4 / 5
■先輩と後輩と、貯金箱2■
しおりを挟む
──が、ふと気配に気付いて、口を閉ざす。横を見ると、いつのまにか、まつりが隣から消えていて、入り口のそばの背の低い棚の上に、どんと置かれた、像を見ていたのだ。
なんだか、何を言いたかったかわからなくなって、ぼくもそれを観察させてもらう。気がそれたのか、いつの間にか、二人も大人しくなっていた。
髭をたくわえた、優しそうな、だけど怒ると怖いんだろうなあと感じさせる、老人の、白い像だ。口を開けて微笑んでいるらしい。頭から胸までを作られている。素材は、なんだろう?
固くてツルツルしていた。美術室の石膏像みたいなのではなさそうだ。
額に、透明なテープが貼ってある。それが、ぱかっと割れているのだ。縦にかと思っていたが、割れ目は、なぜだか横だった。頭からつながった首だけが根元から、というべきだろうか。これだけ見ると、残酷に見えなくもない。
後ろのほうでは、四人が口々に言っている。先生はおろおろしていた。
「だいたいこの像こんなところにあったなんて知らなかったし」
「そうだよ、掃除してて、机拭くときにこんなのあったら絶対気付くよ?」
「俺は知らない、見つけただけだ! なんで見つけただけでこんな……」
「美術の授業の人が借りて出したままなんじゃない?」
「美術とってる人いるけど、空きビンとか紙風船だったよ?」
「おれも知らない。なんのメリットがあるんだよ! だいたい、これの、頭がでかすぎたんじゃ」
「えー。別に普通だよ。ネズミとか犬が落としたんじゃないの」
「まさか。そんな簡単に動かないよ、あれ重いもん」
まつりは、じっくりと観察してから、「どっかで見たんだけどなあ……」と呟き、窓を見て、閉まっているなと確認してから「失礼しました」と言って、ふらふらしながら校長室から出ていった。
あとで説明するので、とか先生に適当にいいながら、ぼくも退散する。周りの人は、まだ話し合っていた。
「何かわかったか?」
廊下を歩きながら、ぼくはまつりに聞いた。
「んーと……」
ちらりと壁の校内図を見たまつりは、すぐに、なにかを見つけたらしく歩き出した。さっきまで見ていた場所の字を読むと、焼却炉の辺りだ。
ゴミ出しの人が使う焼却炉は、校長室よりも手前の位置にあるので、階段を降りてから、そのまま技術室前の渡り廊下を通った方が、校長室を通るより早いのは確かだ。まあしかし、よっぽどの危険な場所でない限り、道なんて誰がどう通るかわからない。何か事情があったなら別なのだが。ゴミ箱でぶつけた、とかじゃなさそうだなと、なんとなく考えた。まつりはきょろきょろしながら歩き、しばらくして、生徒用昇降口のそば、長机の上に置かれた、共同募金の募金箱を見て、足を止めた。きょとんと首を傾げて、ぼくに聞いてくる。
「……これ、きみが見たときから、どのくらい増えた?」
なぜそんなものが気になるのかはわからないが、とりあえず、えーっと、と考える。
頭のなかで、ぼんやりした昇降口を思い出す。最後に見たのは昨日の放課後だ。だから、昨日のこと、昨日のこと、昨日のこと……
「確か昨日は……このくらいかな?」
指先で、5センチくらいの幅を作ると、募金箱と見比べる。
「そう」
「確かにちょっと……7センチくらいに増えてるかもしれないけど、それがどうかした?」
なにかに納得したのか、まつりは、なにも言わずにすたすたと歩いて、なにかを探しはじめた。
何を探してるんだろう?
