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第四話 真田幸村とエビフライ
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「倫ちゃん、なんか最近太ったんじゃないっスか?」
放課後の教室。
わたしの胸にグサリと突き刺さる言葉を放ったのは、親友の一人・佐藤 智巳である。
「そ、そうかなぁ? そんな事ないと思うんだけれど……」
「そうですわねぇ。倫、二の腕あたりが少し太くなったんじゃありません?」
言って、もう一人の親友である藤原 日和が、夏の制服から露わになった二の腕をぷにぷにと摘んでくる。
「い、いやだなぁ、二人とも……わたしは太ってなんか無いってばぁ……あは、あははは」
他の人よりわたしの太ももは、ちょっとだけ太いところがあるのは、元々自覚している。
それが最近、その太ももがほんの少しだけ太くなったなぁと気づいてはいたんだけれど……
さすがは親友。
その事にやっぱり気づいているようだ。
信長さん達が来るようになって以来。
毎回美味しい晩ご飯をたくさん食べていくのが、一番大きな原因なのだよ。
「——これはダイエットの必要がありますわね」
「ダ、ダイエット? ねえ、日和……そんなのやる必要なんか無いってばさ」
日和の言葉に、わたしに動揺が走った。
ダイエットと称して、美味しい物を食べる事を制限させられると言う不安感から来る動揺。
「いいえ、倫。これは早急に手を打たないといけませんわ。このままでは倫がとんでもない事に……となれば、善は急げですわね」
「そんな大袈裟な話じゃ——」
って、日和はわたしの話を聞いてないし。
日和はスマホを手にして、何処かに電話をかけていた。
相変わらず行動が速いな。
「爺、私ですわ。今から私の言う通りにして頂戴。まずはジムで一番優秀なトレーナーを——」
相手は日和の実家に仕える執事さんのようだ。
日和はお金持ちの正真正銘のお嬢様。
でっかい屋敷に住んでいるし、使用人も大勢いる。
わたしの遠縁でもあるんだけど、没落した御角家とは大違いだ。
日和が話している内容からは……
どうも日和のお父さんの会社が経営しているスポーツジムの予約をしているみたい。
どうにも嫌な予感しかしないのは、気のせいだろうか?
「……準備が整いましたわ。今から三人でスポーツジムに向かいますわよ」
「うえっ!? 三人ってあたしも入ってるんっスか!? うち、家に帰ってから最新のゲームをする予定なんっスよ?」
「智巳。貴女はゲームばかりして、最近弛んでいるようだし……いい機会だから一緒にやりなさい」
ピシャリと言い放った日和に、智巳は言い返せないでいる。
「うぬぬぬ……倫ちゃぁん」
わたしに助けを求めるように、智巳は目を潤ませて子犬みたいな顔をして訴えてくるけど。
「……諦めなさい、智巳。一度決めた日和には、何を言っても無駄って知ってるでしょ」
決めた事はテコでも動かないからなぁ、日和は。
まあ、仮に拒否したとことろでもね。
彼女ならどんな手を使ってでも、わたしと智巳をジムに連れて行くだろう。
「——では、早速行きますわよ」
「……はいっス」
「はぁ~」
その日からわたし達三人のダイエットが始まったのである。
◇
「ふぅ~今日も疲れたぁ……」
ダイエット開始から六日目。
今日も放課後からスポーツジムで汗を流し、ダイエットのための運動を終えたのだけれど……
「うぅ~お腹減った~」
両手で抑えたお腹が、きゅるると小さく鳴った。
「倫殿、お帰りなさい」
箒《ほうき》を持って家の前に立っている男の人は、わたしに気づいて御辞儀をした。
にっこりと微笑んでわたしを出迎えてくれたのは真田幸村さんだ。
