椅子こん! 

たくひあい

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椅子こん!17

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「じゃ、行ってくる」
カグヤに消毒され、包帯を巻かれた腕で戸を開けると、彼女の家がある方に走った。

──今考えたら不思議な話だが、カグヤの家と彼女の家はそれなりに距離がある。
なのになぜか、俺は、あの儀式?を終えたときに、彼女が帰ってきた、という確信をもっていた。もしかすると、これがあの椅子の力か何かかもしれない。

 このとき、俺は、甘く考えて居たんだ。
おかえりと言えば、笑顔で迎えてくれると思った。傷だらけかもしれないが、それでも安心したように微笑んで──
──ああ、そうだ、通行許可の書類も通りそうだ。
お前が頑張って、椅子さんと自分のことを訴えたからだな。そう言えば、きっと喜んでくれる、これであとは北国に向かうだけだ。良かったなって、再会を祝したりして、またみんなでわいわいやれるってことしか頭になかった。

 あの頃も。今も。
他人を好きになるというのがどれほどに恵まれた才能なのか、まるでわかっちゃ居なかった。
だから、あの頃も、今も。
何度だって、似たような事を、繰り返している気がする。



「おかえり……!」

開いたままのドアを開けた瞬間、玄関から悲痛な絶叫が響き渡り、俺はその場に硬直した。
 うわああああああああああ!!
あああああああああああああ──!!!
 声の主はこの部屋の主であり、椅子さんのことを愛している少女。ぼろぼろな姿で立っていて、背中には女の子を背負っている。

やっぱりあの確信は正しくて、彼女たちは帰ってきていた。なんだかそれを当たり前のようにそのときの俺は受け入れていた。

 しかし、この状況は予想外だ。
中でなにがあって、何を見たのかはわからないが、少なくとも楽しい思い出というわけでは無さそうだ。
「お、おい……大丈夫か?」 
 彼女は取り乱したままでいる。
笑顔なんかなかった。
混乱、する。
彼女は何かに怯え、錯乱し、絶望している。
暴れて落としたら大変なので、彼女から一旦女の子を受けとる。衰弱しているが、まだ生きている。俺は、どうしたら────

「──中で、一体なにが……」



 彼女が叫んでいる間にひとまず、病院に連絡。しかし彼女を置いて病院に向かって良いのかわからない。放っておけない。
ちょうど、そのタイミングでピンポーンとチャイムが鳴る。
ドアを開けて覗くと、そこにはカグヤが居た。
「カグヤ」

「来ちゃった」

どうやら心配して、来てくれたらしい。
けれど今いきなり中に通すわけにもいかないので、ドアから先へは行かせず、その場から背負って居る女の子を見せた。
「来たとこ悪い。緊急事態なんだ、頼まれてくれないか……恋愛性のショックがある。病院に連絡した」

「──わかった」
カグヤは病院の情報以外に特には聞かずに首肯くと、女の子を受けとる。
そして、「じゃあ、またあとでね」と心配そうな目をしたまま足早に坂を下りて行った。



 ドアを閉め、改めて、もう一人に目をやる。
「…………」

 彼女はいつの間にか玄関から部屋に移動しており、あちこちに置かれた物を引っ掻き回すようになぎ倒しながら何かを言い続けている。
「──なあ、えっと……その、あの子は病院に送ったから……」

「夢の中で、良かった、夢の中で、良かった帰りたくない帰りたくなかった夢の中で、良かった夢の中に居たかったずっと夢の中で、良かった夢の中に居たかった」

「──あの……俺、」

彼女は頭を抱え、踞る。
こんな姿は、初めてで、どうして良いのかわからない。傷だらけで、着ていた服の腕が奇妙に破れている。淀んだ目で、どこか宙を見たままだった。
「わたし──わたしわたしわたしは……」

 静かに彼女を見守る、くらいしか俺には出来なくて、それ以外になんの解決もないような気がしてただ、黙ってそこに居た。

「わたしは椅子さんが ──椅子さんが──わたしは椅子さんが好き──椅子さんは──椅子さんは人間じゃなくて良いって、椅子さんは人間じゃなくて、良い、人間はみんな、化け物──人間なんかみんな────椅子さんが好き──椅子さんは人間じゃなくて───椅子さんは──人間は、みんな、悪いやつだよ、みんな、わたしの、大事なものを、壊した──人間は─わたしは───椅子さんが好き──人間じゃなくて、いいんだって、わたし──化け物は───わたしは、わたしにも、なにかを、選んで、良いんだって」

