Several

たくひあい@あい生成

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 部屋に戻るなり僕はまたしても倒れこんだ。
ちゃんとベッドに。キリエはというと、やれやれという風に僕を見ている。
「もし人が――」

「一人ではいきられないと言う詭弁は、笑ってしまうからやめてくれよ? 見ただろう、死んだ方がまだ楽になるという状況が世の中にいくつあると思う」

その通りだったのか、目を丸くしたので僕は思わず吹き出した。

「騙される方が悪い、考えないからだ、自分が何をするかわかってないのか」
目を閉じて、国語の暗唱のように口ずさむ。
とてつもなく愉快な気持ちだったが、相変わらず熱は下がらなかった。

「他人というのは人に言うことを自分で守りもしない。醜く、惨めで、恥ずかしい生き物だよ」

「そうかもしれませんね」
「その上に、やり直せたらだの取り戻したいなんてあぁ恥ずかしい。事前の心構えがないものなど何度やろうが同じこと。間抜けどもは、なぜわざわざ過去にすがるんだかね」
僕は此処にいることにも明や誰に対しても、一切恩などとは思ってない。だって恩があるべき状態など自体が本来無かったわけだから。

「無くしたものは戻りはしないからね。やつらを見るたびにむしろ恨みが沸くが、勝手にさせてるだけだ」

天井を眺める。
それは真っ白い空間で、まるであらゆる執着を投げ捨ててしまえそうな気楽さがあって僕もあの空に溶け込みたいとさえ思う。
 雨というのは、なかなか降り止もうとしなかった。窓の外はじっとりとした湿気を僕らの肌に伝えてくる。

「いままでは、何が、あったんですか」

場をもて余したかのように、キリエがぽつりと口を開いたが僕はただ、ため息を吐く。
 人間の醜さはもはや娯楽にするよりはないと、それほどの闇など打ち明けることは躊躇われる。
「なにもないさ」

ただそう言ってから、彼をじっと見た。
横たわるベッドのそばに来た彼は今朝はろくに食べなかった僕を心配してなのか、あたたかいココアを入れて手渡してくれる。

「なんにもね。普段は善良そうな相手がいかに汚いかを見るたびに、げらげらと笑ってしまうのが、もはや楽しみと化しているくらいになって、普段は笑顔が耐えないから、そういった意味では感謝せねばならないかもしれんが。そう、毎日が楽しくて仕方ないんだよ」

「傷付くことが、沢山あったせいで。それほど悲しむことに慣れてしまったんですね」

彼は短く言い換えた。
僕が目を丸くする番だった。

「泣けなくなってしまうというのは、精神にも肉体にも、かなり負荷がかかった証拠だと思います。本当に辛すぎると人は痛みを感じる神経を遮断することがあるそうです」

「きみは、面白いね」

僕はクスクスと笑う。
こんなに、穏やかに愉快だったのはいつ以来だろう。

「見栄を張るだけの中身の薄い人間を暴いて笑うのが楽しみなような僕のことを、そんな風に」

ココアを飲む。少しお湯を入れすぎたのか薄めだったが、あたたかい。

「ラルはそんな人間では無いですよ、少なくともあなたは泣いているんです」
「はい?」

「嬉しくて笑っているときと、泣いていて笑っているときが、人にはある」

まっすぐに、彼のヘーゼルの瞳を覗き込む。
真面目に言っているらしい。
「祖父から聞いた言葉です」
「それを僕が今笑ったら?」

彼はご勝手にと言った。
「貴方は、他の感覚を奪われたわけじゃなく麻痺させられているだけだ」

「便利だよ」

「人間味がないと罵られるかもしれない」

「僕が罵られるとしても、僕は、その真意を暴いてそして倍にして嘲笑うだけじゃないか。別に死んだって失えるものがいくつあるか」

そっと手が触れた。
自分より温かく、小さな指だった。
「疲れたのですよね」

「ああ」

すっと目を閉じる。
どこか、柔らかな陽気に照らされるような穏やかな気持ちになる。

「泣かなくても、笑わなくても。おれにはあなたの存在が、変わらない」

「ふふ、あははは!」

思わず笑うと台無しだという顔をされるが、僕は別に馬鹿にしたわけでも泣いたわけでもなく単に、面白いと感じたのだ。それからはそのまま数時間眠った。

 怠い身体を起こすと昼間だった。携帯にメールが来ていたので慌てて開く。
件名には、「誰にも言わないでください」とあって、布団に入ったままそれをぼんやりと眺めてから僕はまた、どうにもならない気持ちに襲われた。