穏やかで温かみある表情から出てくる笑顔は、ジム帰りのわたしには疲れを吹き飛ばしてくれるのだよ。
「うん、ただいま幸村さん」
我が家に来るのはこれで三度目。
この幸村さん、めちゃくちゃ真面目でいつも来るたびに家の前を掃除してくれるのだ。
本当にありがたい事なのだと、いつも感謝している。
「倫殿が戻ってくる時間だと思いましたので、お茶と茶菓子を用意しておりますよ」
「ああ、ほんとにちょうど小腹も空いてたのよね……いつもありがとう、幸村さん~」
本当に幸村さんって、いつも気配りができる出来た人なのだよ。
この人の癒しのパワーには、毎回癒されてしまう。
「さ、その荷物をお貸しください。お疲れの様子みたいですから、迷惑でなければ俺が持ちますよ」
ああ……この人の成分は、全身気配りで出来たよう人間じゃないのだろうか。
優しすぎて、こっちが逆に申し訳ない気持ちになってしまう。
「ええと……お願いできます?」
わたしはそぉっと、遠慮がちに鞄を差し出すと、
「ええ。構いませんよ」
幸村さんはニコリと笑って、わたしの鞄を受け取ってくれた。
——真田幸村さん
めちゃくちゃ優しくて性格がいい人なのだけど、実はかーなーり勇猛な武将さんだ。
大坂冬の陣では、『真田丸』と云う出城を築き、攻め入る徳川軍を撃退させた戦略家。
夏の陣では、徳川家康を追い詰めて、『日の本一の兵』とまで言わしめた人である。
と言っても、この幸村さんはそれより数年前の真田幸村さんみたい。
真田丸のことを聞いても、全く知らなかったから間違いないと確信している。
「でも……日本一とは見えないのよね」
いつもニコニコしてて人を和ませて、どこか人懐っこそうな笑顔をしている幸村さん。
他の武将さん達と違って落ち着いた雰囲気だし、大人の男性って感じなのよね。
こんな雰囲気を出す人が、大阪夏の陣を駆け抜けた武将さんには到底見えない。
「——何か言いましたか、倫殿?」
「いえ、何もないです」
そして……おそらくだけれど耳も良いみたい。
幸村さんと一緒に、わたしは居間まで向かうと——
「お、今日は遅かったじゃないか、倫」
顔を真っ赤にさせ信長さんが出迎えてくれた。
今日は普段以上に機嫌良さそうにして、お酒を飲んでいる。
テーブルの上には、お酒の瓶が二本。
一本は空になっているし、もう一本もそろそろ空になりそう。
「あ~ちょっと用事があって……とにかく急いで晩ご飯の用意しますから、もう少しだけ待っててくださいね」
「おう、早くしてくれ。俺はもう腹が減って腹が減ってたまらんのだ」
帰宅した時間も、いつもより一時間も遅いし、待たせちゃったみたいだ。
早く作ってあげないと、信長さんがご飯の催促してくるからね。
「はいはい、分かってますよ。あ、幸村さんも食べてってくださいね」
「はい。ありがとうございます、倫殿」
幸村さんは礼儀正しく正座して、頭を下げてお辞儀をしてくれた。
わたしは急いでキッチンへと向かう。
お気に入りのエプロンを着けて、早速今日の晩ご飯の準備をする。
タルタルソースは、昨日のうちに作っておいたから大丈夫。
「それじゃあ……海老フライを作っちゃうとするかっ」
まずは海老の下処理から。
海老の殻を尻尾の部分まで剥いていく。
剥き終えた海老の背中に少し切れ目を入れ、背わたを取り出す。
「で、これをボールに入れて海老を水でよく洗ってすすぐっと」
洗ったら、海老をキッチンペーパーで水分を拭き取る。
拭き取った海老の尻尾を斜めに切って、中の水分を出しておく。
「海老に塩で下味をつけて——」
薄力粉、溶き卵、パン粉の順で付けていく。
フライパンに油を入れて、だいたい180度くらいまで温度を上げる。
そこに衣がついた海老を投入していく。