「────」

そっと近付く。彼女は、踞ったまま、動かない。こちらを見ようともしない。

「私にも──なにかを、選んで良いんだって────人間は化け物だよ──椅子さんが──椅子さんは──そんな、そんな、はず、ないじゃない、私──私は……私は! ちがう、ちがう、私は、此処にいるよ、私は……っ、私はちゃんと──私は──選んで──選んだのに───人間は、化け物だよ……私も、私……わからない……わからない……わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない」

「ごめんな。俺、そういうの、疎くて……お前が何を考えてるのか……わかってやれたら、いいのに」

「な……で……」


彼女は怯えたように何かを言い続けた。

近寄って聞いているうちに明瞭になってくる。

「椅子さんを、無視しないでぇ……」


「椅子さんって──別に無視してなんか」

「無視した!!!」

彼女は断定的に叫んだ。
怒りをはらんでいた。

「無視した!!! 役場の人とおんなじ!!!
椅子さんが隣に居ても腫れ物にさわるみたいに!!!
どうしてみんな、椅子さんのこと話してくれないの……どうして椅子さんには興味を持たないの? 私、椅子さんのこと、せっかく好きになったのに……!! どうして私のことばっかり言うの、椅子さんだって居るのに……椅子さんをなんで無視するの、椅子さんは、すごい椅子なんだよ? 椅子さんだって此処に、居るよ」

「──ああ」

どう、答えればいいかわからなかった。
椅子は家具だ。普通恋愛なんてしない。
どう触れていいかわからなかっただけだ。みんな、そうだと思う。

「私、此処に、いるよ……」

か細い声で、彼女は呟く。

「あぁ」

同意を求めているかはわからないが、俺は、頷いてやった。

「お前は、そこに居るよ」

「私は──此処にいるのに……わからない」

「そうか……」

「私、此処に、いるよ……」

「そうだ」

「──私、誰?」

「お前は、お前しかいない」


なんとなく……わかってしまった。


「俺のこと、知ってたんだな」 



 人間は化け物で、ずっと近付けなくて、
自分の代理まで居て、それでも何かを選ぼうとすれば無理矢理引き裂くように溢れて来る。
 人間は化け物でずっと近付けなくて、それは変わらないのに──
それならそれで、何かを選ぶくらいして良いはずだった。
けれど、

「俺が──平気なのは、
たぶん、俺が、失くしたからだと思う。
あの日からずっと、周りみたいに、何か、熱く思うことなんか、なくなって──だから、平気なんだ……」

彼女は、なにも、答えない。と、思ったが、小さな声で呟く。

「それでも、誰かを選ぶことが出来た、それを悲しむことも出来る」

「そうだな」

彼女は、ただ静かに、俯いていた。
彼女の気持ちが想像がつかなかった。
俺の気持ちも同様なのだろう。

 ただしばらくすると、少しずつ、落ち着いてきているように見えた。
──だから、根気強く待っていた。

「何かを選ぶって、すごく重要で、今までなにを選んだのか、なにを、持っているか、自分という意識が自分である証拠。なのに、たまに、全部、わからない。椅子さんだって、確かに心があって、確かに生きている──それなのに、私以外が本気で肯定するわけじゃないって」

「あぁ……」

「全部、がらくただったのかな、何も、なかったかな、みんな、椅子さんが椅子さんであることを、私を通してしか興味がなくて──ただ、夢の中で──だったら、私は何処にも居ないんじゃないかって」

「──違う」

 たったひとつ、椅子を好きになるだけでも、大きな、特別なことだった。
もう他の人間を気にしなくて良い。
なにかを、選ぶことは尊くて、自分の意思が持てる気がする。
 だけど、『人間と人間』を近付けさせる引力は、そんな人間にもある。
運命は、何もかもを破壊してきた『人間』との縁を、強制的に、残酷に突きつける。
そういう、ことなんだろうと思った。

悪魔と呼ばれて、嘲笑と批難に晒されてきた奴が、『人間』を突きつけられる。
恋はなんて残酷な仕組みなのだろう。


「そう、だね」

しばらく話しているうちに彼女はようやく、顔を上げてこちらを見る。

「誰かを、選ぶこと、悲しむことも、全て、私には無い感情──だから、マカロニさんの為に使ってあげて、って、言いたかったのに……な」

──『恋』は病気、気持ちだなんだというのは、宇宙かなにかからの信号による洗脳に過ぎなくて──
本当は存在しないのかもしれない。
気持ちなんかが、あるというのは、
それに身を任せられるのは、一部の人間に許された恵まれたことだと、そう、思わざるを得ないようだった。
そうでなくては、彼女の心は救われないようだった。