 携帯やパソコンのデータが度々失われるだとかから始まっていたが、内容はキリエにも触れてあった。
どうしていいかわからない、と言ったもの。
彼が有志に呼び掛けたときは、むしろ裏切られたのだと思ったらしい。
知られたくない人というのに知らせてしまうのは、独りで戦うよりも、また違った苦痛だっただろうし、それだけは永久に絡み付く。
応援より一番嫌な存在に傷に触られる方が苦痛だという気持ちはわかる。
 頑張ろうと言う気力を台無しにしてしまった上に励まされる気持ちというのは、なんと表すのだろう。
トラウマを蒸し返されて過敏になってしまった上に、注ぐかのような労りや同情、そして自己責任を問う声。

一番に辛いのは、それをやめて欲しい、もう構わないで欲しいと告げたら頑張って欲しいと言われたことだったというし、何度か呼び掛けるようなサイトなどの中止を試みたが、その度に違う場所からそれをされるか、または、詐欺師の勢力が調子づいてしまってどうにもならなかった。
もはや争いのツールだ。

それが優しさだとは思ったが、彼女は、トラウマからの抜け出し方さえ亡くしたのだ。

 僕らに話したのも、せめてこの事態が終われば失ったものを少しは無駄じゃなかったと思えるからだった。
「だからあなたたちに協力します。清算のためです」
と書いてあるそれには、本当に強さを思わせる。誰のことも憎むしかなくなったのだろうが、終わらせる方を選んだのだ。
「誤解しないで欲しいですが、私は彼のことが嫌いなわけじゃなくて、自分が嫌いなんです。
だから、彼を傷つけたりとかは望んでいません」

だから内緒にした。
そんな声が聞こえた気がした。彼女が求めているのはただ静かで安定した空間だろう。

家の外にも、家の中にも、周りの人間や、あらゆる物にも怯え、過去のトラウマにまで過失を問われ、未来を見ることしか存在しない。
昨日自分が生きていて、明日自分が生きていてというそれだけにすがるしかないのだ。

逃げる場所も無く、泣くことも奪われた後に残るものは、ただ、脱け殻のように、または兵器のごとく生きていくこと。
ああ。だから僕は、彼女に似ている。
未来だけ見るしかなくなって、ただ周りよりも考えるだけの生き物と成り果てて。
失ったものは、ひとつ足せばもうひとつが崩れ、無くせば、もうひとつが無くなる。

 ヒトというやつの心は絶妙なバランスで成り立っている。



追伸。
『道端で、数人が固まって笑っているんです。一人で笑うことが出来ない生き物というのは、それはそれで悲しいですね』
あぁ、そうとも。
僕はなんと返すかしばらく考えた。
寂しい現代人が、お友だちとふれあうツールにまでなっているらしいな、などと言って彼女が笑うかまでは判断出来なかった。
 窓の外では、猿か何かがキャーキャーと言っている。
大方盗みでもあったのだろう。近頃は物騒だと言うし。
ホホホホ、とヒヒか何かのようにも思える。
と連ねると、なんだか狂気的な文面だが……

 僕も以前泥棒に入られたことがあるが、どうやらいいところの子どものようで捕まることは無かったっけ。
案外真実とはその程度のものであって、バカ笑いが許される子どもも居るのだ。


「きみが無くしたものは、違った形で埋めていくしかないだろうね」

とても無難な話をしてから、ふと思い立ち、きみにしてほしいことがあると書いた。
 まず、件の方の作者とやらは、何らかの方法で細かい住所を割り出しているらしい。
 だが、本来ならプライバシーとしてそうは広まらないはずであった。何か調べるような人を雇って居るのだろうか、それとも、聞き込んだ?
原稿が盗まれるなどという所業は、物理的にでもあるというのは初めて聞いた。
それほどに、どこかしらの何かが切羽詰まっているというやつなのだろう。金銭を絡めると動く他人というのも存在するし……

