Several

たくひあい

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 それから数日たった頃昼飯を食べていると、ニュース速報が騒がしく鳴った。

「なんだ?」

僕が画面を見ると、キリエが淡々と言う。

「誰か、部屋に籠り叫んで首を吊ろうとしているとかです。心配ですね」

そう言った速報は久しぶりだったからなのか、なんだか胸騒ぎがした。
インスタントラーメンを食べながらも、なんだか味がよくわからない。

「……」
「最近は、物騒というか」
キリエが場をもたせようとする。最近もなにも人の闇など昔からさほど変わらないと思ったが、僕はそれは言わなかった。
「そうだな」

果たして、どうしたものなのか。僕にも、キリエにも、彼女にも今はっきりとはわからない。そして出来ることは二つ。

機会を待つことと、味方をつけること。
この漠然とした嫌な予感とも戦えるようなものを。


万一のために彼女に連絡を取ると、不思議そうにした。
『変です』

「何が。もしも……あれが関わりのある人だったら」
あの地域にすんでいるらしいという、違う作家の話を思い出して僕は言う。

『そんな、はずはない。その人が自分からそんなことをするように見えません』




 ここからは、彼女のたのみで、万一の転載やら見せられるなどで『例の人』に見つかるため、話はいくらか割愛しなければならない。
それを防ぐ手もない以上仕方がないと考えて欲しい。今でも未だこそこそと嗅ぎ回るのだと言うので、傷が深まるばかりなのだというのだ。

 彼女は好きで見ていたというその作家の話をしたが。他人に殺されるくらいなら殺す、と言った作風だったというので違和感があったという。

『その逞しさが、良いのです。なのに……そんなの、ファンからは違和感では無いですかね』

私はそんな熱心じゃないですがねと付け足した。性格が真逆過ぎて合わないだろう、と真面目に言うので確かになと笑った。
『報道だけなら、家や写真で作ることも出来ますし、過去にそういったことで誤報のトラブルもあったと聞きます』

いくら渦中でなにかしらあっても、その作者とやらに違和感のある死に方をしようとするのだろうか。
もし誤報じゃなかったとしても。何かの隠滅で消されてしまう可能性は……?いや、まだ、決まっていない。

と、ちらりと図書館から借りた一冊を読む。
確かにそういった雰囲気だ。
『彼女の』機微を繊細に気に病むようには、あまり見えなかった。 抱える謎が増える一方だが、同時に道筋というのは狭まっていくようだ。嫌な予感が当たらないようにと願いつつも、改めて整理する。

引くことが許されず、しかし引かねばならない圧力を受ける。
そして、こんなタイミングでの報道……これは考え過ぎなはずだ。
ブログの内容も、非公開だったものを見る限り、そのままに今の状況を示しつつ、絶望しすぎないようにした話だった。
なぜかわからないが巻き込まれた、と。


どの程度真実かくらい、相手が最初から一番知っているだろうから、今更になって急に気に病む方がよほど不思議だ。
やはり考え過ぎに思える。
もし違うシナリオが絡んでいたら?

そう、万が一、当人であり誤報や工作でないと証明できた場合。
気に病ませたとして、消してしまえば、少なくとも明らかにこちらに非難が向く。

 それに彼女の作品や他の作品に、便乗か被せていた一人かもしれないとしたら、名前が消えれば、追及すべき相手でなくなる。

 そしてそこで詐欺師が少しデマを流す。
コネだとか、裏側の何かと関わりがあるだとか、そういうもの。
こちらも被害者だという感じに言い出す。


 そのくらい許すべきだっただの、損失しか生まれないだのと格差を当て付けて、一気に潰してあやふやにすることも出来る。

「いや、可能性の話だ」

言葉にして自分を落ち着かせる。
まさか、本当に命がけにおおごとにしてでも潰したいという意思があるとしたら。それはかなりの最悪だった。

「ペットでも飼おうかな」
なんだか癒しがほしくて僕は言う。
皿を洗っているキリエがぎょっとした。

「お世話できるんですか」
「するよ……」

僕をなんだと思っているんだろう。

かつて、作者Aと作者Bとで二巻以降からと最初の方を並べて読む連作があるのを思い出した。

「なんだかあれを読むべき気持ちになってしまうよ」
あれは結局半端に終わっていたのだったか。
なにがあったのかは知らないけれど。
途中からは、BがほとんどAとは触れない話を書いて……