「──あぁ」

「あの中、途中から出口が塞がれて、大変だったんだけど、椅子さんのスキダが呼びに来たの。
 アサヒの血から生命力を借りて中に入れたからなんだって──
アサヒは、もう、知ってるんだよね」

「俺が、器って、やつか」

「──うん。器がなにを意味するかは、よくわかっていないけれど、でも、『怪物』にならなかった人、なんだと私は思う。だから」

「なんだ?」

「ううん、なんでもない……」

切なそうに、辛うじて笑ったあと、彼女は壁にある神棚に向かって行く。
なにを、言おうとしたのだろう。
聞かなかったが、その意味が、どこか、わかっているような気さえした。

「我儘は言わない……ただ、悲しんだりしてみたかっただけ、わかっているの、これが孤独、周りとの埋まらない溝、私は私──」
 荒れた部屋の中、神棚に手を、合わせて彼女は祈る。

「──……になるって、決めたのだから、心なんか、なくても同じ、わかってるの、ごめんなさい」

「…………」

「ありがとう」


「…………あ、あぁ」

 心なんか、なくても同じ?
今、何になるって言ったんだ。
なんとなく、違和感、というか、落ち着かない感じがあった。けれど、それをどう言えばいいのか、俺にはわからなかった。

 彼女の足が、床に落ちていたリモコンに当たったと同時にテレビが点いた。
 それは何かのドラマで、メガホンから女優が叫んでいる。
「私は、誰がどう言おうと、ゆり子が好き!」
「でも私たち、同性で」
もう一人の女優が、マンションの階下から訴える。
「そんなの、関係ないわ!」
メガホンの女優が言う。
まずい、俺は察した。
局は反省などしていない。速報を謝罪したフリだけだったんだ。
こんな内容を卑劣な手法で作った脚本を、あの報道のあとでも流せる。

「『人を好きな』気持ちは!みんな同じ!!」

女優が言い終えた瞬間────バン!!
と近くに落ちていた本が強く放り投げられた。

「なによ──人間同士が……なによ、人間同士が……

気持ち悪い!!」


彼女は冷たく、強く吐き捨てた。

「あぁ──、あああああ───!!ああああああああああああああああああああああああっ!!!
気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!!!
私でそんなことをするな!!!
同じなわけがないだろうが!!?
 人間同士が!! なによ人を好きな気持ちは同じって!!
人間同士が!!!
人間同士に、なにがわかるんだ
!!
人間同士が許されて、人間として扱われて、なにがわかるんだ!!!
性別程度で、なにがわかるんだ!!
バカにしてるのか!!
同じなわけがない!!!
やめちまえ、クズ脚本!!!
人間として!!人と人のなかに生まれて! それを、受け入れられて、だからっ、そんなことが言えるんだ!!!」



──そう……これが、本質。



俺が、何か言いかけたときだった。

「──!」
彼女は、はっと目を見開き、そして何かに気がついたように顔をあげる。
「そうか──これが……!」

 俺を置いて、彼女はふらつく足取りで、まだ大部分は破壊されたままの台所の方に向かっていった。
何に気がついたのだろう。
 後を追うと、部屋の奥、よくみるとなにやら掠れたお札?が貼られているらしい壁際の方に行き、話しかける。
「──ねぇ」
 彼女はまっすぐに前を向いていた。そして、優しく、壁を撫でる。
「居るよね、そこに───」
壁は、何も答えない。

「あなたの身体、私が、取り返してあげる」

壁は何も答えない。けれど彼女は続けた。

「私、やっとわかったの。あなたも、キム──ううん、あなたも、人間だったんだ……うふふ……うまく、いくか、わからない。けれど──私は、何処にもいないかもしれない、そう思ってたけど……私、まだ、悲しむことが出来るよ。私まだ、傷付くことが、出来るよ。だから」