僕は過去の経験のせいで、嫌々知ってしまっているが盗難があった際は同じアパートの元隣人や、作業員を装った者、さらに近隣の者が犯人という話もよく耳にする。

「起きるなりそれにかまけて、疲れませんか?」

布団に潜ったままで居ると、キリエが僕に声をかけてきた。

「彼女の下の階の住民が、一時期はやけに騒がしかったらしい」

僕はにっこりと笑って言う。やれやれと言った顔で彼は肩をすくめた。

「そうですか」

 熱のせいで、うまく眠れなくて僕はキリエが話しかけるのがなんだかありがたいような気がした。
もう少しこの空間を維持してはおけないだろうかと、腕を伸ばし彼へと向ける。

「それは、なんです?」

キリエは素っ気なく首をかしげたので、僕は体調が悪いのでそばに居て欲しいと言ったら、吹き出された。
「何を笑う。看病を頼んでいるだけじゃないか」

「いや、可愛いところがあると思って」


「弱っていれば可愛いとは、性格の悪い」

「あなたに言われりゃ世界のおしまいです」

ふい、と首を向こうにむけようとすると、椅子を引きずってベッドの方まで来た彼が、じゃあ見ていると言った。いや、見ていてもなにも楽にならんが……

「熱をはかりますか」

僕が答えないうちに、体温計を口に投げ込まれる。
「美味しくはないな」

もごもごと動かしているうちに、数字が固定されたので取り出すと、なかなか微妙な高さの数字だった。しかし平熱が低いからか充分に気力を奪っている。
腕を伸ばした理由を思い出した。
「僕は起きるから、手伝え」
キリエは、寝とかないとと首を横に振るので、僕は噛みついた。

「意識がもうろうとしているときには、通常時にはない、いい創作ができる」
夜更かしした後の、ハイになる瞬間のようなものだ。

「寝てください」

「もったいないのに」

ぴしゃりと言われ、僕はじとっと彼をにらんだ。

 晒されたくないのに代わりに自らそうせざるを得ない。
だって漬け込まれるから。
そして見つかりたくないのに、その相手にはすでに見つかっている。
逃げ場は無く、楽園でさえなく自分の中での『価値がほとんど失われた』状態。

何から逃げていたのだろう。逃げていたものからも追われている。

痛みから立ち直る術を全てあらゆる方向から潰され、それでも、続けていかなければならなくなったそれは、これからもただ脱け殻のように笑い、事務的に作り続けるに過ぎなくなった状態で、生きていく。


 心配になった僕が、キリエに内緒で彼女を訪ねたときには、彼女はひどくぼんやりしていた。
彼が居ないときだけは、泣くことが許されたのだ。
「いや、彼も心配して外で、会おうって言ってくれるんですがね」

と彼女は薄く微笑みながら椅子に座っている。
僕はその近くに佇みながら、そうか、と言う。

「そこへ行くと、カメラが隠してあったり、知らない人が待っていたりもするの」

「話題に乗っかりたい類がいるのだろう」

苦しげに息を吐き出して、彼女は顔を歪める。

「瀬部くんが……私を売ろうとしていることは、無い、ですよね」

「無いと思うが。それだけタイミングが良いと、そうとも見えて仕方ないな」

しかし、そうなるとどこかで情報が漏洩しているわけだ。

苦しくなったのか、次第に過呼吸気味になってきたその背をさすって僕は言う。

「誰に、どう見られようと。現在なんて捨てて思い出にだけ、自分の気持ちにだけすがるんだ」

「私は、敵とか、味、方とかわかりま、せんが、今はどちらから、も囲ま、れて、板挟み、辛い……」
途切れ途切れにそう言い、うつ向いてしまう。
傲慢な正義も、卑劣な悪も、どちらもたちがわるい。

しばらくして、どうにか呼吸が整った彼女は言う。

「悲しいだけなら一人でも抱えられたんです。
でも『あの人』に知られたなんて。その上大事なものを見える場所で売らなければならないなんて、勝ったところで、何が残るのでしょう?」

勝とうが負けようが、彼女の中の大事なものなどほとんど壊れていた。

「勝利など無い、終わるだけだよ」
「本当は……どうでも、いいんです。だって私、そうまでして勝ちたくないし、知らない人が、責任を問われたって、私になんの利益ももたらさない」
 大事だったものを、ただ、戦闘の道具とされる。
逃げ出すことも許されずに絶えず責められる。それには何の意味があり、誰のために参加させられているのだろう?
もはや、個人の意思など関係が無かった。