「その途端だったんですよね」

同じものを読んだ経験のあるキリエが頷く。

「Aの人物への扱いがいきなりやや雑になってしまったのは」
「あぁ。人生は不思議なものだな」

つけていたテレビでは、いつの間にか、女性が浮気されるようなドラマがやっていた。

「言いがかりだ!」などと問い詰められた男は、そんな言葉ばかりならべているので、残念だった。
こいつは偏見がある!と言いたいらしいのだが、それもまた偏見だというのが人間の心理で面白い。
証拠を並べられた犯人の足掻きもこういった雰囲気がある。
良い説明が出来ない代わりに、あいつが嘘つきなんだと騒ぐのだが、そうだとしても責め立て方が乱暴過ぎると逆に怪しさがあることに、自分では気づかないのだ。


相手を責めたり乱暴に非難して、同じように言いがかりを作るからこじれる。
きちんと、理由や根拠に筋道を冷静に立てなければ誰も納得しないだろうに。


「僕は、相手の話しかしないやつは苦手だな」

頬杖をついて言うと、キリエも薄く笑う。

「ある意味逃げですよね、お前こそとか、あなたは、って。自分の中の話はうまく逃げて」

クスクスと、なんだか笑みがこぼれてしまった。
「なぁ。きみは」

「はい?」

じいっと見つめると、彼はきょとんとした。
「いや。なんでもない……」
「どうしてあのとき、自分を嫌なやつだと言ったんですか?」

「ひとつは、重荷を背負わせるからだよ」

他にあったが、それは口にしなかった。

「過敏になり、他人との距離に怯える彼女に、無関係の他人がぞろぞろ押し寄せる……守るためだのと勝手に並べて痛みに踏み込む。その状態がさらに、悪化する」

確かに味方は必要だ。
だが、その他人からさえ好奇の目を向けられるように仕向けなければならないのだから。
味方だの敵だのではない。なんの関わりもない人間が『恩だから』とのし掛かる。
知りもしない、もしかしたら悪意が混ざるかもしれない他人が、口を揃えて味方だなど言ったところで、散々に裏切られた上で説得力も皆無だ。

 しかも自体の原因の大元や、身内、その他からも、迷惑をかけていると責められるかもしれない。
実際に知らない人からコネだとか嫌みを囁かれるときもあるだろう。
それでも、逃げることも許されないのだ。

「どうしようもない痛みの中で、『なんだかわからないけど助けるらしい』というふわふわした好奇の目や『そこまでの価値があるか』という目。
正体を都合よく知ってしまってから都合良く、自分が優位に立っているのではと解釈する目」

「つまり」

「他人に、ある意味つきまとう口実を与える状態」

「過去に人から執拗に付きまとわれたせいで、個人や詳細については語れなくなったと言っていましたよね?」

「ああ。
理由がある、優位に立てる、と、つきまとう人間を量産する状態だ……更に、僕の判断は彼女を追い込んでしまう」
「優位って」

キリエが慌てた。

「巻き込まれただけじゃ」
「わからないのか。
『明かさなかったもの』を、口実かあれば知れるかも知れない状態が」

「だけどそれは」

「口に戸は立てられない。みんながみんな他人に忠誠を誓うわけでもない。味方のふりをして近づいてきて手を切るかもしれないし、そうでなくてもじろじろと見たり、部屋や近所を彷徨くくらい出来てしまうかもしれない。『助けに来た』とか言ってな」