カラカラと油の跳ねるいい音を出して、白い衣がキツネ色へ変わるのだけれど……
「ん~これだけでも美味しいそうだし、めちゃくちゃ食欲をそそられるのよねぇ~」
——ぎゅるるる
海老フライを要求するように、わたしのお腹が叫んでいる。
「う……ごめんね、わたしのお腹くん。悪いけど今日も我慢してよね」
今作っている海老フライは、信長さんと幸村さんに食べて貰う分だけ。
今日もわたしの晩ご飯は、いつものアレだ。
そうこうしてるうちに、キツネ色の海老フライはいい感じに出来上がったようだ。
出来上がった海老フライをプライパンからトレーに移して、余分な油を切る。
そしてお皿に海老フライ、キャベツを盛っていき——
「タルタルソースを、海老フライにたっぷりかければぁ……完成っ!」
揚げたての海老フライの匂いが、わたしの鼻腔の奥をめちゃくちゃく刺激する。
美味しいそうな海老フライをずっと目にしてるから、わたしのお腹はずっと鳴りっぱなしだ。
「ぐ……我慢我慢っと。さ、お待たせしましたよ、信長さん、幸村さん……熱いうちに食べてくださいねっ」
◇
二人の前に海老フライの乗ったお皿、ご飯とお味噌汁を並べる。
「こ、これは……!」
「くふふふ……匂いだけで食欲が湧いてくる。これも美味いんだろうなぁ……」
海老フライを目にした信長さん。
早く食べたくて食べたくて仕方がないって顔をしてる。
幸村さんはと言うと。
最初は海老フライに少し驚いた表情してたけど、今は一刻も早く食べたいって表情に変わってる。
「海老フライとタルタルソースの組み合わせ……本当に美味しいですから、堪能してくださいね」
「それは見れば分かるんだが……倫、お前の前にあるソレはなんだ?」
わたしの前に置かれたシェイカーボトル。
信長さんは中に入った緑色の液体を、なんとも珍妙な面持ちで指差しいる。
「ええと……これはわたしの晩ご飯ですけど……?」
「そんな得体の知れない汁が、お前の晩飯なのか?」
「まあ……そうですけど。わたしの事はいいですから、二人は早く食べてください。料理が冷めちゃいますよ」
「……そうか。ふむ……」
言うと、信長さんは少し考えるような仕草をし——
「これを喰え、倫」
「良かったら俺のを食べてください、倫殿」
ほぼ同時。
二人がわたしの目の前に、海老フライを突き出してきた。
「ええと……?」
タルタルソースがたっぷり乗った美味しそうな海老フライが、今わたしの目と鼻の先にある。
タルタルソースの甘酸っぱい匂い。
わたしを誘惑する香ばしい匂いの海老フライ。
口の端から一筋のヨダレが、たらりとこぼれ落ちた。
ここ数日間。
このダイエットドリンクが、わたしの晩ご飯なのだ。
ジムのトレーナーが考案し、ジム会員のみに販売されている『低カロリーで一日に必要な栄養が詰まった最高のダイエットドリンク』と言う謳い文句らしい。
しょ~じき、これはそんなに美味しくはないのだよ。
だから、海老フライを目の前に出されたら——
「我慢なんてできる訳ないじゃないですかっ!」
目の前にある二本の海老フライを、わたしは交互に一口ずつ齧った。
シャクっ、シャクっって、衣を噛むたびにいい音をさせる。
それでいて口の中に入れば、ぷりぷりに弾ける海老。
タルタルソースも、めちゃくちゃ良い仕事をしてくれるじゃない。
「んんん~! おいひいっ!」
ずっとずっと我慢してたから、わたしのお腹にも心にも、美味しさが滲みてくるのだよ。
美味しい料理に、わたしの身体も喜んでプルプルと小刻みに震えている。
「く……くははははっ!」
海老フライを堪能しているわたしを見て、信長さんと幸村さんが笑い出した。
「やはり、お前は美味そうに食う顔が一番だな。あんな辛気臭そうな表情されていたら、こっちが喰うのまで不味くなりそうだしな」