「こんなことなら、死んだ方がよっぽど楽になるのに」

テレビやラジオのついていない部屋は、静かで、日が差し込む窓からの光は、キラキラとその小さな頬に反射している。

「どっちかが負けたって、『私のため』が無駄になったって、その方が私には利益があるのです」

味方からの、容赦無くたちの悪い優しい痛みは止むし、詐欺師からの容赦無く節操の無い攻撃も関係が無くなる。

「そうかもしれないね」

「巷では、どうやら、うつ病であるとか、そんな噂まで流れ始めました」

テーブルに置かれていたパソコンをちらりと見て彼女は言う。今は電源が切られている。

「消えた方がマシかもしれないと、友人に思わずこぼしたとき、なんと言われたと思います?」






『症状が出ている、薬をもらって来い』












「ハハハハ!」

思わず手を叩いて笑うと、彼女は唇を尖らせた。

泣くことさえ嘲笑の対象のようになっている姿というのは、もはや、ヒトとしての機能がいくつ残るかといった風だった。まるで、僕のように。

「笑い事にしかならないですよね、これは」

「ああ、酷いなぁ」

誤解を避けるべく言うなら僕が笑ってしまうのは、彼女が可笑しいからではなくて、他人の品性の無い攻撃というのにだった。どこまで足掻く気なのだろう。

「精神疾患への差別も感じられますよね」

こんな茶番を起こすやつが、わざわざそんな配慮をするほどの人のわけが無いと僕はそんなことを冷ややかに考えた。

「知り合いのところでは、近頃はまず話を聞いて、ほいほいと薬は渡さないと聞いていたがね……まあ確かめたことはないけれど」

「そこについては、また後日で良いです。ともかく私に精神的自由というのはあまり無さそうです」
「そういうくだらない話をしない友人などは?」

僕がはっきりと聞くと彼女は顔を曇らせた。

「いる、んですがね」

たしかに友達など居ないようなものだと言っていたが。

「なんか、変なんです……」



 外から帰ると、キリエが心配しましたよと憤慨していた。空はもうすっかり晴れているので、心地の良い青空だった。

「彼女に会ってきたよ」

ドアを開け、靴を脱ごうとしたが、この部屋は土足だったと舌打ちした。
台所に行くとテーブルに置いていた、貰い物のクッキーの山から、ひとつその木のひとつを崩して食べる。マーマレードのジャムの味がする。

「体調悪いのに出歩かないでください」

きっ、と、にらまれたが、別に怖くはない。

「目的があれば別だ。繊細な作業が出来ないだけでね」

「御託は要りません!」

「はぁ」


目的のためなら命を惜しまないが、それ以外には惜しむ、ただそれだけだが何か問題だろうか。

 クッキーの山を、僕とキリエの間に挟んで、話し合いとなった。
学校のレクリエーションでもないのだからと、笑いそうになる。
 僕が他人とこうも関わっているなどと、誰が予想するのか。数年前ならばあり得もしなかった。