「それじゃあ……」

「都合のいい誰かによる余計な被害にまで。
今まで避けてきたトラウマにまで会うかもしれないんだ」
 だから、尚更に心配でたまらなかったのだ。
平穏はあるのかと。

「大丈夫かどうかは、わからないですが……」

キリエが言う。
タブレットには、返信が書いてあった。


『いい距離から、支えてくれる人もいるから。
そういう意味だと、私一人では無いの。

何もない私は、ただ、どう言われてもそれのために生きてる。
それにあなたたちも居るから』

「勝手に見せてはまずいだろう」

僕が言うと、彼は、あっと口許を押さえて言った。

「どんな人だろうか」

「さぁ? けれど、感謝されたのは、『この立場』の苦しみをわかってもらえたのは初めてだったから嬉しい、と」

「なるほどね」

擬似的にでも自分を重ね合わせてしまい、愛しいと思えたのだろう。

唯一の救い。
自分の身代わりに、助かってほしいと、まるで僕を見ているようだ。

ふふふ、と笑ってしまった。

目を閉じる。
それから、手を打ち鳴らした。


「さて、買い出しにでも行くか」

 買い出しの後で、たまには癒しをいれるべきだからと、僕とキリエは彼女にマンションの中へ招待した。
さすがにこのとき、旅行する場合ではなく、行っても知られてしまうのだろうから無理そうだったのだ。

「この世で泥棒が一番嫌いなんです」

という彼女は、パソコンなどのものも、持ってやってきた。奪われたくないからだろうか。

「おかえり、よく来たね」
丸くて可愛らしいリュックを背負う彼女を部屋に招きいれる。
僕が出迎えると、ぺこりと頭を下げた。

「荷物が多いね」と言った途端の台詞が、泥棒だけは一番嫌いな種の人間だということだった。

「止むを得なかったなら共感できる部分もありそうですが……それ以外の理由なら許す必要が無い気がします」

「今も被害にあっているし、ね」

犯罪の根本、基礎みたいな、そんなイメージなのだろうか。
殺害だって暴行だって。他人からなにかを『奪う』ということだ。

「うん。ありがとう」

いろいろな気持ちがあっただろうが、彼女は微笑んだ。大元になるトラブルを起こした誰かをのぞいては、誰を責めても代わりはない気がしたのだろうか。

ソファーの方まで歩いてくると、彼女はため息をはいた。

「つらい、よね」
キリエが座るのをすすめながら言う。

「私は、そんなに想像力がある方じゃないから、必死に試行錯誤してきたの」
「うん……」


「奪われでもしたら、他にネタなんて続かないだろうとも思っているくらい、いつもいつもこだわりを詰めていたものだから。それをしようとしないのが、許せなくて」

誰だって同じなんだよと彼女は強く指を握った。だからこそ、頭を使うのだと。

「自分の手で常に創るのは楽なことではない。甘く見ていると、それ自体に苦しめられる」

僕は、そういいながら紅茶を3つ用意した。

「先の見通しが出来なくなったら、そのたびに僕もやめて来たよ」

誉められることではないけれど、苦しみから逃げるために他人の苦しみを利用してまで生きる気にはならなかった。 そのせいでややこしいこともあるが、まあそれはそれだ。
彼女は、カップのひとつを受け取りながら、白い息を吐いた。

「大事だからこそ、悲しい。思い入れは無かったのかな……
他人の子と同じ人生を、自分の子に歩ませるのを、見ると、心が痛い」

あの子のように。
あの人のようになりなさい。

「生むのも育てるのも大変だから、道まで決めちゃうなんて。親のエゴじゃないですか」

忙しいから、今まで育てたんだからと言われるのは、聞く方には耐えがたいときもある。特に幼い頃は。

「そうだな。親が楽だから、支配したいから。
そうやって道具にされていく子どももいる。何次元でも関係なく」

「自分が生んだものを、

『あなたには苦労したんだからこのくらい』なんて縛るような大人には、私はなりたくない」

まあ、苦労はかけますけれど、と彼女は笑った。それ自体を振りかざすのは卑怯だということだろう。

「痛みは誰にでもある。苦労も」

助けてくれるばかりではないことも。

「それでも、乗り越えてやってきている人も居るし……そこだけ避けるのは、ずるい」

「そう、だな」

「二度と、起こらないなら、『これが終われば許せる』と思っていました。なのになんで繰り返すのでしょう」

「罪が重なっていくだけなのに。大事なのは自分なのかなと思ってしまう」

キリエが切なそうに言い、カップに口をつける。彼女はふと、真剣に彼を見て言った。

「瀬部くん。ごめんね」

「なに、が」

「こんな、迷惑かけて」

「いや、おれもつい、カッとなって」

「いづれは、こうなっていたのかなぁ」

しみじみと、遠くを見るように彼女は言う。

「懲りないから、こんなに表面化するしかなくなった。そばにいる誰かが止めてくれていれば、こうもならなかったのに」

 