「うぅ~わたし、そんな表情してました……?」
「おお、してたしてた。恨めしそうな面《つた》で睨んでいたぞ。なあ、幸村っ」
「う~幸村さんも、わたしのそんな顔を見て、海老フライを……?」
わたしの問いに、幸村さんは否定するように静かに首を横に振った。
「いえ、そうではありませんよ。俺には倫殿が辛そうに見えたのですよ。それに……我慢は身体に悪いと言いますしね」
幸村さんのニコリと微笑んだ顔は大仏さまのようだし、背後からは後光がさしているような気がした。
「そう言う訳だ。さあ、どんどん喰えよ、倫っ! お前が喰わんのなら、俺が全部喰ってやってもいいんだぞ!」
『さあ、どうするんだ?』と信長さんは顔でわたしに訴えかけてくる。
信長さんのお皿には、まだまだたくさんの海老フライがある。
わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
「わ、わたし、ご飯持ってきますから、海老フライ残してくださいね! 絶対に一人で全部食べないでくださいよっ!」
わたしは急いでお茶碗にご飯を入れて、手を合わせ——
「改めて……いただきますっ」
二人のお皿から海老フライを頂戴し、わたしはご飯を勢いよく頬張っていく。
「俺達も喰うとするか、幸村」
「そうですね。頂きましょう」
信長さんと幸村さんも、続くように海老フライを食べだした。
サクっと軽妙な音を立てて、信長さんは海老フライにかじりつく。
「くっふぅ~……美味いっ! 美味いぞ、倫!」
「初めて食べましたが……本当に美味しい料理ですね、これはっ!」
「えへへ~そうでしょ?」
幸村さん、海老フライを気に入ってくれたみたい。
子供みたいに無邪気な顔をして、海老フライをパクパクと食べている。
「幸村、お前も飲むか?」
差し出された朱色の盃を、幸村さんは丁寧に受け取った。
「——では、ありがたく頂戴します」
「おう、遠慮は無しだ」
テーブルに溢れるくらい、盃にはなみなみとお酒が注がれていく。
「さあ、ぐいっといけ」
「……ではっ!」
ぐっぐっと、幸村さんは一呼吸もせずにお酒を一気に飲み干した。
「うわぁ……勢いよく飲んじゃったけど大丈夫です?」
「これくらいは問題ない。それにしてもいい飲みっぷりじゃあないか。幸村、もう一杯飲め!」
「う……ふぐぅ……」
飲み干した幸村の様子がおかしい。
耳まで真っ赤になった顔。
両目からは大粒の涙が、ぼろぼろと溢れ出して号泣している。
「幸村さんっ、大丈夫です!?」
「あ、兄上ぇ……俺は俺は——」
わたしの声が聞こえてる様子はない。
幸村さん、泣きながら立ち上がると……突然畳の上に頭から倒れてしまった。
かなりの勢いがついていたのか、ズドンと頭を打った痛そうな音。
「だ、大丈夫ですか、幸村さん!」
急に倒れたから、わたしは慌てて駆け寄ったんだけれど——
「むにゃ……兄上ぇ~……」
「幸村さん、寝てる……?」
わたしの心配を他所に、幸村さんはすぅすぅと穏やかに寝息を立てている。
幸村さん、めちゃくちゃお酒が弱い人だったんだ。
「あれ? でも確か、幸村さんって焼酎が好きだったような……」
たった一杯のお酒でこうなってしまったのだから、とても焼酎が好きだったとは思えない。
しばらくしたら、幸村さんは寝たまま消えてしまった。
幸村さんが消えた直後。
わたしは幸村さんのギャップが可愛くて、思わず笑ってしまった。
信長さんも大笑いしていたけど。
たぶんわたしとは違う理由なんだろうなぁ。
◇
そんな事があった翌日。
わたしは日和にダイエット失敗のことを告げた。
すると日和は、
「まあ、倫に美味しいご飯を我慢しろって言うのが、無理な事ですわね」
と、笑っていた。
まあダイエットは失敗に終わった?