疑問がいっぱいのぼくのそばで、またしても、まつりは、小さく呟くように言う。
「えりまきが、ないんだ」
「えりまき?」
それを、探しているのだろうか。ぼくには、今のところ、まつりの考えがわからなかった。
「あの像、えりまきが付いてたと思うよ。おじいさまは、首周りが寒くてたまらない人だったから、実際、あの像、首のあたりが一回り小さい気がする」
「なんだか、すごく人物像に興味が湧いてきた」
そう言ったぼくを、一瞬、不思議そうに見てからまつりは聞く。
「……校長室、前と変わった点はあった?」
「──いいや、特にはないけど? 最近校長室なんて入ってないからよくわかんないけと、像が置いてあるステンレス製の棚、の下に貼ってある磁石の位置が、やけに乱れてたのは気になったかななんて」
ぼくは、なんとなく、不思議だったことを、とりあえず答える。
すると、まつりは突然、くるっと振り向き、また校長室に戻るのだった。
いつの間にか他の四人は口々に理由を言って帰っていた。先生と、八木は残っていたが。今日、校長はどこかの会に出席されていて、居ない。ぼくたちを再び見つけると、先生はにこにこしながら、二人とも、何かわかったあ? と聞いてきた。相変わらず、お遊戯か何かを見守るような口調だ。
「──先生。そのトートバッグ、可愛いですね」
まつりは中に入るなり、無表情で先生の持っていた鞄に感想をのべる。
「えっ、ああ、そう?」
戸惑いながら照れる先生。突然口説き始めたのかと一瞬思ったが、そのまま距離を詰め、ぐいぐい近づいて、トートバッグの底に手を伸ばし、しっかり貼りついていた何かを、はがす。
「な、なに、何かついてた?」
戸惑ったのは、先生だけではなかった。戻ってきた他の四人と八木(彼が呼び戻したらしい)も、困惑の表情を隠せない。
「ええ、ちょっと」
「そ、そう。なにかわからないけど、拾ってくれてありがとー」
手を伸ばして、それを受け取ろうとしてくる先生に、まったく返すそぶりをみせずに、まつりは聞いた。
「えりまき、返してください」
先生は、不思議そうに、「何、どういうこと? 」と聞いた。
まつりは淡々と説明する。
「この像の首の周り、擦れたようなあとがやけについています」
女子のグループが反対側の入り口(そうか、反対側もドア、あったんだ)から像に近づいて「ほんとだー、線が入ってる!」と声を上げた。
「首が一回り細いですし。それから。ここに、貼ってあるんですが……」
部屋の一番奥、額に入った壁には、ぼやけて、昭和~年と書かれた薄茶の写真が貼ってあった。他にも、現代にいたるまでの写真がずらりと貼られている。改築記念、とか庭記念とかいうのもある。ここ、なんどか改築されたのかと、在校生ながら、今さらのように思った。まつりが指さした写真は──次期校長とともに、像の男性らしき人が笑って映っており、その手には、像がしっかり抱かれていた。
今まで、誰も気付かなかった、その、隅っこにある写真の像には、しっかりと、ふさふさしたえりまきがあった。画像が荒いが、そこだけ素材が違うことはわかる。
「でっ……でも、なんで私が持ってるっていうの?」
写真をみたとたんに、先生の顔色が、明らかに変わった。まつりは、やはりそれを気にとめるようすもなく、ぼんやりと答える。
「うーん。先生のスーツに、羽がついてた、とか。これが、鞄についてたからですかね」
そういって、先生に見せたのは、古い、昭和時代の50円硬貨だった。
「昭和30年くらい昔の硬貨だと、磁石にくっつくのがあるんですよ。まさに、そんな感じでした」
それが落ちていたことが証拠になって……あの写真の像の年代にはあったお金で……
っていうか、磁石がなぜ出てきたのだろう?
先生が鞄に磁石を入れてるのか?