「……」

「だって、普通ここまでとは思わないよ。パソコンに侵入してたり、家にまで来ていたり」

「そうだね。聞いてると、やめようにも周りの環境が許しているみたいなところが見えるよ」

「お金が絡むから? 私はなにも持ってないから? 唯一の財産まで売り物にされようとしてたのかと思ってしまって」

確かに彼女への利益自体は出ていない。だけれど、それを軽く見て転売したような相手から見下されることがあったら。

「いくらかは、こちらから直接お話を渡すから、
違うひとがそれを盗って違う家の子にするのだけは、やめてください。
って言ってやめてもらえないかな。どうだろう」

「盗られるくらいなら、出向きたいってことだね」

コンタクトが取れない中、事態はさながら人質の解放問題となっていた。

「うん。出来たら瀬部くんも、応援して欲しい」

「わかった」


 先に語っておくとするならこの事件のもっとも醜悪なところというのは元凶である当人は、差別が厳しいからこそ密やかに行っていたものをわざわざ晒して、それを広げ『なるべくしてなった』と語るところだ。

人というのはそのようにどうにか理由をつけたがるというものなのだ。
 あらゆる背景において、無駄に煽ったり掻き乱しておきながら、遠くからそう言う輩が存在する。
 本来なら、余計な邪魔さえなければ多少早く事が済み、被害も多くは起こり得なかったのだ。

特に、ある著書の嘘が場を混乱させてしまったことや、錯誤を招いたことが盗作よりも残酷で卑劣な話と繋がってしまったようにも思えてならない。

 興味を持たせるというのは残酷なものだ。
特に、公ではない、
わざわざ隠してある『一番触れるべきでない部分』をわざわざ晒すのが、最も醜悪だから、救いがない。



「例の詐欺を働いた方だけど、ある日その作品を読んでいた方から話しかけられた私はすごい目で睨まれたの。今まではそうでもなかった知人だった」
山のように連なるクッキーからひとつ食べながら、彼女はこぼす。

「これ……他のいくらかの人のは、これでどうにかなる」

 彼女は更新履歴を日付とともに細かくメモしていた。盗作と騒がれるとしても、それだけならまだ、証明手段はなくはないのだ。

「それで、大体は収まるはず」

「すごい」

キリエが褒める。

「だけど」

当の作者の影響なのか、無許可で、内容に被せるようにしてドラマ化までしていたものまであった。
よって錯誤が増していた。
「こっちは、『作者から』偽られたようになってしまう……」
更に、彼女のものを、公に晒してまで内容に組み込み始めたのだった。

「この流れが、なるべくしてなったなら、意図的に犯罪を行ったということになりますよね……」

自己証明は、また難しい。つきまとわれた経験からか、個人情報は極力明かさないようにする彼女に、それを提示させようという流れなのだから、最も卑劣だ。
僕は、椅子に座りながらぼんやりと口にする。

「仕方が無かったから晒したとしたら、何らかの意図をもってきみを認識していたのが明らかだね。
自分のことを悪く言うかのようなことになるから、本気で同一視したら矛盾だらけになるけれど。
無意識ならともかく流れを組んでいたなら、また別だな」

 なかなか気が休まらないのが哀れではあったものの、彼女を呼んだ理由のひとつで友人とやらのひとりに事前に連絡を取ってもらっていた。

ただ、あの部屋が盗聴されている恐れもあったので、こちらで話すこととなったのだ。

「不思議なことがあると聞きました」

「不思議とは」

僕が頬杖をついていると、ソファに座っていた彼女が曖昧に濁した。

「いや、たぶん、間違いだと」

「なんだ?」

「……うちにもありましたが、何年も来なかったはずなのに昼間に突然、警察の方が家族構成の書類? の確認に来たことがあったり、火災報知器が急に鳴っていたときもあったな、そのときはびっくりして部屋を飛び出してしまいました」

「不思議なことというのは」

「気のせいだといいんですが。友人の一人の弟が、ゲームで知り合ったという方の荷物が住所をろくに書いてないのに届いて、奇跡だとかで。
時間設定をしてなかったから友人はいきなり応対を頼まれたらしいのですが」