「彼女が言うには、周囲の人間やら環境までもがおかしいと」

カリ、とクッキーをかじりながら僕は言う。
諦めたのか、彼女を心配してか彼はそれで、と話を促した。

「少し傷心を癒す旅に出るといえば、彼女の身内――兄か? が、近くに行く用事があるから旅行先を言えば切符を買ってきてやる、と急に親切を始めたことやら。

学費のためのバイト先の新人がやたらと彼女の趣味――いや、作品傾向に合わせたような話題を振りだしたことやら。

部屋の物が、数ミリ微妙に動いていることがあったり、

落ち込んでいるときに、決まって苺の味のお菓子をくれる友人も居た……これは昔はそうでもなかったらしいがな。

ああ、バイト先の部屋でときどき小型のレンズが内蔵された物が見つかっていたらしい。
恐らくは物に混ざらせた監視カメラだ」


「バイト先や周囲の人間にまで調べて手を回しているんですね」

「徹底して潰しにかかる気のようだね。きみに会いたいというときも、なぜかそれが筒抜けているようだよ」

キリエは、ええ、と目を丸くした。

「休日に話をしようとも全然、会おうとはしないと思ったんですが、まさか」
「彼女は、そのとき、きみにまで手を回されたくなくて、連絡をしなかったらしい」

「おれのために……?」

キリエがうるっと目を潤ませる。僕はそれをちらりと見ながら、近くにおいていた缶からティーバッグを取り出す。

「それもあるだろうが、ここまで親しい人間に情報を売られるとなれば、形成も不利だからな」

「おれは、そんなことしませんよ」

「わかっているだろう。『だからこそ』彼女はきみが怖いんだ。失うわけにはいかない、大事な人間なのだから」

もし、周りの人間までもが彼女を潰したい勢力と繋がっていたとしたら、本当に孤独に陥ってしまう。

「卑劣なことに、彼女は
かつて他人に酷く付きまとわれた理由があって、あまり他人と深くは関わらないように、個人の情報は明かさないようにとしているんだと。事態が彼女を乗っ取るまでになれば、無理矢理にでも存在を細かく吐かせることに繋がりかねない」

キリエが口を押さえて唖然とする。

「残酷じゃないですか」

「平然とそれを求める人間なんだよ」

「しかし、個人同士でというのはどうでしょう」

あははは、と僕は笑った。吹き出さずにはいられないように思ったのだ。

「身分の違うお方と、そんなことをするわけがないじゃないか。
それにそれこそ、そこまでして追い詰め憔悴した相手をうまく言いくるめる気かもしれない。
第一、それによって何か変わることでもあるのだろうか。僕には見えないよ」

「身分?」

「今は、むしろ名誉だの、光栄に思えだの、何様なのかと言われ、挙げ句コネがあるのではないかとさえ言われているらしい」
やっと笑いを止めたのに、またもや内容の可笑しさに、吹き出すのをこらえるのに必死だった。
一気にそこまで言った後はとうとう笑いが止まらなくなった。


「あはははは! ダメだ、他人は、思考回路がどうしてこうも捻れている。まるで喧嘩をした際に、どちらが悪いか明らかにせずに『だいたいお前だって……』と相手の話ばかりする幼子と変わらないじゃないか」

上面の感情論しか出てこない辺りに怪しさ、まるでストローのように中身の無さが滲むというもの。

「この手の人間は、僕は信用出来ないんだ。
もし、このいさかいが止んだって、味をしめて繰り返すだろうね」

「まぁ、手元にストックした原稿まで持ち出していますからね……」

キリエが、近くに投げてあった雑誌を拾う。
そこにはその作者の名前やら、質問に対して
「書いてみたらなぜだか書けた」と、あった。


「まるで、冬越えのためのアリと言うわけだ」
「ガチョウと金の卵という寓話がありましたね、あれを思い出します」

キリエが無難なことを言う。

「小さい頃、母に枕元で読んでもらいました」

「いい母親だな」

なんとなく、言うと、なぜそう思いますかと聞かれた。それは語り口が穏やかそうな口調だったからだろうか。

「さあな」
僕は曖昧に濁す。

「ラルは」

「なんだ?」

「なんのために、創作をして、さらに、本まで書いていたのです。
読んでもらいたくてという雰囲気さえないのですが」

「僕はね、ただ、書くのが好きなんだ。読むのよりもね。単に文字を並べて組み立てる美しいパズルのように思っている。
読者がどうのと気を回したことさえない。
だから作家連中とは話が合いそうにないね。

どの本が好きだの、新作がどうだの言うくらいなら、作り続けていたいもので」

「書いていたら書けたとか、そう言ったものは?」

「書かなければ書けないし、やらなければできない。宝くじは買わないと当たらない。誰だってそうだろ」

「そう言われれば、そうとも思いますが」

「当たり障りの無い濁し方というのはさすがだが。彼女ととても同じ題材を、試みたその理由の方が知りたいものだね」

「内容と言っても資料が被るということなどは希にあると思います。
同じ文献が、違うミステリー作家の参考にあげてあることもあります。
それ自体はある意味の範疇にならないでしょうし」
「あぁ。問題の点は、そこではなく、まず、さすがに、限られた区域でしか見られないものを晒す行為は明らかな違反であること、まるで自分のことのように振る舞うことなどから錯誤を招いて金銭に繋げた場合は詐欺に当たる可能性があるな」