そんなことはありません。
日和や幸村さんの想いを無駄にするわけにはいかないからね。
きっちりしっかりと運動してダイエットは成功したのだよ。
これで今までどおりまた美味しい日々が送れるというものだ。
放課後の教室。
わたしの胸にグサリと突き刺さる言葉を放ったのは、親友の一人・佐藤 智巳である。
「そ、そうかなぁ? そんな事ないと思うんだけれど……」
「そうですわねぇ。倫、二の腕あたりが少し太くなったんじゃありません?」
言って、もう一人の親友である藤原 日和が、夏の制服から露わになった二の腕をぷにぷにと摘んでくる。
「い、いやだなぁ、二人とも……わたしは太ってなんか無いってばぁ……あは、あははは」
他の人よりわたしの太ももは、ちょっとだけ太いところがあるのは、元々自覚している。
それが最近、その太ももがほんの少しだけ太くなったなぁと気づいてはいたんだけれど……
さすがは親友。
その事にやっぱり気づいているようだ。
信長さん達が来るようになって以来。
毎回美味しい晩ご飯をたくさん食べていくのが、一番大きな原因なのだよ。
「——これはダイエットの必要がありますわね」
「ダ、ダイエット? ねえ、日和……そんなのやる必要なんか無いってばさ」
日和の言葉に、わたしに動揺が走った。
ダイエットと称して、美味しい物を食べる事を制限させられると言う不安感から来る動揺。
「いいえ、倫。これは早急に手を打たないといけませんわ。このままでは倫がとんでもない事に……となれば、善は急げですわね」
「そんな大袈裟な話じゃ——」
って、日和はわたしの話を聞いてないし。
日和はスマホを手にして、何処かに電話をかけていた。
相変わらず行動が速いな。
「爺、私ですわ。今から私の言う通りにして頂戴。まずはジムで一番優秀なトレーナーを——」
相手は日和の実家に仕える執事さんのようだ。
日和はお金持ちの正真正銘のお嬢様。
でっかい屋敷に住んでいるし、使用人も大勢いる。
わたしの遠縁でもあるんだけど、没落した御角家とは大違いだ。
日和が話している内容からは……
どうも日和のお父さんの会社が経営しているスポーツジムの予約をしているみたい。
どうにも嫌な予感しかしないのは、気のせいだろうか?
「……準備が整いましたわ。今から三人でスポーツジムに向かいますわよ」
「うえっ!? 三人ってあたしも入ってるんっスか!? うち、家に帰ってから最新のゲームをする予定なんっスよ?」
「智巳。貴女はゲームばかりして、最近弛んでいるようだし……いい機会だから一緒にやりなさい」
ピシャリと言い放った日和に、智巳は言い返せないでいる。
「うぬぬぬ……倫ちゃぁん」
わたしに助けを求めるように、智巳は目を潤ませて子犬みたいな顔をして訴えてくるけど。
「……諦めなさい、智巳。一度決めた日和には、何を言っても無駄って知ってるでしょ」
決めた事はテコでも動かないからなぁ、日和は。
まあ、仮に拒否したとことろでもね。
彼女ならどんな手を使ってでも、わたしと智巳をジムに連れて行くだろう。
「——では、早速行きますわよ」
「……はいっス」
「はぁ~」
その日からわたし達三人のダイエットが始まったのである。
◇
「ふぅ~今日も疲れたぁ……」
ダイエット開始から六日目。
今日も放課後からスポーツジムで汗を流し、ダイエットのための運動を終えたのだけれど……
「うぅ~お腹減った~」
両手で抑えたお腹が、きゅるると小さく鳴った。
「倫殿、お帰りなさい」
箒《ほうき》を持って家の前に立っている男の人は、わたしに気づいて御辞儀をした。
にっこりと微笑んでわたしを出迎えてくれたのは真田幸村さんだ。
穏やかで温かみある表情から出てくる笑顔は、ジム帰りのわたしには疲れを吹き飛ばしてくれるのだよ。
「うん、ただいま幸村さん」
我が家に来るのはこれで三度目。