郵便局員や、消防、警察官に紛れれば怪しまれないという手は、昔からよく聞く。書類を横取りする事例もあるらしい。
そこにまで手が及んでいるのだろうか。

「それで」

「そういった荷物の一つに気になるものもあって。差出人が、例の本の登場人物の名前と似ているものがあるとかで」

「それだけではなんとも」
「わかっています、ただ……」

友人を取り上げるかの行為になるのが、怖いのだと彼女は嘆いた。
どうであっても、それ自体を追及する行為が、残酷だと言われる面もある。

「友達があまり居ないと言っていたから、弟はやっと明るくなったのだと」

けれど、利用されていたとしたら……

「それを、奪ってしまうって」

周囲の人間関係や地域にまで潜り込み、わずかな人たちを追い詰めるのだろうか。


「私や友人たちが助かれば、その分、別の犠牲になるのでしょうか。周りや、知人の関係まで、詐欺が破壊してしまうのですか」

どうして。

「酷い」

とキリエがそれだけを言った。なにか考えているのか、彼は僕といるときよりもまして口数が少なかった。
もはや詐欺の証明より別の逮捕が早いんじゃないか? などと思ってしまいそうだ。


 新聞を読んでいる間、キリエと彼女は何やら話していたが、特には興味がないからぼくはそのまま紙面を見ていた。
目に止まるのは当たり屋が捕まるというニュースだった。
地域に住む中年女性であり、シングルマザーで、子どもが4人いるらしく貧しかったし保険も無いので、車をぶつけられたとわめいて保険料というか、生活費を稼いでいたとのこと。


手口はいつもあるスーパーのちょうどいい曲がり角で待ち伏せしておくのだという。
目撃者を最低限にしておき、死角にひそみ、
右折を確認しなかっただかなんだかを言って、明らかに向こうからぶつかったと言うのだ。

 ちなみにだが、ぶつけられたいくらかの被害者の中には同じような環境の人も複数居たため、尚更に後味は悪かったらしい。
 明だったか誰だったかは「自分で生んで自分で苦労して、それで更にこんなやり方で稼ぐ人が居るから偏見が広がるのね」と薄く笑っていたか。
彼女の母もそうだったがあまり贅沢をせずに、どうにか細々と生きてきたと言う。
 載る内容で見る限りはブランドの派手な格好をしていたので、これは事情のある家庭の偏見をある意味助長しそうだ。
 これでは家族を養う苦労というよりかは、自分自身の苦労話のような気がする。
「僕も何か書こうかな」

ぽつりと呟いた。
その途端二人して振り向く。
「続きですか!」

と声を揃えられた。
めんどくさい……

「いや、なにせ気が滅入ることばかりだから、楽しいことでもと思って。餌をまいて釣竿を垂らして置くくらいなら、いいだろう」

「あ。もう5時になる。
夕飯は、マーボー茄子でいいですか?」

キリエが、ふと立ち上がって時計を見た。
窓から見える空は、青みがかった灰色で少しずつ夜の気配をにおわせている。

「ああ、それでいいよ。今日は作ってくれるのか」

「はい、なんか、楽しくなったので」


めでたいやつだ。
僕は、どういうふうに投稿するかを考える。

「うーん。名前は嫌だな……バレたらややこしそう」
「ペンネームにしておいたらいいのでは。意図的に明かされるはずがないですから」

「いやたまに、そういうこともあるらしいよ。
だから試しに違う県を書いていたりしたものだが……」

「あるんですか」

「あぁ。選考員だか違う誰かがうっかりしていたのか、意図しない情報が載るときもあるから」 

ちなみにこのファイルは、パソコンに残してあるのだが……ここまで書いていたとき、そう。あの日と同じで、17時頃だが。
一瞬、表示できませんというエラーが起こった。なんだか、これを書いた日々が懐かしくもありながらも、まるで今でも、『彼ら』が侵入しているかのような錯覚に陥るので笑ってしまう。
話に戻ろう。


