようには思えなかった。

「では、ソフィア様。今日はお供させていただきありがとうございました」

 庭園を抜け、宮殿に入った後、ルドマンに倣いおれもソフィアに深々と一礼した。
 ソフィアは宮殿に入るや否や侍女に囲まれ、髪を梳かされたり、履物を変えられたり、香水をかけられたりしていたが、おれが帰ろうとしているのを見とめると、呼び止めて晩餐に誘ってくれた。しかし、さすがに王族と食卓を共にするほど、おれも図々しくはなかったので丁重にお断り申し上げると、ソフィアの寂しそうな瞳と目が合った。
 おれは、ばつの悪さをごまかすように、カンテラをもった少年奴隷にチップを渡し、足早に騎士宿舎へと帰った。

「そういえば、ノクス様がリュカ様をお探しでした。なにか用があるとのことで」

 去り際にルドマンがささやく、なぜかその瞳には疑惧の色がうかんでいた。

「おれは何の用もないな」

 おれがそう吐き捨てるとルドマンは、リュカ様ならそうでしょうなと意味深に微笑んだ。
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