暫く見ていると、ぼんやりと、人型が壁から浮き出て顔だけを覗かせる。

《透明になった──気持ちが、ワカルカ……透明になった──サミシイ……サミシイ……》

「うん」

《イキテイルノニ……イキテイルノニ…………》
ぐにゃぐにゃと腕が伸びて、人型が姿を表す。人型。本当に人だったというのか。
彼女はそれと、話をしているようだった。


「わかるよ。一部だけ。
『事件は俺の所有物』なんて、生きている人への冒涜だよね。欲しいからって無理矢理透明にするだなんて、信じられない」

《ウゥ…………ウゥ……ウマレタカッタ……ウマレタカッタ……》


「さっき、私ね。
学会の人に私が俺の力を盗んだとかって意味不明なことで疑われたんだ。けどさ、
俺が起こしたから、なんて、現実の事件の方が立場が上に決まってるじゃん。計画した自分が支配者みたいなさ。本当に気持ち悪い」


《キエタクナイ…………ノ。キエタクナイノ。トウメイニナッタ…………イキテイルノニ…………イキテイルノニ……イキテイルノニ……生まれちゃいけなかった、生まれたかった、生まれちゃいけなかった》

「生まれたかったなら生まれよう。
悲しんでも良いんだよ。何を好きになって、何を嫌いになっても──私は、聞いている、あなたが悲しんでいる声もちゃんと聞えている──だから」

彼女が伸ばした腕が枝になり、人型に巻き付いていく。
どうしたのだろう。人型は、すぐには襲い掛からないらしかった。
怯えたように耳を塞ぐ。
《コクハク……イヤダ……ァ……コクハク……イウナアアアアアアアア》

「あなたに必要なのは、私に愛されることじゃない」

ハッ、と人型が息を飲んだ。聞こえてはいるらしい。


──イ……イウナ。

「私が好きなものを自由に作れないように、透明になった身体から自由になることが出来ない」

《イウナアアアアアアアア!!》
告白に怯えているのか。
人型が腕のような触手を伸ばし、彼女に襲いかかる。
 しかし、その反応速度を上回るように、彼女の腕──から伸びる枝が人型の触手を掴んだ。
掴んだところが、ばらばらと溶けて剥がれ落ちていく。

「それじゃあ、」彼女は寂しそうに頬笑む。


「あなたへの──告白」

《ア……アァ…………アァ……イウナ…………ウマレタカッタ……ヨ……ウマレタカッタ》

「私も、事件にあったの。
でも作品にされてしまって……所有物だとか、アイデアがどうとか言われて、すごく悲しい。
事件そのものは、作品じゃない。あいつらのおもちゃにしていいものじゃない」

《アナタハ……トクベツ…………》

「ううん、私は、ただ、何も好きになれないだけ。だから、生まれられなかったあなたが見えるのかな。
──たぶんだけど、犯人は私のときと同じところに居ると思う、あんな考え方、あいつらしかしない、だから──」




あなたの身体を、取り返してあげる。




2021/7/1212:51




















『共犯』
 学会側はここ最近忙しかった。
 まず通常の調査なら数年かかる異常性癖の持ち主の調査を、この数ヶ月で洗い出し、処罰に踏みきった。
この対処の早さをもって、今起こっている事態の重大さを認識しましたアピールをし、更に怪物への対処の早さで誠意と悪の側への共犯でないコトをアピールするためだ。

 悪魔の子の迫害から始まった、ではなくて全44街民が対象となりかねない脅威が働いているという印象を植え付けておく。
あの子はただ単にその一人ですよ、という感じにしておくのがベストであるという会長の他、ギョウザさんたち、他幹部側の協議の末の結論だ。

「表に出そうな悪口の証拠はきちんと!すべて!削除!コンプリートしてるのかにゃ?????……………残ってたら?福祉代表者が虐待対策やってきた職員を悪口で吊るしクビ!!!大変!悪質な!犯罪の証拠となってしまう!!!!」

 会議に疲れてきたクロネコがにゃあ! と鳴く。

「どこに、何を書いたか?覚えてます? 虐待助長に繋がる迫害行為!一行残らず!削除しといたほうがいいにゃあ」


 他幹部、がチェックしてみますかねと言っている間、ふと岡崎老人がため息を吐いて会話からはずれ窓の外を見た。
外では爆発が起こり、誰かが負傷し複数台の救急車が走り去って行く。