17:00

「そのときは……?」

「そのときはね、ちょうど、おぞましい事件が起きたんだよ。僕が舞台にしてしまった町でね」

僕は切なくなって、この話はしたくないと思った。
「まるで、僕を探しに来て殺さんとばかりに。もし真実を書いていたら……書かなかったら、そうあれこれと苦しんだ」

口を押さえる。彼女がやけに青ざめたからだ。
もしかすると、彼女の友人とやらのときもなのだろうか。


キリエが、台所に立って料理をしている音が響いていた。
あの後ろ姿は、ずっと忘れていたなにかを懐かしんでしまう。

「ただ、創作であるつもりだったものを、利用する輩が居るのは確かなんだ」
ぎゅっと拳を握る。
彼女の手がそっと触れた。
「作中に、猫が出てきますが……最近、猫が殺されるニュースが多くて」

「不安をあおってしまい、悪かった」

「友人が言ってたのだけれど、確かに、舞台の参考にしていた町の方で。
通り魔や、首を切られそうになる事件なんかが最近ニュースで複数あったって。

そうやって事件を絡めて来ようとしているのも、手なのかな」


彼女が俯く。
被害は、単なるものでは無くなっているのではないかという恐怖。
周囲にまで向いているかもしれない絶望。
抱きつかれたのを振り払えないまま、彼女を宥めた。

「その人が自力で創って、ちゃんと自力で悩めば、こんなに誰も巻き込まなくて済むのに。どうして」
「さぁな」




「おまちどう!」

と、三つマーボー茄子ができる頃に、彼女も手伝うよと立ち上がって冷蔵庫を開けた。

「何か、まだ足りないよねー」

「そうだね。他に食べたいもんある?」


「アイスクリームかな」

「デザートじゃん。でも待ってて、たしか2Lサイズが冷凍庫にあったと思う」

「昨日買ったやつか……僕も今食べたい」

「ご飯の後にしてください」
「えー」

えー、ってそうして、お菓子ばかり食べるじゃないかと責められ始めた。うーむ……

「仲がいいんですね」

彼女か和やかに笑う。


熱くて重い、ブラウンさん。


20:24

 夕飯後、まずよりたい場所があったと言うと、僕はマンションのフロアの階段を降りた。
金色のラインがついた白い壁をさわりながら一階に辿り着く。一階の、フロントの正面に、普段明が居る部屋がある。

ピンポンとチャイムを鳴らすと「どちらさま」と聞こえてきた。
「僕だ」
「ああ、ブラウンか」
「あれは親戚だ」
「ややこしいんだよ。どちらも、なんか存在に重みがあるよね、目立つというのかなぁ」

「は? いいから開けろ」



 中に入ると、明が悲しそうな顔をしていた。

「あなたのことで私が力になれればいいのだけど」

今更、自分のためのものなど何があっただろうか。僕にはよくわからなかった。すぐに彼女は表情を明るくする。

「そういえば、聞いて。
いくらかの人が、お礼とお詫びにあの子を助けるのに協力してくれるそうよ。有志が増えた!」

サイトをチェックしていたらしい明が、手をぱちぱちと叩く。
 しかし僕にはそれが、これにふさわしくない汚らわしいものに見えたので、やめてくれと言う。明はやめなかった。

「なんで、おめでたいでしょう?」

「頼むから、良かったことのように喜ばないでくれないか」

とてつもない罪悪感に襲われる。何をしたって、喜べだの、恩を感じろだの言える話はないのだ。壊れたものは、直らない。
「そういうとこ、あなたって、薄情なのよねー」

「なぜ僕が薄情になる?」
可愛らしい小花柄のティーカップやらなんやらで溢れた部屋。花のように穏やかなアロマオイルの香りがする。
部屋の中央のテーブルには、レースをあしらったクロスがかけられ、花瓶やスノードームが置いてあった。同じ部屋だというのに、小物でずいぶんと印象が違うものだと思い知らされるが、僕にはここは、やや落ち着かない空間なのだが。

「少女にも、後でちゃんと喜びなさいと言いなさいね。
ただの市民なのに、周りからのご厚意で貰えたものなんだから、ねっ?」

ご厚意とやらもまた仇なしているようだぞと、思わず、フッ、と鼻で笑ってしまった。
その当のただの市民なのに、散々な目にあっているぞ。と思うが明に当たっても筋違いだ。