「まあ、少なくとも静かに活動を行う権利や、
喜んでもらっていた、というその思い出としての利益を、すり替えさせ放棄させていますね」
 多少は似ていようが、さすがにストーリーの大まかな流れにまで露骨に被せてくるようなことは意図でもなければ無いだろう。

「それに彼女は」

「なんだ?」

「いえ。普段はあまり周りのものと筋書きが被らないよう、作る際には作品などはあまり見ないようにしているらしいんです」
僕は紅茶を二人分用意して片方を渡した。

「僕と同じだな。なんだか負けた気がしてしまうんだよ、粗筋だけは組み立てておかないと」

「でも、そういう人は何を見て発想を得るんですか?」
「例えば、携帯電話の仕組みの本……あれはわくわくしたな。知っているか、大きな基地の他に、地域ごとに局があり、そこからまた個人の宅へと分けて通信している、あの流れが美しい」

キリエが複雑そうな顔をした。

「通信のときに、数秒以下のラグがあるんだが、このラグの際」

「ああ、いいです、いいです! 他には!」

なぜか耳を塞がれて心外だと思う。

「もしこれらの通信が全て人で、派遣されていたら面白いドラマになるだろう」

「擬人化ですか」

「それとも違う」

「違うんだ」

近くにおいていた本棚からぱらぱらとページをめくる。それらは図書館で借りてきたものだったが彼女の感情への暴力というのを形にしたものたちだ。

「どうです」

「うーん……さすがに、多いな。まるで、別の意図さえ感じるよ」

持ってきただけでも20冊ほどだが、きりがなさそうなのであまり借りなかった。

「別のとは」

「便乗商法。その詐欺師とやらと、同類になってしまえというやつだな。または――」

「または?」

「当の本人の他にも、
自覚のある作者というのがいるのかもしれない。言っていただろう?

影響されたかのような作品はあったが、大方は遠い親戚が増えたように見守っていたと。

その中に、何割かは、悪意があったのでは」





「悪意? でも、彼女は」
「あぁ。そんな話はしなかった」

「万が一そんなことがあっても、どこで見分けるんですか」

「そんなの、やたらと件のことで攻撃的な者を伝っていくだけだろう。
ひとつの糸で、芋づるのように連なっているのなら、コネだのなんだの、いかにも業界人の体で笑える噂をばら蒔いて行くんじゃないか」

表に出ないように封じる策にしか頭を回さない辺りが、それを物語っているかのようだ。

まぁそうしなくとも、餌があれば食いつくのだろうし。と考えてなんだかため息が出た。

アレの話は、まだ、だめだし……



キリエが、ぽんと手を打った。

「成る程、そうやって身分の違いやら、ろくに知られない個人の噂を言い出す人間ほどに真相心理としては押し込めたいものを隠している」

「まったくこれは、いったい、なんて茶番なんだろうな」
 ふとテレビをつけると、「存在しないのに口コミを雇っている」とか、心理に働きかけるような放送をされている。本人のこととは違うニュースではあるけれど、まるで世界にそう言った印象を植え付けるかのようだった。

「……やれやれ」

「すごく遠回しな煽り方ですね」

そんなものがあるのなら、彼女は独り抱えるようなことはなかっただろうし、こんな風に、沢山の人を巻き込むことを恐れて死を選ぶとなどしないだろうに。

近頃はこんなものばかりだからなのか、彼女はあまりテレビを見ないらしい。
 たしか先週には、犯人がノートに記してあると言った内容を少女が語る動画が再生数を稼いでいるというニュースがあったのだが世間中がノートがどうとか、噂をしていた。
ちなみに彼女の作品にもスコアノートが鍵になる場面があったがやけにタイミングが良かったので過敏になっている彼女はさぞ大変だろうと思った。
自分の話でなくても、そのような単語を断片的に聞き続けるのだから。
そういえば、兄がいると言っていたか。
 たまに家に来るのも自然な存在だし、テレビだけ付けに来ても怪しまれないだろう。
 映像を見せたり聞かせ続けて、作中のチョコレートを渡し、旅行先を知ることもできるのだ。
しかも、作品まで閲覧されているのだろうか。
一番読まれたくない人間に。
もしかしたらこれが語られるときにまでそれが続くのかもしれない。
例え僕が語っていたとしても。それを見られることが感情への暴力になることは分かりきっている。
報われることのない精神。
例え誰かの指示だとしても、未来ではそんな蹂躙が許されないようにと願った。だがきっと、難しいだろうし、いつまでもつきまとうだろう。