――でも、まずは、とりあえず。
「……あの像が、貯金箱だって?」
ぼくがそのときになって、ようやく口に出す。まつりは、答えず、説明を足した。
「この笑っている口の開き具合、首のつけ根から奥は空洞。結構重いとのことだったけど──」
ひょい、と現場を動かすまつり。
「今は、ちょっと重いが、持てなくもない……っと、話がそれましたが、この硬貨が、鞄の底にしっかりと付いてたのはなんでかな? と気になったので、聞いてみました。ひとつふたつなら所持してるのかなという感じですが、ここの床にも落ちていたし、この像にも入っていましたので」
場が動揺気味だったが、ぼくは、ふと、気になったことを聞いてみる。
こういう場合では、聞いておくべきだろう。
「……磁石、先生の自前とか、そういうのじゃないって、限らないじゃない? ほら、表とか黒板に貼ったりするし」
「土汚れはわずかに付いていたけど、チョークの粉なんかが、付いてなかった……まあ、違ったら違っただから、一応ちょっと覗いたら、中身が見えたし」
「見えたのか」
そのときだ。
「ええ、はい。確かに、それは貯金箱ですよ! 彼、小銭をとにかく集めていました!」
突然、予期せぬ肯定の声がしたので、みんなぎょっとして、ぼくらが入ってきた方の、入り口の廊下を見る。どうやら、今、会から帰って来たらしく、ぬっと、校長先生がやってきていた。
「お久しぶり。まつりさん。大きくなられましたね」
少し太めの、素直に言えば、横から付いたら転がりそうな体型の……スーツを着た、ちょび髭の男性だ。
彼は、ちょこちょこと独特の歩き方で、ゆっくりまつりに近づき、握手を求めた。
「……こんにちは。おじいさまの知り合いでしょうか」
「ええ、数年ぶりに、この学校に戻って来ました。おじいさまとは、仲良くさせていただきましたよ。私の先輩なんです」
それより、菊地先生。と、彼は先生に声をかける。肩をびくつかせて、彼女はとうとう、弱々しく言った。
白くてふわふわした、細長いそれを手に握りしめて。
「だって! 私、ここのこと、よく知らなくってっ、校則違反で、こういうグッズを、像に面白がって付けた子がいるって、思ったんです……」
分解された像を、トイレに行って戻ってきた前河にちょうど見られてしまって、あとに引けなくなったらしい。
――っていうか、もとから割れたわけじゃなかったのか。
確かにそれは、三人の女子が身に付けているものに、ちょっと似ていた。
通常ならば、俺らを犯人扱いしやがってと前河と八木あたりが中心に、怒りそうだったが、彼女は一年前からこんな感じであり、みんな、むしろ、呆れ気味なようだった。彼女はどこか、幼い感じがある。
3
何に感動したのか、おおおお、と、いつの間にか増えたギャラリーから、拍手や歓声が起こった。
まつりは『ちょっとなにげなく質問しただけなのに、なんか余計な周りがうるさくなった』みたいな、どこか嫌そうな目をしている。帰る時間の一年生たちが、教室からの曲がり角にあるこちら側を、ちらちらと、気にし始めている。主任の先生は、どこかに出ていってしまった。
あまりたくさんの視界に触れたくないのか、まつりはうつむいてぼくの影になる、部屋の奥へ奥へと逃れながら、一言。
「それより、お金がどこにいったかが、さっきからわからない」
貯金箱(というか、像だ)は、蓋になっていたえりまきを外すと、全部のお金が、バラバラこぼれる仕組みのもので、それに動転した先生が、お金を慌てて拾って、どこかにやり、えりまきを鞄に入れている、というのが、まつりの、当初の推理らしい。
──だが、先生の鞄には、文法の参考書と、白くてふわふわの、裏に磁石がびっしり入ったえりまきしかなかったのだ。
先生にお金について聞いても、電話が来て咄嗟に職員室に行ったし……とのことで、よくわからなかった。
いくらかは校長室に散らばっていたが、とても、まだ足りない。
校長は、まつりがまったく聞いてないが、しばらく、楽しそうに話を続けていた。ぼくはちょっと気になったので合わせてしばらく聞いていた。
「それが飾られたときは、まだ私は校長じゃなくてねー、いやあ苦労したよ?