「お礼を言わなければとても失礼よ!」

「わかった、伝えておこう」

 ひらりと手を振って、部屋を出ようとしたのだが、ふと聞いてみようと思い立つことがあった。
「キリエというやつが来ただろ」

「ああ、それが?」

きょとんとした顔で彼女が目を向ける。
なんだか戸惑ってしまうほどに真面目な態度だ。
「いや。あんな、子どもだけで『此処』に住むものだろうか」

「なるほどね、そして私がなぜ貴方を紹介したか」
「なーいーしょ」

うふ、と含むように笑われて思わずいらついてしまったが、ギリギリで踏み留まると「そうですか」と、その部屋を後にする。
 みんな貴方のためにしてくれているのよ、などと言う言葉の大方は、優しさではなく押し付けだ。しかしそれさえも、必要なのだと思うと苦虫を噛み潰す思いになるしかなさそうだった。

 疲弊を押し隠すように、部屋を出るなり右に曲がり、フロントのそばの自販機から缶に入ったミルクティーを購入する。
 飲みながらも暇潰しにならないかと携帯から詐欺の作者のSNSを見た。
キリエも言っていたが、不思議なもので、彼女がブログに書いてからすぐ数分後に同じようなものを思わせる内容を投稿するようなのだ。

 これではあっちもこっちもと同じ内容を見せびらかし自己顕示欲が強いかのようではないかと、笑ってしまわずにはいられなかった。
しかも『自分役を揶揄する』という愉快な状態を誇らしげに掲げている。
成りきるにも、あっちこっちと自分を振り撒く姿が今更になって変化したところで過去を遡ればすぐにばれてしまう。


 何一つ示さず、何一つ言わなければ良かったと言うのに、あからさまに名乗り出るようでは偽物だというのを証明してしまったのと変わらないのに……
こんなに滑稽な擬態は初めて見た。
などと考えてミルクティーがむせそうになったが、どうにか留まって飲み干す。
 『相手』が既婚者だというのもまた厄介なことだった。
彼女は気に病むかもしれないが、家庭というのを背負うからこそ、早いうちに謝罪やらなんやらで事態を納めた方が良いと思うのだが。
 なぜ、戦おうとするのだか……


ため息をつきながらも、僕はこれではキリエに怒られそうだと思った。
あいつは過保護なのか、夜中に出歩くだけで随分不安がられてしまう。


そういえば、しばらく過ごしていてもわかることだがキリエは、ぼくのことを一度も『天才』なんて呼んだりせず、ちゃんと本人として呼んでいる。

そして、それがどれだけありがたいかを、僕は知っていた。
 明にしてもそうだ。
ある程度わかりあっているからこそ、嫌味でもない限りは『荷を背負わせるような呼称』を、わざわざ向けないのだ。

例の作品は、天才を連呼してあり、その辺りが僕は少し悲しかった。
さすがに、僕も彼女も、これと同じ趣旨では無い。
分かり合えないことを、きっぱりと断言するようなことなど、僕にしたらしないし、彼女もおそらくそうなのだろう。
その辺りが曲げられてまで同一扱いされることが屈辱だというふうに、私はこうは呼ばないのにとぼやいていた。
 そういえば、彼女の内容というのもまず、主人公が暗譜しているピアニストの話でその表現に細かくこだわっていた。
記憶や、音や環境が織り成す世界が、視点と繋がるから素晴らしいというものだ。

当の作者のものは、たいして『記憶やその分野に関する話』だけは随分とかわしてあり、抜けてあるのも特徴だった。
同一であるなら真っ先に拘るべき部分への執着が、驚くくらいに感じられない。
恐らくだがそこに関しては、体感はあまり無く教科書を読んだような説明的な話しか出てこないのではないだろうかなどと考えてしまう。
体感やら自身の考えに拘ることよりもまずは、被せていく方にばかり焦点を当てている感じがしてしまっている。

いくら口先がうまくとも、事細かに語らせてみれば露見しやすそうな態度が滲むけれど、しかし僕らは身分の違う存在とそう容易いコンタクトがとれるわけではない。
 考えごとをしたままでいると、ふとエレベーターが停止して、ドアが開いた。
「迎えに来ましたよ」