 思い立って彼女にメールを送る。(ちなみにキリエから聞いたものだ)
返信があった。

『作品をなぞるようなことを絶えず言われ続け、出掛けるときは、部屋がきれいになる、と言われることもある』


救いは無い。

「本当に、居場所といった居場所が無いのだな」

考えれば考えるほど、よく、自殺をしないものだ。やめて欲しいと言わないのかと返信した。

『それほど貴方が生き甲斐なのだから、許してあげてほしい、と言われた』

なぜ、何もかもを許さなくてはならないのだろう。自分の生き甲斐をさしだしてまで優先する他人の生き甲斐とはなんだろうか。
 これをファイルとして記録していることもが、知られるかもしれなかったが『彼女のものではないから』という言い訳を通されるかもしれない。
僕は急に悔やんだ。
これの存在は、後のデータ資料として再発を防ぎたいからだが、それが精神的暴力とやらを手助けするかもしれない可能性が出てきたのだ。

 姑息な相手のことだ。その弱味をを突いてくるかのようにその存在を、手なづけているだろう。
好きなように追い討ちをかける道具に育てているだろうからこそ、そんな風に庇うに違いなかった。
愛だの、生き甲斐だの、キラキラとした言葉を並べれば響くのは、それに苦しめられて死の淵に立ったことのない人間だと僕は思うが。

 しかも恐ろしいことに、家に出入りする存在とトラウマが同一だとすれば、もはや立ち直る理由が一欠片も見当たらない。苦しめられた相手から、再び暴力を受け続けなければならないのだし、それが止んだところで、傷が倍に深まったに過ぎない。
『記録を書いても大丈夫だろうか』

僕が送信すると、彼女からはなかなか返信がなかった。
『やがてはバレるでしょう。でも今は、これ以上知られないようにして欲しい』
 今は余計に傷つきたくないとのことだったから、僕は慎重に保管する約束をした。


その友達とやらが見せるに決まっている、と彼女も言っていたが本当に、不運だ。
これではもはや永久に救われないのだから。

「僕が生き甲斐だとすがられたら、場合によっては死ねと言うね」

ハハハハ、と笑うと、キリエは悲しそうな目をした。

「せめて、閲覧さえなくなれば、ひとつでも救われるんでしょうけどね」

「するわけが無いだろうし、誰かが無理矢理でも見せるだろう。彼女を自殺に追いやれるもっとも身近な道具なんだから」
 しかも、部屋を出入りし、好きなように言葉を直接かけてくるのだ。
居るだけで既に精神的な重罪のような存在だ。

「彼女から前に聞いた話だと、そういったことで落ち込む度に、ちょくちょくと知り合いから電話があるらしい」

「そりゃ追い討ちですね」
 なにからなにまで、まるで隙間を埋めるかのような徹底さで彼女を責め立ててくるようで、なんだかもう、まともに生きているのが奇跡だった。

「いくら愛の大切さや、思いやりを説かれようとそっとしてやるのも思いやりやそれらなのにな」

 ちなみに僕は機嫌が悪いときは誰に対しても悪いタイプなので、人に関わらないようにしている。もしこの手のタイプの場合、最悪以外のなんでもない。
機嫌は増して悪くなり、憎悪が膨れ上がり、限界に達すれば「いいから黙っていろ」と、当たり散らすしかなくなる。

今元気?平気?
などと、ちょくちょくと機嫌などを伺われれば、たまったものではない。更に、僕には人に対してかなりの嫌悪があるので、なおのこと、急速に他人への怨みが増大してしまう。

「虐待を受けたというのにも関わったとするなら、尚更、『弱い』部分を知られるべきでないよ。これは本能的な嫌悪なんだがね、他人の攻撃対象として生きてきた人間は尚更、弱さを見せなくなるんだ。狙われるからね」