きみのおじいさま、茶目っ気が多くてさー、担任のタバコを一繋がりに細工して、びろーんってなったのを箱にいれたりしてたよ。そうそう、きみのおじいさまが校長だったとき、あの貯金箱を見せてもらったんだけど……」
で、他のお金どこいったんだろう?そのひとことが、もう一度発せられたときだ。しばらくぐだぐだしていた部屋に、それだけが残り、やけに場が静まり返った。滑ったとかじゃなくても、なんとなく、一瞬静かになること、あるよなあと思う。あれは、気まずい。校長は、やっと話を聞かれていないと気付いたのか、ややしょんぼりしていたが、すぐに「そうだね、どこだろう」と答える。
「あ、だから募金箱を見てたのか」
ぼくが思い付いて聞くと、小さくうなずく。
「そう。でもこのサイズなら、そこそこの量あっただろうに」
ちなみに、このサイズ、とは、平均的な大人の頭の大きさだ。再び、誰かに呼ばれて、やや涙もろい菊池先生が出てきた。そんなに悲しまないでと言いそうになってくるから不思議だ。彼女は語る。
「私、そんな、たくさん、入ってたわけじゃないと……思います。だって、そんなにあったら、詰まって、何枚か出てこないはずです……」
まつりは、いつ入手していたのか、5枚の硬貨を手に広げ、それから先生の鞄についていた硬貨を足すように置いて、ぱちくりと目を動かした。
「あー、確かに、これだと首の付け根の入り口より、ちょっと大きくなるか。さて夏々都くん」
一瞬誰のことか、わからなかったが、どうやらぼくを呼んだらしい。なんだか、慣れないな……
「な、なに」
「この像をしっかり覚えてね」
「覚えたよ。もう」
「――それは結構。これに貯金していたのは、おじいさまだと思いますか?」
校長に、唐突に話が振られた。びっくりしたのか、え? と聞き返してから言う。
「あ、ああ、どうだろう 違うんじゃないかな……」
それを聞いて、考え込む。ぼくも、何が足りていないのか考えた。それから、あれ? と思う。
「首の……えりまきで巻かれてる部分の首が、少し足りないよ。これだと、巻いても、元通りにならないし、何より、おっかなくて、あんな風に持てない」
小銭が入ってるのに、高々と抱き上げるには、あんなえりまきだけだと、ちょっとずれれば大変なことになるだろう。まあ、撮影時は入っていなかったのだという気がするけれど。まつりはその辺りを聞いたのだろうか?
「あの写真と、像の長さも微妙に違う。本当に、あるべき蓋がない」
「蓋っていうか……ちょっと、違うかな」
まつりはそう言ってから座り込んだ。人がたくさんいて、嫌になって来たんだろうか。
「疲れた?」
聞いてみると、酔った、らしかった。たぶん人混みに。ぼくもぼくで、あんまり人が集まるなんて思っていなかったからびっくりしている。
「あー、気分悪い……説明から何から、面倒だから、やっぱり一気に終わらせようかな」
まつりはそう呟いてカーディガンの裾から、腕を入れ、その下に着ていた長袖のシャツを引っ張った。
一年生らしき女子高生たちが、廊下から中を見て、なにか騒いでいる。まもなく、ぴしゃっと音がして、たぶん注目されていただろう本人が外部を容赦なく遮断した。
どうやら、関わってもほとんど使う機会を得ずに容量を食うだけだろうタイプの人間情報を、いちいち覚えていたら倒れる、と、いうことらしい。彼女たちも、この学校の人もみんな『その他』という括りに最初から投げ込まれたままなのだ。しかし未だに扉の向こうでは、なにかキャーキャーとめげない声がしていた。強い。ぼくは、像も見られたし、帰ろうかなあと思い始める。ぼくの目的はそれだけだったのだから。ぼくは、どこかそういうところがある。修学旅行に来て真っ先にお土産を買い、自由時間の中盤で、もう既に、帰るのまだかなーと考えているような。目的はさっさと達成して帰りたい。安心は手っ取り早く、だ。
「美術室とか、こんな像がありそうなところを思い出して」
まつりは、ぽつりと誰にともなく呟いた。周りの人も、口々に言い、考え出す。周りが考えているのを邪魔しないように、小さめにまつりに答える。
「およそ19ヵ所が想定……えーっと。そこから、あれと似てる像を探すってことは」
そこまで言った途端、ばちん! と、脳内でなにかが弾けたような頭痛がした。思わず後頭部を押さえる。
寿命が縮まっているんじゃないだろうかと、ちょっと不安だ。
「いったたた……えーっと、美術倉庫2に、学祭の準備で入ったときに――首無しの……像が……あっ」
ぼくが思わず声を普通の音量にして、そこまで言ったとき。
『展示だ!』
――と、みんなが、それぞれ叫んだ。
なんだか、何を言いたかったかわからなくなって、ぼくもそれを観察させてもらう。気がそれたのか、いつの間にか、二人も大人しくなっていた。
髭をたくわえた、優しそうな、だけど怒ると怖いんだろうなあと感じさせる、老人の、白い像だ。口を開けて微笑んでいるらしい。頭から胸までを作られている。素材は、なんだろう?