出てきたのは知った少年の顔だった。

「あぁ。そうか」

「少し降りるだけといいながら帰って来ないから何かあったのかと心配しました」

「何もないさ。ミルクティーを飲んでいただけでね」
「良かった」

「良いも悪いもあるのか」
「ありますよ」

「明と、きみの話をした」
「え?」

少し、青ざめたようになった。それが見られただけで収穫の気がした。
なにかあるらしいが、語りたくないのならそれも良い。

「いや……明が僕に、キリエは気の利く優しい子だと話していたんだよ」

「なんだ、そうですか」
あなたも?
と聞かれて僕は曖昧に濁した。上へあがろうと言われたので、僕は慌てて彼の待つエレベーターに乗り込んだ。


目的の階に到着すると廊下をしばらく進む。慣れた部屋のドアの鍵を開けると、少女がデスクのそばで悩ましげにパソコンを見ていた。

「一度『謝りたい』と聞いていたの。だから私はそれを信じたときがあるんです。それで、どうしようか考えていたところでしたが……」

 画面を見ると、そこにあるのは『新作』とやらのページだった。
彼女の方の歴史が古い、過去作を引っ張って来られていたものだ。
ただ、移植に伴い日付の表示が変わるシステムのために、内容の日付と合っておらず、いかにも先にできたかのように言い張れる口実になってしまったらしい。

「説明して、この前ようやく、違うとわかってもらえたけど。
なぜこちらが自力でしなければ納まらないような事態を繰り返すんでしょうね。
『またやってしまったから、あの人たちには関係がない』と出てくることなんて、全くありませんでした」

その頃に見た限りだと、SNSで楽しげにお喋りしているだけだったという。むしろ笑われているようでさえあった、というのだが僕はそれをよくは見ていないのでさだかではない。

「建前が欲しいだけでしょう。無理矢理でも正さなければ、絶対認めたりしない感じです。窃盗は再犯率が高いらしいともいいますから」

キリエが、前に僕が言ったことを言う。
「何回も何回も何回も説明している。なのに、その度にやっているのは改竄だけなんです。
私や友人のことなんて、単なる道具みたいで」

「確かに、懲りる気配が無い感じだな」

部屋にあった原稿からなにから、あちらに手元にほぼ全てあるという気がする状況で、さらに何度も裏切りを重ねてまで、喧嘩も何もあったものではなかった。
単なる犯罪だ。

「沢山の人を使って、沢山の人を裏切らせて、沢山の人を傷つけてきた。それは謝って済んだりしないことです」

「結末が欲しいとするならそれか」

「そうですね」

済まないのを承知してもらう上で認めるような言葉が欲しいというのが、ここでの謝罪のようだった。


2Lのアイスを冷凍庫から出して、3つ、ガラスの器にすくった。
「疲れたからな。甘いものが食べたい」

「おぉー、やった! さっきは食べられませんでしたからね」

僕が急に降りたため、夕食後のアイスはお預けとなっていたのだ。
 彼女も、リラックスしていて「私チョコレートあるんです」と小さな箱をリュックから取り出していた。

 ここには『付けてくる人』は入れない。
外に出ればまた会うだろうが。このゆるみ様を見る限り、彼女のストレスをもっとも増やしているのは『その彼ら』がそこにぞろぞろ居続けるのをゆるしている状態こそのような気がした。
安心出来るのは部屋の中だけだ。

人の目がしつこくなり、近頃はブログの内容を外で話しかけられたり、応援されたことがあったという。外と中の区切りもつかないのは迷惑の部類で、嬉しいことではないと、苦笑いしていた。

「つらいことが多くて、とにかく人目が辛かった頃に、始めたの。
あーあ。人目を集めることになるなんて、うんざり……出歩くのも、気持ちが悪くって」

チョコレートをアイスの上に二つずつのせていきながら、彼女は笑う。


「あー。なんだか、愚痴ばっかりですね」

どんどん自分が変わってしまいそうで、嫌になるなぁと、彼女は諦めたように息を吐く。

「誰も聞いてくれないから、いえ、そんな気がしないことばかりで。今は安心しているから、この際に言いたくなってしまって」
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