この幸村さん、めちゃくちゃ真面目でいつも来るたびに家の前を掃除してくれるのだ。
本当にありがたい事なのだと、いつも感謝している。
「倫殿が戻ってくる時間だと思いましたので、お茶と茶菓子を用意しておりますよ」
「ああ、ほんとにちょうど小腹も空いてたのよね……いつもありがとう、幸村さん~」
本当に幸村さんって、いつも気配りができる出来た人なのだよ。
この人の癒しのパワーには、毎回癒されてしまう。
「さ、その荷物をお貸しください。お疲れの様子みたいですから、迷惑でなければ俺が持ちますよ」
ああ……この人の成分は、全身気配りで出来たよう人間じゃないのだろうか。
優しすぎて、こっちが逆に申し訳ない気持ちになってしまう。
「ええと……お願いできます?」
わたしはそぉっと、遠慮がちに鞄を差し出すと、
「ええ。構いませんよ」
幸村さんはニコリと笑って、わたしの鞄を受け取ってくれた。
——真田幸村さん
めちゃくちゃ優しくて性格がいい人なのだけど、実はかーなーり勇猛な武将さんだ。
大坂冬の陣では、『真田丸』と云う出城を築き、攻め入る徳川軍を撃退させた戦略家。
夏の陣では、徳川家康を追い詰めて、『日の本一の兵』とまで言わしめた人である。
と言っても、この幸村さんはそれより数年前の真田幸村さんみたい。
真田丸のことを聞いても、全く知らなかったから間違いないと確信している。
「でも……日本一とは見えないのよね」
いつもニコニコしてて人を和ませて、どこか人懐っこそうな笑顔をしている幸村さん。
他の武将さん達と違って落ち着いた雰囲気だし、大人の男性って感じなのよね。
こんな雰囲気を出す人が、大阪夏の陣を駆け抜けた武将さんには到底見えない。
「——何か言いましたか、倫殿?」
「いえ、何もないです」
そして……おそらくだけれど耳も良いみたい。
幸村さんと一緒に、わたしは居間まで向かうと——
「お、今日は遅かったじゃないか、倫」
顔を真っ赤にさせ信長さんが出迎えてくれた。
今日は普段以上に機嫌良さそうにして、お酒を飲んでいる。
テーブルの上には、お酒の瓶が二本。
一本は空になっているし、もう一本もそろそろ空になりそう。
「あ~ちょっと用事があって……とにかく急いで晩ご飯の用意しますから、もう少しだけ待っててくださいね」
「おう、早くしてくれ。俺はもう腹が減って腹が減ってたまらんのだ」
帰宅した時間も、いつもより一時間も遅いし、待たせちゃったみたいだ。
早く作ってあげないと、信長さんがご飯の催促してくるからね。
「はいはい、分かってますよ。あ、幸村さんも食べてってくださいね」
「はい。ありがとうございます、倫殿」
幸村さんは礼儀正しく正座して、頭を下げてお辞儀をしてくれた。
わたしは急いでキッチンへと向かう。
お気に入りのエプロンを着けて、早速今日の晩ご飯の準備をする。
タルタルソースは、昨日のうちに作っておいたから大丈夫。
「それじゃあ……海老フライを作っちゃうとするかっ」
まずは海老の下処理から。
海老の殻を尻尾の部分まで剥いていく。
剥き終えた海老の背中に少し切れ目を入れ、背わたを取り出す。
「で、これをボールに入れて海老を水でよく洗ってすすぐっと」
洗ったら、海老をキッチンペーパーで水分を拭き取る。
拭き取った海老の尻尾を斜めに切って、中の水分を出しておく。
「海老に塩で下味をつけて——」
薄力粉、溶き卵、パン粉の順で付けていく。
フライパンに油を入れて、だいたい180度くらいまで温度を上げる。
そこに衣がついた海老を投入していく。
カラカラと油の跳ねるいい音を出して、白い衣がキツネ色へ変わるのだけれど……
「ん~これだけでも美味しいそうだし、めちゃくちゃ食欲をそそられるのよねぇ~」
——ぎゅるるる
海老フライを要求するように、わたしのお腹が叫んでいる。