固くてツルツルしていた。美術室の石膏像みたいなのではなさそうだ。
額に、透明なテープが貼ってある。それが、ぱかっと割れているのだ。縦にかと思っていたが、割れ目は、なぜだか横だった。頭からつながった首だけが根元から、というべきだろうか。これだけ見ると、残酷に見えなくもない。
後ろのほうでは、四人が口々に言っている。先生はおろおろしていた。
「だいたいこの像こんなところにあったなんて知らなかったし」
「そうだよ、掃除してて、机拭くときにこんなのあったら絶対気付くよ?」
「俺は知らない、見つけただけだ! なんで見つけただけでこんな……」
「美術の授業の人が借りて出したままなんじゃない?」
「美術とってる人いるけど、空きビンとか紙風船だったよ?」
「おれも知らない。なんのメリットがあるんだよ! だいたい、これの、頭がでかすぎたんじゃ」
「えー。別に普通だよ。ネズミとか犬が落としたんじゃないの」
「まさか。そんな簡単に動かないよ、あれ重いもん」
まつりは、じっくりと観察してから、「どっかで見たんだけどなあ……」と呟き、窓を見て、閉まっているなと確認してから「失礼しました」と言って、ふらふらしながら校長室から出ていった。
あとで説明するので、とか先生に適当にいいながら、ぼくも退散する。周りの人は、まだ話し合っていた。
「何かわかったか?」
廊下を歩きながら、ぼくはまつりに聞いた。
「んーと……」
ちらりと壁の校内図を見たまつりは、すぐに、なにかを見つけたらしく歩き出した。さっきまで見ていた場所の字を読むと、焼却炉の辺りだ。
ゴミ出しの人が使う焼却炉は、校長室よりも手前の位置にあるので、階段を降りてから、そのまま技術室前の渡り廊下を通った方が、校長室を通るより早いのは確かだ。まあしかし、よっぽどの危険な場所でない限り、道なんて誰がどう通るかわからない。何か事情があったなら別なのだが。ゴミ箱でぶつけた、とかじゃなさそうだなと、なんとなく考えた。まつりはきょろきょろしながら歩き、しばらくして、生徒用昇降口のそば、長机の上に置かれた、共同募金の募金箱を見て、足を止めた。きょとんと首を傾げて、ぼくに聞いてくる。
「……これ、きみが見たときから、どのくらい増えた?」
なぜそんなものが気になるのかはわからないが、とりあえず、えーっと、と考える。
頭のなかで、ぼんやりした昇降口を思い出す。最後に見たのは昨日の放課後だ。だから、昨日のこと、昨日のこと、昨日のこと……
「確か昨日は……このくらいかな?」
指先で、5センチくらいの幅を作ると、募金箱と見比べる。
「そう」
「確かにちょっと……7センチくらいに増えてるかもしれないけど、それがどうかした?」
なにかに納得したのか、まつりは、なにも言わずにすたすたと歩いて、なにかを探しはじめた。
何を探してるんだろう?
疑問がいっぱいのぼくのそばで、またしても、まつりは、小さく呟くように言う。
「えりまきが、ないんだ」
「えりまき?」
それを、探しているのだろうか。ぼくには、今のところ、まつりの考えがわからなかった。
「あの像、えりまきが付いてたと思うよ。おじいさまは、首周りが寒くてたまらない人だったから、実際、あの像、首のあたりが一回り小さい気がする」
「なんだか、すごく人物像に興味が湧いてきた」
そう言ったぼくを、一瞬、不思議そうに見てからまつりは聞く。
「……校長室、前と変わった点はあった?」
「──いいや、特にはないけど? 最近校長室なんて入ってないからよくわかんないけと、像が置いてあるステンレス製の棚、の下に貼ってある磁石の位置が、やけに乱れてたのは気になったかななんて」
ぼくは、なんとなく、不思議だったことを、とりあえず答える。
すると、まつりは突然、くるっと振り向き、また校長室に戻るのだった。
いつの間にか他の四人は口々に理由を言って帰っていた。先生と、八木は残っていたが。今日、校長はどこかの会に出席されていて、居ない。ぼくたちを再び見つけると、先生はにこにこしながら、二人とも、何かわかったあ? と聞いてきた。相変わらず、お遊戯か何かを見守るような口調だ。
「──先生。そのトートバッグ、可愛いですね」
まつりは中に入るなり、無表情で先生の持っていた鞄に感想をのべる。
「えっ、ああ、そう?」