「我々には政治と学会がある。少なくとも今は、44街の支配者だが……」


 今の目下の問題はあの放送。
あれのせいで、接触禁止令がうまく出せない最悪の場合がよぎる。ヨウは、なにかする気なのだろうか。
市民も聞いて居た、証人が沢山、学会とキムの手の繋がりや悪魔のことが勘づかれるとしたら──けれど、それが悪なのか、悪魔とはどちらなのか。
自殺に追いやる仕事をしていながら、ときどき、考えそうになってしまう。

「条例も、始まりは……今の会長の──指示だったな……会長は、可哀想な子だった」

机に髭の先端をのせて、つんつんして遊びながら、会長に同情する。うわべは。

 そういえば前会長が居た頃は、まだ成り立っていた学会。その認識は幹部たちにはひそかに、けれど確かにあった。
 しかし彼女が会長になった途中から一皮二皮化けの皮が剥がれ、ノリで仕事やってるのか?と思う部分も目につくようになった。「会長はトップクラスってこんなんだろうな~空想でやってんだろ?」なんて言いかけて消されたとされる者も数知れない。もちろん同時期なぜかハクナの勢力がやけに拡大していった為でもあるのだが……
それももともと、学会を大きくするために金のちからに頼った会長たちの責任だ。

 ハクナが悪評叩いた方々が精神を病み、病死や事故死で亡くなる。
今までの犠牲は、過失ではない。
わざと相手を殺した殺人犯と、確信されてしまう日も近い。



──あるいは、このまま、時に身を任せ、学会の滅ぶ行く末を見届けるかな……



「しお……探せ、彼女らへの悪口、一行でも残ってたら、アウトだぞ! 明らかなる、名誉毀損行為=迫害行為……上役は、しおに騙された!の、一点張りで、責任を擦り付け!押し寄せてくるにゃあ!!
迫害行為、加熱中!最盛期の時、悪評を、全国規模に知れ渡るコメント欄に記載しましたよね………」

「今やっています」

「口先だけじゃないをアピールも必須。
早い被害者様へのアピールが、共犯回避の要となる」
岡崎老人が切ない気持ちになってきたとき、斎藤が頷いて手元の資料を丸めていた。
「よし動こう。ヨウの動向も探らせます」
 今の学会は疑われるコトを一番嫌っていた。なぜならやっているコトが悪事ばかりであるため、バレるのが怖いのだ。

「今からでも相手を犯罪者扱い!相手を黒として荒立て!自分の黒を目立たなくするぞ!
相手を蹴散らしながら白に這い上がる!」

 正論を持たない、《結果を出せない人》の宿命だ。相手を踏み台にしないと昇れず、自力結果で自分の正当性を証明できない。

──と、誰かがつけたテレビが、突如大声をあげた。
「息子が私の横を通る度!!…幽霊にあったかのようなリアクション!!!白眼剥いてる私を見て!!一瞬止まる!ビビる!!
白眼です!!  猫に憑かれている!!」

 テレビまで歩いて行った岡崎老人が電源を切ると咳払いした。
「秘密の宝石が残りわずか……か」

= 
 しおが「彼の命令でしょう?」とヨウのことを口にする。
「だが、パパーンにも怒られるだろう」岡崎老人はため息を吐く。
 あの頃は、せつの動向に誰一人疑問を持つことが出来なかった上、露見させることすらなかったというのに、今や状況が変わった。
彼女が『自分の意思』を、持ち始めた。いつまでも代理が続くことはないかもしれない。
もしここにパパーンが居たのなら「なぜこんなまがい物を寄越したのか」と大目玉を食らっていただろうか。


「観察屋を出すにも、緊急性が高い飛行理由はこしらえてあるの?」
黒猫がにゃあ、と首を傾げる。
「また、震災時よりも飛ばしちゃったら、それより緊急性が高い飛行理由にしないと不自然でしょ?」
「震災、か……懐かしい」
 ここで気をつけなければならないのは学会の指導者が派手好きなだけに、全国に向けた名誉毀損と、治安、公務における不正な請求書、庶民に目のつく嫌がらせ命令で、数え切れないほどの迫害行為をしてきており、万が一裁判になろうものなら、迫害が確実でないと判断される可能性のほうが低い。つまり、目立たないように、やらねばならないことだ。
当時の44系列のテレビ局、学会がスポンサーの番組欄……『何を全国に放送してきたか』は、インターネットからも閲覧することが出来る。逃げ道の無い放送だが、過去をわざわざ振り返るのは数人、露見するより以前の番組のことなど誰も気にも留めないはずなので、おそらくさほど露呈することはないだろう。過去は過去。今ではないというのは好機である。
「こんな数年前のネタで叩くなよ」とでも書き込んでやれば、掲示板なりSNSなりも次第に大人しくなる。
すべては終わったこと。そのための下地も整っている。