愛だの生き甲斐だの言って、ずかずか入り込むのは偽善どころじゃなく、気が違っていると判断されかねないような行為なのだ。

「許してやれだのは」

「受け入れるものか。
本能的に、学習しているとしたらなおのこと、『弱さ』をその蹂躙者に知られることは、死を覚悟するのも当然なんだ」

僕が言うと、彼はとても悲しそうにした。

たとえば犯罪者に、被害者が被害の様子を語る場面を平然に見られていると気付くなら、真っ先に被害者は怒りを浮かべるのではないか。
昔何かで見たが「無意識なのでよく覚えてませんね」との回答をする相手に、被害者はとても悔しそうにしていた。
部外者が割って入り、「彼も覚えてないんだから」
などと言い出して、無意味な議論を始める図には頭が痛くなる。
話は次第に当初の目的からはずれ、被害者は煮えきらず、加害者は忘れていて、部外者は被害者叩きに没頭。

笑ってしまうほど恥ずかしい。


「おれがしたことは、正しかったんでしょうか」

「僕にはなんとも言えないな」

なにかを選ばねば、勝てはせず、放棄すれば彼女は……
それは、どう選んでも、絶するような痛みだった。

ただ、もしも、彼女に触れる形では何もされなければ。
誰かが何もしないなら、何処かにひとつくらいは救いがあったのだというのが、悲しい現実だった。まるでそういった漫画のように世界を救うために、彼女自身は救われない存在になってしまったらしい。

「吐き出したいが、気持ちを知られたくはない。世の中にはそういうものもあるんだ」

なぜだか、僕まで胸が痛んだ。

他人の気持ちのわからないやつに限って愛だのというから、笑ってしまったが。だんだんといたたまれない。

「これでもし、恐らくだが兄とやらが見た内容に沿って励ましでもしてみろ。僕ならビルから飛び降りても驚かないね。
見てろ、これまで築いていた話の中のシリアスな内容にまで、他人からフィクションかどうか細部を探られ始めたらもう笑うしかなくなるから」

受け止めて昇華してきたはずの弱さを、他人が徹底的に洗い出す。そっとしといてやる、が出来ないというのもまた病気だ。

「全く、右も左も頭がおかしい」

乾いた笑いしか出てこない。彼女はひたすらに蹂躙され続けるらしい。
僕もだからこそ孤独を愛している。

「あなたは、そうやって、人を選ぶようなことを言いますが……」

キリエが困った顔をした。僕はただ穏やかに言う。

「正しさなんてものは無いからこそ、遊んでいるんだよ」

「遊ぶって」

「だって僕も、彼女も。どう転んでも、どうだっていいんだから」

まっすぐ彼を見ると、彼はただ少し泣きそうになった。
失えるものがほとんど無くなったというのは絶望ではあるが、ある意味ではもう怖いものが無いのだ。


「定かでは無いけれど、きみのことも、許しているのだと思うよ」
「え?」
「以前訪ねた際『誰に聞かれても同じだ』と言っていた」
「それは、そうですけど」
「そういうことだよ」

彼は少しだけ納得したような、落ち着かないような感じに身じろぎする。
「僕は正しさなどないからこそ、それをつついて面白がっているんだ。
本気で正義について考えてたら、こんなにひねくれないだろう。
他人に選ばれずとも、そもそも見てさえいないから、周りを気にしてもいない」

「自分で言うんですね」
彼が目を丸くした。

「きみは僕の言葉をそのまま受け取りすぎではないか」
「そうかもしれませんが、他の解釈なんて普通は考えませんよ」
「言っただろう、僕は人が嫌いなんだ。穏やかにからかって遊ぶのが趣味なくらいにね」

会話のトーンをあまり変えないからか、おかげで冗談か本気かを見極めてもらえないことが多いのだが。
「僕がしてるのは、まともなことが存在しないからこそ、わざわざ正論ぶって遊んでいるということなんだ。覚えておいてくれよ。
正義の使者など誤解も甚だしいし、吐き気がするからな。否定するなら勝手にすればいいし、それをまた遊んでいるんだ」

世の中に常識などそれほど無いということは、僕も身をもって知っている。

「……たちが悪いですね」

「だが、退屈や寂しいのも嫌いなんだ」

そっと彼に近寄ると、キリエは少し照れたように僕を見つめた。
そして一言繰り返す。

「たちが悪いですね」
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