戸惑いながら照れる先生。突然口説き始めたのかと一瞬思ったが、そのまま距離を詰め、ぐいぐい近づいて、トートバッグの底に手を伸ばし、しっかり貼りついていた何かを、はがす。
「な、なに、何かついてた?」
戸惑ったのは、先生だけではなかった。戻ってきた他の四人と八木(彼が呼び戻したらしい)も、困惑の表情を隠せない。
「ええ、ちょっと」
「そ、そう。なにかわからないけど、拾ってくれてありがとー」
手を伸ばして、それを受け取ろうとしてくる先生に、まったく返すそぶりをみせずに、まつりは聞いた。
「えりまき、返してください」
先生は、不思議そうに、「何、どういうこと? 」と聞いた。
まつりは淡々と説明する。
「この像の首の周り、擦れたようなあとがやけについています」
女子のグループが反対側の入り口(そうか、反対側もドア、あったんだ)から像に近づいて「ほんとだー、線が入ってる!」と声を上げた。
「首が一回り細いですし。それから。ここに、貼ってあるんですが……」
部屋の一番奥、額に入った壁には、ぼやけて、昭和~年と書かれた薄茶の写真が貼ってあった。他にも、現代にいたるまでの写真がずらりと貼られている。改築記念、とか庭記念とかいうのもある。ここ、なんどか改築されたのかと、在校生ながら、今さらのように思った。まつりが指さした写真は──次期校長とともに、像の男性らしき人が笑って映っており、その手には、像がしっかり抱かれていた。
今まで、誰も気付かなかった、その、隅っこにある写真の像には、しっかりと、ふさふさしたえりまきがあった。画像が荒いが、そこだけ素材が違うことはわかる。
「でっ……でも、なんで私が持ってるっていうの?」
写真をみたとたんに、先生の顔色が、明らかに変わった。まつりは、やはりそれを気にとめるようすもなく、ぼんやりと答える。
「うーん。先生のスーツに、羽がついてた、とか。これが、鞄についてたからですかね」
そういって、先生に見せたのは、古い、昭和時代の50円硬貨だった。
「昭和30年くらい昔の硬貨だと、磁石にくっつくのがあるんですよ。まさに、そんな感じでした」
それが落ちていたことが証拠になって……あの写真の像の年代にはあったお金で……
っていうか、磁石がなぜ出てきたのだろう?
先生が鞄に磁石を入れてるのか?
――でも、まずは、とりあえず。
「……あの像が、貯金箱だって?」
ぼくがそのときになって、ようやく口に出す。まつりは、答えず、説明を足した。
「この笑っている口の開き具合、首のつけ根から奥は空洞。結構重いとのことだったけど──」
ひょい、と現場を動かすまつり。
「今は、ちょっと重いが、持てなくもない……っと、話がそれましたが、この硬貨が、鞄の底にしっかりと付いてたのはなんでかな? と気になったので、聞いてみました。ひとつふたつなら所持してるのかなという感じですが、ここの床にも落ちていたし、この像にも入っていましたので」
場が動揺気味だったが、ぼくは、ふと、気になったことを聞いてみる。
こういう場合では、聞いておくべきだろう。
「……磁石、先生の自前とか、そういうのじゃないって、限らないじゃない? ほら、表とか黒板に貼ったりするし」
「土汚れはわずかに付いていたけど、チョークの粉なんかが、付いてなかった……まあ、違ったら違っただから、一応ちょっと覗いたら、中身が見えたし」
「見えたのか」
そのときだ。
「ええ、はい。確かに、それは貯金箱ですよ! 彼、小銭をとにかく集めていました!」
突然、予期せぬ肯定の声がしたので、みんなぎょっとして、ぼくらが入ってきた方の、入り口の廊下を見る。どうやら、今、会から帰って来たらしく、ぬっと、校長先生がやってきていた。
「お久しぶり。まつりさん。大きくなられましたね」
少し太めの、素直に言えば、横から付いたら転がりそうな体型の……スーツを着た、ちょび髭の男性だ。
彼は、ちょこちょこと独特の歩き方で、ゆっくりまつりに近づき、握手を求めた。
「……こんにちは。おじいさまの知り合いでしょうか」
「ええ、数年ぶりに、この学校に戻って来ました。おじいさまとは、仲良くさせていただきましたよ。私の先輩なんです」
それより、菊地先生。と、彼は先生に声をかける。肩をびくつかせて、彼女はとうとう、弱々しく言った。
白くてふわふわした、細長いそれを手に握りしめて。
「だって! 私、ここのこと、よく知らなくってっ、校則違反で、こういうグッズを、像に面白がって付けた子がいるって、思ったんです……」