「う……ごめんね、わたしのお腹くん。悪いけど今日も我慢してよね」
今作っている海老フライは、信長さんと幸村さんに食べて貰う分だけ。
今日もわたしの晩ご飯は、いつものアレだ。
そうこうしてるうちに、キツネ色の海老フライはいい感じに出来上がったようだ。
出来上がった海老フライをプライパンからトレーに移して、余分な油を切る。
そしてお皿に海老フライ、キャベツを盛っていき——
「タルタルソースを、海老フライにたっぷりかければぁ……完成っ!」
揚げたての海老フライの匂いが、わたしの鼻腔の奥をめちゃくちゃく刺激する。
美味しいそうな海老フライをずっと目にしてるから、わたしのお腹はずっと鳴りっぱなしだ。
「ぐ……我慢我慢っと。さ、お待たせしましたよ、信長さん、幸村さん……熱いうちに食べてくださいねっ」
◇
二人の前に海老フライの乗ったお皿、ご飯とお味噌汁を並べる。
「こ、これは……!」
「くふふふ……匂いだけで食欲が湧いてくる。これも美味いんだろうなぁ……」
海老フライを目にした信長さん。
早く食べたくて食べたくて仕方がないって顔をしてる。
幸村さんはと言うと。
最初は海老フライに少し驚いた表情してたけど、今は一刻も早く食べたいって表情に変わってる。
「海老フライとタルタルソースの組み合わせ……本当に美味しいですから、堪能してくださいね」
「それは見れば分かるんだが……倫、お前の前にあるソレはなんだ?」
わたしの前に置かれたシェイカーボトル。
信長さんは中に入った緑色の液体を、なんとも珍妙な面持ちで指差しいる。
「ええと……これはわたしの晩ご飯ですけど……?」
「そんな得体の知れない汁が、お前の晩飯なのか?」
「まあ……そうですけど。わたしの事はいいですから、二人は早く食べてください。料理が冷めちゃいますよ」
「……そうか。ふむ……」
言うと、信長さんは少し考えるような仕草をし——
「これを喰え、倫」
「良かったら俺のを食べてください、倫殿」
ほぼ同時。
二人がわたしの目の前に、海老フライを突き出してきた。
「ええと……?」
タルタルソースがたっぷり乗った美味しそうな海老フライが、今わたしの目と鼻の先にある。
タルタルソースの甘酸っぱい匂い。
わたしを誘惑する香ばしい匂いの海老フライ。
口の端から一筋のヨダレが、たらりとこぼれ落ちた。
ここ数日間。
このダイエットドリンクが、わたしの晩ご飯なのだ。
ジムのトレーナーが考案し、ジム会員のみに販売されている『低カロリーで一日に必要な栄養が詰まった最高のダイエットドリンク』と言う謳い文句らしい。
しょ~じき、これはそんなに美味しくはないのだよ。
だから、海老フライを目の前に出されたら——
「我慢なんてできる訳ないじゃないですかっ!」
目の前にある二本の海老フライを、わたしは交互に一口ずつ齧った。
シャクっ、シャクっって、衣を噛むたびにいい音をさせる。
それでいて口の中に入れば、ぷりぷりに弾ける海老。
タルタルソースも、めちゃくちゃ良い仕事をしてくれるじゃない。
「んんん~! おいひいっ!」
ずっとずっと我慢してたから、わたしのお腹にも心にも、美味しさが滲みてくるのだよ。
美味しい料理に、わたしの身体も喜んでプルプルと小刻みに震えている。
「く……くははははっ!」
海老フライを堪能しているわたしを見て、信長さんと幸村さんが笑い出した。
「やはり、お前は美味そうに食う顔が一番だな。あんな辛気臭そうな表情されていたら、こっちが喰うのまで不味くなりそうだしな」
「うぅ~わたし、そんな表情してました……?」
「おお、してたしてた。恨めしそうな面《つた》で睨んでいたぞ。なあ、幸村っ」
「う~幸村さんも、わたしのそんな顔を見て、海老フライを……?」
わたしの問いに、幸村さんは否定するように静かに首を横に振った。