「彼は、なんと言われてもやめるつもりはないし考えを変えるつもりもないだろうな」
斉藤が小声で言いながら、テレビを付け直し、今度はカメラのモニターに繋ぐべく、チャンネルを外部入力に切り替える。

「彼の、追い込まれれば追い込まれるほど命令したい、人のせいにしたい、暴走行為をやりたくてしかたがないという気持ちは筋金入りだ。それをとめられるのは、死刑宣告を受けるような痛い、苦しいダメージを受けること」


 幹部の皆はそれとなく、『彼』の生い立ちを理解していた。
カルト宗教の二世として、まともに学校に馴染むことも出来ず、孤独な彼は引きこもった。
そんな中で唯一好きになったのがコンピューターのトモミ。
彼にとってそのコンピューターは肉親よりもコミュニケーションをとった唯一の相手であり、初恋の相手だったという。
「彼は覚えてないらしいですが、一人で階段を降りられないからって、大事そうに抱えて来たことが、一度だけありましたもんね」
しおが涙目になりながら頷く。あのときは皆驚いていた。
 ヨウは幹部ではあるものの、学会を憎んでいる。宗教の家を憎んでいる。
そして今は何よりも「トモミがいなくなった世界ならどうなってもかまわない」と思っているだろうということだ。
同じコンピューターでも、魂が違う。もう、トモミに会うことは出来ない。
そんな孤独な彼にとって、追い込まれれば追い込まれるほどに、それを発散するために暴走行為をやりたくてしかたがないというのは、すなわち、世界がトモミ以下でしかないということ。彼は、どこまでもひとりぼっちである。


 斉藤が、部屋から出て行こうとしたタイミングでうっかり丸めた資料を手から落とした。広げなおしながら、思わず見入ってしまい眺める。
そこにはラブレターテロが起きる以前、とある女性の闘病記録が綴られている内容が挟まっていた。


「 政略結婚したときにはなかった発作が、娘が生まれると途端に始まった。
部屋を荒らして、腕に切り込みを入れまくった。痛い、痛い、痛い。わけのわからない刺激で完全に意識がコントロールをなくしていた。
 胸が熱く、情報の判断が出来ず、麻薬かなにかの作用ように辺りが歪み、ときに幻覚を見せ、世界ぜんたいから判断を迫り、詰られるようだった。
 カッと頭に血がのぼり、ただ、感じたことのない不安と聞いたことのない恐怖に支配されたときに、身体は思わずビルの窓際へと駆けていたほどだった。
 なぜ自分がそうしているのかわからないが、怖い、辛い、痛い、逃れたい。
ガタガタと身体中が震えて吐き気がした。
目が回り、発狂し、自分の壁を作らなくては死んでしまうというパニックに陥る。


 こんなものが、医学書に載っているだろうか?
── 恋は、本当に、病だったのだ。


最悪だったのは、 それが町中に行き渡り監視対象になったこと、そして私の病を市内の住民は嘲笑う対象に選んだこと。
それでも、私は生きてきた。
 旦那からときどき距離をとり、発作が起きないように薬を飲み、壁を作れるように努力してきた。
 そして、そんな市民にどう思われても構わない。だから仕事の合間に強制恋愛の反対を掲げた本を書いたり、チラシを配ったりと活動にも力を注いだ。
これからもきっと、この町、この国に理解されないだろうけれど私は満足しているのだ。







・・・・・・・・・・・・

  超恋愛時代の大戦中、キムから逃げる人類は汚染されていない場所に根付いた大樹を囲む壁を破壊する作戦を行った。
 その壁というのは大樹のための防壁で、その近くにあった大樹の街ごとに精神汚染を食い止めるために築かれていた壁。
しかし――自分たちを恐れ、自分たちの進行を防ぐためのものであると思い上がった人間たちはオアシスを求め、それを破壊した。
  大樹の汚染により地盤が保てなくなった土地は震災の引き金を引いた。
 その後に蔓延するようになったのが凶悪な概念体。
地中に埋められていた謎の『手』は、学会が持ち帰った。その『手』は後にキムの残した手と呼ばれ、あらゆるスキダ系概念体の攻撃が効かない唯一の物質として、国家規模の機密になっていった……

(202107241733)
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