分解された像を、トイレに行って戻ってきた前河にちょうど見られてしまって、あとに引けなくなったらしい。
――っていうか、もとから割れたわけじゃなかったのか。
確かにそれは、三人の女子が身に付けているものに、ちょっと似ていた。
通常ならば、俺らを犯人扱いしやがってと前河と八木あたりが中心に、怒りそうだったが、彼女は一年前からこんな感じであり、みんな、むしろ、呆れ気味なようだった。彼女はどこか、幼い感じがある。
3
何に感動したのか、おおおお、と、いつの間にか増えたギャラリーから、拍手や歓声が起こった。
まつりは『ちょっとなにげなく質問しただけなのに、なんか余計な周りがうるさくなった』みたいな、どこか嫌そうな目をしている。帰る時間の一年生たちが、教室からの曲がり角にあるこちら側を、ちらちらと、気にし始めている。主任の先生は、どこかに出ていってしまった。
あまりたくさんの視界に触れたくないのか、まつりはうつむいてぼくの影になる、部屋の奥へ奥へと逃れながら、一言。
「それより、お金がどこにいったかが、さっきからわからない」
貯金箱(というか、像だ)は、蓋になっていたえりまきを外すと、全部のお金が、バラバラこぼれる仕組みのもので、それに動転した先生が、お金を慌てて拾って、どこかにやり、えりまきを鞄に入れている、というのが、まつりの、当初の推理らしい。
──だが、先生の鞄には、文法の参考書と、白くてふわふわの、裏に磁石がびっしり入ったえりまきしかなかったのだ。
先生にお金について聞いても、電話が来て咄嗟に職員室に行ったし……とのことで、よくわからなかった。
いくらかは校長室に散らばっていたが、とても、まだ足りない。
校長は、まつりがまったく聞いてないが、しばらく、楽しそうに話を続けていた。ぼくはちょっと気になったので合わせてしばらく聞いていた。
「それが飾られたときは、まだ私は校長じゃなくてねー、いやあ苦労したよ?
きみのおじいさま、茶目っ気が多くてさー、担任のタバコを一繋がりに細工して、びろーんってなったのを箱にいれたりしてたよ。そうそう、きみのおじいさまが校長だったとき、あの貯金箱を見せてもらったんだけど……」
で、他のお金どこいったんだろう?そのひとことが、もう一度発せられたときだ。しばらくぐだぐだしていた部屋に、それだけが残り、やけに場が静まり返った。滑ったとかじゃなくても、なんとなく、一瞬静かになること、あるよなあと思う。あれは、気まずい。校長は、やっと話を聞かれていないと気付いたのか、ややしょんぼりしていたが、すぐに「そうだね、どこだろう」と答える。
「あ、だから募金箱を見てたのか」
ぼくが思い付いて聞くと、小さくうなずく。
「そう。でもこのサイズなら、そこそこの量あっただろうに」
ちなみに、このサイズ、とは、平均的な大人の頭の大きさだ。再び、誰かに呼ばれて、やや涙もろい菊池先生が出てきた。そんなに悲しまないでと言いそうになってくるから不思議だ。彼女は語る。
「私、そんな、たくさん、入ってたわけじゃないと……思います。だって、そんなにあったら、詰まって、何枚か出てこないはずです……」
まつりは、いつ入手していたのか、5枚の硬貨を手に広げ、それから先生の鞄についていた硬貨を足すように置いて、ぱちくりと目を動かした。
「あー、確かに、これだと首の付け根の入り口より、ちょっと大きくなるか。さて夏々都くん」
一瞬誰のことか、わからなかったが、どうやらぼくを呼んだらしい。なんだか、慣れないな……
「な、なに」
「この像をしっかり覚えてね」
「覚えたよ。もう」
「――それは結構。これに貯金していたのは、おじいさまだと思いますか?」
校長に、唐突に話が振られた。びっくりしたのか、え? と聞き返してから言う。
「あ、ああ、どうだろう 違うんじゃないかな……」
それを聞いて、考え込む。ぼくも、何が足りていないのか考えた。それから、あれ? と思う。
「首の……えりまきで巻かれてる部分の首が、少し足りないよ。これだと、巻いても、元通りにならないし、何より、おっかなくて、あんな風に持てない」
小銭が入ってるのに、高々と抱き上げるには、あんなえりまきだけだと、ちょっとずれれば大変なことになるだろう。まあ、撮影時は入っていなかったのだという気がするけれど。まつりはその辺りを聞いたのだろうか?