「いえ、そうではありませんよ。俺には倫殿が辛そうに見えたのですよ。それに……我慢は身体に悪いと言いますしね」
幸村さんのニコリと微笑んだ顔は大仏さまのようだし、背後からは後光がさしているような気がした。
「そう言う訳だ。さあ、どんどん喰えよ、倫っ! お前が喰わんのなら、俺が全部喰ってやってもいいんだぞ!」
『さあ、どうするんだ?』と信長さんは顔でわたしに訴えかけてくる。
信長さんのお皿には、まだまだたくさんの海老フライがある。
わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
「わ、わたし、ご飯持ってきますから、海老フライ残してくださいね! 絶対に一人で全部食べないでくださいよっ!」
わたしは急いでお茶碗にご飯を入れて、手を合わせ——
「改めて……いただきますっ」
二人のお皿から海老フライを頂戴し、わたしはご飯を勢いよく頬張っていく。
「俺達も喰うとするか、幸村」
「そうですね。頂きましょう」
信長さんと幸村さんも、続くように海老フライを食べだした。
サクっと軽妙な音を立てて、信長さんは海老フライにかじりつく。
「くっふぅ~……美味いっ! 美味いぞ、倫!」
「初めて食べましたが……本当に美味しい料理ですね、これはっ!」
「えへへ~そうでしょ?」
幸村さん、海老フライを気に入ってくれたみたい。
子供みたいに無邪気な顔をして、海老フライをパクパクと食べている。
「幸村、お前も飲むか?」
差し出された朱色の盃を、幸村さんは丁寧に受け取った。
「——では、ありがたく頂戴します」
「おう、遠慮は無しだ」
テーブルに溢れるくらい、盃にはなみなみとお酒が注がれていく。
「さあ、ぐいっといけ」
「……ではっ!」
ぐっぐっと、幸村さんは一呼吸もせずにお酒を一気に飲み干した。
「うわぁ……勢いよく飲んじゃったけど大丈夫です?」
「これくらいは問題ない。それにしてもいい飲みっぷりじゃあないか。幸村、もう一杯飲め!」
「う……ふぐぅ……」
飲み干した幸村の様子がおかしい。
耳まで真っ赤になった顔。
両目からは大粒の涙が、ぼろぼろと溢れ出して号泣している。
「幸村さんっ、大丈夫です!?」
「あ、兄上ぇ……俺は俺は——」
わたしの声が聞こえてる様子はない。
幸村さん、泣きながら立ち上がると……突然畳の上に頭から倒れてしまった。
かなりの勢いがついていたのか、ズドンと頭を打った痛そうな音。
「だ、大丈夫ですか、幸村さん!」
急に倒れたから、わたしは慌てて駆け寄ったんだけれど——
「むにゃ……兄上ぇ~……」
「幸村さん、寝てる……?」
わたしの心配を他所に、幸村さんはすぅすぅと穏やかに寝息を立てている。
幸村さん、めちゃくちゃお酒が弱い人だったんだ。
「あれ? でも確か、幸村さんって焼酎が好きだったような……」
たった一杯のお酒でこうなってしまったのだから、とても焼酎が好きだったとは思えない。
しばらくしたら、幸村さんは寝たまま消えてしまった。
幸村さんが消えた直後。
わたしは幸村さんのギャップが可愛くて、思わず笑ってしまった。
信長さんも大笑いしていたけど。
たぶんわたしとは違う理由なんだろうなぁ。
◇
そんな事があった翌日。
わたしは日和にダイエット失敗のことを告げた。
すると日和は、
「まあ、倫に美味しいご飯を我慢しろって言うのが、無理な事ですわね」
と、笑っていた。
まあダイエットは失敗に終わった?
そんなことはありません。
日和や幸村さんの想いを無駄にするわけにはいかないからね。
きっちりしっかりと運動してダイエットは成功したのだよ。
これで今までどおりまた美味しい日々が送れるというものだ。
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