「あの写真と、像の長さも微妙に違う。本当に、あるべき蓋がない」
「蓋っていうか……ちょっと、違うかな」
まつりはそう言ってから座り込んだ。人がたくさんいて、嫌になって来たんだろうか。
「疲れた?」
聞いてみると、酔った、らしかった。たぶん人混みに。ぼくもぼくで、あんまり人が集まるなんて思っていなかったからびっくりしている。
「あー、気分悪い……説明から何から、面倒だから、やっぱり一気に終わらせようかな」
まつりはそう呟いてカーディガンの裾から、腕を入れ、その下に着ていた長袖のシャツを引っ張った。
一年生らしき女子高生たちが、廊下から中を見て、なにか騒いでいる。まもなく、ぴしゃっと音がして、たぶん注目されていただろう本人が外部を容赦なく遮断した。
どうやら、関わってもほとんど使う機会を得ずに容量を食うだけだろうタイプの人間情報を、いちいち覚えていたら倒れる、と、いうことらしい。彼女たちも、この学校の人もみんな『その他』という括りに最初から投げ込まれたままなのだ。しかし未だに扉の向こうでは、なにかキャーキャーとめげない声がしていた。強い。ぼくは、像も見られたし、帰ろうかなあと思い始める。ぼくの目的はそれだけだったのだから。ぼくは、どこかそういうところがある。修学旅行に来て真っ先にお土産を買い、自由時間の中盤で、もう既に、帰るのまだかなーと考えているような。目的はさっさと達成して帰りたい。安心は手っ取り早く、だ。
「美術室とか、こんな像がありそうなところを思い出して」
まつりは、ぽつりと誰にともなく呟いた。周りの人も、口々に言い、考え出す。周りが考えているのを邪魔しないように、小さめにまつりに答える。
「およそ19ヵ所が想定……えーっと。そこから、あれと似てる像を探すってことは」
そこまで言った途端、ばちん! と、脳内でなにかが弾けたような頭痛がした。思わず後頭部を押さえる。
寿命が縮まっているんじゃないだろうかと、ちょっと不安だ。
「いったたた……えーっと、美術倉庫2に、学祭の準備で入ったときに――首無しの……像が……あっ」
ぼくが思わず声を普通の音量にして、そこまで言ったとき。
『展示だ!』
――と、みんなが、それぞれ叫んだ。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
誰でもイイけど、お前は無いわw
猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。
同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。
見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、
「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」
と言われてしまう。
どう見ても貴方はもう一人の幼馴染が好きなので別れてください
ルイス
恋愛
レレイとアルカは伯爵令嬢であり幼馴染だった。同じく伯爵令息のクローヴィスも幼馴染だ。
やがてレレイとクローヴィスが婚約し幸せを手に入れるはずだったが……
クローヴィスは理想の婚約者に憧れを抱いており、何かともう一人の幼馴染のアルカと、婚約者になったはずのレレイを比べるのだった。
さらにはアルカの方を優先していくなど、明らかにおかしな事態になっていく。
どう見てもクローヴィスはアルカの方が好きになっている……そう感じたレレイは、彼との婚約解消を申し出た。
婚約解消は無事に果たされ悲しみを持ちながらもレレイは前へ進んでいくことを決心した。
その後、国一番の美男子で性格、剣術も最高とされる公爵令息に求婚されることになり……彼女は別の幸せの一歩を刻んでいく。
しかし、クローヴィスが急にレレイを溺愛してくるのだった。アルカとの仲も上手く行かなかったようで、真実の愛とか言っているけれど……怪しさ満点だ。ひたすらに女々しいクローヴィス……レレイは冷たい視線を送るのだった。
「あなたとはもう終わったんですよ? いつまでも、キスが出来ると思っていませんか?」
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども
神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」
と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。
大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。
文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!
【完結】狡い人
ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。
レイラは、狡い。
レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。
双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。
口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。
そこには、人それぞれの『狡さ』があった。
そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。
恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。
2人の違いは、一体なんだったのか?
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる